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かまどの嫁  作者: 紫 はなな
お稲荷さまの恋結び
32/120

八‐恋結び(上)

 お稲荷さまの恋結び


 小御門神殿の土産菓子

 ご予約半年待ち



 作り方


 氷砂糖を一度さっと洗い、氷砂糖の倍量の水を加えて煮溶かす。

 丁寧に絹ふるいで漉して、煮つめる。

 ふつふつと煮立ってきたら、水で冷やした指で少しすくってみる。

 すくった砂糖液を水の中でのばして、折れるくらいに固くなったら、氷で冷やした銅製の取り板へ移す。

 砂糖液を取り板にのばして冷やしながら、手につかなくなるくらいに、練ってまとめる。

 二つに分けて、一つを紅色に着色する。

 飴を引きのばし、八の字に結って千代結び。

 結んでいる間、飴が固まらないよう、ちょうちんお化けにあっためてもらうこと。

 あっためている間、ちょうちんお化けが飴を舐めないように、先に腹を満たしてあげること。


 忘れずにその場でお稲荷さまを呼んで、恋結びの呪をかけてもらうこと。

 




 *




 <注意書き>


 紅色結びはあなた。

 白色結びは想い人へ。

 ふたり同時に舐めるべし。

 ふたつの紐がほどけた時に千弦ぶん、あなたの想い、想い人へ伝わるでせう。




「千弦分ってなに、露骨すぎ!」


 いつもの茶室。

 土産菓子の包みを広げ、西の奥方、玉貴はびりびりと小薪が書いた注意書きを破った。


「姉御、ひどい! 破ることないやないですか!」

「だって、気持ち悪いほど汚い字なんですもの」

 

 鹿の子が散った紙を拾えばなるほど、ミミズが這うているような字だ。恐るるに値し、ぱっと放してしまった。

 ぷぅう、とむくれる小薪。


「だったら、姉御が書いてくださいよ!」

「えぇっ」

「わたしからも、お願いします」


 にっこり浅礼する鹿の子。


「……わかったわよっ、その代わりおかわり頂戴! 小薪、あんたは私が帰るまでに書写くらい修得しなさいよ!」

「はいな」

「はーいな」


 なんだかんだいって、頼られて嬉しい玉貴はおかわりの菓子を啄ばみながら、すらすらと筆をならしていった。

 こうしてはじめての土産菓子、お稲荷さまの恋結びは、玉貴の洗練された謳い文句と壮麗な書字により、美しく飾り立てられることとなった。


 




 *





 白い懐紙で折られただけの、簡素な御守り袋。中には紅白の飴がひとつずつ、入っているだけ。注意書きは御守り袋に直接したためられており、広げたら読める仕組みだ。

 外見が真っ白な土産菓子は、色鮮やかな御守りに混じると、その地味さと高値から妙に神々しく目立って見え、たちどころに街娘の噂になった。

 飴の呪いに国中が騒いだのは、札所の土産棚に列んで十日も経たぬ頃。


 翌月に婚姻を控え、懐を緩めていたとある仕官が、縁起担ぎに買ったことから始まった。

 その仕官の婚姻相手は宮仕えを始めたばかりの宮廷女官。

 はじまりは一目惚れだった。美しさを鼻にかけず健気に働くその姿に、仕官は日に日に恋い焦がれていったという。

 自分の器量に自信がなかった仕官は文を交わすことすらもどかしく、性急に世話人をたて、縁談を依頼した。女官は下級貴族の姫君、この縁談はめでたく受け入れられたが、婚儀もまた忙しなく調えたものだから、当然女官は仕官の顔も知らず、婚儀を迎えることとなった。

 婚姻が決まった日には飛び上がって喜んだ仕官であったが婚儀当日、仕官を目の前にした女官の、憮然とした態度に胸が痛んだ。

 あはれ、私は間違っていたのだろうか。

 好かれなくとも、この想いだけは届けたい。初夜に仕官が広げた紙は、お稲荷さまの恋結びであった。

 夫なる仕官をまともに見据えることすらできなかった、女官の心に流れ込んできたのは、荒波のような熱い想い。

 貴女に一目逢うために、いつも遠回りをしていた。役が疎かになるほど貴女のことばかり想っていたと。

 適齢期を過ぎた仕官が焦りから、適当に自分を選んだとばかりに思っていた女官は、喜びのあまり涙をこぼした。

 旦那様は、宮廷の陰日向に咲くわたしを見初めてくださった。

 この時初めて扇子を外し、夫と顔を合わせた。夫は飴に染みいる想いそのものを形にしたような、荒々しくも優しさに溢れた人だった。ああ、早くこの人に包まれたいと、女官は自ら仕官の胸へ飛び込んでいったという。

