二‐玉貴
「旦那様ったら。なんて、いやらしいの」
東の院別邸の外を一回り。
西の奥方、玉貴は小薪を従わせ、満足げに茶室のにじり口を潜っていった。
「完璧だわ、この茶室。母家の御寝所とそう変わりない」
「結界、ですか」
「南の方特製、絶の印の結界を地軸に建てている。わざわざ宮大工を呼んだのは、そういうわけね」
「ぜつ?」
「千里眼にも見通せぬ聖域。妖し家鳴りは決して入れぬ聖域。……聖域!」
「なんで三回言うたんですか」
さらり、呪を口ずさむ玉貴。
それだけで、茶室は女狐も当主も立ち入れぬ聖域と化した。
夕拝にひと気のないかまど。
──今宵は女の聖域。
「鹿の子さんの菓子を、思う存っ分楽しんでやるわぁあああああっ」
「涎垂れてる、よだれ」
初めて玉貴に菓子を振る舞う、鹿の子もまた意気揚々と現れた。
「お待たせしましたっ」
盆にのる菓子皿を一目みた玉貴はごくり、生唾を飲み込んだ。
今日の茶菓子は紅葉の干菓子に、柿餅。
その一皿は絵画のようだ。
紅に橙、色鮮やかな紅葉が散りばめられ、その上には見た目にももっちりとした生菓子が飾られている。それも、柿とは。
これが当主の御心を掴んだ菓子──。
直ぐにいただきたいところだが、玉貴は菓子楊枝を取る前に深く首を垂れ、御髪を畳につけた。
「度重なる非礼を、謹んでお詫び申し上げます」
玉貴は半年間、周りを煽るように鹿の子を虐げてきた。自分は当主の寵愛にいるのだと、知らしめる為であったが、それにしても酷いものだ。玉貴はこの席を借り、謝意を表した。
しかし鹿の子は膝を向けるだけで、首は垂れない。
「どういたしまして」
てっきり「とんでもない」などと恐縮されると思っていた玉貴は、謝罪を受け入れられ、驚いて顔を上げた。
鹿の子はいやみのない、すっきりとした顔をこちらに向けている。
罪は否さず、許すということか。
茶人らしい亭主の振る舞い。
ただの田舎娘ではない──玉貴は一度にそう思い知らされ、ふと笑ってしまった。
鹿の子もまた、そんな玉貴へ笑みで返し、どうぞと菓子を勧めた。
「本日はわたしのためにお越しいただき、ありがとうございます」
今宵、玉貴を招いたのは他でもない、鹿の子本人だ。
とうさまが置いていってくれた異国の菓子手帖、氷砂糖が載った箇所はみつかったが、言葉の壁が厚い。こと細かく記されているだけに、読み解きたいものだ。
小薪から聞いた話によれば、玉貴は異国の血をひいているという。それも深く訊ねれば、氷砂糖の名を知っていた。玉貴さんならば読めるかもしれないと、小薪の力を借り、密かにこの席を整えたというわけだ。
玉貴は青銅色の瞳を輝かせ、その手帖を手にとった。
「母の母国の文字に、違いないわ。懐かしい……!」
「是非、訳していただきたいのですが」
「もちろん、筆貸して」
なに、仕事を先に終わらせたほうが、菓子は美味いに決まっている。
玉貴は手持ちの懐紙にすらすらと筆を走らせていった。
鹿の子はその文字の美しさに、感嘆の声をあげた。
「わぁあっ、凄い、玉貴さんの字、綺麗」
「修行の賜物ね」
指にたこできて、潰れるくらい書かされるのよ。速く、美しく!
