三‐観月(月明)
風成という豊かな土地は一神四獣の庇護にある龍穴である。龍穴とはあらゆる神々と生命が集まりし、栄えるべき土地のこと。世界に数えるほどしかない龍穴のなかでも風成は風水の均衡がより保たれており、それはお稲荷さまを中心に東西南北を聖なる四神獣が門をかため、あらゆる厄や災いを退けているからだ。それらを祀る陰陽師家は国の柱。風成に風が吹かぬとも清らかであるのは、地下の龍脈を保つ陰陽師家あってこそ。その龍穴の領主、お稲荷さまのご先祖を国のお飾りとして、王朝国家の玉座へ熨し上げたのもまた陰陽師家。神を、主上を祀り国を統治する。
その頂点こそが宗家現当主の小御門月明である。
陰陽師宗家当主にして陰陽寮長、風成国王陛下に仕える侍従長。
朝廷において、その務めがいかに愚かで時間の無駄か、知るものは少ない。
二十歳で先代を亡くし五年、若くして当主の座についた月明は、その若さゆえに祖先の愚かな過ちを誰よりも疎み、嘆き恨んでいた。
*
朝廷とは皇族のすまう皇居であり、執政の場である。主上をお稲荷さまのようにまつりあげ、広大な敷地に保守派の貴族が詰め合っている。山に囲まれた土地に建つ更なる囲いは格差社会の象徴というべき高い敷居だ。では、その囲いのなかでどんな政をされているのかと問われれば、国資浪費である。
言葉は悪いが、生産された物資をいかにどのようにして遣うか定めるのも官職の務め。例えば米が豊作なら、酒に餅に残さず消費しなければ翌年の米の価値が下がり、生産者が苦しむ。そのため思いきって朝廷へ垂れ流し、国民には並行線を辿ってもらう。王朝国家らしい、このずさんな愚策を風成では千年もの長き年月、繰り返している。いかに租税収取を確保するか。その算段なる務めは三位以下の貴族の仕事であり、皇族や便々たる陰陽師はあたまを空っぽにして、今日も酒に女に享楽を尽くすのだった。
「ちょっ、みた? 今の女御ものすご可愛いかったで。げっつみた?」
お国の頂点、主上ともあろう御方が、王廷の高御座から顔を突きだして、絶賛お月見中の女人をやらしく見定めている。
ちなみに「げっつ」とは月明が主上につけられた陳腐極まりない愛称であり、決して塀の外へは出したくないものである。
「あちらのご婦人は藤宮家の御正室、葵の君ですね」
「人妻か。もえるな」
「不貞に燃えないでください。後宮は満員御礼です」
「げっつ、縁結びしてよ。得意やん」
「お断りします」
「おねがい」
「いやです」
「仕事せん男やな、陥落させるぞ」
「皇后様に言いつけます」
「後生やからぁ。さては貴様きゅうちゃんやな、げっつ何処いった」
すがり付いてきますが知りません。貴方様の崩御は三十年先ですので、後生は受付外です。
ちなみに「きゅうちゃん」という漬物のような名は久助につけられた可愛いらしい愛称であり、これもまた塀の外には断じて出したくない門外不出の名である。
久助が興味をそらそうにも主上には常、媚売り貴族が集り、要らぬ参謀を巡らす。
「主上、葵の君は後宮宮司ですえ」
「執筆に上がらせますか」
人の強欲に吐き気を覚えながら一頻り聞き入れると、口直しに鹿の子さんに会いにいきますかと久助はさっさとかまどへ消えた。消えたその先で音頭をとるとは、思いもしなかったが。
刻は遡り、十五夜の昼日中。
主上のお守りにうんざりの月明はせめて宴くらいは暇が欲しいと、高御座から死角にある西向きの釣殿にて白い月を肴に酒を楽しんでいる。
隣に座するは渦中の藤宮左近であり、月明の旧き友だ。
「葵さん、明日にでも主上に食べられますね」
「為方ない。食べて美味い、いい女だからな」
「ほう、ずいぶんと余裕のある」
「お前のことだから先に手をまわして、縁を切っといてくれたんだろ」
「はて。私は主上の侍従、左近と葵さんの縁を切っているやも」
「ならば、今夜にでも肌で確かめてやるさ」
この様子では、わざわざ縁を結んだり切ったりしなくとも安泰であった。要らぬ世話を焼いてしまったものだと、月明は自らの盃に酒を満たした。
