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かまどの嫁  作者: 紫 はなな
こぼれ萩
11/120

一‐観月(昼)

 よう願いが叶う。

 噂が噂を呼び、小御門の拝殿には日夜参拝客が行き交う。特に御迎え済ませた朝拝の後には我先に叶えてもらおうと、民はぎょうさん並んだ。

 そのなかにおったら知り合いに行き逢うてしまうかもしれない。人目につかず、尚且つ一番に叶えて欲しい。そう思った、とある薪屋(たきぎや)の娘さんは丑の刻にやってきた。

 もちろんのこと、娘さんの身を案じ、久助が境内に現れる。


「かのような夜更けに美しい娘さんが、どうされました」


 美しいいうのは公達のことやろに。御世辞が嫌味にきこえるほど、目の前に立った久助は華やかな顔立ちをしていた。

 しかし久助は御世辞ではなく本心から口を衝いた言葉で、間違いなく娘さんは、若い花盛りの器量よし。美しすぎる久助の罪である。

 自分より美しい異性に警戒心は抱けず、娘さんはさらりと訳を述べた。


「好きな人に、振り向いて欲しいんです」


 これはまた、若い娘さんらしい可愛い願い事。久助は微笑ましく思い、いつもの台詞を放つ。


「供物は、ありますか」


 また娘さんのもつ風呂敷指差して言うものだから、出さんわけにはいかない。

 この人に任せてええんやろかと娘さんはようやく不安心を抱くが、こんなもの盗まれたところで、家が傾くわけでもない。

 風呂敷をほどき、大きな籠をそのまま久助に手渡した。

 からからと太鼓のような音を奏でるその籠の蓋を開けると、満と詰められているのは、えんどう豆。そのさやのふっくらしたこと。


「きっと、振り向いてもらえますよ」


 久助の満面の笑みに、娘さんはどきりと胸がときめく。

 このやりとりが後々、娘さんの家を傾けることになるとは、久助も娘さんにも、今は知り得ぬ事のまつりであった。




 *




 初秋の十五夜。

 御饌でなくとも皆、総出でだんごをこねる日。普段無愛想な巫女も観月に心が浮わつき、笑みを溢しながら拝殿へと消えていった。

 朝拝の時間になると、お稲荷さまが本殿から拝殿へと顔をだし、神饌を食される。お稲荷さまが箸をとり、箸を置くまで祈祷は続く。皆が真面目に拝んでいるというのに食事も半ば、今日も菓子皿だけさらえてかまどへ向かった。


 お稲荷さまの真名は蔵馬という。 

 半妖としてこの世に産み落とされすぐに、父方の曾祖父にいただいた名だ。氏神となり千年、古も現代も、この名を知る人間は鹿の子たった一人。

 上顎に御饌飴ひっつけて戸口に立てば、煤汚れた手を手拭いでこすりながら、鹿の子は今日も明るく出迎えてくれる。

 

「おはよう、蔵馬」

「おはよう、鹿の子。こ、こ、これ、その、御守りや、うけとれ」


 無鉄砲に放り投げられ、鹿の子は両手で受けとった。


「おまもり? ありがとう……わぁあっ、きれいな石! ……いし? 少しやわらかいんやけど、なんで。それに、なんやろ、まん中の黒い三日月が、動いてるような――」

七歩蛇(しちほだ)の目玉や」


 ふふん、と胸を張る蔵馬。

 鹿の子は七歩蛇についてはよく知らないが、蛇で、これがその目玉やということは理解できた。みつめてみれば、なるほど中の黒目がギョロリとこちらへ向く。


「きゅぅぅ、ぱたん」

「鹿の子!?」


 鹿の子がへなへな倒れると、今やと言わんばかりに家鳴りや小鬼が釜のこし餡を舐めようとわらわら、ありんこのように群がった。火傷すると耳にたこができるくらい久助に注意されているのに、相変わらず頭が空っぽである。