口の端を上げて笑う玉貴に、小薪が震える。
氷砂糖の一頁は、あっという間に訳し終えた。
「ありがとうございます!」
「これで、後腐れなくいただけるわ」
では、と玉貴が菓子楊枝を取り、小薪がそれに倣う。
鹿の子は炉に膝を向けふくさをさばき、ゆっくりと、抹茶を点てていった。
静かに、穏やかに流れる時間。
は、寸の間だった。
「……はふぅん」
玉貴が艶っぽく吐息を吐く。
柿餅を一口食べれば、あらまあ。
皮となる餅を噛みちぎれば、柿の甘味がじっとりと口に広がった。
皮はういろう。つるりとした餅は柿の果肉如く。中のこし餡にはじゅるりと半生のあんぽ柿が刻んで入れられている。
柿の形を真似ただけかと思いきや、まるで柿そのもの。
いや、この柿餅は熟した柿よりずっと、柿の甘味をひきたてている。
あお山の秋の訪れ。
夕焼けのように燃ゆる橙の実。
懐かしい故郷の草原を思い出し、玉貴の目頭がじわりと、熱くなった。
「なによ、もう! ほっぺたが落ちちゃうじゃあないのっ!」
涙を引き下げるように、声をあららげる。
鹿の子はそんな玉貴へほんの少し首を傾け、温かい笑みを送った。
山口家の牧場では牛の餌に干した柿の皮を混ぜる。胃腸が強くなり、健やかに育つからだ。牧場には日陰作りのためにも、所々に柿の木が植えられていた。
落ちた柿を拾い食べるのは、童子達の仕事だった。
「ねぇ、鹿の子さん。あなた──」
「とうさまと旅をした時に、あお山の牧場を通りました。ちょうど、秋に」
尋ねる前に、答えが返ってきた。
今はもう、炉に向かう鹿の子の横顔に表情はない。
玉貴は見透かされているようで気に食わず、もう一品の紅葉を豪快に歯で噛みちぎった。
「……ああんっ。この紅葉も、秀悦ぅ」
紅葉は、雲平。
みじん粉と砂糖を、くちなしで着色した湯で練り、紅葉の型に抜いた干菓子。
干菓子というから固いかと思いきや、もちもちと歯にしがみついてくる。
その歯触りと上品な甘みは飲み込むのがもったいないほど、美味しい。
──参った。
玉貴は張っていた意地を砂糖でねっとり拭いさり、紅葉をがしがし、夢中になってしがんだ。
舌でほぐすほど、噛みしめる度に、ほの甘い。
抹茶を飲み干せば、
「おかわりっ!」
鹿の子はるんるん、と水屋を往き来した。
「本来の御饌って、こんなに美味しいのねぇ。私が食べていたのは、なんだったのかしら。これじゃ、お稲荷さまも惚れるわ」
二杯目のお抹茶を鏡に、ほぅと一息吐く玉貴。
くすぐったそうに、鹿の子は首をすくめる。
「最近はなんや、真面目に勘定なさるんです。材料の在庫管理や発注をしてくれてる小薪さんや久助さんには、お夜食を出す決まり。今は妖しさんにも、お務めがあるそうで。
今日の茶会も、御饌に二皿あげたら、許したるって」
「あらまあ、だから二種類なのね」
玉貴はこの半年、お稲荷さまに直会を許されていない。鹿の子を虐めていた分、てっきり嫌われていると思っていたのだが。
これはもしかしたら、対価があれば再び直会をいただけるかもしれない。いや、直会より──。
「この手帖に免じて、どう? 一頁、一菓子で取引しようじゃあないの」
「えっ、全部訳していただけるんですか」
「お腹の子が外に出たがるまではね」
ますます、山へ帰れないわぁっと玉貴は口に手を添え高笑う。
小薪は咥えていた紅葉を手にとり、じぃと見据えた。
やっぱり、鹿の子さんの菓子は小御門家から動けんようになる魔法の菓子や。
「今日、あと一頁書いてくから、かき餅もう一つ頂戴!」
「それは、あきません」 鹿の子はきっぱり、お断り。
「なんでよ!」
「砂糖は身体を冷やします。柿は尚のこと。身重のお身体には菓子二皿、お抹茶は二杯まで」
玉貴は唇を噛み悔しがった。
