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かまどの嫁  作者: 紫 はなな
お稲荷さまの恋結び
30/120

六‐小薪(上)

 夜半のかまど。

 娘ふたり土間にしゃがみ込んで、かくなわを頬張った。

 側室茶会から三日。さぼった分、旦那様にたっぷりとしごかれた小薪には久しぶりの夜食だ。

 ようやくありつけた小薪は綺麗なお目をしわくちゃにして、美味いうめき声をあげた。

「ん〜っ、これぞ女の敵!」

「もふ?」

「夜中にお砂糖たっぷりの揚げもん、太るてわかっててもとめられへん!」

「もふもふ!(わたしも太るかなぁ!)」


 鹿の子が視線を落とすと、白砂糖がぺたんこの胸を素通りして、ぱらぱらと膝にこぼれていく。

 小薪はそんな鹿の子を憐れみ、油だらけの手で優しく肩を撫でた。


「鹿の子さんには、関係ない話かと」

「もふ……」


 哀愁を漂わせたおこじょを励まそうにも、こればっかりはどうしようもない。小薪はさくさく話題を切り替えた。

 

「鹿の子さんの文、北の院の門の敷居も潜れませんでしたよ」

「んぐ、──あれまぁ、やっぱり」


 小薪は懐から封のあいていない文を取り出し、鹿の子へ返した。

 

