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かまどの嫁  作者: 紫 はなな
こぼれ萩
23/120

終‐かまどの嫁

 初秋の主菓子‐こぼれ萩


 旦那様の大好物



 作り方


 たっぷりと沸かした湯でえんどう豆を茹でる。

 笊にあけ、熱いうちにすり鉢でする。

 砂糖を入れ、ねっとりと粘りがでるまで練る。

 半量を漉し器で漉し、こしあんに。

 漉し器に残った皮はつぶあんの方へ混ぜ入れる。

 つぶあんは均等に丸めておく。


 次に求肥。

 もち粉を水で溶き、みみたぶくらいの柔らかさまでこねる。

 平たくのばし、さっと茹でる。

 茹であがった餅を釜へあけ、砂糖水を少しずつ加えながら、弱火にかけて練っていく。

 木べらにうっすら絡む程度まで柔らかく、半透明になったら、最後に御饌飴を加えて練り上げる。

 片栗粉が入った粉箱に移す。

 手粉でまとめたら取り板に移し、均等にわける。

 つぶあんを包み、丸っこく成形する。

 しそで紅紫色に着色したみじん粉を一筋、飾りに振りかける。

 涎が入らないように、唐かささんには外の格子窓から覗いてもらうこと。



 次は、お稲荷さまのこぼれ萩。

 取り分けておいたこしあんを、卵黄と白砂糖、米粉と一緒によく混ぜる。

 卵黄の生地に、泡だてた卵白を入れる。

 泡を潰さないように手早く混ぜ合わせる。

 型に流し込んだ後に鹿の子豆を沈め、表面にみじん粉を振りかける。

 蒸篭(せいろ)へ入れてすぐ、久助さんを呼んでおくこと。





 *





「あい、お願いします」


 鈴が鳴ったような可愛いらしい声に、屋根家鳴りがざわめく。

 久助が御饌皿を取り、回廊を渡れば、湯気が道しるべのように一筋流れていく。

 菓子が拝殿へ運ばれるのを見届けた鹿の子は間を空けず、もう一つの御饌皿を持って、幣殿へと上がった。


「お待たせ致しました」

「ええ、待ち兼ねましたよ」


 高座に座するは小御門家当主、月明。

 皆が拝殿にて手を合わせているというのに、朝廷も夕拝も蔑ろに、ひっそりと腰を据えていた。

 何故なら、今年最後のえんどう豆の収穫が終わってしまったから。

 鹿の子のこぼれ萩を味わえるのは、今日が今年最後となる。

 はやく食べたいが、話を終えてからだ。

 月明は差し出された皿を、目端にも入らぬ横へと追いやった。


「鹿の子さん、近頃は東の院へ帰っていないと聞きますが、誠ですか」

「はい」

「……穏やかではないですね」


 穏やかではない。

 ラクの消沈っぷりが。

 落雷による邸への被害は瓦落ち程度で済んだというのに、あれから半月、鹿の子は一度も東の院へ帰っていないというではないか。


「持ち腐れは困ると、言ったはずです」


 鹿の子に避けられ、直会が進まず、修行に力が入らない。

 これでは着物だけでなく、ラクまで持ち腐れになってしまう。


「それに釜を休ませるのも、かまどの嫁の務めでしょう」

「その約束は守っています。かまど休みには、炭を入れてません」

「ではかまどで何を。まさか、茶室に籠っているとでも?」


 まあるいおでこから、返事が返ってこない。

 やはり建てるべきではなかったのか。

 小さく嘆息し、厳しく言い放つ。


「何度も言いますが、院を空けてもらっては困ります。茶室は今日を最後に閉めてもらいましょう」

「旦那様っ、それだけは……っ」


 急に見上げられ、慌て視線をそらせた。

 嘆息にしても厳命にしても、顔が緩んでいたに違いないから。


「いけません」


 引き締め直した月明の顔は、より鋭いはんにゃ顔。

 その吹雪のような冷徹な眼差しに、鹿の子は震え上がった。


「私はね、鹿の子さん。貴女には早くラクさんと向き合い、幸せになって欲しいんですよ。人 間 として」

「んでも……」


 わたしを急かしたって、ラクは今まで通り幼馴染の御用人。どうにもならんのに。

 お稲荷さまもお稲荷さまなら、旦那様も旦那様や。

 自由やと言うておきながら、理不尽極まりない。そんなに早く帰って欲しいのかと、鹿の子は内心、拗ねた。

 しかし、どんなに旦那様に嫌われようが、鹿の子はもう心に決めている。

 とうさまとの約束通り、鹿の子は旦那様を見届けたい。旦那様が幸せになるまでは、かまどのはりつき虫でいることを。

 それが菓子を見初め、茶室まで建ててくれた旦那様への恩返しだ。

 欲を言えば、旦那様には新たな御正室を迎えていただき、幸せな家庭を、尚且つ小御門家にふさわしい、真のお世継ぎを育んでいただきたい。

 鹿の子とは、大人しいようで利かん気のある娘である。

 

