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かまどの嫁  作者: 紫 はなな
こぼれ萩
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六‐ひや水

「ほんまにやりおった」


 迎え御膳をすませ、何時ものようにかまどへやって来た蔵馬はうでを組んで感心した。

 母家と拝殿を繋ぐ渡り殿、その奥はかまどと虫の拠り所、庭師も見て見ぬふりの荒れ果てた庭林であった。それらは総て刈り取られ、今では渡り殿と並列し見事な邸が建てられている。よくそんなもんまで造る余裕あったなと、蔵馬が唸ったのは、渡り殿と邸の狭間にある壺庭だ。敷き詰められた白い石庭には細い川が弧を描きながら渡り殿の下を流れ、境内の溜め池まで繋がっているではないか。

 その壮景に忍んで佇む新たな建築物は表敬に訪れた皇族をもてなすために建てた貴賓室であろうと、行き交う参拝客は羨んだものだ。


 これらは総て、三日に一度のかまど休みに造られた。


 細かくいえば、前日の朝から今日の朝まで正味三日二晩。たったそれだけで、宮大工は建てた。

 納戸と、鹿の子の御寝所とその庭を。

 とんてん、かんてん、寝る間も惜しまず。団子の孝行やと、その身を削って。

 わしも真面目に働いた甲斐があった。

 鹿の子は朝一番にこの邸をみて、さぞ喜んだに違いない。今の鹿の子を見透してみれば、小豆顔をしわくちゃにして笑う姿が表れた。

 邪魔はよそうと頬にたくわえた羊羮を噛み砕こうとした、その時だった。


「蔵馬っ、おはよう! 会いたかったっ」


 鹿の子が上機嫌にぴょんぴょん跳ねて袂を握ってくるものだから、蔵馬は口をとめ、足を止めた。

 しわくちゃに笑ったんは、自分に向けられたものやったんか。「会いたかった」その言葉を何度も頭の中で反復させる。それだけで、天にも昇る気分になった。

 

「わ、わ、わしも、会いたかったで」

「食べたかったの間違いでしょうに。だったら、どうして東の院にはけえへんのですか?」

「それはやなぁ、あれや……わしも、忙しいねん」


 鹿の子が充分な休息をとれるように、普段妖し等には盗み食いを我慢してもらっている。頭が空っぽな家鳴りや小鬼は別にして。

 なんや可哀想やなと思うてたらそれが今、かまど休みになると久助のもと、妖し等は盗み食いではなくきちんと分配されて、しっかり鹿の子の菓子を味わうようになっている。

 そりゃあ団子を焼くにおいや焦がし醤油のにおいは気になるが、温かなその情景を我が身の介入で乱したくない。

 蔵馬は自分の罪を苛むあまり、外へは出ても心の殻に籠るようになっていた。

 やっぱり何か事情があんねんなぁと心を汲んだ鹿の子は、それ以上追求することはしない。


「遅くなってしもたけど、団子まるめてもらったお礼、させてください」


 そう言うて、鹿の子は東の院別邸、かまどの茶室へと蔵馬を招き入れた。

 壺庭を望む縁側、薄桃色の縁で彩られた翠簾が垂れるその内部は驚くことに、本式の書院造りを間取りにしている。かまどは納戸を介し、邸の水屋へ直結しており、もてなしを欠くことはない、行き届いた造りだ。客人用にしっかりとにじり口まで備わっている。その小さな戸口へ誘われ、しゃがみこんで内へ入ると、これはまた小ぶりながらもしっかりと調えられた茶室が現れた。床の間には上流貴族がたしなむような掛け軸が飾られており、生花はもちろんのこと書院には秋桜が散りばめられた障子が嵌められている。これらは総て四季に合わせ替えられるのだろう、月明の熱の入れように蔵馬は膝を退けた。

 鹿の子は颯と炉の前に座り、何も言わずにこにことこちらの様子を窺っている。


「わ、わしは作法なんて知らんで」

「好きにしてください。わたしもまだどう扱うてええやら」


 そう言いながらも、蔵馬が適当に腰を据えると決まりごとのように流麗に一礼し、水屋へと消えていった。

 なんや茶室に入った途端、鹿の子の居住まいから小さな仕草、雰囲気まで人が変わったように思う。果実が熟したような、芳しい姿に蔵馬はどきどきと胸を鳴らせた。きっとこの茶室の奥の間には、華やかな几帳で囲われた御寝所があるのだろうと、十五歳らしい邪な妄想を繰り広げながら。

