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かまどの嫁  作者: 紫 はなな
すずし梅
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一‐昔ばなし

 この日は唐かさの想像通り、風成では珍しく、お日様かんかん照りに蒸し暑い日になった。



「鹿の子が食いたいなぁ」


 みんなが朝拝で太股に汗を滲ませる頃、笊に乗った小豆を物欲しそうに眺めなから、クラマは何度もそう呟いた。

 妖しが朝のはよから若い娘をご所望とはどちらの肉欲だろうか。どちらにしても鹿の子、早くお逃げなさい! と言いたいところだが、クラマが頭に浮かべているのは貧相な小豆顔の鹿の子ではなく、正真正銘、小豆でできた鹿の子菓子のことである。

 供物は一日で神前から下ろされ、翌朝にはかまどに並ぶ。無愛想な巫女さんがどん、と置いてったその小豆を一粒つかむと、鹿の子は苦い顔をした。


「鹿の子は如月の菓子やし、この小豆やと……難しいわ」


 鹿の子菓子は、いつも餅に隠れてみえない小豆が主役をはる珍しい菓子だ。だから旬の二月によう作られる。

 しかし問題は少年が置いていったこの小豆。粒に艶がなく白みもない。夏にはよくある古い小豆だが、一冬どころか、二年三年と年越した小豆ではなかろうか。水気をなくした年寄り小豆はいくら水でふやかしても煮ても、ざらざらと舌触りがよろしくない。

 一工夫、二工夫も必要だ。


「また宵においでまし」


 がっくり肩落とすクラマをそう励ますと、鹿の子はさぁ、今日も精進しますかと小豆の笊を釜へあけた。



 *



「鹿の子、かぁ」


 かまどで独りきりになった鹿の子は沸々と煮える小豆をかき混ぜながら、ぼんやりと嫁入りした日のことを思い出していた。

 あれは節分が終わったばかりの寒い日。

 かざなしとはなるほど、風ひとつない冬晴れの日のことだった。




「お稲荷さまに恵まれたなぁ」

「あねさま、幸せにね」


 鹿の子の生家は朱雀山を越え、はるか南に八里。名もない国の砂糖売り、糖堂家の一の君。

 朱雀山は青龍山ふたつぶんの高さがあり、馬が通れぬ険しい山のため、家族との別れは家門の前だった。かあさまと弟の外郎(ういろう)は、砂糖をまいて祝ってくれたものである。


「鹿の子」

「なんですか、とうさまは今日までしかめっ面で」

「こういう顔や」


 もともと砂糖の似合わん厳つい顔なのに、その日のとうさまは眉間に皺寄せて口はお山描いて、まるで般若のようだった。

 顔は般若でも、とうさまの口癖は「まごころ、まごころ」。舐められても、舐めたらあかん。砂糖のように甘く、人に尽くせと言う。この日も「旦那様には真心を尽くすんやで」とばっさばさ塩をまいた。帰ってくるなという、とうさまなりの激励だろうが、砂糖と塩でごちゃ混ぜは縁起悪いんちゃうやろか。いい家族に育てられたもんやと、鹿の子は籠のなかで沁々と思うたものだ。


「ほな、動かすで鹿の子」

「あい、お願いします」


 鹿の子を籠で運んでくれたのは、おじさまと幼馴染みの落雁(らくがん)。村一番の力持ち二人が、嫁送りに買って出てくれた。

 落雁に関しては鹿の子の御用人として、同じ屋根の下暮らすという。男手が足らんという、小御門家のご用命である。


「寂しくなると思てたのに、まさかラクと一生付き合うことになるとは」

「……はい。奥方様」


 与太話しようと前に声をかけたのに、奥方言われて鹿の子は総身が震えた。


「なんですか、かしこまって。それにそのちいさい声、おっきい図体してんのに。そんなに行くのいやなん」

「……いえ。ですが、奥方と用人では今までのようにはいきません」

「せやかて」

「慣れるまでの……辛抱です」


 自分に言い聞かすように、語尾を強く言い放つ。

 ラクは糖堂のキビ畑で働く農家の嫡男で、鹿の子と同い年の十八歳。顔は凛々しく背も高い。肌も短い髪も色よく褐色に焼け男らしく、蜜含んだキビを何十束も担げる、若手きっての力持ち。頭悪いから性に合う。そんなこといいながら一生懸命働く姿は村娘の憧れの的だった。