「閉められたくなければ、今日にでも東の院へ帰って祝い着を着なさい」

「い? そ、そんな急にっ、いやです」

「では為方ありませんね、茶室を閉めます」


 横暴な月明へ、鹿の子はきっ、とおでこを向けた。


「茶室を閉められたかて、東の院へは帰りません」

「なぜ、そうもきっぱりと」

「だって、お稲荷さまが、やきもち焼くんですもん」


 言うた後ではっ、と首を竦め、白い小豆顔を真っ赤に茹でる鹿の子。

 月明は菓子皿をそのままに、すっく、と立ち上がった。


「旦那様?」

「……好きになさい!」



 月明はかつてと同じように本殿へと足を向け、その方向へ流れるように座を退いた。

 そしてまた律儀に鳥居を潜り、小社の御扉をひっぺ剥がす。


「…………」

「おや、月明。怖い顔して、綺麗な顔が台無しですえ?」

「……何をなさってるんですか」


 月明が語りかけたのは雪ではない。

 雪の隣ではふはふ、菓子を頬張りながら板間に寝っ転がっているお稲荷さまである。

 雪は扉を壊されても機嫌良く、我が子の尻尾を愛しそうに撫でている。


「お稲荷さま、何をなさっているんですか!」

「おお、月明やないか」


 何やら長い巻物を下敷きに、考え事をなさっていたようだ。眉間に皺を寄せながら、しかし目は爛々と輝かせている。


「妖怪大全集や、おかんが貸してくれた」

「は?」

「鹿の子はやっぱり、座敷わらしかなぁ」


 なぁ、と足をぷらんぷらん、尻尾をふりふり。

 月明の瞠目は雪へ移る。

 雪はさも愉快げに、皺を引きつらせ笑った。


「私は嫁が妖怪やったら、仲良くやれそうやと言うただけやでぇ?」

「はぁあ?」


 いにしえ、妖は人より下位だった。

 供物があれば、神は人を妖に変えられると先代から聞いたことはあるが、しかし。


「鹿の子さんを、妖になどと……!」

「なんでや? 鹿の子は大好きな菓子作りを何百年と続けられる。逢いたがっていた妖し等とも、仲良うできる。これ以上の幸せはないやろ」


 ほれほれ、とお稲荷さまが巻物を押し付けてくる。

 そこには、おかっぱ頭に赤い半纏を着た、可愛らしい少女が描かれていた。

 鹿の子と照らし合わせてみる。



 …………悪くない。



 座敷わらしが小御門家に居付けば、家運は上々。永遠、御饌菓子に困らない。

 寸の間、心が傾きかけた月明であったが、なんとか持ち直す。


「どうかお考え直しを。神と人が相容れぬように、神と妖しも道理に外れます」

「ほんまに、そうなんかなぁ。実際、おかんは妖やで」

「む」

「それに、神と人でも、ちゅーはできたで」

「はぁあ?」


 何を思い浮かべているのか、お稲荷さまは狐目をさげ、にへらぁとだらしなく口を開けた。

 わなわなと、怒りに震える雪。

 月明もまた同じように、腹の底から煮えたぎる憎悪を押し殺した。

 いや、無理でした。

 許せません。

 酷く刺々しい呪を口ずさむ月明。


「ちょ!? 待て、月明! これ風成の国宝やで!」

「次は真っ黒くろに塗りなんし」

「五月蝿いっ、年増ぎつねが!」


 月明が去った境内には、こぼれ萩のように色鮮やかな木片と、巻物であろう紙切れが、そこここに散っていたという。






 *





 その夜、賀茂乃下(かものした)と呼ばれる繁華街にて火が上がった。

 幸い、火消しが先回りしていたので広く燃え移らずには済んだが、放し火であったようだ。火元は燃える薪の宝庫、薪屋。鳴海屋は見るも無惨、一軒まるごと焼け落ちた。

