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かまどの嫁  作者: 紫 はなな
こぼれ萩
21/120

十一‐こぼれ萩(上)

 耳をつんざく衝撃音。小石が浮くほどの震動が境内に響き渡った。


「野分の後に雷とは、情緒に欠けますね」

「五月蝿い……っ」


 東の院の邸内にまで火が移っていないだろうか。二人は無事であろうが、改築するにはまた金がいる。月明はもくもくと昇る煙を見上げながら、そんな心配をした。

 蔵馬は今、月明を前に髪を、尻尾を奮い立たせ、怒りに燃えている。

 どうせ呪い苦しめられるのだからと、月明は開き直ったものだ。



「あなた様が言えと、仰ったのではありませんか」



 しかし蔵馬は、話の大筋に異を唱えるつもりではない。


「……鹿の子をかまどへ閉じ込めたんは、わしや。なんで、それを言わんかった」


 月明は鹿の子への説明の合間で、まるで己れが課したように、この半年間を「厳しい修行」の一言で片付けた。悪役を一手に引き受けたように。

 月明は蔵馬のこの問い掛けに意表をつかれ、またじんわりと、心が温かくなった。

 神が人間を愛すると、これほどまでに思慮深くなるものなのだろうか。

 口付けひとつ許せないところは、まだまだ十五歳だが。


「あなた様が仰ったのではありませんか。私とラクさんの話をしろと」

「そんなん、屁理屈や」


 ふて腐れる蔵馬。

 月明はお稲荷さまにはまたひとつご成長を願おうと、意地の悪い提案を取り上げた。


「鹿の子さんにお伝えしたいというのなら、ご自身からお話しください」

「ぇえっ、わ、わしがか」

「それが男気というものですよ」


 蔵馬は立てていた尻尾をへなへなと地へ下ろした。



「……わかった。明日話す、全部」



 任侠を求められると、退けないのが風成っこというもの。

 蔵馬はざくざくと下駄で石を切りながら、男らしく本殿へと消えていった。

 今日は魘されずに眠れそうだと、月明は安堵の一息を吐く。


 可哀想に思うが、風成の神に道理を外してもらうわけにはいかない。

 所詮、神と人。

 今この時、鹿の子の御心がお稲荷さまへ向けられているとしても、総てが明かされた後には、必然とラクへ移ろうだろう。

 身分差という壁が崩れ去った鹿の子とラクには、何一つ障害がない。

 何より長年慕い続けていた幼馴染みと添い遂げるという、夢が叶うのだから。


 

「これで……、思断てる」



 ふと発した独り言に、月明は自分の耳を疑った。


 思断つ……、何を。


 それに私はこの夜更けに、何を待っているというのだろう。

 こんな境内の奥深く、荒れ果てた池の端で──。




「旦那様、こちらにおいででしたか」




 鈴が鳴ったような、凛とした声に胸が震える。

 振り向けば鹿の子が風呂敷を抱え、はあはあと肩で息をしていた。

 動揺を隠すように、冷然といい放つ。


「かのような夜更けに、どうされました」


 そんな月明の気持ちを知りもせず、鹿の子はずい、と歩み寄る。


「この菓子、旦那様と一緒に食べよう思うて今朝作ったんに、私、すっかり忘れてしもうて。その、遅くなりましたが……是非、いかがかと」


 言いながら風呂敷を解き、漆塗りの菓子箱を手前に差し出した。


 ──お稲荷さまではなく、自身のため。


 これほど魅力あるものが、この世に存在するだろうか。ああ早く食べたいと、喉の奥が鳴った。

 受け取ろうと伸ばした手が焦りに滑り、菓子箱が僅かにずれる。瞬時に掴みとり落下は免れたが、蓋が外れてしまった。

 隙間から覗くは、夜目にも目映い萌葱色。

 ふっくらとした餅にこぼれ落ちるは、紅紫の花。

 

