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かまどの嫁  作者: 紫 はなな
こぼれ萩
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十‐鬼まんじゅう

「これはこれは、鹿の子さんのお父さまではないですか。泣きべそ小豆を慰めに、今日はお泊りに?」


 鹿の子が自分を取り戻したのは弊殿を退き、夕拝へ向かう雪と行き交うた時であった。いつものように言い詰ってくる雪の顔に、なんだかほっとしたものだ。

 糖堂の旦那も、笑って応えた。

 

「これはこれは、噂のお姑さん。鬼のようなお顔やったと弟から聞いておりましたが、実物は鬼というか、しわしわのほおずきのようですなぁ」

「な、なんやてぇ……っ!」


 真っ赤な顔して狐目をしわごと吊り上げるものだから、よりいっそう、枯れ落ちるほおずきのようである。


「なんや、お姑さんとは気が合いそうや。わしも夕拝とやらを見物させてもらおうか。ラク、先に鹿の子を東の院へ送りなさい」

「は、はい」


 後ろで鹿の子と同じように惚けていたラクが、面を上げる。


「一刻。きっちり一刻やで。今日はわしも東の院に泊まるやさかい、しっかり整えときや」

「はい」


 取り残された鹿の子とラクは一言も言葉を交わさず、東の院へ行き至ってしまった。

 とうさまを待つにも一刻も長い時間、さてどうしたものかと、ラクがいれたひや水を啜りながら、二人は縁にて肩を並べる。

 何故かいつもより少し、甘い。

 すっかり暮れた庭からは、鈴虫やコオロギの鳴き声が忙しなく、鹿の子の背中を押した。


「秋やねぇ」

「お、おぅ」


 しかしラクは狩衣のなかでだらだらと汗を流すだけ。本人はまったく秋らしさを感じていない。


「秋にひや水は、おかしいか。あったかい茶でも淹れてくるわ」

「ラクは、知ってたん?」


 唐突に問われ、一度立てた膝を直す。



「…………知らん、かった」



 答えながら、ラクは思い出していた。

 十五歳の夏、畑からの帰り道で糖堂の旦那に話しかけられ、戸惑ったことを。嫌われていると思い込んでいたラクは、斬りつけられるのではと、後退りしたものだ。しかし旦那は従者一人つけず手ぶらで「お願いや」と頭を下げた。


 ──鹿の子の嫁ぎ先で、御用人を務めてくれ。


 最初は虐めかと思った。

 畑を捨てて好いた女の一生を、端から指くわえて見届けろと。

 しかし旦那は、お前しかいないと、鹿の子を託せるのはお前だけだと言う。家族も畑も一生面倒みる、だからついていって欲しいと。

 変な男が従うくらいなら、自分がやりましょう。

 その場で答えていた。

 強がりの安請け合いから三年、長者家との縁談をはねのけてまで頑なに待った、己れの辛抱強さに呆れたものだ。


 鹿の子が祝い着を身に纏い、旦那様に添う姿をみれば、きっと諦められる。踏ん切りがつく。鹿の子の幸せを見届けた後は、他のもんに任せてさっさと畑に帰って可愛い嫁でももらおう。

 そう思いながら鹿の子の嫁入りの日、籠を担いだ。

 胸が押し潰されそうになりながら、迎えた初夜──それから何日も、何日も東の院で待った。

 届いてくる知らせは、煙の帯。

 鹿の子は幸せになるどころか、煤汚れて泣いていた。側室どころか、下女より酷い扱い。鹿の子を担いで逃げ出そうと、何度思ったことか。思うばかりでお稲荷さまに敵うはずもなく、ラクにとって鹿の子は神に近い尊い存在になってしまった。

 