 そんな想いは露知らず、鹿の子は我が道をゆく。


「あい、どうぞ」


 出てきたのは練り菓子でもお抹茶でもない、ひや水であった。それも掛け蕎麦一杯入る、おおきな白い茶碗にたっぷりと。


「へ、こういう時て、苦い抹茶が出てくるん違うんか」

「飲みたかったら、淹れますよ? んでも今日はまだ暑いし、このあと勧めるにしても、麦茶やな」


 苦いのは酸っぱいより大嫌い、蔵馬はぶんぶんかぶりを振って、茶碗をつかみとった。作法がいらんなら飲みきるまで。茶碗の縁に口をつけて、ようやくその存在に気付く。

 からん、と顎に落ちてきたのは、朱色のさじの柄。茶碗の底に沈んでいるのは、囲碁の駒のような、白い餅。


「食べてよし、飲んでよし、好きによし」


 ひや水を喉に流し込んでる間に、また鹿の子は水屋へ消えていった。

 餅が食べたくて一旦茶碗から唇を離した蔵馬は、口に残った甘味に思わず「おぉ」と吠える。

 じんわり、舌に広がる芋の味。

 御饌飴だ。

 水に御饌飴が溶かされている。

 柄杓ですくった湧き水が、甘かったらなぁ。

 そんな子供の頃の夢が、叶ったように甘く、きんきんに冷たい水だった。

 次は団子やと、さじでひとつすくい取り、水といっしょにつるんと啜る。


「ああ、こりゃ、たまらん」


 なんという舌触り。絹をなめているようなすべらな餅はしっとりと甘い水を纏っている。

 やわやわと儚げでいるのに、舌では押し潰せない。歯切れはいいのに、もちもちとした感触は絶えることがない。噛んでも、そのまま飲み込んでも美味しい。また水といっしょに食べると一層、冷たさが餅の食感をひきたたせた。


「はじめて食べた、こんな美味い餅」

「他の形では何度も、御出ししてますよ。蔵馬が好きな鹿の子の餅も、この粉を使ってる」

「しかし、全く別物や」

「そりゃそうや。同じ粉でも蒸したり茹でたり、熱の入れ方によって様変わりする。これは白玉言うて茹でた団子やねんけど、たねがゆるいから御饌にはだされへん。だから今、ここで御出ししました」


 徹夜で気張った宮大工等にも振る舞い、見送った鹿の子であったが、蔵馬にはもう一皿ある。水屋から運んできたのは二種の付け合わせ。


「右はこし餡、左は杏練りや。白玉につけて食べて」

「なんやてぇ!」


 蔵馬はあんこを見るなり皿に飛び付き、さじですくいとった。そのまま味わいたいところだが、ここは鹿の子の教え通り、あんこの上にちょこんと白玉を乗っけて、ぱくり。


「う、美味い……っ」

「あんこ言うても、羊羮用に炊いた残りですよ」 


 炊きたてには違いない。

 月明が選んだ小豆は悔しいことに、濾して尚美味しい特選品。

 白玉を噛めば噛むほどもち米の旨味が、ねっとりとした餡に馴染んでいく。

 じんわりと後味を楽しみ、ひや水でさっぱり洗い流したら次は杏だ。とろとろ艶めく黄金色の蜜を、たっぷり白玉に絡め口へ運んだ。


「これは、また」


 別物だ。

 もぎたての杏をまるごとかじっているような、なんという果実感。

 鹿の子の作る杏練りとは、初夏に作りおきしていた杏の砂糖漬けを、とろみがでるまで煮詰めたものだ。練り入れた干し杏が果肉を担っている。


「どう?」

「うーむ、悪循環やな」

「ふふっ、よかった」


 文句を言いながら、あちこちさじを潜らす蔵馬を、鹿の子はにこやかに見守った。

 杏で口のなかが爽やかになると、あんこが欲しくなる。杏でさっぱりしたら、またあんこ。あんこがまた、杏によく合う。最後はいっしょにかっ込んで、どんぶり一杯の白玉を平らげた。


