一‐氷砂糖
かくなわ
かまどのお夜食
胃もたれ注意
作り方
小麦粉、白砂糖、ふくらし粉を、均一になる様に手で混ぜる。
菜種油を入れて、手のひらでこすり合わせながら、混ぜ込んでいく。
ほろほろと粉が粒状になったら、卵液を少しずつ垂らし、生地をまとめていく。
生地がまとまったら、一刻ほど休ませる。
休ませた生地を均等にわけて、細い紐状にのばす。
紐状になった生地を、ねじねじねじる。
また少し、休ませる。
温めた油に入れて、きつね色になるまで揚げる。
たっぷりと、白砂糖をまぶしたら出来上がり。
ちょうちんお化けの分は、お口に入るように小さめに二個ずつ。二十個。
小薪ちゃんのお胸が肥えんように、作り過ぎないこと。
*
秋が深まり、脆い陽射しが夜に溶け消える頃。
大きな蟻の行列が境内の砂利を踏み荒らし、深い足跡をつけた。
悲鳴に似たざわめきが轟き、何事かと久助が向かえば、拝殿の向拝柱に主上の御料馬が繋がれているではないか。
煌々と輝く主上の周りでは参拝客が、砂利に額をつけ平伏していた。
階段下まで続く近衛兵。
まずは事情を伺おうと、見知った仲である近衛中将、藤宮左近へ目配せを送る。
左近は久助の顔をみるなり、救いの神にすがるように、走り寄ってきた。
「よかったぁ、助かった!」
いえ、助けていただきたいのはこちらです。
「主上がどーしても御忍びで親拝されたいと宣うのでね」
「この、どこが御忍びですか」
「月明が仕事溜め込んでいて、出られんのだよ。陰陽師の侍従がいなければ、近衛百人従うしきたりだろう」
「忍べないのなら、ご遠慮ください」
「来ちゃったよ! もう来ちゃったんだから、お願い! 俺だってさっさと済ませて葵ちゃんとこ帰りたいよ!」
左近が大声ですがるものだから、久助を当主と思い込んだ参拝客が「はよして」と無言の圧力をかけてくる。
やれ、為方なしと主上の前で、砂利に膝をついた。
「畏くも主上、供物は賜られるのでしょうねぇ」
「ある、ある、あるから」
見上げられているのに、見下されているような、そんな語り口調に主上がたじろぐ。
「願い事は」
「皇后どうにかして欲しいんやけど」
「お帰りはあちらからどうぞー」
「きゅうちゃん、待ってぇ」
どうぞーと、地と平行に差し出した腕を、抱き封じる主上。
「だって、酷いんやで! こないだの野分かて妻戸閉めて、更衣を吹きっさらしの渡り殿に閉じ込めたんやで!」
「存じておりますがね」
主上はただ今、下っぱ更衣を絶賛ご寵愛中である。
更衣とは主上の衣替えに奉仕する女官であり、風成の側妃としては最も下位にあたる。
皇后は毎夜声をかけられる更衣を怨み、主上の御寝所、夜御殿へ向かう渡り殿の出入り口に二つとも、鍵をかけてしまわれた。一晩、雨風に晒された更衣は高熱に倒れ、一月経った今も病を引きずっている。後宮にいればいつか殺されてしまうと、主上は周りの反対を押しのけ更衣の身を夜御殿へと移させた。
しかし皇后の悪質な虐めは日に増すばかり、毒を含んだ香炉や藁人形を毎日のように夜御殿へ送りこんでいるという。
このように皇后が堂々たる勢力を奮えるのは先帝、雁の院の義妹であり太政大臣の娘ゆえ。すでに主上との間にお世継ぎ候補の御子が一人いるのだから、風成にて主上の次に敬われるべき存在といえる。たとえ朝廷にて血が流れる争いを起こしても、追い出すことはできないだろう。
久助はいい飽きた台詞を口にした。
「仲良くしてください。そうとしか申し上げられません」
「好きな女を殺されかけて、仲良くできるかっ」
「では、もう少しお手やわらかなお願い事を」
「ならば、更衣の御心を朕のものに」
はじめから、願いは後者にあったようだ。
主上は涙を堪えるように唇を結び、更衣の姿を頭に浮かべた。
どんなに愛おしみ優しくしても、更衣の心は動かない。身体は許しても、どこか遠い彼方をみつめているように、思う。
「手に入らないものなど、朕にはないと思っていた……。それが、神に願わねばならぬとはな」
「叶うといいですねー」
「軽い、軽いよ、きゅうちゃんっ」
「御親拝ありがとうございましたー」
再び左近へ目配せを送った久助は、二俵を供物台へ乗せ、その日は境内を去った。
主上の供物はなんてことない、砂糖。
砂糖には困っていないのだが、と明くる日、無関心に納戸へ運び入れた。
その俵をほどき、飛び跳ねたのは鹿の子だ。
