七‐小薪(下)
一夜明け、また夜半。
小薪はおずおずとかまどへ足を向けた。
昨夜の鹿の子の厳しい顔が頭にちらつき足が遠退いていたが、湯殿で待っても湯だるだけ。
邪魔にならんよう、少しだけ様子を見ようと戸口へ回り、外から格子窓を覗き込んだ。
かまどには火を焚く音も、菓子もない。
中では鹿の子と久助が、せまいかまどで身を寄せ合い、なにやらひそひそと語り合っている。
小薪は悔しさに、胸が押し潰された。
――なんや、仲間はずれかいな。
考えたら、わたしは言い出しっぺなだけで、手伝えることはなんもない。
湯上りにも肌寒い、商風がうなじをくすぐる。商風ではなく唐かさのくしゃみであったが、そこまで気が回らず、風邪をひく前に帰ろうと踵を返した時だった。
がらり戸が開き、鹿の子が飛び出た。
振り返る小薪。
「小薪ちゃん、待ってたんよ!」
ひしっ、と鹿の子が小薪の腰を掴むと、小さい顔は谷間に埋れてしまう。
鹿の子にしがみつかれると拒めない小薪は、そのままぎゅうぅと受け入れた。
「こ、小薪ちゃん、くるひぃ」
「遅かったですね」
小薪はきぃっ、と久助を睨んだ。
修行をさぼれば、お説教。かまどに来る度、お説教。そんな久助が今日に限って「遅かった」とは。
勝手、不平等な式の神にぷう、とむくれる。
「だって、……わたし、手伝えること、なんもないですもんっ」
「なに、ぐじぐじしてるんですか」
らしくもない、と久助が手のひらを見せた。うっすらと桜色に色付いた肌には、鮮やかな紅白の飴が乗っていた。固い飴やのに、器用にくるくると八の字に結ばれている。
あまりの可愛いらしさに、小薪の顔がぱっと明るく晴れた。
「試食も手伝いのうちでしょう」
「舐めて、ええの?」
「二つで、千弦」
「せ、千弦!?」
千弦といえば、小薪が初めて旦那様にもらった小遣いちょうど。米三俵買える値段だ。
街娘の小遣いなら、一年貯めなければ買えない。
いくら砂糖が高価といえど、ぼったくりすぎやしないだろうか。
それも試食に金をとるとは、久助も存分にがめついやないかと、小薪は呆れ返った。
「払ってもらわなければ、意味がないんですよ」
「うぅ」
財布をからっぽにして、渋々銭を差し出す。
返ってきたのは、二つの飴。
千弦分噛み締めてやろうと、口へ運ぶが止められた。
「今度はなんやねんっ」
「紅色が小薪さん、白色がクマさんです。二人同時に召し上がってください」
「く、クマ? な、なんでクマに」
「それは――」
久助が鹿の子へ答えを求める。
未だ胸に埋もれる鹿の子は語るべからずと、ふよふよとその中で抗した。
「ふむ。互いに知らずとも伝わるのものか、試したいと。失敗しても、やり直せば済む話しですしね」
こくこく、頷く鹿の子。
「なんやねんっ」
「とにかく、言った通りにしてください。分かりましたね」
「お願い、小薪ちゃん」
「うぅー」
繰り返すが、小薪は鹿の子にお願いされて、断れる性分ではないのだ。二人のふくんだ言い方が胸に引っかかるが、悩む余裕もない。
「お嬢、湯冷めしますよ」
湯浴みから帰ってこない小薪の身を案じ、クマが背後に立ったのだから。
「……わかった」
小薪は鹿の子を手放し、クマと真っ向から立ち合った。
その狭間で久助が行司のように「のこった」と居座るものだから、鹿の子がその帯を掴んでかまどへ誘う。
くいくい引っ張られた久助は悪い気はしないものの、足を踏ん張った。
「邪魔したら、あきません」
「しかし、見届けねば」
「久助さん。それは野次馬言うんです」
「しかし」 気になる。
「めんめっ」
久助は鹿の子に可愛いく叱られ、ややに引き下がっていった。
*
残された小薪は憐れ、なんの拷問やと途方にくれた。
格子窓から覗かれる方がよっぽど恥ずかしい。
なんにも知らないクマはとにかく、小薪の湯冷めが気になった。
「私らも戻りましょう」
「え、と」