左近は互いに十五で朝廷へ上がった同期もんだ。馬面で気儘な左近に、美しくも生真面目な月明は器量も性格も相反するが、不思議と気が合い、知らぬまに肩を並べていたりする。今は身分が違えど変わらず仲がよく、気遣いもない。
そんな親友には初顔合わせの時、既に正室がいた。幼馴染みでいい女なんだと馬面に鼻をのばして言うものだから笑ったものだ。それから十年の長い付き合いになるが、一度や二度の浮気をのぞき、葵一人に愛を注いでいる。
「ご寵愛も程々に」
盃を煽りながら、空に浮かぶ一筋の雲糸を辿る。かまどの嫁は今日もよう働くと、なんとなく、切な気なため息を溢した。
いやぁ、色っぽいなぁと隣でため息を重ねるのは左近である。
宮中の女人という女人がその美しい横顔を肴にしているというのに月明という男、家の外を歩く女には見向きもしない。
親しき友は恋を忘れた男。憐れに思い、幾度となく似合いそうな女をひき合わせたが、冷徹に追い払うだけ。世界三大美女が名前を呼んで手招きしようと、空から羽衣天女が降ってこようと、手を広げないだろう。
友の世話焼きが終わった月明の話の矛先はいつも政と家督である。つまらぬ話も今日は聞いてやるかと、左近もまた盃に酒を満たした。
「慈善事業は進んでいるか」
「ああ。西は滞りなく順調。東は煽れば、めきめき育つ」
「東といえば、かまどの嫁か。神が恋敵とは難儀な用人だな」
「神を説き伏せるほど、強い男だ」
「その熱の入れようは、跡取り候補か」
「いや、それは流石に周りが五月蝿いからな。いずれは朱雀の向こうに遣わそうと思う」
左近のいう慈善事業のひとつが、御用人や奉公人への陰陽道伝道である。
風成の王朝制度は他国に無慈悲だ。
特に近隣の国々は僅かな税金で物資をむしりとられ、枯渇状態にある。決して対外政策などではない、自給自足に努めようにも、盆地ではさとうきびが育たない。魚は鮎しかとれない。返済しようにも風成は山々に閉ざされた国、輸出できるものは限られ、単価も高い。
次善策として国外の領主を国司に呼んだが、逆効果に終わった。国司は居心地の良い風成に居座り、結果残された古参貴族が領地を支えきれず没落していったのだ。風成が王都と呼ばれるのは悲しきかな、外の貴族が消滅した由縁である。その末裔も千年の時の流れで足跡もなくなり、今では刀で土地を切り拓いてきた豪族や糖堂家のような在郷商人が頭領として名を馳せている。朝廷には朱雀、青龍共に風成の傘下にいれようと目論む者もいるが、貧しい土地を配下に置くほど財政に余裕はない。国を広げれば当然、その先にある国と揉めるだろう。
風成において争える軍力など皆無に等しい、近衛中将である左近は心うちで自嘲した。
そこで月明が考案した密かな政策が平民への伝道である。
風成の陰陽師が疫病神や鬼火の群れを退ければ、それらは皆近隣の貧民窟へ根を下ろす。ちいさな村など一瞬で潰滅する。それを救うのもまた陰陽師の務め。
山向こうに小寮化した陰陽寮を点在させれば早くに民を救える。情勢を把握し、豪族同士の争いを食い止められる。その地に見合った神を祀れば五穀豊穣、土地が肥えれば民も肥えるというわけだ。
だが高潔な風成の陰陽師はそう易々と腰を上げない。外の継承者には地位も名誉もない、そう、側室についてきた御用人なんてのがうってつけだ。陰陽師家系の血は然程問題ではない。幽鬼彷徨う境内で往来を繰り返せばいやでも神道が見えるようになる。必要なのは厳しい教示に堪えうる体力、実直な精神と適合力があれば、自ずと道は拓けるものだ。
平民が平民を護る。聞えはいいが師となる陰陽頭、月明に逆らう弟子はいない。これを知る少ない同朋のなかには穏やかな侵略だと蔑視する者もいる。陰陽寮を拠点にじわじわと民を掌握し眼下をひろげ、やがて朱雀青龍共に風成の防壁として操るつもりなのだと。
しかしその経緯をずっと傍で見届けている左近だけは「慈善事業」と呼んでいた。
「継承者には私にも心当たりがある。そいつ以外にもどうだ、今から見にいかないか」
