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かまどの嫁  作者: 紫 はなな
お稲荷さまの恋結び
31/120

七‐小薪(下)

 一夜明け、また夜半。

 小薪はおずおずとかまどへ足を向けた。

 昨夜の鹿の子の厳しい顔が頭にちらつき足が遠退いていたが、湯殿で待っても湯だるだけ。

 邪魔にならんよう、少しだけ様子を見ようと戸口へ回り、外から格子窓を覗き込んだ。

 かまどには火を焚く音も、菓子もない。

 中では鹿の子と久助が、せまいかまどで身を寄せ合い、なにやらひそひそと語り合っている。

 小薪は悔しさに、胸が押し潰された。


 ――なんや、仲間はずれかいな。

 考えたら、わたしは言い出しっぺなだけで、手伝えることはなんもない。


 湯上りにも肌寒い、商風がうなじをくすぐる。商風ではなく唐かさのくしゃみであったが、そこまで気が回らず、風邪をひく前に帰ろうと踵を返した時だった。

 がらり戸が開き、鹿の子が飛び出た。

 振り返る小薪。


「小薪ちゃん、待ってたんよ!」


 ひしっ、と鹿の子が小薪の腰を掴むと、小さい顔は谷間に埋れてしまう。

 鹿の子にしがみつかれると拒めない小薪は、そのままぎゅうぅと受け入れた。

 

「こ、小薪ちゃん、くるひぃ」

「遅かったですね」


 小薪はきぃっ、と久助を睨んだ。

 修行をさぼれば、お説教。かまどに来る度、お説教。そんな久助が今日に限って「遅かった」とは。

 勝手、不平等な式の神にぷう、とむくれる。


「だって、……わたし、手伝えること、なんもないですもんっ」

「なに、ぐじぐじしてるんですか」


 らしくもない、と久助が手のひらを見せた。うっすらと桜色に色付いた肌には、鮮やかな紅白の飴が乗っていた。固い飴やのに、器用にくるくると八の字に結ばれている。

 あまりの可愛いらしさに、小薪の顔がぱっと明るく晴れた。


「試食も手伝いのうちでしょう」

「舐めて、ええの?」

「二つで、千弦」

「せ、千弦!?」


 千弦といえば、小薪が初めて旦那様にもらった小遣いちょうど。米三俵買える値段だ。

 街娘の小遣いなら、一年貯めなければ買えない。

 いくら砂糖が高価といえど、ぼったくりすぎやしないだろうか。

 それも試食に金をとるとは、久助も存分にがめついやないかと、小薪は呆れ返った。


「払ってもらわなければ、意味がないんですよ」

「うぅ」


 財布をからっぽにして、渋々銭を差し出す。

 返ってきたのは、二つの飴。

 千弦分噛み締めてやろうと、口へ運ぶが止められた。


「今度はなんやねんっ」

「紅色が小薪さん、白色がクマさんです。二人同時に召し上がってください」

「く、クマ? な、なんでクマに」

「それは――」

 

 久助が鹿の子へ答えを求める。

 未だ胸に埋もれる鹿の子は語るべからずと、ふよふよとその中で抗した。


「ふむ。互いに知らずとも伝わるのものか、試したいと。失敗しても、やり直せば済む話しですしね」


 こくこく、頷く鹿の子。


「なんやねんっ」

「とにかく、言った通りにしてください。分かりましたね」

「お願い、小薪ちゃん」

「うぅー」


 繰り返すが、小薪は鹿の子にお願いされて、断れる性分ではないのだ。二人のふくんだ言い方が胸に引っかかるが、悩む余裕もない。


「お嬢、湯冷めしますよ」


 湯浴みから帰ってこない小薪の身を案じ、クマが背後に立ったのだから。


「……わかった」


 小薪は鹿の子を手放し、クマと真っ向から立ち合った。

 その狭間で久助が行司のように「のこった」と居座るものだから、鹿の子がその帯を掴んでかまどへ誘う。

 くいくい引っ張られた久助は悪い気はしないものの、足を踏ん張った。


「邪魔したら、あきません」

「しかし、見届けねば」

「久助さん。それは野次馬言うんです」

「しかし」 気になる。

「めんめっ」


 久助は鹿の子に可愛いく叱られ、ややに引き下がっていった。

 




