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かまどの嫁  作者: 紫 はなな
小御門神殿の御紋菓子
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三‐こん、こん

 その夜、久助が朝廷を下り帰路に着いたのは夜半過ぎ。

 疲れた顔でにじり口を潜った久助を、鹿の子はみたらし団子でねぎらった。

 甘い湯気に久助の顔がほころぶ。


「お務めご苦労様です」

「いつもありがとうございます、鹿の子さん」


 久助が団子の串を持ち上げれば、鹿の子はふくさをしばく。久助が最後の一串を頬張れば、鹿の子は茶筅をふる。

 小薪が夜食目当てに現れない今、こうしてふたり静かに過ごす夜が増えていた。

 

「落雁、どうでした」

「不合格です。また明日、作り直さな」


 土産菓子に上がる日はいつになることやらと、鹿の子は苦汁をなめた顔をするが、うきうきと肩は踊っている。


「私もお手伝いしましょう」


 久助は柔らかく微笑み、本題へ触れた。


「旦那様とのお話は、いかがでしたか。……お世継ぎづくりについて、話し合われたのでしょう」


 間を空けて放たれた言葉に、踊っていた鹿の子の肩がぴたりと止まる。


「旦那様はお世継ぎに励んでくださいます。わたしもラクと、会うことにしました。……側室と御用人として」


 鹿の子は湯気のたつ茶器を置き、はっきりとそう言った。

 しばらくの沈黙。

 耐えきれず、鹿の子が言葉を繋ぐ。


「旦那様が仰るには、……その、わたしは子を成せる身体なので」

「はい」

「やはりわたしもこの小御門家へ嫁いだ以上、お世継ぎは作らなあかん、そう思います」

「はい」


 鹿の子は喋りながら、自分へ言い聞かせていることに気付いた。

 お世継ぎ作り――、これは側室の真の務めであり、三年前から心に覚悟していたこと。それに、見も知らぬ相手ではない。幼馴染みのラクだ。

 大好きだった、幼馴染みの御用人。


「私は賛成ですよ」


 茶器の縁を指で拭いながら、久助は言った。


「務めにひたむきなあなたを、私は愛したのですから。――ただ」


 久助は茶器を置くと、ゆっくりと深く、頭を下げた。



「どうか、お側に」



 鹿の子はそんな久助を見ていることなど、耐えられなかった。頑なに面をあげぬ久助に覆いかぶさるように、首を胸へあてがう。

 触れた後で、酷く悔やんだ。

 離れがたくて、誰よりも愛おしくて。


 ――どうして、こんなことに。


 ラクともっと早うに向き合っていれば、久助さんを傷付けずに済んだのだろうか。

 でもこうして触れていると、自分はずっと前から、望んでいたように思える。

 だったら、気付かなければよかった。


「恋結びなんて、作らなければよかった」


 ならば久助さんも自分も、穏やかに過ごしていたかもしれないのに。


「らしくありませんよ、鹿の子さん」


 久助は顔を上げ、そして笑った。