 それが今、どうだろう。

 決して手の届かなかった天に咲く花が、あちらから勝手に、抱き締められる距離まで、降りてきている。



「鹿の子、……俺は」



 腰をねじった拍子に、虫よりおおきな鳴き声が、ラクの腹から奏でられた。




 *




「わざわざ、すまん」

「今日のお夕膳、早かったもんね。わたしもお腹減ったんよ」


 動いてる方が気が楽や。

 そう思うて鹿の子はかまどに立った。

 包丁握れば、喉に詰まってた言葉がするすると滑りでてくる。たんたんと軽快に芋を切りながら、いつもの調子で喋り始めた。


「しかしラクが、陰陽師様やなんて。今日はビックリすることばっかりや」

「まだ見習いの、また見習やぞ」


 ラクもせっせと炭を運び、火付けに勤しんでいる。


「それでもきっと、おばさまは喜ぶ。ラクは村の英雄やね」


 鹿の子にそう言われると、無理矢理着せられたこの狩衣も悪い気はしない。

 ラクは喜びいっぱいを火起し竹にこめて、焚き口へ頭を突っ込んだ。


 畑は好きだ。

 耕す土の匂い。逞しく伸びていくさとうきびの幹。刈り取った後の空疎な場景。その向こうに見える海の輝き。

 この畑を一生、生かしていく。

 それが己れの務めなのだと矜持していた。

 しかし今、故郷を懐かしむ反面、神道に魅せられつつある。

 旦那様にのせられて半ば躍起に積み始めた修行だが、どんなに疲れた後でも、嫌気が差すことはない。旦那様の教示は井戸水のようにするすると、身に染みていく。

 旦那様のような陰陽師になれたら。

 旦那様のように疫病を祓い、神を祀ることができるなら。

 ただ見ていることしかできなかった、三年前の流行り病。桜疱瘡など、二度と村へ通しはしない。我が身で家族を、仲間を護れる。村を護れる。

 これほど誇り高き務めがあるだろうか。またこの使命を務められるのは、己れ以外にいない。

 

「ラク、ありがとう! よう蒸し上がっ────あははっ、お顔が真っ黒くろすけや!」

「もともと、地黒や」


 焚き口から顔を外す頃には、ラクの心は決まっていた。

 



 縁に戻ればまた気まずくなるかもしれんと、同意の二人は居間へあがる手前の式台に腰掛け、まんじゅうを頬張った。

 

「あつっ、あつ」

「妖しさん達、けえへんねぇ」

「はふっ、ほんまやなぁ」


 蒸篭の蓋を開けているのに、ひとつも無くならない。

 ラクは不思議そうな顔をして屋根を見上げた。家鳴り一匹、降りて来やしないのだ。

 盗られんようにとまるごと口へ放り込んだまんじゅうをはふはふ、歯でほぐす。

 ほろ、ほろと崩れる芋を飲み込めば、腹の中まで温まった。

 米粉と砂糖、ふくらし粉。

 砂糖をまぶした角切り芋を、ぽたぽたの生地をつなぎに蒸せば芋蒸しまんじゅう、鬼まんじゅうの出来上がり。

 

「……懐かしいなぁ」

「よう、おばさまが作ってくれたよね」


 しかし鹿の子が作る鬼まんじゅうは、母が作るそれより儚げでいて、上品だ。

 芋ひとつぶ、ひとつぶ形はあるのに、歯で崩すと、とろり消える。

 舌に残るのは、喉まで焼け付くような熱。


 百姓のおやつなんて、芋くらいしかない。糖堂家のお嬢様に下手なものは出されへんからと、鹿の子が遊びに来たときだけ鬼まんじゅうが出た。芋と米しかない、百姓の苦肉の策。もちろん、使うのは黒砂糖。

 見るのも飽きた芋が、ご馳走に変わった。

 自分も鹿の子も競い合って食べるものだから、ついていけない弟の(おきな)が慌てて口へ突っ込んで、口のなかを火傷させたものだ。

 わんわん泣くばかりで言うことを聞かない翁の口に、鹿の子は砂糖を流し込んだ。

 なんと、口移しで。

 思い出す度に、弟が恨めしい。


「さ、砂糖は万能薬やっ」


 今は恥ずかしいのか、鹿の子はまんじゅうと一緒に顔を膝へ突っ伏した。


「せやかて、あれはないやろ」

「翁ったら、何度言うても舌ださんし……舌の火傷は早よ治さなあかんでしょう?」


 砂糖のお陰で舌の火傷は軽く済んだが、明くる日翁は蚊に刺されで身体中が真っ赤に腫れた。ラクが悔しくて眠れないものだから、蚊帳の外へ追い出したのだ。それからも、しばらくは翁と遊んでやらなかった。

