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かまどの嫁  作者: 紫 はなな
こぼれ萩
12/120

二‐観月(夜)

 逢魔が時。

 まる一日参拝客の願い事に耳を貸し、ぐったりと疲れた蔵馬。

 かまどへむかえば、なんとまあ一畳一間の土間に足の踏み場なく妖しが並んでいるではないか。それだけではない、みんなしてせいや、せいやと団子を丸めている。敷居を跨ごうとすれば、米俵半分をすりこぎですった褌担ぎが疲労困憊で横倒れ、塞いでいた。その異様な情景に、蔵馬は狼狽えるしかない。

 あれからラクは砂糖をかまどへ届けた後、たまたま顔を出した久助をひっ捕まえ、後の始末を託していった。米担ぎに薪割り、神職見習い、仕事が山積みになっていたからだ。状況を飲み込んだ久助は水を運んだり、山芋をすったり細々かまどを手伝っていたが、鹿の子が団子のたねをこねている間に日が陰りはじめ、これでは間に合わないと小御門総会へ声をかけた。今かまどでは日頃の恩返しとばかりに、妖しが手を動かしている。

 蔵馬は唸った。人手は集まったようだが夕拝まであと半刻もない。

 いつになく手の動きが速い鹿の子に、蔵馬は朝みた雪の嘲り顔が頭に浮かんだ。陰で悪さしたに違いない。今日こそはあの女狐にもの言うたると踵を返すが──。


「蔵馬も手伝って!」

「はぅっ」


 鹿の子に手首を掴まれた蔵馬は気勢を削がれ、かわりに言い知れない快楽が電流のようにびびびと流れた。

 周りの妖し等は隣同士で顔を見合わせる。

 お稲荷さまがご自身で御饌を作るなど、前代未聞のことである。団子をこねていた米とぎ婆や雪婆、久助が集めに集めた婆さん達の、しわくちゃくちゃな手が一斉に止まった。


「手伝うやて?」

「お願いっ、時間ないねん」

「なんで、わしが」

「お願いっ、お願いっ、このままやとわたしの分がないんですっ」

「鹿の子の?」

 

 せっかくのお月見、わたしも食べたいと鹿の子にせがまれた蔵馬はすんなり腕まくりをした。

 参拝客の願いを聞き入れて、好いた娘の願いを無下に断ることなどできない。


「蔵馬にはわたしが丸めたやつあげるから。交換こね?」

「こうかんこ?」


 こうかんこ、こうかんこ、と鹿の子は団子を手で転がし、これはお稲荷さまの、これは蔵馬のぶんと、どんどん転がしていく。どちらも同じ腹に収まるとは知らずに。


「こうかんこ……、へへ」


 おぼつかない手つきでだんごのたねを取りながら、蔵馬は嬉しそうに目を細めた。

 それを御出し台の上から見守っていた久助はにっこりと破顔し、はいはい急いでくださいよ、と拍手で音頭をとる。

 夕拝まであと四半刻。


「みなさん、ありがとうございました! あとは茹でるだけですっ」


 鹿の子は嬉しかった。

 妖しの姿は見えなくても、丸められていく団子は見える。みんなに助けられて、こんなにも賑やかで。もう独りきりじゃない。

 鹿の子と妖しをひき合わせたのは久助だ。

 久助さんに感謝せな。

 そう思うて御出し台を見上げれば、久助がこちらを見ているではないか。目が合うた瞬間、綺麗なお顔でにっこりと笑うものだから、また鹿の子の心臓はばくばくと跳ね上がった。

 いけない、とぶんぶん頭を振り、白濁してきた湯へ視線を戻す。


「できた……っ! 唐かささん!」


 そう明後日に向かって叫びながら、釜からひょいひょい団子をすくい、御出し台へ広げていく。

 なんにも手伝えず、しょぼくれていた唐かさが名前を呼ばれ、隅から「うひゃあ?」と傘をだした。


「もう御出しする時間です、唐かささん!」

「唐かさっ、はよせぇ!」

「扇いでっ」

「うひゃぁああっ!?」


 風の吹かない風成。

 このときばかり、かまどには突風が吹き荒れ、団子にはまるで真珠みたいに、それは見事な照りがでた。

 七歩蛇の目玉よりずっと綺麗やと、蔵馬は涎を垂らす。


「久助さん」

「はい」


 配膳に向かう巫女が回廊の曲がり角を曲がる直前、久助は月見団子が積み上げられた御饌皿を掲げ、颯爽と拝殿へ消えていった。



「はぁあ……」

「うひゃあ……」


 どうにか間に合った。緊張の糸がぷつんと途切れ、鹿の子はへなへなと土間にへたりこむ。土間の土に手をつき、指先に見えるのは七歩蛇のぎらついたおめめ。


「きゅうぅ、ぱたん」




 *




 鹿の子が目を覚ましたのは、まんまるお月様がかまどの真上にぽっかり浮かぶ頃だった。針を刺すようなぴりぴりとした痛みが手の表裏全体に這う。

 

