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かまどの嫁  作者: 紫 はなな
お稲荷さまの恋結び
29/120

五‐分福

 風成の王邸、方角は未申。

 六宮三舎ある後宮のなかでも、最も主上の夜御殿に近い萬寿宮(まんじゅのみや)にて、涼やかな祈祷が実に半日もの間続けられていた。

 その祈祷、解き明かそうと聞き入れば最後、刀の刃尖を脳天に突き付けられる、そんな錯覚を及ぼすほどの、凄まじさ。

 宮女はみな局に籠り、耳を塞ぎながら終幕を待った。


 今宵の患者はつい先月、入内(じゅだい)されたばかりの十四歳の幼き女御(にょうご)

 庭の白菊を愛でようと簾を開けた寸の間に瘴気にあてられた、不運な姫君だ。

 血の気が引いたその顔は、今にも敷妙に溶け消えてしまいそうな儚さ。しかし終幕を迎えた今、月明が唇をしめれば一度にして、少女の頬に紅がさした。


「お疲れ様です、旦那様」


 下座で首を垂れるは四角い箱。

 もとい、南の方。


「……、酷い怨でございました」

「ああ、念押しに貴女を連れて来てよかった。私一人ではとても抑えきれなかったよ」

「畏れ入ります」


 南の方が扇子を一振り、局に張られた結界が解かれた。霧のようにたなびく微粒の怨も逃がさぬ堅固な結界。

 南の方が塞いでいなければ、女御は救えど後宮中に瘴気が拡がっていただろう。

 月明は微かな笑みで賛辞を呈したが、直ぐに顔を曇らせた。


「しかし、これからどうしたものか」


 瘴気──、妬み、嫉みが跳梁(ちょうりょう)する後宮において、削ぎ落とせぬ汚穢(おあい)