「これは……?」

「こぼれ萩と、言います」

「こぼれ萩──」


 にっこりと笑う鹿の子の背景には、まさに爛漫と、萩がこぼれ咲いていた。

 それでは、と深く頭を垂れる。

 もう行ってしまうのかと、空いた手が虚空を掻いた。

 鹿の子が顔を上げれば反射的に、手も下がる。


「旦那様」


 また可愛いらしい声で鳴く。

 その唇は萩のように艶やかに色づき、喜びに満ちていた。幸福感をおしろいではたいたような、満面の笑み。

 ラクとの一時に見出した幸せ。

 自身には一日共に過ごしても、与えられなかったもの。

 見ていられず、月明が背を向けたその時。

 鹿の子のさえずりが背中に貼り付いた。




「私の菓子をお見初めいただき、ありがとうございました」




 鹿の子は風呂敷を胸に握り締め二度、頭を垂れた。

 間を空けず、軽快に砂利を踏む音が鳴る。

 月明が振り返る頃には鹿の子の姿はなく、帯の色も見えなくなっていた。

 

「そうだ……私は、この菓子を、見初めた」


 後に残された菓子箱をみつめる。

 部屋へ戻る考えには一寸も及ばず、その場でぱくりと、口に含んでいた。

 下女に茶を淹れさせた方が美味いだろうに。いやいっそのこと鹿の子を呼び戻し、茶室にてたしなんでもいい。

 

 さて、どうするか。

 口に入れた菓子を飲み込めず、そして一歩も、動けずにいた。

 三年前、確かに自分は鹿の子の菓子を見初めた。母と同じ真心を感じ入り、御饌巫女には彼女しかいないと、確かにそう思った。

 しかし今、食している菓子はどうだろう。


 こんなにも人の心を乱す菓子は、御饌であってはならない。


 舌で押し潰す度に、あふれる豆の香り。

 噛み砕こうとする度に、目からこぼれ落ちる涙──。


 


 ──旦那様、これしか見付かりませんでした。



 

 三年前の夏。

 山々が死者の迎え火に燃え盛る盂蘭盆(うらぼん)

 青龍山には迎え火の他にも、捜索人のたいまつが大蛇のように列なっていた。その火が消え落ちた朝。

 帰ってきたのは鼻緒がきれた、片方の草履のみ。

 青龍には人が踏み入れぬ深い渓谷がある。その崖縁で草履がみつかった。

 小夜の君は鼻緒がきれた拍子に足を踏み外し、谷底へ落ちてしまわれたのでしょう。

 そう淡々と、捜索人は話した。


 月明が思い出していたのは、その悲劇ではない。


 目を輝かせ草履へ袖を向けた、鹿の子の顔だ。

 あなたもまた私の手から逃れ、履き物だけ遺していくのだろうか。

 もう二度と、あのような形で失いたくはない。

 手離したくないと、心からそう思った。


 いつからだろうか。


 わからない。

 童子のように二人はしゃぎまわり、心がほぐれたのか。忘れかけていた街の温もりを、夏海達と戯れたあの頃の日々を、思い出せたから。

 しかしそれは、思い描いていた彼女そのもので、前々から「街へ行ったら、そうしよう」と、自身にも心構えがあった気もする。

 彼女なら、昔の自分を引き出してくれると、心のどこかで期待していた。

 期待通りで、どんなに楽しかったことか──。


 ときに、茶室なんて腰が落ち着くものを、習わしを打ち明ける前に、何故急がせたのだろうか。これではかまどに居着いて欲しいと、言っているようなものだ。

 そもそも、何故鎬を削ろうなどと口を滑らせたのだろう。寝る暇もなくかまどで働く、鹿の子の現状を知らしめるだけで、お稲荷さまは改心なされたはずだ。ラクの信頼を得る為にも、放つべき言葉ではなかった。


 ならば私は、どれほど前から……。


 戦慄く唇を僅かに開き、再び締める。

 それだけで舌で豆が弾け、香りが鼻にぬけた。

 餡は熱で溶けても、上顎に貼りつく求肥と豆皮が、目をそらさないでと、涙を煽る。


「私は……見せ物ではないぞ」


 右肩に聳え立つ木々の下生えが微かに揺れる。うひゃあと一声、ふわりと風が波立った。



 初夜──、風のいたずらに几帳が翻ったあの時。

 月明かりに照らされた鹿の子の小豆顔は真っ白に輝き、天女よりも美しいと、そう思った。

 清々しいほど霊力が感じられないのは、人ではないから。

 一瞬確かにそう、頭に過った。


 お稲荷さまより先に出逢っていれば、嫁入り菓子を食していれば──決してかまどに嫁がせなどしなかっただろう。

 ラクと共に生家へ帰してやった?