「かゆいー」

「お疲れさん」

「ひゃっ」


 ラクに冷たい手をほっぺたにひっつけられ、しゃきんと起き上がる。

 鹿の子が横たわっていたのは、納戸の資材である畳。木材をその場しのぎの土台にして、裏庭の自然林に敷いている。新しいい草の香りを吸い込みながら、鹿の子なりに大きく背伸びをした。

 周りを見渡せば同じく納戸の資材であろう木板を椅子に、宮大工が揃いに揃って月見に団子をほおばっている。うま、うまと舌を鳴らせて。


「ほれ、酢水や」

「ありがとう」


 ラクが膝に置いてくれた桶に手を浸す。山芋を混ぜた団子のたねは、こねると後から痒みがでる。肌の弱い鹿の子は昔から、山芋を擦るたびに真っ赤に手を腫らせた。しかしこうして酢水にさらしておくと、自然と痒みが和らぐ。


「覚えてたんやね」

「忘れるわけないやろ」


 隣にラクがどかん、と座り畳が沈む。

 口に団子を放り込む、武骨な横顔が昔と変わってなくて、鹿の子はしんみりと、子供の頃を懐かしんだ。


 六年前──、鹿の子が十二歳の頃。

 とうさまと喧嘩して家出した日がちょうど観月。十五夜のことだった。月明かりは明るくても、夜道は誰も通ってなくて、野良犬の遠吠えやふくろうやら、もう怖くて怖くて、隣の村まで足を延ばすつもりが、直ぐにラクの家に飛び込んだ。

 そこでみたのが、家族みんなで団子をこねる風景。

 だんご粉のような精粉は百姓がそう易々と買える代物ではないし、米粉で充分美味しいお団子が作れる。ラクのおばさまに教わったのが、山芋入りの月見団子だった。山芋がもち米の代わりにつなぎになって、もちもちした団子になる。いい山芋を使えば普通のだんご粉を使うより、下手したら美味しい。土みたいにこねて、丸めて、団扇をはたいているうちに涙はとまっていた。ラクと、ラクの兄弟と足並べて、月見団子を頬張りながら縁側でお月様をみる頃には、その美味しさに負けて笑ってたと思う。家に帰りたくないなぁ、このまま縁側で寝てしまおうか、なんて考えていたその時。


 ──辛いことあったら、団子といっしょにのみ込んでしまい。

 

 家出した理由はなんも訊かずに、お月様見上げながら、ラクの横顔はそう言うた。


「懐かしいなぁ」

「団子食べて泣き止んだ思たら、手がかゆなってまたぎゃんぎゃん泣いたよな」

「言わんといてっ」


 ラクの袖にぺたんと手を添えれば、もう痒みはひいている。


「人の着物を手拭いにするな、酢臭くなるやろ」

「ふふふ」


 なんで家出したんや。

 そうラクに尋ねられたとして、わたしは答えてたやろか。

 まだ少し腫れた赤い手をお月様に掲げ、月明かりを透かした。


 ──ラクは、あかん。はよに諦めなさい。


 宴の席でとうさまから、唐突に言われた言葉。

 糖堂家は曾祖父の代から続く大店。村の長として名を馳せているが、もとは百姓出身の在郷商人。昔は村のみんなと一緒にきび畑を耕していた身分だ。だからこそ村の百姓はみな糖堂家に信頼をおき、働いている。家のなかで暮らす奉公人もまた百姓上がり、数は恐らく小御門家より多い。しかしこれだけ百姓と繋がりが深く、親しくしているというのに、ラクという存在だけは毛嫌いした。ラクへは嫁にやらん。百姓を家に上げておきながら、百姓の息子には嫁がせんという。長女は官位ある貴族家へ嫁がせる。これだけは鹿の子が産まれたその日から決まっていた。

 在郷商人の意地でも誇りでもない。名も国境もなき村には、とても大切なことだった。

 なにせ糖堂が抱えているのは、砂糖。金銀より高い砂糖を我が手に納めようと、侵攻を企てる豪族は多い。しかし在郷商人と百姓しかいない村には、柔腰の村民と鎌や斧しかない。武力をもって攻めいれられでもしたら、ひとたまりもないだろう。

 貴族と血縁で繋がることで糖堂家に称号が与えられれば、正式な所有権をもち、村を統轄できる。鹿の子が風成の公家に嫁ぎでもすれば、国が後ろ楯となり、豪族から村を守れる。