 どうやら七瀬という奉公人が下手人のようで。

 なんでも、いずれは巫女にしてやるからと主人に雇われ、夜まで世話をさせられていたらしい。七瀬に飽きた主人はよくない噂を流し陰陽師家へ引き渡そうとしたが、陰陽師様が連れて行ったのは愛娘。

 愛娘を連れて行かれた主人は腹いせに七瀬を殺そうと牙を向いた。

 しかし女は強し、仕返しに浴びせられたのが油と松明だったというわけだ。

 七瀬は島流し。

 主人は深い火傷の手当てもなく人屋(ひとや)の内に、押しこめられた。すすきの穂が白くなる頃には、この世にいないだろう。




 同じ頃、東の院は珍しく、夜の酒場のように賑やかだった。


「ここは鹿の子さん家や、汚したらげんこつやからなぁ!」


 背中に赤子を背負った小薪が、両脇に抱えた鼻垂れ小僧を居間へ放り込む。

 ラクと小薪の御用人が荷物を運び入れながら、力比べをする、その縁では小薪の母がお茶を並べていた。

 小薪が母を想い、その背中を抱く。


「お母さん、大丈夫?」

「何言うてんの、清々してるわ」


 首をこきこき鳴らし、小薪の母は快活に笑った。

 鳴海屋に嫁ぎ二十年、我ながらよく働いたと思う。

 なんせ、主人は親の七光り。

 商いは女房と番頭に任せ、妾作りに勤しむ色きちがい。小薪以外の子供はみんな、妾の子だ。小薪は知らないが、実の娘にまで助平心をみせていた。御用人がいなければ、娘はとっくに食われていただろう。

 

「んでも、商いは楽しかったなぁ」

「番頭さんと、やり直したら? 恋も」

「およしよっ」


 賀茂乃下にある薪屋は鳴海屋の一軒だけだった。無くなっては困るからと、街のみんなが銭を出し合い、番頭に店を任せようとしている。そうお奉行様は明かしてくれたが。

 小薪の母は居間を駆けずり回る、小僧達を優しい目で追った。


「こいつらは、私らに任せてください」


 すばしっこい二人を両肩に担ぎ上げ、御用人がどんと、胸を張る。


「なぁ、お嬢」

「えっ、……う、うん」


 急に話をふられ、小薪がびくりと飛び上がった。

 私ら、私ら、と何度も呟きながら、膝に乗った猫を撫でる。

 母もまた、此処におったら邪魔者かもしれんと余計な思案を巡らせた。


「ええわあ、若いって」

「なに、年寄り臭いこと言うて──、あ、あかんっ」


 鹿の子が茶菓子に作ったこぼれ萩。

 掴もうとする母の手を、小薪は慌ててとめた。


「お母さんは、食べたらあかん」

「なんでよっ」

「食べたら、ここから動けんようになるっ」


 そんな、魔法の菓子やねん。

 小薪が真面目な顔をして、言い張る。

 気丈に振る舞う、健気なその娘の後ろ姿を、御用人は静かに、愛しげに見据えた。

 

 修行の末、初めて読んだ星が家の離散。

 街は救えど、悲しい未来を見てしまった若き占星術師、小薪であった。




 母家では、また臣下共々口を揃えて噂する。

 側室不相応に邸はいらん。当主はかまどの嫁を見離すどころか、東の院から追い出してしまわれた。

 渡り殿に御寝所を建てたのは、小薪の家族へ東の院を明け渡させる為であったのかと。

 これで正真正銘、かまどの嫁。

 もう誰も鹿の子を「奥方様」とは呼ばない。


 それでも鹿の子はへっちゃら。

 下女が嫌みたらしく、配膳にまわってきても、


「かまどの嫁、どうぞお稲荷さまのお残しです」

「まあ、美味しそうっ」


 鹿の子は今日もにっこりと、笑みを返すのだった。



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