「左近が珍しいな、いいだろう」
月明の名を持ちながら観月の宴もそこそこに、二人の男は朝廷を早々と下った。
*
左近という男、女のように寄り道が好きで、わざといりくんだ小路を選び、遠回りをする。すれ違う童子と同じように煎餅をばりばりかじりながら、蒼然とした佇まいでわざと花街を通る。
進むべき路を知らず、女に囲まれ立ち往生する月明をからかうのも一興だが、男慣れした遊女が月明を誘い込むこともできず、ぼうと見惚けるその顔が面白い。女はどんなにやさぐれても心は乙女だと微笑ましく思う。左近とはそうやって日々を楽しむ、子供のようで老心をもつ、ひねくれた男であった。
わざわざ店へ出向いてまで月明にその女を紹介したのも、遊び心あってのことだ。
その女とは薪問屋の鳴海屋に住み込みで働く、七瀬という名の奉公人だ。主に主人の身の回りの世話をしているが、時にはわざわざ客のもてなしに呼ばれるほど小綺麗な女である。
これまた薪屋にしては煤汚れひとつない綺麗な客間で、七瀬と顔を突き合わせるなり月明は顔を沈鬱とさせた。
「どうだ? この界隈では陰陽師様をしのぐ霊能者と噂されている。なんでも火事や病を先読みしたとか」
「……ふむ」
ならばこの家の屋敷神はみえるかと、虚空を扇子で示す。七瀬はついにこの日がきたと武者震いをおこしながら、こくりこくりと頷いた。猿芝居を見物し含み笑いを溢すのは仲介人である左近だ。
月明は憎らしい友の首根っこを掴み、一度店をでた。
「下手人を捕らえたいなら、奉行人に見張り番でもさせておけ」
「おや、あの女が自ら火を放ったとでも? 予知はまことだ」
左近の目の行き先を探れば、向かいの店先で若い娘さんがちらちらとこちらの様子を窺っている。
「あの娘は」
「おっと、ご明察。鳴海屋の娘さんだよ」
百姓出の七瀬は巫女を目指し王都へあがったが、保守派である陰陽師家がそう易々と余所者を門下にいれはしない。望んでいない奉公先で偶然出逢ったのが鳴海屋の一の君、小薪であり、いつしか小御門へ拝みにきたえんどう豆の君である。
小薪には生まれつき予知能力があった。
こうした異能は珍しいと、ごくたまに迎え入れがあるものだ。小薪の場合、可愛い娘を巫女にだしたくない主人が能力を外に広めないようにしていた。
しかし同じ屋根に暮らしていれば、小薪の予知能力は言わずとて知れてしまう。それを口のうまい七瀬がひっそりと聞き出しては周りに喧伝し、己のものにしていた。当然、主人には筒抜けだ。
娘がいい出汁に使われて、黙って見ていられない。薪屋の主人に相談されたのが左近である。
もちろん聞いた当初の左近は七瀬に暇を出せばいいではないかと突っぱねたが、薪屋は薪を百姓から仕入れるものだ。百姓仲間に悪い噂を広められでもしたら、薪が手に入らなくなると泣き付かれた。
そこで思い浮かんだのが月明のきれいな顔。七瀬を小御門家へ一旦預け、即刻破門で風成から追い出してやろう。そう算段したのである。
だが遊び心が混じった算段ほどうまくいくものはない。運命は捻り曲がり、ややこしくなるものだ。何よりお稲荷さまが小薪の願いを叶えてしまったのだから。
「左近もよっぽどの慈善業者だ」
そう吐き捨て、月明は店へ戻らず娘の元へ向かった。
何を企むと、焦ったのは左近だ。
月明に肩を抱かれ、耳打ちされた小薪の顔は牡丹のように真っ赤に染まった。
「お、おい、なにを?」
「娘を嫁にもらう」
「はあ?」
砂糖売りの次は薪売りか。そのうち菓子屋が開けそうだな、と月明は人形のようにうっすら笑った。
確かに薪売りは似合わぬ美しい娘さんだが、しかし。天女に振り向かない男がなぜ町娘の肩を抱く。
「おいおい月明はやまるな、お前の大奥は東西南北埋まっとるじゃないか」
「じきにひとつ片付くさ」
「片付くって、おいっ」
あんぐり大口あけた左近を放ったらかしに、小薪の肩を抱いたまま暖簾を潜る。
疎ましい奉公人はいなくならず愛娘を連れていかれ、この日鳴海屋の主人は腰を抜かし、一晩寝込んだそうな。