手を叩く喜びように、久助は面映ゆい思いをしたものだ。
「糖堂の砂糖とは異なるのですか」
「見たら、びっくりしますよ? はいっ」
鹿の子が差し出した、小さな手のひらに乗っているのは、鉱石のような半透明のかたまり。
なるほど、久助にははじめて見る、砂糖だ。
「これは、氷砂糖といいます」
「氷の砂糖、ですか」
「わたしも、とうさまと旅をした時に、一度しか食べたことありません。遠い遠いお国のお砂糖です」
「形はわかりますが、味も異なるのですか」
「はい。このお砂糖、粒つぶを一つに固めたんではなくて、一粒のお砂糖を大きくしたものなんです。せやから大きいのに、驚くほど繊細な味わいなんですよ」
「一粒を、大きく?」
「そう。砂糖水を浸した部屋に、一粒一粒放っておくと、結晶が集まって、大きく育つんです。自分で、勝手に」
「砂糖が、育つ」
刈られ、精製された砂糖にまだそんな力が残っているのかと、久助は砂糖の生命力に感嘆した。
「糖堂でも作ろうかと試したんですけど、あまりに時間がかかるので、やめてしまいました」
鹿の子は懐かしそうに目を細め、氷砂糖をお日様に翳す。その先に蔵馬の狐目が映った。
「なんや、それ」
「はい、あーん」
「あーん」
お稲荷さま相手となると、百聞は一口にしかず。
鹿の子は蔵馬の口へ、持っていた氷砂糖を放り込んだ。
久助は思う。
近頃のお二人は、すっかり夫婦のようだ。
仲睦まじいその情景に刹那、砂糖の心が温まる。
「うんまぁ」
「こんだけあるから、久助さんにも、あげていい?」
「ええよ。みんなも、ほれ」
ほれ、ほれ、と蔵馬が天井に投げれば、家鳴り、小鬼がつかみ取る。
妖しみんなにいき渡ってもまだ、俵に入った氷砂糖はちっとも減っていない。
久助はありがたく、一粒を口に含んだ。
「なるほど、……これは」
すっきりと、張りのある甘み。
透き通ったその色と同じように透明感のある味わいだ。
御饌菓子に化ければ、さぞ美味しい菓子になるだろう。
蔵馬も妖しも、羨望の眼差しで鹿の子をみつめるが。
「えっ」
鹿の子は惑いの一声をあげた。
氷砂糖はそのままいただくものだ。
菓子の材料になるなんて、聞いたことがない。
それを聞いた蔵馬はさも残念そうに俵を見据えた。
砂糖と名がついているのに、菓子になれないとは、なんと哀れな砂糖。
「ほなら、鹿の子にやるわ」
鹿の子が喜べば、対価に接吻もらえるかもしれん。
魅惑のひと時を忘れられぬ蔵馬は、常日頃からその機会を窺っている。
「んでも、これはお稲荷さまの」
「御饌にならんのやったら、いらん。わしは浮気せえへん」
「まぁ」
「わしは、浮気せえへんっ」
二度言い、涎を啜りながら、かまどを去っていった。
本当は舐めたいだろうに。
「舐める……」
鹿の子の頭にふと、古い手帖が思い浮かんだ。
とうさまが置いていってくれた祝い着。
広げて落ちてきたのが、知らない言葉で書かれた異国の手帖。
御饌に役立つやもと、商いの道中で仕入れ、忍ばせたのだろう。
その手帖に氷砂糖に似た絵が描かれていたのを、思い出したのだ。
居残っていた久助へ、打ち明ける。
「氷砂糖から作れる菓子、あるかもしれません。はじめて作るんで、いろいろと失敗するかもしれませんが」
「それはそれは、よいことではありませんか。御饌の幅を広げる、修行になります」
久助は鹿の子が惜しみなく氷砂糖を使えるように、快く勧めた。
主上には申し訳ないが、お稲荷さまが供物とお認めにならなければ、願い事は叶えられない。
更衣の御心とは──元々、叶い難い願いであった。
久助としては、主上に恋を諦めていただき、平穏たる後宮を取り戻したい。
「既に、このお砂糖は鹿の子さんのものなんですから、好きなだけ、好きなように使ってください」
「好きに……、わたしのお砂糖っ」
わくわく、肩を弾ませる鹿の子。
「ほんまに、好きに使ってええのっ?」
鹿の子と久助の背後で、よりはしゃぐ者がいた。
ずんずん、久助の顔色が陰っていく。
「あれだけ、外へ出るなと忠告しましたよねぇ」
「宿題は済んだもん」
「日中動き回られたら、他の者の目に入ります!」
「ほらっ、ちゃんと下女になりすましてるから、大丈夫や」
「小薪さん、あなたは一体どのへんを差して、なりすませていると言えるのですか!」
白い単衣に白いほっかむりを被り、てへ、とおどける小薪。