 *





 残された小薪は憐れ、なんの拷問やと途方にくれた。

 格子窓から覗かれる方がよっぽど恥ずかしい。

 なんにも知らないクマはとにかく、小薪の湯冷めが気になった。


「私らも戻りましょう」

「え、と」


 とにもかくにも、今は試食。

 今日こそは鹿の子さんのお役に立ちたいと、小薪は久助に言われた通り、白色の飴をクマへ差し出した。


「これ、わたしと一緒に舐めて欲しいねん」

「はぁ」


 初めて見る、可愛いらしい飴にクマの目が一瞬、輝いた。

 舐めて、鹿の子さんに惚れたらどないしよ、と小薪は不安心でいっぱいになる。

 しかし躊躇う暇はない。

 腹が減っていたクマが「いただきまーす」とぱくり、口にふくんだものだから、小薪も慌ててえいや、まるごとしゃぶった。 



「わ……」



 舌の上でじんわりと、氷砂糖の甘みがひろがる。

 淡く、儚げに。

 口の中いっぱいに味わいたくて歯でしがめば、さくさく、崩れていった。


 それは優しく、紐がしゅるりとほどけるように。


「おぉ……」


 目の前に立つクマもまた、飴のあえかな甘さとひたむきに向き合っていた。

 百姓出のクマにとって甘いもんと言ったら、甘酒や味醂。

 しかしこの飴は、そんな酒の代わりとは比べものにならない、気高さがあった。

 それやのに、雪みたいに、ほろほろと。


 ほどけた紐は熱をおびて、とろとろと溶けていく。

 まるで、目の前に立つ小薪の想いが、溢れ出てくるように。


 胸にじん、と、しゅんでいった。



「美味しいね」

「はい」



 小薪は思った。

 わたしとクマは今、同じ幸せを感じてる。

 口に広がる甘みも、食感も、感動もみな一緒。

 だったら一緒に、わたしの気持ちも伝わればいいのに。そう思った。


 もう、薪は嫌いじゃない。大好きだ。

 クマのおかげで、好きになれた。

 だからクマが好きだ。

 薪を好きなクマが、大好きだ。

 嫌われてんのは、わかってる。

 好きになってもらえんでもいい。

 でも、離れ離れは嫌だ。

 どんなに嫌われても、クマに嫁さんできても、一緒に居りたい。

 側に居れないくらいなら、薪に生まれ変わる。クマに焼かれて灰になる。その方がずっと幸せだ。



「……灰じゃ、抱けん」



 突然、クマがぼそり呟いた。

 うっとりと感慨深く、厚い胸板を眺めていた小薪は、なんのこっちゃ。

 色っぽく、小首をかしげる。

 胸の薪に火がついたクマは、濃い顔をきりり引き締め、叫んだ。



「お嬢が、大好きです!」



 境内中に轟く大声で。

 がたり、かまどの戸が揺れる。

 耳をつんざかれ、両手で耳を塞いだ小薪はいつの間にか、クマの太い腕に抱かれていた。


「ク、クマ?」

「離れません。離しません。薪になるなんて、言わないでください。俺は薪よりずっと、お嬢が好きです」

「でも、わたしは薪が……」


 嫌いやった。

 昔の自分を思い出して、小薪は大きな瞳に涙を集めた。

 泣かせたくないクマは、厚い胸板に小薪を押し付けた。


「お嬢が薪を好きなことくらい、ずっと前から知ってます。薪屋の娘に誇りをもっていたことも。鳴海屋が焼かれ陰で泣いていたことも全部全部、知ってます。

 でも、すんまへん。お嬢が俺のこと好いてくれてるやなんて、これっぽっちも気付きませんでした。俺、こんなんやし、お嬢と釣り合う器量も甲斐性もないですから。

 小御門のしきたりを聞いても、鹿の子さんやラクのようにはいかん。自惚れるなと、自分に言い聞かせていました。

 一緒に居れたらええ。情けないことに、そんなことばっかり考えてました」


 クマの告白は、やっぱり小薪を泣かせた。

 小薪は飴を、唇を噛み締め、クマの着物に涙を滲ませた。

 ――夢ちゃうやろか。

 でも胸は苦しいし、口の中はちゃんと甘い。

 クマの懐で涙を拭けば心臓の音が、けたたましい太鼓のように、響いてくる。

 わたしを思うて、そうなってる。

 思い巡らせばまた、涙があふれた。


「嬉しい……、嬉しいなぁ」

「それは、こっちの台詞です」

「へへ……、好き? 炭より、薪より?」


 見上げたクマの顔は砂糖に溶けたみたいに、とろんと緩んでいた。


