三‐側室茶会
藤袴の花の盛り。
澄み切った空の下で、かまどの嫁は独り悩まし気に腕を組んでいた。
御出し台には枝のように折れた飴、まあるく鏡が曇ったような飴、様々な形の飴が散らばっている。
どれもかしこもお客様に振る舞うには、程遠い。
鹿の子が作っているのは、飴。
御饌飴ではなく、固い飴。
材料は氷砂糖と水だけ。
日持ちするから、土産にはうってつけだ。
しかし作り始めてみれば、炊いた砂糖を素手で練る、この飴は指がじんじん痛むほどに熱く、扱いづらい。
氷砂糖の一俵半分、使ってようやく手応えを得ることができたが、うまく形にできずにいた。
「一つで有り難みのある菓子て、難しいなぁ」
あぐねる鹿の子の目先に、絹糸のような髪が垂れる。
「鹿の子さんも、手詰まりすることがあるんですね」
久助だ。
見上げれば、あまりにお顔が近いものだから鹿の子はのっぴき、危うく熱々の釜に手をついてしまうところだった。
久助はその手を引き上げ、その手のひらへ一つ、紙屑を落とす。
「これは……?」
「米とぎ婆が、こんなんはいかがかと。昨夜からずっと鹿の子さんを見て、一緒に考えていたようですよ」
ほら、と久助が袖を向ければ、納戸の土床一面に紙屑が散らばっている。鹿の子が飴を練って夜を明かす間、米とぎ婆も同じように、悩んでくれていたのだろう。
手のひらに目線を落とせば、可愛らしい紐結び。
「千代に八千代に、契りを結ぶ。そんな意味をもつんだそうで。縁結びの菓子として御出しすれば、若い娘さんの目を引くのではないかと」
久助は喋りながら、鹿の子の手のひらでゆっくりと八の字を描いた。
くすぐったくてなんだかもう、色々と感謝したい鹿の子は、
「米とぎ婆さん、ありがとうございます!」
小さいなりに大きな声で、明後日へと礼をのべた。
米とぎ婆は久助の隣で、嬉しそうにしわくちゃの手をこすり合わせている。
「さっそく、明日から練習してみます」
「楽しみにしていますよ」
夕拝の後には、またこちらに顔を出しますと、久助が母家の奥へと消えていく。
鹿の子もまた気持ちを切り替え、さて今日も務めに励みますかと、炭をとりに納戸へ足を運んだ。
「……あれれ?」
炭が、ない。
昨日みた時には、三日はもつ量がこんもり積まれていたのに。
さては狐巫女の嫌がらせ。鹿の子はふん、と鼻を鳴らした。
そんな悪さしたって、今日の御饌は昨日のうちに仕込んであるのに。炭は夕拝の後、久助さんにお願いすればいい。
「……はっ、あ、あかん! 今日は」
今日は小御門家側室の、お茶会。
お茶会の日は、御饌菓子ふたつがお稲荷さまとのお約束。
「どないしよ」
火がおちたかまどを睨みつけ、途方に暮れる鹿の子であった。
*
「ごめんね、小薪ちゃん。自分でやるって言い張っといて、結局手伝わせて」
「とんでもないっ、むしろ光栄です」
光栄な、息抜きです!