 鹿の子だって理解していたつもりだった。

 嫁入りまで──、そう決めていたからこそ、ラクの家に通っては一緒に遊んだり、おばさまのお手伝いをしていたのに。

 お月見以来、菓子作りに花嫁修業、お稽古ごとまでみっちり入れられて、家から出られず、ラクとはすっかり会わんようになってしまった。

 とうさまに命じられた通りに、鹿の子はラクを諦めた。諦めるのは簡単だった。ラクの周りにはいつも、村娘がひっついていたから。

 次第に鹿の子はラクへの恋心を胸にしまい込み、未来の旦那様へ憧れるようになった。


 ラクに惚れるのは娘だけではない。

 生真面目なその人柄を見込まれ、十五歳を過ぎたあたりから、同じ百姓家から縁談が来るようになった。百姓家だけではなく、名ある家から婿入りの縁談までが舞い込んだ。時には青龍山の向こうから、うちの娘がどうしてもと、知らせが来たものだ。

 それを全部はねのけて、ラクは鹿の子についてきた。

 だからといって、なにか期待したわけじゃない。

 鹿の子は、陰陽師家の側室。

 ラクは御用人。この隔たりは以前よりずっと高い壁となって二人を阻んだ。

 ラクには都会で更に男を磨いて、可愛いくて気立てのいい娘さんと、幸せになって欲しい。鹿の子は心からそう思う。


 思うてるのに──、わたしはかまどの嫁。

 側室らしい振る舞いはひとつもできずに、どんどん隔たりがなくなっていく。子供の頃に、戻ったみたいに。

 なんや、宙ぶらりんや。

 わたしも。ラクも。


 ──こんなんあかん、諦められへん。


 氷室で聞いたラクの言葉を思い出すたび、胸の奥の奥のほうで、何かがうずく。



「今日のお月様は、おっきいなぁ……」



 久助さん。

 世の中、うまく回らないこともあるようです。

 鹿の子の手に透ける月明かりは、ぼんやりと瞳のなかで滲んでいった。




「ところで、なんで桶がいっぱい並んでんの?」


 鹿の子の横一列に、酢水が入った水桶が並列している。


「あの山芋、あくが強かったみたいや」


 妖怪て、肌が弱いねんなぁとラクは虚空に手を置いた。まるでそこに誰かが居るみたいに。実際、火消婆が険しい顔をして手をかいている。


「ラク、妖しさん、みえるの?」

「ああ、みえるし、話せるで。今日みたいなことあったらいつでも手伝うて──、山芋以外は、やて!」

「まあっ、あはは! わたしも当分、見たくないっ」


 ころころ笑い合う二人。

 その周りを囲うようにして揺れる下草。笑っているのは二人だけなのに、なんでか騒がしい。

 月見に飽きた宮大工の男衆は、その情景を不思議そうに眺めていた。




 *




「よろしいんですか」


 まるめた背中に哀愁貼り付けて、母家の屋根瓦に腰をかける蔵馬。その後ろ、月光を纏ったように衣裳を輝かせた月明が悠然と立った。

 渡殿を挟んだ向こうでは、当主が屋根から見下ろしているなどと思いもせず、鹿の子とラクが肩を並べ、楽しそうに笑いあっている。

 蔵馬はそれを我が身のように温かく、静かに見守っていた。


「だって見てみいや、鹿の子のあの顔」


 毎日釜と睨めっこで口数の少ない鹿の子が、声にだして笑ってる。

 蔵馬は御天道様を先読みして知っていた。夕拝が終われば鹿の子はラクと観る。澄みわたった空に灯る、百年に一度のこの大観月を。

 はじめて聞いた。鹿の子の笑い声。だから邪魔はしない。外からの見物でいい。


「お前こそ、ええんか。月明なんて名前で、独り寂しくこんなとこおって」

「独りではありませんよ」


 蔵馬が月明の足下を覗けば、母家の出居には久助と、その隣に見知らぬ娘がぽつん、と縮こまっている。娘を見透した蔵馬はこいつも大概やな、と月明へ嘆息した。


「……鹿の子を、悲しませるなよ」

「ならば、ご決断を」

「わかってる。お前が話せ、全部。ラクのことも、お前のことも」

「よろしいんですね」

「まあ、よくはないけどな」


 今すぐラクの頭にこの石投げ付けて、貫通させたいわと握り拳をふるう。その姿に月明は後退り、危うく足を踏み外すところだった。


「では、仰せのままに」


 月明が消えすぐに、握り拳を広げる。痒そうに赤く腫れた手のひらには石ではなく、やわらかい団子が収まっている。


「こうかんこ、や」


 屋根の下では鹿の子が依然と笑い顔で団子をほおばる。それにあわせて蔵馬も、最後のひとつを口ん中へ放り込んだ。

 米と山芋、少しの砂糖。

 たったそれだけ。

 それだけやのに、なんでか美味い。

 この美味さも、鹿の子の笑顔も失いたくない、お稲荷さまであった。

 


 同じ頃、本殿には誰が調えたのか酢水が入った水桶が置かれた。

 神饌のかまどでは腹膨らませた巫女にまじり、術が解けた狐が何匹も、そこらじゅうで苦しい、苦しいと呻いていたという。

 



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