とにもかくにも、今は試食。
今日こそは鹿の子さんのお役に立ちたいと、小薪は久助に言われた通り、白色の飴をクマへ差し出した。
「これ、わたしと一緒に舐めて欲しいねん」
「はぁ」
初めて見る、可愛いらしい飴にクマの目が一瞬、輝いた。
舐めて、鹿の子さんに惚れたらどないしよ、と小薪は不安心でいっぱいになる。
しかし躊躇う暇はない。
腹が減っていたクマが「いただきまーす」とぱくり、口にふくんだものだから、小薪も慌ててえいや、まるごとしゃぶった。
「わ……」
舌の上でじんわりと、氷砂糖の甘みがひろがる。
淡く、儚げに。
口の中いっぱいに味わいたくて歯でしがめば、さくさく、崩れていった。
それは優しく、紐がしゅるりとほどけるように。
「おぉ……」
目の前に立つクマもまた、飴のあえかな甘さとひたむきに向き合っていた。
百姓出のクマにとって甘いもんと言ったら、甘酒や味醂。
しかしこの飴は、そんな酒の代わりとは比べものにならない、気高さがあった。
それやのに、雪みたいに、ほろほろと。
ほどけた紐は熱をおびて、とろとろと溶けていく。
まるで、目の前に立つ小薪の想いが、溢れ出てくるように。
胸にじん、と、しゅんでいった。
「美味しいね」
「はい」
小薪は思った。
わたしとクマは今、同じ幸せを感じてる。
口に広がる甘みも、食感も、感動もみな一緒。
だったら一緒に、わたしの気持ちも伝わればいいのに。そう思った。
もう、薪は嫌いじゃない。大好きだ。
クマのおかげで、好きになれた。
だからクマが好きだ。
薪を好きなクマが、大好きだ。
嫌われてんのは、わかってる。
好きになってもらえんでもいい。
でも、離れ離れは嫌だ。
どんなに嫌われても、クマに嫁さんできても、一緒に居りたい。
側に居れないくらいなら、薪に生まれ変わる。クマに焼かれて灰になる。その方がずっと幸せだ。
「……灰じゃ、抱けん」
突然、クマがぼそり呟いた。
うっとりと感慨深く、厚い胸板を眺めていた小薪は、なんのこっちゃ。
色っぽく、小首をかしげる。
胸の薪に火がついたクマは、濃い顔をきりり引き締め、叫んだ。
「お嬢が、大好きです!」
境内中に轟く大声で。
がたり、かまどの戸が揺れる。
耳をつんざかれ、両手で耳を塞いだ小薪はいつの間にか、クマの太い腕に抱かれていた。
「ク、クマ?」
「離れません。離しません。薪になるなんて、言わないでください。俺は薪よりずっと、お嬢が好きです」
「でも、わたしは薪が……」
嫌いやった。
昔の自分を思い出して、小薪は大きな瞳に涙を集めた。
泣かせたくないクマは、厚い胸板に小薪を押し付けた。
「お嬢が薪を好きなことくらい、ずっと前から知ってます。薪屋の娘に誇りをもっていたことも。鳴海屋が焼かれ陰で泣いていたことも全部全部、知ってます。
でも、すんまへん。お嬢が俺のこと好いてくれてるやなんて、これっぽっちも気付きませんでした。俺、こんなんやし、お嬢と釣り合う器量も甲斐性もないですから。
小御門のしきたりを聞いても、鹿の子さんやラクのようにはいかん。自惚れるなと、自分に言い聞かせていました。
一緒に居れたらええ。情けないことに、そんなことばっかり考えてました」
クマの告白は、やっぱり小薪を泣かせた。
小薪は飴を、唇を噛み締め、クマの着物に涙を滲ませた。
――夢ちゃうやろか。
でも胸は苦しいし、口の中はちゃんと甘い。
クマの懐で涙を拭けば心臓の音が、けたたましい太鼓のように、響いてくる。
わたしを思うて、そうなってる。
思い巡らせばまた、涙があふれた。
「嬉しい……、嬉しいなぁ」
「それは、こっちの台詞です」
「へへ……、好き? 炭より、薪より?」
見上げたクマの顔は砂糖に溶けたみたいに、とろんと緩んでいた。
「薪がないと、人間は生きていかれへん。せやけど、薪があっても、お嬢がそばに居らな生きてる意味がない。そう思います」