 定期的に常勤の陰陽師が浄めているが、このひと月は人を増やしても抑えきれず、こうして当主が駆り出されるまでに悪化している。

 当主でなければ、滅しきれぬほどに。


 これは総て、一更衣が主上の寵愛を一身に受けている所以。

 怨みをもつのは皇后だけではない。過去に主上の寵愛を受けた萬寿や千寿宮の女御にとって、この情況は誇りを踏みにじられる思いだろう。

 犠牲はいつもか弱い姫君。

 姫君の萬寿宮への入内は近縁にあたる皇后のはからい。身内贔屓とその若さは後宮女人に怨まれるには充分だ。更衣を呪えず滞っていた瘴気が姫君一点に集中してしまった。

 今は健やかに寝息をたてる幼い姿態に更衣を重ね、月明は一人唸った。


 参寿舎、桐乃(きりの)の更衣。


 六宮三舎のなかでも最も低位、参寿舎の更衣。同日に入内した女御の御飾りに召し上げられただけの、末端側妃。

 上位の更衣仲間から虐めに遭いながら、簾の奥で女の盛りを終えてしまうような地味な女人が、何故主上の目にとまってしまったのか──。


「あぁ、それは旦那様が縁結びし──」

「言葉にするなぁっ!」


 月明が箱をがしがし揺する。

 観月の宴。葵の君へ向けられていた主上の目を側妃へ向けさせようと、その場しのぎに結んだ縁であった。

 月明は異質な結び付きを感じとってはいたが、まさかここまでとは思わなかったのだ。

 噂をすれば何とやら。


「ほーう、月明様が縁結びを」


 後宮宮司である葵の君が、扇子の上で目端をひきつらせながら回廊を塞いだ。

 親友、左近の正室でありながら月明が最も苦手とする女人である。


「余計なことをしてくださり、全く感謝の言葉もございませんわ」

「私にも予期出来ぬことはあります」

「言い訳いらない。早く縁を切って」

「それがですね……」


 今や切っても切れぬ縁。

 月明が結んだ赤い糸はかたい固結びとなり、刃も入らない。

 両手でお手上げを示した月明へ、葵は雪女のように冷たい眼差しを向けた。


「謝りなさい」

「申し訳ございません!」

「左近の分も」

「なぜ故に」

「あの浮気もんがぁ、また下女に手ぇだしたのよ!」

「とばっちりはご勘弁を」

「昨夜、左近を泥酔させたのはだぁれ?」

「申し訳ございません!」


 葵さんが左近につれないものだから、拗ねて浮気するんですよ。床に悪態をつく月明の隣で、南の方がしっかりと実況した。


「側室とらないだけマシでしょう。下女の一人や二人くらい、大目にみてやってください。だ、そうです」

「おのれ、月明〜っ!」


 月明はどたばたと、宮人らしからぬ遁走で回廊を駆けた。

 しかし帰り道には女官が通せんぼ。踵を返せば先は釣殿──行き止まりだ。

 窮地へ向かう当主の隣で南の方がカタカタと箱を揺らしながら、しれと手を差し伸べた。


「釣殿には転移魔法を仕掛けておりますから、ご安心を」

「なんと、天晴れ」

「その代わりといっては何ですが、お願いが」

「貴女が珍しいですね、いいでしょうっ」

「一度で構いません、うちの義妹と会ってやってはくれませんか。なに、茶をしばく程度で結構ですので」

「むむ、それは」


 月明は言葉を詰まらせた。

 たとえ茶を飲むだけだろうと、未婚の姫君と逢うたことが世に知れれば、我が娘もと縁談が山のように飛び込んでくる。

 当然、頷けない相談だが振り返れば親友の鬼嫁──葵の君に捕まれば、後宮女人の晒し者にされてしまう。月明は女人にかこまれ香に咽ぶ自分を想像し、吐き気を催した。

 選択の余地はない。


「引き受けましょうっ」

「ありがとうございまーすっ」


 語尾に放たれた、消えいるような呪。

 月明とその側室は、池に浮かぶ月へと吸い込まれていった。






 *





 近頃の月明は久助を身代わりに立てることをしない。滞留していた執務は流れがよくなり、侍従職も規則通りにこなしている。当主としての役も怠らず、厄払いを要する家を自ら調べまわり、出向いているようだ。

 今日も月明の帰りは深夜となる。

 その為夕拝を終えた久助は主の使役を待つばかりであるが、菓子に姿を戻すか迷うほど、暇をもて余しているわけではない。

 仕事は何時でも何処にでも散らばっているものだ。

 久助は拝殿を退く雪の背中へ声をかけた。


「雪様、少しお話が」

「土産菓子のことか」


 雪はにやり、狐目を半弧に描いた。

 久助はずばり言い当てられ、甘い冷や汗をたらりと垂らす。


「やはり、ご存知でしたか」

「別にええんちゃう? 売れたら金になる。売れへんかったら、下げるだけや」

「では、お許しいただけると」

「許すも何も、社務の仕事は当主が決めることやろうに。札所に居る巫女には私から言うとくから」

「ありがとうございます」


 一礼し、頭を上げると雪の姿はもう、そこにはなかった。

 久助にはいささか、拍子抜けだった。

 月明が許しても、雪は「かまどの嫁がつけあがるだけや」とかなんとか、いちゃもんつけて阻んでくるだろうと構えていたのだ。

 自分の当て推量であったのだろうか。

 それにしても、穏和すぎやしないだろうか。

 久助はうまく事が運びすぎて不安になった。


 雪は毎日朝晩、かかさず鹿の子いびりを日課に続けている。狐巫女を召し使うて、どんな虐めを働かせるかと思えば、炭をくすねる程度。

 何とも人間らしい、典型的な姑を演じている。

 人間ではなく妖狐の所為なのだから、気味が悪いほど生温い。

 雪は人を陥れることを何よりの愉しみとする妖しだ。嘘偽り、詐欺脅しはお手の物。怨み、恨まれ裏切られ、絶望した人間の精を喰らう。鹿の子のようなか弱い娘、一捻りで崖っぷちへと追い込めるだろう。