美味しいお抹茶もおかわりできないなんて。一滴も残さずさらえてしまった茶器を恨めしく眺める。
ではさっさと本題を切り出し、今日はずらかろうと、茶器を置いた。
玉貴とて、なにも菓子につられ、のこのこやってきたわけではない。恐らくは。
空いた手で頬を包み、唐突に、そして悩ましげに溜め息をついた。
「旦那様は、好きで私の子をお世継ぎに望んでるわけではないのよ」
すべては生まれてくる子供の為。
玉貴は腹を優しくさすりながら、簡潔に語った。
自分は村のしきたりを破った重罪人だ。
出産は母のいる、離れ邸にて行われる。しかし体力が戻ればすぐに山へ入らなければならない。
瘴気がこもる鬼門で赤子は育たない。
育っても、鬼門の子。しきたりを破った裏切り者の子供。
里へ下れば山口家だけではなく、村人からも虐められてしまう。虐めに耐え抜いたところで、その土地に根を生やすことは許されないだろう。
小御門ならば差別なく健やかに育て上げられる。修行をさせ、やがて陰陽師の官位に仕付けば、母子が会う機会も増える。
「だから旦那様は、頑なにお世継ぎにと申されているの。私だけでなく、何よりも生まれてくる子のことを思って」
「そうやったんですか」
旦那様はお世継ぎ欲しさに母子を引き離したのではなかった。鹿の子は分け隔てなく側室を思い遣る、旦那様に一唱三嘆と声を上げた。
自分へは茶室を。小薪に関していえば、小御門の世への風聞を顧みず、家族共々かくまっている。本来、重罪人の血縁者は風成から追い出されるのだから、それがどれほど手厚いものか語るまでも無いだろう。
「いやでも気にかけてしまうのよ」
玉貴はより深々と、溜め息を溢す。
「小御門家の巫女が側室をいびる理由を、鹿の子さんは知ってる?」
「わたしがかまどの嫁で、煙たいからではないのですか」
「鹿の子さんに限ったことではないのよ。巫女と側室には千年の確執があるの」
「千年も?」
「いい。ここだけの話しよ」
実に、小御門家に仕える巫女は十名足らず。
陰陽師家系から選ばれた優秀な姫君ばかり、しかし神饌かまどを取り仕切る巫女は三十人はいる。そのほとんどが、狐の妖しだ。
「狐?」 鹿の子の頭に、蔵馬が浮かぶ。
「そう。側室の間では狐巫女と呼んでいる。狐巫女は当主に相応しい側室を別邸にて育み、お世継ぎ作りを推進する。本来の務めは、後宮の監察官なのよ」
陰陽師家の側室には、霊力のある娘が望まれた。当初は近親者にお世継ぎを産ませていたが、血は衰えるばかり。次第に周りの貴族から圧力をうけ、他家から花嫁を迎え入れるようになった。
しかし前記の通り、側室には霊力のある娘が望ましい。そこで狐巫女が側室へ霊力を養わせる習わしが生まれたのである。
直会に参拝、神道継承、箱入り娘には厳しすぎる。逃げ出そうとすれば、狐に祟られる。祟られまい、と側室は修行を積み、狐巫女にやり返す。そんないざこざは、先代まで盛んに行われていた。
「先代はその習わしを逆手に取り、側室を自身の右腕に育てあげた。お世継ぎ作りはもっぱら、旦那様のお母様、御正室ただひとり」
「周りから、背反はなかったのですか」
「そりゃあ、狐巫女達は許さなかったわよ。側室はお世継ぎ作りが真の務め、それを蔑ろにするというならば育てる意味がないと、狐巫女も務めを投げ捨て、以来、神饌と参拝のみに命を捧げているってわけ。側室をいびるのは昔のなごりね。
でもお目付役は違った。その時には既に、旦那様がいらっしゃったから。旦那様以上のお世継ぎは現れない、それならば優秀な陰陽師を育てた方が国の為になるだろうとお許しになられたの」
実に、先代が若かりし二十年ほど前には、小御門全盛と謳われていた。