 いや、──閉じ込めていた。

 自分こそが、彼女を誰にも会わすまいと、閉じ込めていた。

 きっとお稲荷さま以上の冷遇を、彼女に課していたに違いない。


 あれから半年。

 神が愛した娘だからと、その存在を尊んでさえいたのではないのか。

 それどころか神を愛する娘を、妬いていた。我が身に向けられるべき愛だと、嫉んでいたとでも。


 渦巻く水に翻弄される花弁のように、矛盾と葛藤がぶつかり合う。


 なんと、醜いのだろう。

 故に、もう二度と恋はしないと、誓ったのに。

 彼女に溺れていく自分から、目をそらせていただけだった。

 菓子を食べる度に恋しいと思う、この心から。


 ああ、愛しい──。


 こぼれ萩を噛み締める度に、想いが溢れ、止まらない。




「小夜……、私は、如何したらいい」




 野分に倒された萩は池に橋を架け、こぼした花を川へ流していく。

 流れ行く花のように。

 月明の想いはとめどなく溢れ、こぼれ落ちていった。







 *







 幣殿での騒動から一夜明けた朝。

 糖堂の旦那は出立を前に、かまどの茶室にて娘との別れを偲んでいた。

 

「あい、どうぞ」

「おぉ、美味そ……切れ端やないか!」

「とうさまも好きでしょう、久助(きれはし)


 そやけども、久しぶりに会うた親に切れ端出すか? と渋々、すずし梅を口に含む。黙々と味わう間、茶筅が茶器の底をこする音が茶室に響き渡った。

 静かに、穏やかに流れていく時間。


「ああ……、美味いなぁ」


 ほんまに、いつの間に腕をあげたのか。

 お世辞ではなく、糖堂家の誰よりも、美味い菓子が作れていると、そう思う。

 誰よりもひたむきで、誰よりも想いがこもっている。

 胸がきりきりと、痛むほどに。


「しかし、くどいな」

「くどい?」


 さっぱりとしたすずし梅が?

 鹿の子は首を傾げる。

 そんな可愛らしい娘を、旦那は鼻で笑ってやった。


「真心を、こめすぎや」


 作り手が菓子にこめるのは、「美味しく食べてください」この程度でいい。

 鹿の子の菓子は「わたしも見て」「わたしを思い出して」そう、舌に媚びてくる。


 まるで誰かに、救いを求めるように──。


 この半年、どれほどしんどかったのか。

 噛みしめる度に思い知らされる。


「いや、しかし真心とは、真のこころ。お前が正しいのかもしれんな」

「真の、こころ?」

「あるがまま、ちゅうこっちゃ」


 鹿の子の真心が鏡のように、菓子に映るのならば。

 ほんとうの幸せを得た鹿の子が作る菓子は、どれほど美味いだろうか。

 次に会う時には、その菓子をいただきたいものだと、旦那は切なげに懐紙を結んだ。


 糖堂の旦那が小御門の習わしを知ったのは、鹿の子が生まれる以前の話だ。小御門家は古くからの客。小御門から砂糖を取りに来た御用人が、愚痴をこぼしていくので聞かずとも知れること。うちの娘も異能があったら嫁がせるのになぁと、かあさまの腹を撫でたものだ。