「美味かったぁっ、ごちそうさん」


 飛び跳ねたら、ぽちゃぽちゃ音がなりそうなほど、ひや水でお腹いっぱい。迎え御膳などいらんから、毎朝これ出してくれへんかなぁ。

 太った腹を撫でながら蔵馬はよろしくと、口を衝きそうになった。

 きれいになった茶碗と皿を下げに、鹿の子はまたにこにこと水屋へ消える。

 蔵馬は知っている。

 鹿の子は今日、いつもより一刻早くかまどへ立っている。

 邸見たさ故と思っていたのに、まさかひや水を作るために早起きしたのだろうか。

 ひや水だけではない。わざわざすずし梅の仕込みを終わらせてまで、あんこを避けといてくれた。杏も練りというくらいだからきっと、時間がかかっている。

 なぜ、ここまでのもてなしができるのか。

 蔵馬には全く解せないことであった。

 神々は生きる総てのものに平等ではいられない。運命を操ることはできない。

 その代償に、供物を対価に願いを叶える。供物にみ合う願いを。

 陰陽師はそれを、等価交換と言った。

 神とて命は救えぬ。運命には抗えぬ。だからこそ、対価を払うのだと。

 団子をこねた対価に、このひや水は大袈裟すぎる。

 麦湯をもってきた鹿の子に、蔵馬は問うた。


「団子まるめるの手伝うたくらいで、なんでこんなに手のかかる菓子を、わざわざわしに食べさせんねん。それも、旦那より先に」


 蔵馬が発した「旦那」を耳にして、鹿の子は明るい笑みに影を落とした。

 

「旦那様には、感謝しています。納戸だけでなく、こんなに豪華な茶室や御寝所まで調えてくださって。感謝しきれないほどです」


 しかし鹿の子は心から感謝しきれない様子で、悲愴感を漂わす。その理由ならば手に取るようにわかる。

 西の院の御用人が神隠しに遭うた。この事件を過去へと押し流し、噂話は一夜にして移り変わった。


 当主の月明が母家に新たな花嫁を囲っている。


 その姿は日夜現れることがなく、お付きの下女と御用人以外、顔すら見たことがないという。御寝所に籠りきり、言葉通りのご寵愛であると。

 それに比べてかまどの嫁は金がかかるばかりの側室不相応と、鹿の子は朝っぱらから雪にいびられていた。巫女には境内に出てくるなと戸口を大きなかめで塞がれ、閉じ込められた。すぐにぬりかべにどかせたが、どかせたかめがころころ転がって、中身の灰がそこらじゅうに飛び散り、境内の石畳は真っ黒。巫女は総出で掃除、またひとつ鹿の子は恨みを買ってしまった。


 まあ後半はぬりかべに託した自分に責任があるが、月明が女を囲って鹿の子を悲しませているのは誠のこと。

 今夜また枕元に立って悪い夢みさせたろと、月明の憎たらしい美顔を思い浮かべた。ちなみに昨夜、草履を買ってやらなかったことを罪に既に一度、月明は魘されて寝ていない。

 しかし鹿の子は顔に落とした影を、すぐに退けた。


「んでも、わたしは蔵馬を最初にお招きしたかったんです」

「……わしを?」

「蔵馬の美味い、を聞くと作ってよかったって思える。誰の美味い、よりもなんでか、一番嬉しく感じるんです」

「誰よりも? 旦那よりも、か」

 

 その問いかけに、鹿の子は口許へ人差し指を添えた。


「内緒やで? わたし今、すっごく幸せなんよ」


 身体を冷しすぎたんか、寒いぼでてますよと、ほんまに幸せそうに首を竦めながら、湯気のたつ麦湯を畳縁の前へ置く。

 茶碗を取ろうと伸ばした蔵馬の手は、鹿の子のいう通り鳥肌がたち、微かに震えていた。

 寒くはない。


「負けたわ……」


 自分が菓子を味わう。

 それが一番の鹿の子の幸せというのなら、蔵馬は到底、鹿の子を殺せやしない。嫁になどできない。


 畳縁を挟んだ向こう側の鹿の子は、決して手の届かない高嶺の花になってしまった。


 うち頬にはりつく最後の白玉。

 蔵馬は目尻に浮かぶ涙を隠すように、温かな麦湯で流し込んだ。



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