先代の側室はそれぞれ陰陽師として神殿に仕え、今では生家にて余生を愉しんでいる。右腕であった側室は今でも現役、風成の一獣を祀る女当主だ。
そんな強き陰陽師に囲まれながらも、抜きんでていたのが現当主、小御門月明。
「そう考えると、旦那様て凄いんですね」
鹿の子には、なにが凄いのか全くわからないが、二人は「そりゃあ、もう」と頷いている。
「でもね、いざ旦那様の代になると、先代のようにはいかなかった。お目付役は先代の習わしを許しても、御正室には厳しかった」
月明が正室へ上げた、最愛の姫君──小夜は、霊力なしだった。
何年、お稲荷さまと直会を共にしても、修行をつけても、家鳴り一匹みえやしない。
この上、小夜は霊力がないだけではなく、子を成せぬ身体であった。
これではお世継ぎを望めないと、お目付役も狐巫女も、小夜を徹底的に虐げた。
月明は小夜を庇い、実に八年もの間守り続けていたが、桜疱瘡の件で三月離れていた最中──。
「虐めに耐えかね、塞ぎ込んでしまった。夏には実家へ帰るふりをして、逃げ出して……運悪く、山で命を落としたと言われているわ」
「旦那様が、うちの村にいた時……」
言い知れぬ悔やみが鹿の子の心を攻め立てた。
ここぞとばかりに、玉貴が煽る。
「旦那様は、決してお世継ぎが欲しくないわけではないの。この家には敵が多すぎる。また人を愛し、愛した人を傷つけ、失うことが、怖いだけなのよ。旦那様は、誰よりも真のお世継ぎを望まれているのに……! 先代のように愛した人と御子を育むことを。自分がそうであったように!」
ぐすり、玉貴が目尻に懐紙を添える。
全く涙が滲んでこないのを、隣に座る小薪が呆れて見ていた。
しかし、鹿の子は違う。
最早、見守っているだけではいられない。
「わたし、わたしが旦那様の御正室を探します! 旦那様に相応しい、奥方様を、必ず見つけだしてみせます!」
にやり、ほくそ笑む玉貴。
「私も協力させていただくわ。ねぇ小薪」
「えっ」 勘弁願いたい小薪。
「鹿の子さんには、そんな暇ないでしょう! 土産菓子も作らなあかんし、ただでさえ今もラクさんのこと、放ったらかしやのにっ」
「そ、それはぁ」
鹿の子は東の院へは何度か、小薪の家族と猫に逢いに下ってはいるが、ラクとはあれから一度も行き逢っていない。
小薪としては旦那様のことは右に置いといて、消沈しっぱなしのラクを、どうにかして欲しい。
「なんや、けじめというか……」
今ラクに一目逢えば、心を塞いでいた壁がいっぺんに、がらがらと崩れてしまいそうだ。
片思いしていた頃を思い出すと、毎日ラクのことばかり考えていた気がする。
また同じように恋をすれば、頭の中がラクでいっぱいになってしまう。
そんなことでは、御饌に力が入らない。
ラクが修行にうちこむように、鹿の子もまた務めに誠心誠意尽くしたい。側室としての務めを。
「旦那様に幸せになってもらうのも、側室の立派な務めです」
「小御門家を思うなら、稼ぎが先です!」
「どっちも大事なことです。菓子も作る。務めは怠れへん。お願い、小薪ちゃん!」
「こ、こまきちゃん!?」
おこじょに小さな手をちょこん、と膝に乗っけられ、小薪はくらくらと目眩をおこした。ちゃん付けでお願いされて断れるわけがない。
しめしめと、玉貴が話しを進める。
「これは小御門家に嫁いだ私達の使命でもあるのよ。まずは、側室全員を味方につけましょう。北は近衛大将の娘、南は水を司る陰陽師家。いい縁談がみつかるかもしれないわ」
「側室全員……ということは」
──お茶会!
武者震いにふるえる鹿の子。
お膳立てよろしくと、玉貴に肩を叩かれた小薪は、ややこしいかくなわがひとつ、捩じられる情景が頭に浮かび、独り鬱つにお抹茶を啜りきった。