 ふたりは飴が溶けきらぬまま、甘く敷妙に乱れていったとか、いないとか。

 一見、仕官は野獣のように武骨な男だ。

 初夜の明くる日、仕官の仲間はどんなに落ち込んで務めに上がってくるだろうかと楽しみに待っていた。盛大に慰めてやろうと迎えれば、仕官夫婦は目も当てられないほど、身を寄せ合って現れたではないか。

 それも美しい女官が、野獣の胸に擦りつき、とろけた顔をして離れない。

 仲間はその日の夜のうちに酒場へ寄り合って、仕官から理由を聞き出した。

 一体、どんな手腕で口説きおとしたのかと。

 野獣仕官は早く新妻のもとへと帰りたくて、あっさりと白状したものだ。


 ――お稲荷さまが、心を結んでくれたのさ。


 これにより、お稲荷さまの恋結びは独り身の仕官へ飛ぶように売れていった。

 朝廷の仕官に売れれば、主上の耳に入るは瞭然のこと。

 や否や、主上は月明を召し寄せた。




 その帰り道、秋の夜長になんとも情緒に欠けた会話が牛車の外から聞こえ、月明は頭を痛ませたものだ。


「あんたも小遣い貯まってんじゃあ? 主上みたいに、お稲荷さまに恋結びしてもらいなよ」

「……想いは、しっかり伝えました」

「伝えたつもりが、伝わってないと違うん? このままじゃあ、誰かにとって食われても同情できんじゃあ」

「……とって食うような人間、小御門にはおりません」


 心なしか、今の台詞が自分へ向けられているような気がして、月明は冷や汗を垂らした。


「しかし放ったらかしじゃあ、かまどの嫁が気の毒じゃあ」

「……鹿の子の、邪魔はしたくありません」

「あじゃあ、これじゃあ。なぁ、旦那! 辛気臭くてたまらんわ、どうにかしい!」

「ただでさえ倅達がおれへんで、明るさに欠けるいうんじゃあ」


 じゃあ、じゃあ五月蝿いのは大きな大きな、つがいのちょうちんお化け。

 ちょうちんお化けにちょっかい出されているのが、どんよりお曇りのラクだ。

 被害が自分へ及び、月明はやむなく声をかけた。


「ちょうちんお化けの言う通り、恋結びを買って試してみてはどうですか」

「旦那様まで、やめてください。何度も言いますが鹿の子にはちゃんと伝えましたし、そういう小細工みたいな真似、好きと違うんです」

「伝えたと言いますがね、何をどう伝えたんですか」


 月明がざっくばらんに尋ねれば、小さく間をあけ、やがてラクは答えた。


「好きやって、言いました。せやけどまだ自分は未熟者です。修行が終わって、立派な陰陽師になったら、また改めて想いを伝えるって。その……、それまでは、互いに務めに専念しようと」