助かった助かったと、小薪は襷をかけて外へ出た。
鹿の子が茶菓子を仕込んでいる間、小薪は床に生ける花を境内から集めた。幸い、朝に唐かさが置いて行った藤袴があったので、雪柳やりんどうなどの野花を添えれば、床は見事に秋に彩られた。
陽は西へ移ろい、後は奥方を待つばかり。
さて炉に水をと、茶釜の蓋を開ければ文が一通、入れられているではないか。
嫌な予感がして、小薪がささっとおこじょから文を奪い読み解いた。
「なになに? えー……、鹿の子さん、小薪、よくよく考えなくても、あの二人は胎教によくないと思うの。悪いんだけどしばらくして、落ち着いたら菓子だけいただきに伺うわぁあ? たまき!」
やられた。言い出しっぺが姿を現さぬとは。
小薪がぎゅぅうう、文を握り潰す。
「胎教によくないって、どういう意味でしょうか」
不安げに小薪を見上げる鹿の子。
「あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、ああいう意味ではないでしょうか」
茶室のにじり口。
その空疎な空間に拳ほどしかない、女の顔がにゅ、と突き出た。
顔は髪に隠れて見えない。
髪は顔の五倍はある長さで、じとぉとこんぶのように畳に貼り付いた。
肘をあげ、耳の付け根から腕をにょろりと前へ出したと思えば──。
した、た、た、た、た、た、たたたたたたたたたたた。
物凄い速さで、とかげのような四つん這いで上がってきた。
「ひぃいいいいいいいいい!」
恐ろしさにめくらめっぽうたまらない、二人は膝をがくがく鳴らせながらひっ付き合う。
小薪の膝の高さほどしかない、それは上座にきちんと正座をした。艶やかなクチナシ色の着物を纏い一見、幼い姫君のように思う。しかし首は不自然にもたげ、依然髪が前に垂れ顔が見えない。
「か、上座にいらっしゃったということは、き、き、北の奥方様でしょうか」
勇気を振り絞り、鹿の子が尋ねる。
こんぶ姫は答えない。
「それ、人形よ」
にじり口から声がし、ああよかった南の奥方様がいらっしゃったとそちらに顔を向ければ、
「ひぇええええええええええ!」
墨をこぼしたような黒い箱。
四角い箱。
四角い箱に首から下がついている。
いや、首から上が四角い箱か。顔に四角い箱を被っているのか。
四角い箱は「よっこら」と一声あげて、人形とやらの隣に膝を揃えた。
こちらは豪奢な金纖の袿を羽織り、しっとりと落ち着いた淑女の居住まいだ。
しかし、如何せん顔が四角く黒い。
再び鹿の子が勇気を振り絞り、尋ねる。
「み、南の奥方様でいらっしゃいますでしょうか」
「いかにも」
答えてくれはしたが、四角い箱は外さない。首と箱の境界線がぼんやりと霞がかり、一体であるようだ。
怖い。
「お、お、お、お、おそろいのようですので、これにて始めさせていただきます」
南の方がかくり、と直角に四角を倒す。
こんぶ人形は畳に指をつき、深々とおじぎをしたまま頭を畳にねじ込むものだから、首がおかしな方向へよじれた。
べたんっ、とこんぶ髪が亭主のふくらはぎまでのびる。
鹿の子はかたかたかたと、茶釜を揺らし水屋へ消えた。
腰にひっつく小薪。
「わ、わたし、側室である勇気をなくしましたっ」
「落ち着いて、小薪ちゃん。お二人は私らと同じ奥方様。この小御門において旦那様の次に、信頼のおける方々なのですひょ」
「鹿の子さんっ、語尾がおかしいなってるっ」
ついでに、手のなかの菓子がぴょんぴょん跳ねている。
これでは御出しする前に皿から消えてしまいそうだ。
「わたしが半東つとめますんで、鹿の子さんはお点前に集中してください」
「ありがとう、小薪ちゃん」
一月茶室に入り浸っていた小薪は鹿の子の教えのもと、すっかり茶の道を心得ている。
鹿の子は安心して小薪に半東を任せ、お点前に入れば無の中。
小薪が茶菓子を運び入れる頃には、なんとか茶会らしい茶会が始まった。
「本日はかまどまで足をお運びいただき、誠にありがとうございます。お話しの前にごゆるりと、季節の菓子を御楽しみください」
一礼し、鹿の子が表を上げる。
「いただきます」
南の方は四角い箱を被ったまま、菓子楊枝をとった。
「これ、なんて言う菓子かしら?」
北の方が鹿の子へ尋ねる。
北の方?