 それが王都で使い走りなど、力の試しようがない。不本意やろなぁと鹿の子は申し訳なく思う。

 後ろ手では、おじさまがカラカラ笑うた。


「そやラク、すぐ慣れるで。風成は粋な都会や、はよ諦めて、鹿の子より可愛い娘さんみつけ。すーぐみつかるで」

「すーぐ、て。すんまへんねぇ、可愛いない嫁で」

「鹿の子は可愛いで? いつまでも小豆みたいに小さくて。そういう趣味の男にはたまらんで」

「また、なんちゅうこと言うんですか」

「…………」


 風成では古くから陰陽道が盛んで、占星術から医療術まで、民に広く浸透している。五家ある陰陽師家が国を護っているから、国同士の争いも領地揉めもなく、お稲荷さまの加護下で千年豊穣、商売繁盛で街は栄えるばかり。そんな風成のお国がしらは、主上(おかみ)呼ばれる偉い御方。鹿の子の嫁ぎ先である陰陽師宗家当主は代々、主上を側近奉仕する侍従職を担っており、その地位は確固たるもの。

 晴れて糖堂は新参貴族入り。この縁談が舞い込んだ日には、ばあさまが泣いて喜んだ。


 田舎娘の鹿の子が宗家の嫁に選ばれたのは、後味すっきり爽やかな、きっぱりとした理由がある。


 風成の氏神様は、お稲荷さま。

 お稲荷さまは供物に生食を求めはる御饌神(みけかみ)の中でも珍しい、甘いもん好き。

 迎え御膳より、甘い餅。

 送り御膳より、甘い酒。

 砂糖ばかり、いくらあっても足りないというのに、山向こうの産物は高価なうえに運搬代と関税がつく。

 特に砂糖はべらぼうに高い。

 家傾く前に砂糖売りから嫁もらおう。

 そういう譯である。


 籠は八合目で置き棄て、登りきった後の下りはラクのおおきな背中に乗って、鹿の子は小御門家の門を叩いた。



 舎人に通された小御門家の母家は鬱蒼とした深林に囲まれ、じんめりと暗い。賑やかな街中を想像していた三人は祝いに程遠い陰湿な雰囲気にしり込んだ。これまた人を払った出居に現れたのはお姑の(せつ)だけ。

 雪は挨拶も早々に辺りを見回し、中庭に並んだ砂糖俵をみつけると、ほっと胸を撫で下ろしたような顔をした。さぁいけと拝殿の方を指差し、まだ童子の舎人に俵を担がせ追い払う。

 どうぞ、もまだ何も言うてないので、おじさまの口がぽかん、と開いた。


「……わしらは砂糖届けに来たんと違うんですがね」


 おじさまが嫌みを言うが、雪は悪気のない、乾いた笑みを浮かべながら回廊で腰を据えた。まるで客間にいる遠所もんが汚いみたいに。


「あぃ、すんません。急がな迎え御膳に間に合わんのですわ」

「そうはいうても、嫁迎えんのにお姑さん一人て。だいいち、旦那様はどこですの」

「息子の月明は朝廷に出仕後も、邪気祓いに家回って忙しいんですわ。帰るのは夜中になります。うちのひとは五年前に亡くなってますし、何より人手が足らんのです」

「人手不足ねぇ、お化け屋敷やと聞くからなぁ」


 気のせいか、雪のこめかみがぴくりと脈立つ。

 なんでも小御門家では妖しを住まわせてるだけでなく、神隠しでちらほら奉公人が消えると、山向こうでは噂になっている。

 神様が居心地いい証拠なんですと、雪はさも苦し紛れに冷たい風を扇子で扇いだ。


「それにしても今度の嫁は可愛らしい娘さんやねぇ。十四歳?」

「十八です」

「……十八? 十八! 顔も身体も小豆みたいに貧相ですえ、普段食べさせてもらってないんか」 

「すんまへんなぁっ、鹿の子は人一倍飯食う小豆なんですわっ」


 売り文句に買い文句。おじさまが噛みつき、ラクがその肩を宥める。みるみるうちに剣呑な空気が客間にとぐろを巻いていった。

 ここは甘いもんで穏やかにしようと、鹿の子が膝上の風呂敷を紐解いたんが、あかん。


「これ、嫁入り菓子です。御饌にどうかと――」


 朱色に塗られた漆箱は、敷居を跨ぐ前に膝先ではねのけられた。


「御饌? 名前も知らん来たばかりの嫁が、お稲荷さまを愚弄するか。御饌に出す菓子はな、うちの釜で炊いたもん以外はあかんのや。そんな得たい知れずの菓子は、連れてきた用人にでも食わしときなさい」