 家鳴り小鬼をぴんぴん指で弾き飛ばしながら、蔵馬は首を捻った。

 七歩蛇の目玉の何がいけないのだろうか。これを持ちさえすれば一生悪霊にとり憑かれることはないのに。それに若い娘に贈るなら光り物がいいと、街の男衆は自信満々に話していた。

 やっぱり鹿の子が欲しいもんは鹿の子に決めてもらうんが一番やなぁと、蔵馬は一人うんうん納得する。


「ううーん。……はっ、いやぁあああっ、蛇いやぁあっ、うにょうにょいやぁああっ」

「おかしな奴やな、目玉には蛇の影も形もないやないか」

「蛇は蛇ですっ」


 鹿の子の手のなかから離れた七歩蛇の目玉は、失礼なやっちゃと元の眼窩にぴたと嵌まった。不死である七歩蛇もまた何百年と生きる大妖怪。鹿の子の瞳に映る。

 蔵馬の下駄の歯から覗く、ミミズみたいに小さなその蛇をみて、鹿の子はまたへなへなと土間に埋もれた。

 しかしそうも倒れていられないのが、かまどである。


「まぁた鹿の子さん、さぼって! 月明に甘やかされていい気なもんですなぁ、間に合えへんかったらどうするつもりや」


 御出し台に尻乗せて、わざわざ息子の前でいびる。睨み合う雪と蔵馬は狐目を吊り上げれば吊り上げるほど瓜二つだが、腰が上がらない鹿の子は気づきもしない。

 雪に金魚のふんの巫女等はその言葉に、胸を高鳴らせこう言った。


「間に合えへんかったら、わたしらが作った団子があります」

「是非、御饌に御出ししてください」


 雪もまた、巫女の期待に応える。


「そうやなぁ、これを機に鹿の子さんにはかまどから離れてもらいましょか」


 鹿の子はがばりと起き上がった。

 言明したばかりやというのに、今かまどを離れては旦那様に顔向けできない。姑の情けをもらおうにも、雪は逃げるようにしていなくなっている。


「あのくそばばあ、よくもぬけぬけと勝手なことを」

「はよせな」

「鹿の子、気にせんでええ。……鹿の子?」

「すずし梅の仕込み、もう少しで終わるから待ってて」


 蔵馬があっち向いて、こっち向いた時にはもう、鹿の子は木べらを持って釜の前に立っている。

 蔵馬は太息を一度、上顎の飴を綺麗に舐めとった。

 鹿の子は釜と向き合っている時、誰の耳も貸さない。それがたとえ月明であっても「すんまへん」「後で」の一言で済ます。菓子に全身全霊を注ぐ、その様は逞しくもあり、儚げだ。

 例えば大きな釜をくるくる回し、羊羮の型へ液を流し込む後ろ姿。微かに後れ毛が垂れるうなじは陶器のように白い。

 人間は日に焼ける。

 小麦色に焼けたラクの肌を思い浮かべ鹿の子と見比べると、どれだけ日に浴びていないか、痛ましいほどにようわかる。

 鹿の子を喜ばせたくて、本殿に籠りがちであった蔵馬はあれから、民の暮らしを学ぼうと自ら街へ出た。森羅万象を解き明かしても、人間の文化習慣というものは、理解に苦しむものだ。

 特に年頃の娘とは、難しい生き物である。

 確かなことはひとつ。蔵馬が目にした町娘はみな、変てつもない日常を輝かしく生きている。

 独り寂しく目を覚ましたりしない。鳥かごの鳥や猫の鳴き声に起こされ、当たり前のように家族に迎えられる。治らないあかぎれに悩んだりしない。困りごとといえば、毎日着る着物と帯。それらを華やかに纏い、うっすらと化粧をほどこしたら満足げに鏡台へ笑いかける。店の手伝いを脱け出しては美しさを競うように同じようなのが二、三かたまって、あてもなくぷらぷらと歩いたり、甘味屋で世間話に花を咲かせる。誰も土間で眠ったりしない。家族に見守られながら、蚊帳のなかで健やかに眠る。憧れの人を想い、夢で出逢えるように祈りながら。鹿の子には夢をみる間もなく朝がくるというのに。