「恋結びがなければ、小薪さんとクマさんは今も結ばれぬまま。それだけではない、この国の何組もの男女が、恋結びに救われています。そして誰よりも」


 久助は鹿の子の頬に触れようと延ばした手を、寸でのところで止めた。



「あなたの愛に恵まれ、私は途方もなく、幸せです」



 久助は手の代わりに唇を、鹿の子の頬に添えた。音もなく流れ落ちる涙を、いくつもすくいながら。

 今日の鹿の子はためらいもなく唇を受け入れ、自ら久助の背中に腕を回した。


「わたしも……、久助さん」




 一体どれほどの時間、そうしていたのだろうか。

 外が明るみ、書院の障子にいちょうの影が映る頃。御寝所にかかる几帳の裾が翻り、異質な風が茶室を侵した。

 危険を察知した久助がまどろむ鹿の子を優しく下ろし、茶室を見回す。

 気配はないが、


「こん、こん!」


 また妙な音が轟いた。


「こんっ! こんっ!」

「一体、何の音なんでしょう――、鹿の子さん。鹿の子さん?」


 今さっきまでとろんとしていた鹿の子が目を瞠り、ぶんぶん首を振っている。

 両手は後ろ。


「鹿の子さん?」

「なんでしょうねぇっ、この音! わたしにもさっぱり!」

「鹿の子さん……」


 背中に白い尻尾が生えていますよ。


「見なかったことに。見なかったことにっ」

「ひょい」

「ぁあっ」


 首根っこをつかみ、拾い上げた白い毛玉は――。


「ま、迷い犬なんです。どうかお許しくださいっ、綺麗にお掃除してます、ちゃんと世話もしてますっ、かまどに立つ時は大人しくしているように躾けていますから!」

「こん、こ……、わん!」 わん?

「鹿の子さん……」



 これ、犬ではなくてキツネです。



「え、キツネ?」


 鹿の子は可愛らしく小首を傾げ、


「わん」

「ほぅ。この後に及んでまだわん、と鳴く」

「わ、わん……」


 久助は猫をかぶる犬もといキツネを、恨めしそうに睨んだ。





 *





 鹿の子が迷い、い……、キツネに出逢ったのは、ほんの半月前のことだ。

 何時ものように久助へ夜食を振る舞い、見送ったあと。

 つくばいの水を抜こうと水屋から柄杓を持ち出し、庭へ出た。

 

「ぴちゃ、ぴちゃ」


 なんと寒空の下、白い毛玉がつくばいの水を飲んでいるではないか。鹿の子の腰の高さはあるつくばいに、背伸びをしてやっと届く大きさだ。毛玉は後ろ足をすいすい浮かして、必死に飲んでいた。


 それを見た鹿の子は息をのみ、水屋へ引き返した。

 あんなに夢中で水を飲むくらいだ、きっとお腹も空かせている。

 その日の夜食かくなわを懐紙に包んで持ち、そおっと近付いた。


「もし」


 短く声をかけただけなのに白い毛玉はびくぅっ跳ね上がり、つくばいからすってん、転げ落ちた。


「たいへんっ!」


 酷いことをしてしまったと鹿の子は慌てて毛玉を抱き救った。その軽いこと。あまり動物に触れたことがない鹿の子であったが、まったく恐怖は感じられなかった。

 