「ぇえええっ」
こんぶ人形がこんぶをかきあげ、顔を晒した。血を固めて作ったような紅い瞳に、血をしゃぶったような紅い唇。陶器の肌に、口の端から顎へ下る線は紛うことなき人形。
その線に添い、唇がかくかく上下する。
あうあう、言葉にならず鹿の子もまた口を上下に動かしていると、南の方が助け舟をだしてくれた。
「人形だって、言ったでしょう。北の方は人形を介し、お話しているの。この人形、転移に使う魔具でもあるから、そろそろ本体も現れるんじゃない。ねぇ、あんた方が人目を忍んで来いと仰るから」
鹿の子にはわからない。
四角い箱を被った女と歩くこんぶ人形は、人目を忍べていないと思う。
それ以前に、北の方はまだ足を運んでいらっしゃらなかったのですか。
ご挨拶やり直していいですか。
「怖がってるじゃない、早くこちらへいらっしゃいな」
南が北を急かす。
南の方も、充分怖いのですが。
「これで、いいかしら」
人形はたちまち、見目麗しい貴女へとすり替わった。
「はじめまして、かまどの嫁」
「は、はじめまして」
北の方は、それはそれは美しい方だ。
玉貴の派手さはなく、たおやかな美しさ。
歳は月明と変わらずといったところか、小薪のような潤い溢れる若さはないが、油がのったような艶がある。大きな瞳から送られる眼差しは気位の高さを物語った。
しかし、唇は開いていない。
忙しなく口を動かしているのは依然、胸に抱くこんぶ人形だ。こんぶは消えた訳ではなく、しっかりと主の元で、よくない方向へ首を曲げている。
「気色悪いわね。なんで、あんたの人形はいつも首が曲がってんのよ」
南の方が、鋭く突っ込む。
気になるところ、鹿の子も思わずこくりと頷いた。
こんぶ人形がにたり、と笑う。
「可愛い……じゃない」
ぎ、ぎ、ぎ、ぎ、ぎぃいいいいいい。
こんぶ人形の首が錆びた音をたて、ゆっくりと一周した。
今日は絶対、絶対、絶対、小薪ちゃんに一緒に寝てもらおう。
鹿の子はかたく胸に誓い、炉へ膝を向けた。
噂はしたが、半東の小薪はいずこへ。
鹿の子の心細さは梅雨知らず、南の方は呑気につっこむ。
「どこが可愛いのよ、まったく。やれ、いただきまーす」
そう言ってようやく、左手に菓子皿をとった。
南の方が菓子楊枝を入れたのは、栗蒸し羊羹。
一晩で熱がとれた羊羹は、湯上がりの肌のようにしっとりと水気を纏っている。楊枝で刺し開けば、中から現れる栗。
こし餡の布団にくるまり、じっくりと蒸された栗は餡と変わらぬ粘り気をもっている。
南の方は栗をまるごとぱくり、豪快に頬張った。
「…………っ」
言葉にならない。
毎日口にする、すずし梅とはまるで、重みも噛みごたえも異なる。
どっしりと、腰を据える栗。
にちにちと、いつまでも口に居つく小豆。
果たして、同じ羊羹なのか。
何より、餡と同じように歯にしがみつく、栗の存在感。ほくほくと、それでいてねっとり。
餡もまたお布団に栗の風味が移ったように、味がしゅんでいる。
最後は木の実の香りがす、と鼻に抜けた。
「…………」
北の方とその人形に言葉はないが、南の方と同じように、一口一口を名残惜しむようにして、黙々と食べている。
菓子楊枝が進む、二人を満足げに見守った鹿の子は一杯目を濃い茶にして、御出しした。
甘い羊羹には、これに限る。
濃い茶はどろり、口に広がる渋味が砂糖っけを奪っていく。甘味も渋味に負けじとせめぎ合う。
舌に残るのは、爽やかな茶葉の香り。
これにてさっぱりした二人は、もう一種類の干菓子を前に頷き合った。
「先に、お話を伺おうかしら」
美味しい菓子は、最後に取って置いておこうといった打算を働かせ、鹿の子を促す。
鹿の子はなんの尾ひれもつけず、はっきりと申し立てた。
「旦那様の継室なる方を、探しています。どうかお力添えを」
床に飾られた藤袴の小さな花弁がほろり、落ちる。
南の方は懐紙に菓子をとり、口へ運びながら、
「無駄」
一殺した。
「なんでですかっ」
怖じ気ず、食らいつく鹿の子。
「ご自分で旦那様に尋ねてみなさいな。継室と言葉にするだけで、閻魔のようにお怒りになるから」