これでは下女というより、幽霊の真似事だ。
当主のご寵愛にいる(つくろい)の小薪がはしたない格好で、それもかまどにうろちょろされては困る。
「ちょっと久助さん! それではいつも白い単衣でかまどにおる鹿の子さんに失礼でしょうが!」
「鹿の子さんはいいんです」
きっぱり言い放ち、ちらり、そちらへ顔を向ける。
「…………」
「なにを、にやにやしてるんですか」
小さな小豆が白い単衣一枚で、ちまちま動くその姿は、なんとも言い表し難い美しさがあるのだ。浄らかでいて、可愛いらしくて、いつまでも愛でていたくなるような。
例えるなら、そう。冬のおこじょ。
故に雪が誂えたこの御饌衣裳については、誰も何も文句は言わない。
お稲荷さまも月明も、唯一この衣裳にだけは、心のなかで親指を立てて感謝している。
久助にじとと見つめられた鹿の子は、耳まで真っ赤に茹で上がった。お点前の用意してきますと、したたっ水屋へ消えていく。
ああ、その後姿に癒される。
「鹿の子さんに比べて小薪さんは、はしたないというか、白い着物に貪欲さがにじみ出ていますよね」
「いやんっ、褒めんといて」
褒めていませんですし、お帰り願いたいのですが。
どうぞーと差し出した手を振り払い、小薪はずかずかと茶室へ上がっていった。
久助もそれに倣う。
「久助さんこそ、仕事は」
「夕拝を終えた今、小薪さんの監視が私の仕事です」
「つまり、暇やねんな」
「近頃、旦那様はご執務に専念されておりますので」
「前はさぼってたみたいな言い方やね」
「ああ、美味しい」
「否定せんのかい」
今日の茶菓子は、小さく丸めた餅をみたらしのたれで炒った餅あられだ。
お日様に干した餅はしゃくしゃくと歯切れがよく、軽い。
また久助の好きなみたらしのたれがたっぷりと絡んでいるものだから、止まらない。
久助が吸い込むように啄ばんでいる間、小薪はどこから持ち出してきたのか、使い込まれた算盤を袂から登場させた。
「まじめな話し、旦那様は散財しすぎや」
小薪が難しい顔をして、ぱちぱちと珠を弾く。
嫁いだからには財を築かなと、小御門家の収支書を開いてみれば、あれまあ。
すっからかんではないにしても、小薪の想像していた額から桁二つ少ない。誰も宗家の財産とは思わないちっぽけな数字。
小薪の計算間違いではない、五年前には桁二つあった。
その浪費のほとんどが月明の、小寮計画にある。
計画には賛成だが、他国での建立には膨大な金がかかる。
このまま進めていけば、残された財産などあっという間に底をつくだろう。
「お国の施策にできたらええのに」
「保守派は改革案を嫌いますからね」
「まあ、そんな腐った王侯貴族に一泡吹かす為にも、小寮計画は続けるべきやと思います。それには金がいる」
またぱちぱちと珠を弾く。
「お給料や借地の固定収益はおいといて、稼ぐならば神殿のお賽銭。しかしこれにはお稲荷さまのご勤労がかかっています。不安定やし、長続きはしません」
「ごもっとも」
「御守りやおみくじはありきたりやし、利益率が低い」
「ふむ」
「そこで鹿の子さん」
茶筅をしばきながら、一人ぽやぽや疑問符を浮かせていた鹿の子は、ぎくりと腰を浮かせた。
「わたし、菓子作る以外になんもできませんが……」
「菓子! そう、菓子です!」
目を爛々と輝かせる小薪。
「小御門に由縁のある菓子を境内で売るんですよ! 若い娘に喜ばれそうな、華やかな菓子を。砂糖は高価やぁ……っ、単価を上げられる。それでいて頂き物の砂糖やから、原価なし。試すにはもってこいや!」
久助は呆れ返った。
元は主上が賜わられた供物。それを民に売り、金にしようとは。がめついにも程がある。
しかし、鹿の子はどうであろう。
「わたしの菓子が、みんなの、お口に入る……」
自分が作った菓子を、人様に食していただける。
煙たい神殿へ足を運んでくださった皆さんに、煙のもとを食べてもらえる。
白いおこじょは喜びのあまり、ふるる、と武者震いを起こした。
「あかん、鼻血でる……」
その愛らしさに悶える小薪。
「生きていて、よかった」
眼福に生の喜びを感じ入る久助。
鹿の子さんに免じ、お手伝い致しましょうと一礼し、点てられたばかりのお抹茶をいただいた。
「ああ、美味しい」
よっしゃあ、と気勢をあげる小薪に、こくこく頷く鹿の子。
こうして三人による初めての小銭稼ぎが、始まったのでありました。