「だいじょうぶ? 怪我はない?」


 話しかければ、毛玉から恐る恐る鼻がでた。


「――まあっ」


 鹿の子は毛玉に嘆声をあげた。

 なんて可愛らしいこと。

 長い毛足は真っ白しろ。

 大きく鋭い三白眼はまつ毛がくるんと、乙女の風合い。

 怜悧な鼻筋には、ちょこんとまあるいお鼻が黒豆みたいに乗っかっている。

 抱きしめたい衝動にかられたが、怖がられたくはない。鹿の子はすりすり、頬ずりをした。

 気持ちいいのか毛玉の顔がとろん、と緩む。


「さぁ、お食べ」


 鹿の子は膝に毛玉を乗せたままその場にしゃがみ込み、まあるい鼻先へ向け懐紙を開いた。


「こん!」


 白い毛玉はかくなわを目にした途端、そう一声。大きな口を開き食らっていった。

 その可愛らしいこと。

 すんすん鼻でかぎ、はむはむ甘噛み。

 食べる時は一気にしゃぐしゃぐ、噛み砕きながら白砂糖をふりまく。

 口角をあげて、まるで笑っているみたいだ。

 よっぽど美味しかったのか、懐紙に残った白砂糖まで舐め上げ、舌で口回りを拭う。

 でも、鼻についた砂糖は届かない。

 かわいい。


「ちゅ」


 鹿の子は鼻に唇を押し当て、砂糖を拭ってやった。


「こん!? こん〜」


 毛玉の力がへにゃりとぬけていく。

 やはり衰弱している。鹿の子は涙目で毛玉に尋ねた。


「おまえ、迷い犬なの? お母さんは?」


 毛並みは若い。飼い犬かと見紛うほど綺麗だがしかし首輪がない。親離れしたばかりの野良だろうか。

 思い巡らすほどに可哀想になって、おろしたくない。


「……うちに、くる?」


 毛玉が生唾を飲み込んだ。

 怖がっているのだろうか。

 それでも鹿の子がよしよし、撫でてあげると毛玉は尻尾をふって喜んだ。

 嬉しくなった鹿の子は毛玉をゆりかごのようにして抱き上げ、御寝所へ運んだ。

 野良であれ他所の飼い犬であれ、元気に走り回れるようになるまでは、自分が養ってやらなければ。そう決意して。


 御寝所へ向かう短い間、鹿の子はされるがまま仰向けになった毛玉の股間を覗き「うん、雄や」と頷いた。

 性別を調べたのは、名前をつけたいからだ。

 動物を飼ったことがない鹿の子は、相棒に名前をつけるのが夢だった。

 毛玉が恥ずかしそうに、「こん……」と喘ぐ。


「雄やったら、しろ。こんって鳴くから、こん? しろ、こん、しろ……」

「こんん?」 不満げに口を結ぶ。

「しろもこんも、いや? じゃあ……」


 次の瞬間、鹿の子の頭にお稲荷さまの顔が浮かんだ。笑うと狐目が線になる、人懐っこい神様。弟みたいに可愛い――。

 お稲荷さまとは知らずに真名を呼んでいた半年を懐かしみ、鹿の子は小さく口ずさんだ。


「クラマ」


 白い毛玉は目ん玉を潤ませ、「ぁおおんん」と小さく遠吠えをした。

 なんと気に入ってくれたようだ、鹿の子はまたまた嬉しくなって毛玉を一度ぎゅうと抱き締めてから、ふわふわの敷妙にそっと下ろしてやった。


「決めた。おまえの名前はクラマ、や」

「こん! こ、こ!?」


 ぱさり帯を落とし、鹿の子は御饌装束を脱いでいく。

 人間の裸体を見ることがはじめてなのだろうか、毛玉は半月の目をまあるく見開いて固まった。狭い部屋や人間に慣れていないところをみると、やはり野良に違いない。

 鹿の子は手早く夜着に着替えると、間も無く自分も寝っ転がった。

 白目を血走らせてまでがくがく震え出したクラマを、安心させたろうと強引に引き寄せる。

 

「わぁ。クラマって、すごくあったかい」


 これからの寒い季節、手放せなくなってしまいそうだ。情が移ったらどうしよう。

 拾い上げた瞬間に移っているとは知らず、鹿の子はクラマを抱き枕にして、その日は眠った。

 その次も。またその次の日も。




 *




 鹿の子は久助の手に渡ったクラマを見上げながら、この半月を思い返した。

 クラマはまったく手のかからない子だった。

 静かで大人しく、粗相もしない。

 自分がかまどに居る間は出歩いているらしく、腹ごしらえも用便も外で済ましているようだ。栄養つけたろうと、御膳を分け与えても見向きもしない。

 迷い犬ならば親を探してやらねばと思ったが、どうも寂しそうでもない。出会ったあの日は親離れしたばかりで、慣れていないだけだったのかもしれない。

 クラマは夜になると、必ず帰ってくる。

 御膳は食べなくとも、菓子に目がない。

 これを餌付けいうんやろうかと思うと胸が痛むが、尻尾振って待つ影をみると、戸をひかずにはいられない。

 自分を主人やと思うてくれている。

 そう思うと、クラマ一匹を山へ帰すことなどできないのだった。

 そうして、ずるずると半月――。


「お願いします久助さんっ、山に捨てるなんて言わないでください! わたしから旦那様へお願いしますから!」

「いや。捨てられるなら捨てますがね」


 久助に首根っこ掴まれながらも、ギロリと三白眼をぎらつかせるクラマ。

 久助は茶室に差し込む陽射しが強くなったのを見届け、そのままゆっくりと立ち上がった。

 どうやらつじつま合わせが必要だ。


「久助さんっ、クラマをどうするんですか」


 心底、不安そうに見上げる鹿の子。


「少しお借りするだけです。旦那様へは私からお伝えしましょう。――ねぇ」


 久助とクラマはバチバチと火花を散らしながら、茶室を退いていった。


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