「ありがとう。次のかまど休みにでも、自分の足で伺ってみます」


 そう易々と取り合ってくれないとは思っていたが、門も潜れぬとは。苦笑いをこぼす鹿の子へ、小薪は突拍子もないことを口走った。



「北の方、もしかして旦那様のこと、好いとるんではないでしょうか」



 なにやら自信があるようで、小薪はたわわな胸を張った。鹿の子はごくりと、それを見詰める。

 ちょっと見ない間に大きなってやしないだろうか。


「なんでも、北の方は幼少期から旦那様と婚約なさっていたとか。そのために、ずいぶんと小さい時から、小御門家で修行をつけてもらっていたそうです」

「まぁ、では旦那様と北の方は幼馴染なんやね」


 旦那様の幼友達は、夏海さんだけではなかった。

 鹿の子はラクと自分を重ね、目元が緩んだ。


「北の方は本当は陰でずっと、旦那様を御慕いしていたんではないでしょうか。北には長いこと御用人がいないようですし」

「あら、わたしもそれ、ラクから聞いたことある」


 北の御用人は三年前にほんまもんの神隠しに遭ったという。それ以前も、恋仲ではなかったようだ。

 北の方は使い走りにきたラクへ「嫌いだったから居なくなって清々したわ」と言うていたらしい。


「北の方が鹿の子さんに突っかかったんは、南の方も言うてましたけど、嫉妬違います? 旦那様の大好物を違う味、形で出されて、怒ったんですよ」

「そうなんかなぁ」

「そうですよ!」


 それなら尚更、旦那様に試食してもらって、同じ落雁を作り上げなければ。

 より気合いが入る鹿の子であったが、現実は厳しい。今日には完成させたい土産菓子、未だ氷砂糖のまま笊に乗っかっている。

 小薪も気になって、それに話題を合わせた。


「土産菓子、形が決まったと久助さんから聞きましたが、どんなんですか?」

「すっごく可愛いんよ。きっと小薪ちゃんも気に入ってくれる。はよ、作ってみせてあげたいんやけど……」


 鹿の子の周りでふよふよ、泳ぐちょうちんお化け。満足げにふやけた口のまわりを舐めながら、さぁ働きますよと、ぽふぽふ気勢をあげるが、肝心の炭がない。

 なけなしの炭はかくなわで、消し炭になってしまった。



「煙たい、煙たい」


 そこへ湯上りの巫女が鼻をつまんで、かまどへやってきた。


「まったく。夜に煙が昇らんかったんはほんの一月やないか。炭も薪も、ただ違うんやで…………へぶっ」


 鹿の子の背中にいやみを投げ捨て、くるりと身体を反転させた巫女は、ぶ厚い胸板にぶつかり、尻餅をついてしまった。


「え? え?」

「ありがとうございますっ」

「え? ぬ、ぬりかべ?」

「薪をお気にかけてくださり、ありがとうございます!」

「ひぃいいいいい」


 巫女は立ち上がることができず、四つん這いになって逃げていった。

 御出し台の下に隠れていた小薪が、あちゃあと頭を抱える。


「こっそりくすねてきてって言うたのに!」


 怒られたのはぬりかべではなく、小薪の御用人だ。御用人のおおきな背中には炭がこんもり背負われている。


「神饌のかまどからは、いただいてません。顔見知りの百姓に譲ってもらいました」

「えっ、百姓て……、賀茂乃の畑まで歩いて一刻はかかるんに?」

「俺の足なら、半刻かかりません。譲ってもらった分、働いてくるんで。それでは」

「えっ、今から!?」


 御用人は炭をおろすと、さっさと戸口から出ていってしまった。ありがとう、ありがとう、と鹿の子が見送る。

 狐巫女の炭泥棒は、一度では終わらなかった。鹿の子がちょっとの間休んで御膳に箸を入れる間に、ちょこまかとくすねていく。夕方にはすっからかん。

 巫女に腹を立てた小薪が御用人に取り返しに行かせたのだが、まさか他で調達してくるとは。それもきちんと恩義に報いる。


「クマさん、頼もしいねぇ。ラクは修行で忙しいみたいやし、東の御用人になってくれへんかなぁ」


 熊みたいやと思うてたら、なんと名前が熊吉。すっかりクマの愛称で小御門に馴染んでいる。

 ラクが旦那様の侍従として外へ出るようになってからは、使いっ走りはクマの務め。

 朝は飯焚き用の薪を割り、夜は炭を担いで走り、まるで冬眠前の熊のようによく働く。

 にこやかに見送る鹿の子を前に、小薪は両手で口元をおさえ、わなわな震えた。


「ク、クマは駄目ですぅっ! 絶対、絶対、鹿の子さんには、あげません!」

「ふふふっ」


 クマのことになると、むきになる。

 ほんまに好きやねんなぁと、鹿の子は笑った。

 可哀想なことに、クマは小御門へ仕えてからまだ一度も鹿の子の菓子を食していない。食べたら、惚れる。惚れ薬が入っているからと、小薪は本気で信じている。


「どこが、そんなに好きなん?」

「このわたしを軽々と片手で持ち上げてしまうとこ」


 即答。


「あと、……薪が、好きなとこ」


 口を塞いでいた指をくねくねくねらせ、小薪は語った。


 小薪は炭も、薪も大嫌いだった。

 重いばかりで、可愛くない。

 大好きなお母さんの手を、真っ黒に汚す。

 どうせなら、反物屋や道具屋の娘に生まれたかったと、周りをひがんでいた。

 クマが鳴海屋へ奉公に上がってきたのは、小薪が十二歳の春だ。

 日中は薪割りに薪運び、夜は小薪の御用人。

 寝る暇もなく働くクマが、なんだか不憫に思い、ある日小薪は尋ねた。


 ──辛くないの?


 クマは笑って答えた。

 

 ──わし、薪が好きなんです。


 薪屋の娘にお世辞はいらんのに。わたしは薪なんか大嫌いや。ぷいっと顔を背けた小薪に、クマは「そんなん、言うたらあかん」と叱った。

 薪がなくては、美味い飯は炊けん。

 魚も肉も焼けん。湯浴みもできん。

 人間は、薪がなくては生きていかれへん。米より大事な薪を、馬鹿にするなと。

 負けん気が強い小薪は、図体のでかいクマのお説教に怯まず、泣き喚いてこう言った。

 薪を名前につけられたもんの気持ちがわかるか。

 それも小さな薪、小薪て。

 燃やしたろか、折ったろか。何年小馬鹿にされてきたと思うねん。

 クマは言った。

 小薪。最っ高やないですか。

 小薪は燃えやすいから、火種になる。


 ──お嬢、あんたは鳴海屋という釜に火を点ける、希望の灯りやありませんか。

 




「恋の炎に火が点いたっちゅうねーん!」





 小薪の声に驚いた家鳴りが釜の鉄蓋に落ちてしまい、あつ、あつと水瓶へ飛び込んだ。焼けた尻を水に浸け、じゅっ、と不可思議な煙があがる。

 焚き口へ炭をくべながら、鹿の子は小薪をからかった。


「それから薪が、大好きになりました?」

「鹿の子さんっ、それわたしの台詞!」


 激しくつっこむも、小薪は土間にしゃがみ込み、膝を抱えて落ち込んだ。


「んでも、……クマは、まだわたしが薪が嫌いやと思うてる。薪が嫌いな女は、きっと、ずっと好きにならん」


 クマは小薪の御用人としてついてきてくれたが、母家で旦那様に習わしを聞かされても、幣殿で鹿の子さんとラクの話しを聞いても、自分への態度は変わらない。

 十二歳の時に、出逢ってそのまんま。

 ちっとも振り向いてくれへん。お稲荷さまは、自分の願い事を叶えてくれへんかった。

 そう思う度に、小薪は胸が引き裂かれそうになる。

 悪いのは自分だ。薪が嫌いやった自分。薪が嫌いな自分を、クマが好いてくれるわけがない。

 クマにとって自分は鬱陶しい「薪屋のお嬢」でしかないのだ。


「わたし……、クマも、薪も、こんなに好きやのに」

 

 クマはきっと、わたしから離れたい。

 わたしと居るくらいなら、百姓に戻りたいんや。だから畑へ通う。

 小薪はぐすぐす鼻をすすり、膝へ顔を埋めた。

 そのまま暫く、炭が燃える音だけが辺りにたちこめていたが、




「小薪ちゃん、悪いんやけど、集中したいから帰ってくれる?」



 

 ふつふつ煮たった飴を取り板にあけ、鹿の子は冷然と小薪に言った。

 小薪は驚いて、顔を上げたその拍子に一粒二粒、涙が溢れた。

 鹿の子さんのお顔が旦那様のように冷たく、それでいて頬は紅をさしたように赤くなっている。

 菓子に専念したいのに、わたしときたら、いつまでもぐちぐち泣きごと言うて、邪魔してしもた。

 北の方に見込み違いと言われて、落ち込みたいんは鹿の子さんのほうやのに。


「すんまへん」


 小薪は草履をそのままに、母家の奥へと消えて行った。




 それから一刻、鹿の子は飴を練り続けた。

 久助がかまどに呼ばれたのは、火消し婆の見回りが始まる頃だ。

 ちょうちんお化けはくたくた。

 火も絶え絶え、季節外れな夏の蛍のように惰弱に漂っている。

 その甲斐あって、飴は溶かした分だけ作られた。

 御出し台一面に並べられた飴は月明かりに照らされ、芳醇な光をまとっている。

 久助はほぅ、と感嘆の溜め息をつき、鹿の子へにっこりと笑いかけた。


「完成ですね」


 襷をほどきながら、鹿の子は首を横にふった。


「いいえ」


 鹿の子は意を決したように、されど思いあぐんだ顔で、久助と向き合った。


「久助さん、お願いがあります」


 その手のなかには、色違いの飴が二つ。


「お稲荷さまに、会わせてください」


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