 月明は呆れて目が座った。

 お稲荷さまの骨折ってまで側室の習わしを語ったというのに、未だ身分違いを突き通すつもりか。

 進展がないのなら、なるほど鹿の子自ら歩み寄る理由がない。

 かまどの嫁に務めを専念させるとは、お稲荷さまとの仲を認めているようなものだ。

 どんなに屈強で霊力が卓越していても、まだ心は十八歳なのだと思い知らされる。

 少しは焦らせてやるかと、月明は意地悪をいった。


「ラクさん、あなたのような神職見習いが修行を終え小寮頭になるまで、何年かかるかご存知ですか」

「えっ……、さ、三年くらい、でしょうか」

「甘い、甘いですねぇ」


 脅しが入った返し文句に、ラクが怯む。


「ラクさんの前任者を、憶えていますか」

「もちろんです」


 以前、月明の侍従を務めていた神職は、この秋に小寮頭として朱雀山の向こうへ遣えた。非の打ち所がない、秀でた印象ばかりが頭に浮かぶ。


「あの人で、十年です」

「じ、じゅう年!?」


 ラクは愕然と膝を落とし、闇に消えてしまいそうになったが、のろい牛の綱を支えに何とか持ちこたえた。

 しかし月明は弄り甲斐のある弟子へ、追い討ちなんてのが大好きだ。


「あなたは鹿の子さんに、十年待ってくれと言ったようなもの。女の盛りをかまどで過ごせとはなんと残酷な。女とは、それほど辛抱強い人間ではありませんよ。小御門にとって食う人間が居なくとも、鹿の子さんが待ちきれず、腰を浮かす可能性はなきにしもあらず」

「か、鹿の子はそんな女じゃありません」

「ラクさんには、まだ教えていませんでしたねぇ。神が子を望むとき、処女の腹を借りる。お稲荷さまが望めば、私にも誰にもとめられませんよ」

「こ、こども!?」


 ついにラクは綱を手放し土に項垂れた。

 あじゃあ、あじゃあ、とちょうちんお化けがからかう。

 一通り弄り、気が済んだ月明であったが、こうも落ち込まれてはまた修行が滞る。

 月明はとまった牛車の物見から顔を出した。


「久助」

「はい、旦那様。仰せ事でございますか」


 主の使役に、久助が闇から姿を現す。


「この牛車が着く頃に、鹿の子さんを幣殿へ呼んでおいてください。その際、ラクさんが同席することも伝えておくれ」

「御意に」


 ラクの耳にも届いたようだ。

 久助が消え、のろり、のろりと牛車が動き出す。

 さて、若き侍従は帰路に着くまでに答えを導き出せるだろうか。

 月明は愉しみなようで憂鬱としたような、どちらともとれる面持ちで、宵闇をじっとみつめた。

 今宵このまま月が昇らなければいいのに。

 そんなことを、心の隅で唱えながら。






 *





 久助に呼ばれた鹿の子は、したした足音を弾ませ幣殿へと渡った。


「ちょうどよかった。わたし、旦那様にお願いしたいことがあるんですっ」

「ほぅ、それはそれは」

「ついでにお稲荷さまの恋結び、食べてもらおうかと」

「呪はかけられていないでしょうねぇ」

「まさか」


 ふふふっ、と笑い声まで弾ませ、袂をふる。

 ラクに会えると伝えてから、ずっとこの調子だ。やはり鹿の子にとって、ラクは特別な存在なのだろう。

 久助もまた、主と同じように悲喜交々とした面持ちで、秋の夜空を見上げた。

 今日は薄月。霧雲に隠れぼんやりと、あやふやに光っている。


「まるで私のようだ」


 ふと言葉にしていた。


「久助さん?」


 渡り殿の半ばで、鹿の子が振り返る。

 月に照らされた鹿の子の肌は、淡い光を纏い、陶器のように滑らかに輝いてみえた。

 あまりの粒子の細かさに自然と手がのびる。


「久助さ……?」


 頬に触れた指が炭をあてられたように熱く、鹿の子は肩を縮こます。

 厩舎から動物達の甘えた鳴き声が聴こえ、久助はすぐにその手を下ろした。


「旦那様がお帰りです。急ぎましょう」



 幣殿へ上がれば時同じくして月明とラクが現れた。

 高座に腰を据え面を上げた月明の顔は相変わらず冷徹なものであったが、声色は柔らかい。

 

「今日、主上に恋結びを献上したところ、大変お喜びになられましてね。今後も小御門へ氷砂糖が下賜されることになりました」

「あぁっ、よかった!」


 鹿の子は手を合わせ喜んだ。

 すでに納戸の氷砂糖は底をついている。

 白砂糖だけで作れやしないかと試し、失敗したばかりだったのだ。


 一方、月明はお稲荷さまの恋結びに、大いなる希望を抱いていた。

 主上が氷砂糖の輸入に力を入れ、交易に前傾すれば、小寮計画に賛同する者が増えるからだ。

 調べれば、遠い異国では砂糖はさほど高価ではない。輸入量を増やすことは容易だが、交易路の治安が悪く、運搬費以上に人命がかかっている。そこで交易路に小寮を建てればどうだろう、みちみちに巣食う鬼や山賊を掃討し、安全な交易路が確立される。神道が広まり、交易が盛んになり、まさに一石二鳥。