 爪の先ほどには、すまんことをしたと思う。




「好きやってんなぁ、鹿の子が」




 しみじみと、言う。

 言ってしまうと、じわじわと芋の甘みのように、愛しい想いが胸に染み渡っていく。


「好きや。ずっと、今も」


 言うた後で、ラクの頭にはふと月明の顔が浮かんだ。

 旦那様は俺を奮起させようと、わざと鹿の子を好いたふりをしていたのだろうか。

 しかし鎬を削ると、はっきりお稲荷さまへ言い放った、あの言葉に偽りはなかったように思う。

 鹿の子の菓子を失いたくない。本当にそれだけだったのだろうか。

 手のなかの鬼まんじゅうへ視線を落とす。

 

 俺達は、あの頃のまま。

 時間が止まったままだ。


「今どうにかなりたいとか、そういうんちゃうで。鹿の子が俺のこと兄弟や思うてるのは、知ってるから」


 鹿の子のお団子頭が、ぴくりと揺れた。


「習わしは、知らんかった。でもこの気持ちは、ほんまもんや。それだけは、覚えておって欲しい」


 鹿の子は顔を上げない。

 ラクは二つ目をかじりながら、喋り続ける。


「俺、陰陽師になって、村を守りたい。何年かかるかわからへんけど、立派な陰陽師になって、小寮頭になるって決めた。真面目に修行して、旦那様に認められて、村を下るその時……鹿の子の気持ち、聞かせてもらうから。その時まで、今まで通り幼馴染の御用人として、傍にいさせてくれ」

「…………」

「その頃には、鹿の子が泣いてせがむくらい、ええ男になったるからな」

「……らく」


 蚊の鳴くような声で名を呼び、そろそろと顔を上げた鹿の子は、何かを期待させるように、小豆顔を真っ赤に腫らせていた。

 まんじゅうごと食ったろうかと思うくらい、それはそれは可愛らしい顔で。

 ごくり、生唾を飲み込むラクであったが。


「ひゃけどひた」

「……そうか。砂糖はたんまりあるぞ、舌だせ」

「あけひぇん」

「そうか。口移ししかないな」

「ま、まっひぇ」

「兄弟や、気にするな」




 ──ピシャーンッ!




 ラクが鹿の子の顎を持ち上げたその時。

 裏庭の松の木に雷が落ち、その枝がかまどの中まで倒れ込んできました。



「……お稲荷さまがお怒りや」



 二度目となるお稲荷さまの戒飭に、ラクは胆が冷えた。


「お稲荷しゃま?」

「こらぁあっ」

「ひっ!?」


 どこからか怒号が鳴り響き、ラクにしがみつく鹿の子。

 がさかざと枝の隙間を縫い、戸口から顔を出したのは、とうさまのはんにゃ顔だった。

 

「きっちり一刻や、言うたはずやけどぉ?」


 それはそれは、童子なら泣いて逃げるほど、恐ろしいお顔。

 恐れ戦き、鹿の子の口がひらいた。

 鹿の子はばっ、とラクから離れると砂糖を山ほど舌にのせ、ごきゅごきゅと、ひや水で飲み下した。

 はんにゃ顔で思い出したのである。


「わ、わたひ、かまどへ戻ります」

「かまど?」

「忘れ物、思い出して」


 わらじをつっかけ、とうさまを放ったらかしに戸口を飛び出す。

 独り歩きは危ない、ラクが従おうと背中を追えば、鹿の子の隣にはいつの間にやら、唐かさが引っ付いていた。

 

「あれがおれば、大丈夫や」


 居間へ上がりながら、糖堂の旦那が言う。

 どこから持ち出してきたのか、その手には瓶子の紐が三本もぶら下がっている。


「お前はわしの酒に付き合い」

「はい」


 鹿の子が見えん妖しが、旦那には見えるのか。

 怪訝に思いながらも、旦那に肩を叩かれたラクは口のなかの砂糖を飲み込み、渋々内へと戻っていった。


「甘……」

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