「閻魔様!?」 はんにゃの上は目に入れたくない。
「ならば、何気無く引き合わせたりできませんでしょうか」
「無駄。あんたねぇ、少し考えりゃあわかるでしょうよ。旦那様はあの顔よ? 家の外ではいつも何十人と女人がひっついてる。なにより御本人がうんざりされているのに、どうやって引き合わせようってのよ」
「な、何十人……」 さすが、我らが旦那様。
「では幣帛の席でなら」
「ばれたら、折檻」
折檻──。
閻魔様の折檻。生きた心地がしない。
血の池地獄を頭に浮かべ、ふるふる恐れ入る。
「諦めなさい。旦那様の御心は決して、小夜の君から動かない」
南の方がしゃくり、干菓子を噛み砕く。
鹿の子はそれでも諦めきれず、小さくつぶやいた。
「んでもわたし、旦那様にも幸せになって欲しい……」
「旦那様に、も?」
尋ねたのはこんぶ人形。
そちらへ目をやれば、北の方が不愉快そうに眉を潜めていた。
「自分が幸せだから、旦那様にも幸せになって欲しいとでも?」
「そういう訳では……っ」
「では、どういう訳」
「わたしはただ、旦那様にも心寄り添える方を」
「もう、いないのよ。この世には存在しないの。貴女には八年寵愛した妻を亡くした人の気持ちがわかる? お願いだからあの人の心をかき乱さないで頂戴」
鹿の子は悲しげに、顎をひいた。
わからなかったのだ。
愛した妻を失った、旦那様の苦しみが。
言われてみれば、小御門家に嫁ぎ半年以上経つのに、旦那様のことをよく知らない。聞くのはいつも玉貴や、夏海からの昔噺。旦那様の口からは一度も聞いていない。
過去も、うつつも。
未来も、夢も。
「……わかりました。では自分から、聞いてみます」
「こりない人ね」
きつくお灸を据えなければ、わからぬか。こんぶ人形の唇が怒りにわなわな震え、怒声を放とうとする一歩手前。
南の方の嬌声に出鼻をくじかれた。
「はぁんっ、なにこの落雁、美味しすぎるぅううっ」
ぱぁあ、と四角い箱を真っ赤に染めた。
そのどす黒いこと。
血の池のような色にひぃい、と水屋から声がした。
小薪は半東の役割をいいことに、安全地帯で隠れ蓑。
鹿の子は膝を笑わせながら、再び胸に誓った。
小薪ちゃん、今晩夜食なし!
「この香りはなに? たまんない〜っ」
四角い唐模様の落雁が血の池地獄にずーずー吸い込まれていく。
舌がひっこむほど怖いが菓子を尋ねられ、鹿の子は黙ってはいられない。
「これは栗落雁と言います。水ではなく、栗の蜜をつなぎに作りました」
「栗の、落雁〜っ」
南の方は落ちるほっぺたを支えるように、箱を抱えた。
甘いだけの古臭い落雁が、胸躍るほど美味しいなんて。
しゃくり、しゃくしゃく。
軽快に噛みほぐす度に、溢れる栗の芳ばしい甘味。香り。
自分の放つ息まで、美味しい。南の方は鼻息荒く、いつまでも余韻を愉しんだ。
鹿の子が作ったもう一品は、落雁。
火のいらない、干菓子。
みじん粉と白砂糖、栗の粉を、栗の蜜でぎゅ、ぎゅと固めただけ。
固めただけと言うても、手製の栗の粉は仕込むに半日かかる。
渋皮ごと湯がいた栗を、熱々のうちに裏ごしする。さらさらになるまで、何度も何度も。男手にもしんどい、されど美味い菓子を生む粉だ。
栗の蜜は、半月寝かせた一番古株を選んだ。
落雁は少ない材料に手間がかからない分、栗の味わいが実直に、粉へ移ろう。
栗の粉に蜜を染みらせれば、栗そのものが甦る。
それはそれは、見事な秋の菓子となった。
が、しかし──。
「失望したわ」
北の方はその魅惑の菓子を手にもとらず、膝退した。
「落雁に異物をこめるとは。あなたまさか、御饌のしきたりを知りもしないで、御饌巫女を名乗っているの?」
「異物……、そんなっ」
然れども、鹿の子は御饌のしきたりを多くは知らない。
一時期は姑の雪に口うるさく言われていたが、それはかまどの扱いや、飾り方ばかりで総てではなかった。
北の方は口ごもる鹿の子へ、月明のように冷徹な眼差しを送り、
「ようやく先代とならぶ御饌巫女が入ったと思ったのに……とんだ見込み違いだったようね」
そう言い残し、人形と共に消えてしまった。