 本気で側室に望み始めたのは、五年前のこと。

 当時の小御門は先代の急死により御家騒動が朱雀を越えたこちらまで届いていた。例により御用人がまた軽口を叩いてこう言った。


「月明様は哀れむ暇もなく、働き詰め。ただでさえ忙しいのに、お稲荷さまはお気に入りの御饌巫女を失い、ご機嫌斜めなんですわ。仕事せんと本殿に引きこもってしもて」

「ほう、御饌巫女を」

「あれほどの菓子を作れる人間は、そういない。探すのは大変でしょうなぁ」


 その日の夜から、鹿の子の菓子修行は始まった。

 鹿の子は陰陽師に到底なれやしないが、御饌巫女になら、なれるかもしれん。

 はて、御饌巫女が側室になれるのか。

 それ以前に、月明が鹿の子の菓子を見初めるか。

 なんにも根拠はないのに、何故か旦那には確信があった。


 月明と鹿の子をひき合わせたのが荒神の「呪い」とは、残酷な運命であったが。


 真心を込めて茶筅をひく、その横顔からちらりと覗く、首筋の痣。

 嫁げば消えると信じていた、花弁の痣は一ひらも消えていない。山を越えた程度では、呪いは消えぬのか。小御門家への嫁入りを、神が認めていないということか。

 鹿の子に課せられた「呪い」は昨日、月明に伝えた。最早、鹿の子の運命は月明の手にある。

 話を明かした時の彼の動揺ぶり、首肯した後の決意の眼差し──砂糖だけでは返しきれぬ恩ができたと言って、過言ではないだろう。


 親の心子知らず。

 鹿の子は鼻をつまんで、こちらへ振り返った。


「飲んだら、はよ帰ってくださいね。仕込み始めたいので」

「えらい冷たいなぁ。血は水より濃いというけどな」

「よそはよそ、うちはうち!」


 ぷん、と顔を背ける鹿の子。

 昨夜、鹿の子が東の院へ戻ってみれば、とうさまはラクと二人べろんべろんに酔い、畳に潰れていた。

 昔話でもして夜を明かそうと思っていたのに。今も茶室が酒臭くて仕方ない。


「だいたい、なんですか。ほんまにぶらり、寄っただけて」

「娘に会いに来て、何が悪いねん。盂蘭盆にも帰ってけえへん、不良娘が。かあさまがえらい心配してたで」

「そ、それは」

「まあ、お稲荷さまのことは聞いてたけどな」

「お稲荷さま……?」


 糖堂の旦那は知っている。

 最初から一部始終、読んで聞いている。

 月明は有りのままを謝罪文にしたため、糖堂家へ送り届けていた。


 お稲荷さまとて、お義父さまのお話しならば、きっと聞いてくださる。どうか鹿の子さんを、お助け願えませんでしょうか、と。


 しかしそれは、糖堂の旦那にとって、喜ばしいことであった。娘が御饌巫女として認められた、証。

 可哀想だが飯は食えているようやし、菓子と向き合うには、いい機会だ。苛烈な修行の末には幸せが待っている。鹿の子には夏を越えるまで、気張ってもらおう。

 我慢に我慢、腰を据えて待ち、そろそろ行ったろうかと思うてた矢先。

 ──次の休みに鹿の子へ話を打ち明ける。

 その文を手に取った旦那は、野分で荒れた畑をほっぽらかして、会いにきたものだ。


 旦那は知っている。

 月明は来年の盂蘭盆も娘を帰してくれないだろう。先妻のように、鹿の子を失わぬように。

 まったく、菓子の力は恐ろしいと、旦那は苦笑いをこぼした。


 とうさまの言葉に何か感じ入るものがあったのか、鹿の子は傾げた首を戻し、やがて笑った。

 どん、とお抹茶を差し出し、炉の前に戻る。その横顔は母のようにずっと、柔らかな笑みを携えている。

 前を向き、道を歩む覚悟が決まったのだろうか。

 では旧道の案内人は後を濁さずさっさと帰ろうかと、お抹茶を口に流し込んだ。


「ああ……、美味い」

「でしょう? こんな美味しいお抹茶、旦那様はどこで仕入れたのかしら」

「うちや」

「……え?」

「旦那様はな、お前が実家を身近に感じられるように、茶室を調えてくださったんや。茶器はばあさまが選び、抹茶はかあさまが挽いた」


 何気無く淡々と言うたつもりが、みるみるうちに鹿の子の目が潤んでいく。

 泣くのは帰ってからにしてくれと、自分も目頭に涙を汲み、にじり口へと膝退した。小さな戸口に大きな身体を詰め込みながら、旦那は言う。


「鹿の子、お前はお前の道を進んだらええ。しかし小御門に居る間は、旦那様のこと、見守って欲しいんや。わしはあの御方こそ、幸せになってほしい。そう思う。頼んでもいいか?」


 返ってきた言葉は潔く、喜びに満ちていた。


「……はい!」


 なんとか出れた旦那は腰をさすりながら、最後は無愛想に風呂敷ひとつ、茶室へ投げ入れる。


「これは?」

「初夜の祝い着や。かあさまがもう一度、縫ってくれた」

「かあさまが……」

「次は、ないで」


 小さい娘はするりとにじり口を飛び出し、酒臭いとうさまの胸に、飛び込んでいった。

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