「薪がないと、人間は生きていかれへん。せやけど、薪があっても、お嬢がそばに居らな生きてる意味がない。そう思います」


 風が吹かない風成。

 何故か二人の周りだけ、ふわふわ柔かな風が吹いていく。

 まるで祝福するように。

 みえる小薪は顔を赤らめ、一人悶えた。




 *




 さて、二人が舐めた飴。

 一体どんな魔法がかけられていたのか。

 それは一夜遡った、かまどでの出来事でした。


「お稲荷さまに、会わせてください」


 鹿の子が切羽詰まった様子で、久助に願い出たその後、すぐ。


「なんや、なんや」


 ずっとそばに居った蔵馬は、べっこう飴を口に含んで、ばぁっと現れた。

 鹿の子は久助さん呼ばんでも会えたんかいなと、少々呆れつつ、蔵馬へ二つの飴を差し出した。

 八の字に結ばれた、紅白の飴。

 結び方は千代結びといい、飴の名を有平糖という。

 千代結びの有平糖。

 わぁいっ、蔵馬が舌舐めずりして手を出すものだから、鹿の子は食べたらあきませんっと菓子を庇った。

 菓子にも嫉む、お稲荷さま。

 ご機嫌をそこねて狐目を吊り上げた。

 

「なんで、食べたらあかんねん」

「これは御饌違います。この小御門へお参りにいらっしゃった、お客様への土産菓子です」

「土産菓子やとぉ?」


 月明や久助に振る舞うだけでも、いい気がせんのに、顔も知らん平民に鹿の子の菓子を奪われるとは、これ許すまじ。

 白い尻尾がぴりり、縦に震える。

 鹿の子は蔵馬の口から「あかん」が飛び出す前に、話を続けた。

 

「土産菓子いうても食べてもらうだけではなくて、縁結びにしようかと」

「縁結びぃ?」

「千代に八千代に、契りを結ぶ。この飴を一緒に食べた二人は結ばれる。そんな菓子にしたいんです。お稲荷さまの力をお借りして、特別な菓子に」

「わしの、力やと?」

「わたしの菓子に、お稲荷さまの縁結び。二人の共同作業で、特別な菓子に!」


 二人の共同作業。

 蔵馬は到底許せぬ話しが、とてつもなく魅力的に思えてきた。

 鹿の子と二人でひとつを形にする。

 二人でひとつ。


「お願い、蔵馬!」


 蔵馬は鹿の子に名前を呼ばれて、断れる神様ではない。

 尻尾振って乗り気になったが、少し考えて、やっぱりあかんと、狐目を伏せた。


「どうして?」

「鹿の子、縁結びというんはな、簡単なようで、この世で最も難しいもんやねん。最初から定められた野太い運命があれば、いたずらにぷつりと、切れてしまう縁もある。一銭で結べる縁、国ひとつ貰っても結べぬ縁。

 鹿の子が作ったんは飴や。飴ひとつの銭で叶えられる縁結びは、ほんの一握りやろ」

「そんな……」


 そんな難しいもんやったなんて。

 鹿の子はがっくりと肩を落とした。

 小薪ちゃんとクマさんの縁、結びたかったのに。

 小薪ちゃんの気持ち、クマさんに届けたかったのに。

 

「全部とは言わんのに……、想いだけでも、届いたらいいのに」

「想いだけでも?」


 黙ってはたから見ていた久助が、閃いた様子でぽん、と手を叩いた。


「ならば結ばずとも、伝えるだけでは?」

「伝えるだけ?」


 蔵馬と鹿の子の綺麗な声が重なって、思わず久助の目尻が緩む。


「想いを伝えるだけ。

 例えば、鹿の子さんが紅色の飴を舐めて、お稲荷さまに白色の飴を舐めてもらう。舐めてる間、鹿の子さんの想いがお稲荷さまの心へ届く。紅から白へ。紅い想いが、白を染めるというわけです」

「なるほどっ」


 蔵馬はほぅ、と感心して、また尻尾を振った。

 想いを伝える。

 これならば、飴に呪をかけるだけ。対価に銭をもらえば等価交換は成立する。

 一途な分だけ想いは伝わる。悪人の想いは悪意も伝わる。善悪の選り分けなしに、銭が入るなら、これほどうまい話はない。

 縁結び目当ての客が、土産菓子に流れてくれたら、仕事もぐんと捗るというものだ。


「よし、契約成立や!」

 

 ぱん、と手を叩く蔵馬の首に、飛びついて喜ぶ鹿の子。

 蔵馬の心がゆるゆるに緩んだその隙に、久助はすかさず頭の算盤を弾いた。


「如何程に」

「千弦で、どや!」

 

 こうして千代結びの有平糖、「お稲荷さまの恋結び」が生まれたのでございます。



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