「神殿もより参拝客が増え、繁盛しています。これはひとえに土産菓子のおかげ」

「ありがたきお言葉でございます」

「考案された小薪さんや久助はもちろんですが、あなたの労役あってこその恋結び。そこでひとつ、褒美として十日ほど暇を――」

「いりません」


 とらせましょう。

 そう言うつもりだったのだが、鹿の子にすぱん、と峻拒されてしまった。

 いつかの仕返しか。

 ラクとふたり実家へ帰りいちゃこら、諦めがつくほど親密になって帰ってきてください。

 そんな願いがくじかれ、月明は機嫌を損ねた。

 

「七日!」

「いりません!」

「鹿の子さん、あなた盂蘭盆にご実家へ帰っていないでしょう。その分しっかりと休んできなさい」

「そんな暇ありません。恋結びは売り切れてるし、他にも作りたい土産菓子があります」

「あなた、どんだけかまどにはりつくんですか」

「はりつき虫結構。暇はいりませんので、他のもんください」

「なんですか。そんなに欲しいものがあるんですか」

「はいっ! わたし、旦那様ともう一度、なつみ燗にいきたいです!」

「えっ」


 月明は自分でもびっくりするほど、とっぴな声をあげた。

 考えつきもしない、それもこちらにとって嬉しい望み。思わず口の端が緩んだが、下座からただならぬ殺気を感じ取り、こほんと咳払いひとつ。

 

「なつみ燗ならば、かまど休みに御用人を連れて行けるでしょう」

「えー、んでもわたし、旦那様と行きたい」

「えっ。……ご、ご存知かと思いますが、私は忙しいので」

「そうでした。わたしったら、無理なお願いを。では残念ですが、なつみ燗は諦めます。わたしは旦那様とふたりでお話できるなら、いつでもどこでもいいです。場所はそれこそ、茶室でも御寝所でも――」

「なつみ燗にしましょう、なつみ燗にっ」

「ええんですかっ、やったぁ!」


 お願いですから、幣殿にたちこめるこの剣呑な空気を察してください、鹿の子さん。

 月明は胸の中でそんな祈祷を唱えたが、おばんざい、おばんざい、口ずさむ鹿の子には届かなかった。

 後は本人達に任せようと、月明は手を上げ、腰を上げる。


「では、私はこれにて。ラクさんから話があるようなので、鹿の子さんはそのままで」

「ら、ラク、が……?」


 鹿の子は急に声色を細くして、娘さんらしく頬を赤らめた。

 ふむ、やはり満更でもないようだ。

 月明は去り際、鹿の子のみえぬところで柔らかに笑った。


「久助、行きますよ」

「はい」


 月明と共に去り行く久助の背中を眺め、鹿の子は思い出す。


「あっ、わたし、旦那様やラクに恋結び食べてもらおうと持ってきたんに、忘れてました」

「なんですと」


 そのまま潔く立ち去れないのは、甘いもん好きの性。月明はくるっと翻り、すたすたと中心部へ戻った。

 鹿の子が手の中の風呂敷をあけると、なんともかぐわしい甘い匂いがたちまち、辺りにひろがっていく。

 鹿の子はまだまだ声をかけた。

 

「久助さんもまだ食べてないでしょう」

「はい」

「お稲荷さまも、居てはるんでしょう」

「わーい」


 屋根柱に足をかけていた蔵馬が、半回転して降り立つ。

 たちまち、男ふたりと神様ふたりが一列に並んだ。手のひらに乗っけられたのは、白色結び。


「わたしも、ひとつ」


 小腹が空いた鹿の子はなんとなしに、紅色結びをつまんだ。

 この紅白の情景を前に、いたずら心を奮い立たせたのは、永遠の十五歳。

 ラクの懐から鹿の子の小遣いくすねると、蔵馬は全員分の有平糖に恋結びの呪をかけた。


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