 ──いびり倒して、殺したる。


 雪が月明へ誓言したこの言葉に嘘はない。

 妖狐が殺すといえば、殺す。絶対だ。

 実に過去に二度も、雪は言葉通りに先代や亡き御正室を見殺しにしている。雪は鹿の子を殺そうと、いつか必ず動きを見せるだろう。

 月明が千里眼より先の未来を読む、神通力をもつ小薪を見初めたのは鹿の子の身を守るため。迎え入れる準備もなしに、西が空かぬ今から側室へ上げたのは、それほど急いでいたとしか考えつかない。

 雪が動き出す前に、小薪を育てあげようと。


「……む、噂をすれば」

 

 嫌な予感がして母家へ向かえば、思った通り。久助は御寝所の入り口で忙しなく揺れる小薪の袂を、ひっ捕まえた。


「どちらへ」

「の、喉が渇いたなぁ、と」

「そうですか。では、私が淹れましょう」


 久助は颯と部屋の角へと足を進め、無造作に置かれた古い茶釜へと話しかけた。


分福(ぶんぶく)さん、分福さん、起きてください、お務めですよ」

「んあ? ふぁあ、まだ眠たいっちゃ」

「相変わらず、不細工な茶釜ですねぇ。その捻くれた鼻。ちゃんとまっすぐ湯がでるんですか」

「んぁああ!?」


 怒った茶釜がぴぃい、と湯気を吹く。

 すかさず傾け、湯を急須へ注げば、茶葉の豊かな香りが辺りを包んだ。


「ちゃんとまっすぐ出ました」

「当たり前っちゃ!」


 ぷんぷん、ぶんぶく、湯気で蓋が浮く。

 茶釜の名前は分福茶釜。

 たぬきではない。茶釜の付喪神(つくもがみ)だ。

 母家の御寝所にはいつでも温かい茶が淹れられるよう、付喪神を住み着かせている。こうして毎日使ってやることが、茶釜への対価。

 久助は几帳を潜り脱出をはかる小薪の帯を掴むと、文机の前へと引きずり、座らせた。


「さぁ、どうぞ」

「ちぃっ」

「小御門家の側室ともあろう者が、舌打ちしない」

「あああああ、鹿の子さんのお抹茶が飲みたいいいいい」


 荒れ狂う小薪の前には途方もない量の巻き物が積まれている。

 月明が出した今夜分の宿題だ。

 先日の茶会で修行をさぼり、その日の宿題を期限までに提出できなかった罰として、小薪は月明にこの山積みの宿題と茶室出禁を言い渡されている。


「鹿の子さんのお抹茶ですか……飲みたくなってきましたね」

「抜け駆けは許せへんで」

「小薪さんの監視に、御用人を呼びましょう」

「や、やめてよっ」


 急に弱気に、娘さんらしく願い出る。


「会いたくないんですか」

「うっ、……だって、クマは忙しいし、……」

「居た方が集中できない」

「まぁそうやけど……じゃなくて! ……クマは、わたしと二人になるんが好きと違うから……」


 小薪は澄明な瞳にうっすらとシャボン玉のような涙をため、和紙にぽとり、墨を落とした。


「……仕方ない。今日は、おあずけですか」


 小さな嘆息をひとつ。久助は文机の前で居住まいを正し、思い巡らせた。

 人間の女は面白い。

 玉貴のように金にも恋にもあざとい女がいれば、小薪のように金に貪欲でも恋には後ろ向きな娘もいる。

 鹿の子のように、利他な娘も。

 鹿の子のうなじから香る甘い香りを思い出し、久助はあるはずもない空腹感を感じた。


「今日のお夜食は何でしょうねぇ」

「お腹空くからやめて!」


 かくして、久助と小薪は今日もかくなわをお預け。

 至極残念そうな二人を隅からみていた分福は、

 そんなに美味い抹茶なら一度、わいの茶釜で淹れて欲しいもんや。

 と、ほんの少し茶室の茶釜を羨んだ。

‐風成朝廷後宮六宮三舎‐

萬寿宮

千寿宮

百寿宮

壱寿宮

弍寿宮

参寿宮

壱寿舎

弍寿舎

参寿舎


…………日本酒かい、と即座に突っ込んでくださった方、億寿の情報提供お待ちしております!

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