風が吹かない風成。
何故か二人の周りだけ、ふわふわ柔かな風が吹いていく。
まるで祝福するように。
みえる小薪は顔を赤らめ、一人悶えた。
*
さて、二人が舐めた飴。
一体どんな魔法がかけられていたのか。
それは一夜遡った、かまどでの出来事でした。
「お稲荷さまに、会わせてください」
鹿の子が切羽詰まった様子で、久助に願い出たその後、すぐ。
「なんや、なんや」
ずっとそばに居った蔵馬は、べっこう飴を口に含んで、ばぁっと現れた。
鹿の子は久助さん呼ばんでも会えたんかいなと、少々呆れつつ、蔵馬へ二つの飴を差し出した。
八の字に結ばれた、紅白の飴。
結び方は千代結びといい、飴の名を有平糖という。
千代結びの有平糖。
わぁいっ、蔵馬が舌舐めずりして手を出すものだから、鹿の子は食べたらあきませんっと菓子を庇った。
菓子にも嫉む、お稲荷さま。
ご機嫌をそこねて狐目を吊り上げた。
「なんで、食べたらあかんねん」
「これは御饌違います。この小御門へお参りにいらっしゃった、お客様への土産菓子です」
「土産菓子やとぉ?」
月明や久助に振る舞うだけでも、いい気がせんのに、顔も知らん平民に鹿の子の菓子を奪われるとは、これ許すまじ。
白い尻尾がぴりり、縦に震える。
鹿の子は蔵馬の口から「あかん」が飛び出す前に、話を続けた。
「土産菓子いうても食べてもらうだけではなくて、縁結びにしようかと」
「縁結びぃ?」
「千代に八千代に、契りを結ぶ。この飴を一緒に食べた二人は結ばれる。そんな菓子にしたいんです。お稲荷さまの力をお借りして、特別な菓子に」
「わしの、力やと?」
「わたしの菓子に、お稲荷さまの縁結び。二人の共同作業で、特別な菓子に!」
二人の共同作業。
蔵馬は到底許せぬ話しが、とてつもなく魅力的に思えてきた。
鹿の子と二人でひとつを形にする。
二人でひとつ。
「お願い、蔵馬!」
蔵馬は鹿の子に名前を呼ばれて、断れる神様ではない。
尻尾振って乗り気になったが、少し考えて、やっぱりあかんと、狐目を伏せた。
「どうして?」
「鹿の子、縁結びというんはな、簡単なようで、この世で最も難しいもんやねん。最初から定められた野太い運命があれば、いたずらにぷつりと、切れてしまう縁もある。一銭で結べる縁、国ひとつ貰っても結べぬ縁。
鹿の子が作ったんは飴や。飴ひとつの銭で叶えられる縁結びは、ほんの一握りやろ」
「そんな……」
そんな難しいもんやったなんて。
鹿の子はがっくりと肩を落とした。
小薪ちゃんとクマさんの縁、結びたかったのに。
小薪ちゃんの気持ち、クマさんに届けたかったのに。
「全部とは言わんのに……、想いだけでも、届いたらいいのに」
「想いだけでも?」
黙ってはたから見ていた久助が、閃いた様子でぽん、と手を叩いた。
「ならば結ばずとも、伝えるだけでは?」
「伝えるだけ?」
蔵馬と鹿の子の綺麗な声が重なって、思わず久助の目尻が緩む。
「想いを伝えるだけ。
例えば、鹿の子さんが紅色の飴を舐めて、お稲荷さまに白色の飴を舐めてもらう。舐めてる間、鹿の子さんの想いがお稲荷さまの心へ届く。紅から白へ。紅い想いが、白を染めるというわけです」
「なるほどっ」
蔵馬はほぅ、と感心して、また尻尾を振った。
想いを伝える。
これならば、飴に呪をかけるだけ。対価に銭をもらえば等価交換は成立する。
一途な分だけ想いは伝わる。悪人の想いは悪意も伝わる。善悪の選り分けなしに、銭が入るなら、これほどうまい話はない。
縁結び目当ての客が、土産菓子に流れてくれたら、仕事もぐんと捗るというものだ。
「よし、契約成立や!」
ぱん、と手を叩く蔵馬の首に、飛びついて喜ぶ鹿の子。
蔵馬の心がゆるゆるに緩んだその隙に、久助はすかさず頭の算盤を弾いた。
「如何程に」
「千弦で、どや!」
こうして千代結びの有平糖、「お稲荷さまの恋結び」が生まれたのでございます。
 