 澱んだ空気が凍りつく。




「……鹿の子や。この娘は鹿の子や! 嫁の名前くらい、菓子食って亥の一番に覚えクソバ――んご」


 怒り爆発のおじさまをラクが羽交い締めにして、鹿の子が口に菓子を詰め込む。こうすると糖堂の人間はみな静かになる。言葉のまつりを聞いたんか、聞いてないんか、お姑さんは颯と立ち上がり、こう言いはなった。


「ちいさい嫁は湯殿で泥垢落とし、御寝所へ。用人はこの娘の住む東の院を掃除。以上」


 鹿の子が後々聞いた話では、おじさまはその夜、行きしな三刻かかった山道を一刻で帰ったという。いまでも山向こうでは何を噂しているか、考えただけでも恐ろしい。



 鹿の子とクラマが行き逢ったのはその宵のこと。

 初な娘らしく胸をどきどき高鳴らせ、御寝所の畳の縁で両膝揃え旦那様を待っていると後ろから声がした。


「美味っ」


 何時からそうしていたのか、クラマは横柄に柱に寄りかかり、箱の菓子をさらっていた。


「こんな美味い菓子、食ったことあらへん」

「は、はぁ」

「どこの、なんちゅう菓子や」


 鹿の子は耳まで轟くほど胸の鼓動をはやめた。

 ――妖しや。

 年寄り以外の銀髪なんて、みたことがない。すぐに異形のものだと覚った。遭うのも話すんもはじめてやけど、この家に嫁いだんや、怖いなんて言うてられへん。気を張って、きちんと応えたものだ。


「それはわたしが作りました、鹿の子という菓子です」


 鹿の子の住んでいた国は砂糖が特産なので、人間も菓子の名前がつけられる。男は四角い菓子。女はまあるい菓子。嫁入りも婿入りも、名前におうた菓子を自分で作って、この身といっしょに捧げるものだ。

 菓子は分身。

 嫁入り先で分身をはねのけられたのだ、おじさまは鹿の子のことを思うて、怒ってくれた。


「菓子もお前も、鹿の子か。そりゃたいそうな菓子やないか。お前の菓子、美味い小豆に餅が絡んで、絶妙や」

「お褒めいただきありがとうございます」

「それをなぁにがうちの釜やあのくそばばあ、食われへんとこやったやないか。意地でもおかわりしたるで」

「おかわり……?」

「鹿の子は、誰にもやらん」


 頭を垂れ戻す頃にはあらまあ、菓子箱に敷き詰められた鹿の子はすっからかん。クラマも食べたら終わり、足音もなく消えてしまった。独り取り残され困ったのは鹿の子である。本来、夫に食べてもらう嫁入り菓子を人でもない妖しに平らげられてしまったのだから。

 この日旦那様がお戻りになられたのはお姑さんの言う通り夜中。

 どないしよ、と空になった菓子箱とにらめっこしてるうちに疲れが雪崩をおこし、うつらうつら船を漕いでいると、御寝所の几帳にすらりと影が映ったものだ。一気に目が覚めた鹿の子であったが、旦那様は御寝所の内へ入ろうとはせず、その場にいた従者に仰せ言をねつこく並べていた。

 春風のいたずらに、几帳が翻ったのはその末尾だ。

 その偶然がなければ、鹿の子は旦那様の顔すら拝めていなかったと思う。

 寸の間、目が合うた。

 その夜の月明かりはお日さまみたいに眩しくて、逆光なる旦那様のお顔はよく見えなかった。それでも難しい顔されてたことだけは確か。



 ――清々しいほど、霊力がない。



 次にはそう、蔑まれた。


 旦那様はお疲れやと、反対側のふすまから追い出され、下女に連れてこられたのは、かまど。


「明日の朝までに御饌菓子を作ってください」


 鹿の子は如月の凍えるような寒さのなか、薄い夜着一枚で置き去りにされた。

 幸い火をおこせば身体は暖まったが、かあさまがあつらえてくれた初夜の祝い着は一瞬で炭に染まり、素足は土間の土汚れ。自分の身に何が起きたかようわからず、しくしく泣いた。

 酷なことにこの後すぐ、西の院に住まう側室が呼ばれ、御寝所へ消えている。夜伽に着る華やかな着物を身にまとい、わざわざかまどを横切って。西の方は泣いている鹿の子を慰めようともせず、他人の初夜に呼ばれるとはと薄笑い、回廊を渡っていった。



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