 知れば知るほど、娘を理解するほどに、鹿の子が不憫に思えてならない。不憫にしたのは己だということも、到底許せやしない。

 蔵馬は菓子が食べられなくなることよりもずっと先に、よく考える。嫁にする前に、鹿の子に娘らしい幸せを味あわせてやりたい。己が飴を味わい、幸せを感じるように。人として当たり前の道を与えてやりたい。今では心から、そう思う。


「よしっ、後は冷やすだけや。あれ、……蔵馬?」


 人の気配が消えたかまどでは、ぱちぱちと炭が鳴るだけ。

 ああ、またやってしもたと鹿の子は悔やんだ。

 蔵馬は決して長居をしない。食べたら颯と居なくなる。気疲れはしないが、それはそれで少し寂しい。今日だって蔵馬ぶんに昨日の御饌飴を残してあったのに、茶碗を渡しそびれてしまった。

 もしかしたら、せっかく蔵馬がくれた御守りをあんな風に怖がって、傷付けてしまったのかもしれない。思たよりちいさい七歩蛇さんにも悪いことしたなぁと思う。


「宵にきたら、謝ろ」


 今は月見団子の仕込みが先だ。こねて茹でるだけ、間に合えへんことはないやろとだんご粉をとりに、納戸の戸をひいた鹿の子は立ち竦んでしまった。


 だんご粉が――、ない。


 いやそれ以前に納戸がない。

 畳も屋根も何もない。

 あるのは土間の土に申し訳程度の草が生えたさら地。そのさら地では、捻りはちまきにいなせな半纏(はんてん)を着た男衆がなにやらカンカン音を奏でている。

 突っ立っていてもだんご粉は独りでにやってこない。納戸のことは後にして、近くに居る若い男へ尋ねてみた。


「あ、あのぅ。ここに置いてた粉や砂糖、知りませんか」

「あぁ、食料はみんな広い方の土間へ移しましたよ」


 あんたんとこじゃ、狭くて邪魔でしょうと若い男はにっこり笑う。捨てられた訳ではなかったようで、鹿の子はほっ、と胸を撫で下ろした。

 その様子を端から見ていた周りの男衆は、朝のはよから釜にひっつきぱなしの鹿の子がでてきたものだから、手をとめて戸口へ集まった。ちいさいのに頑張り屋さんやなぁ、かっこいいでと次々に励まされ、鹿の子はおどおどと会釈しながら、かまどへと後退る。

 なんやラクがいっぱい居るみたいで、勢いに気圧されてしまった。とにかく今はだんご粉やと、足についた土を払って回廊へ上がる。

 小御門のお火焚き、神饌かまどへ向かうためだ。

 この二週間、母家の湯殿を貸してもらっているので、通り道である神饌かまどは何度も覗いたことがある。程なくして着いたが、熱気に包まれた壮観に鹿の子はまた気圧された。

 普段、湯殿は夜中に入りに行くのでかまどはしん、と静まりかえり人気がない。それが昼間の今、五つある釜は生をうけたようにもくもくと煙をあげ、ばちばちと炭焚きの音を奏でている。ひろいかまどには巫女等が何十人と犇めき合い、荒々しく声を掛け合っている。忙しなく動く紅白の巫女装束が、まるでめでたい祝い事みたいで、鹿の子はわぁあと感嘆の声をあげた。

 鹿の子の歎賞をよそに、土間を見下ろす貧相な小豆に気付いた巫女の一人は、ようやくのお出ましやとほくそ笑みながら、鹿の子へ近付く。


「かまどの嫁、いえ東の方が、私どもに何用でしょうか」 

「忙しいとこ、すんまへん。納戸にあっただんご粉を引き取りに来ました」

「だんご粉?」


 白々しく黒目を天井へ向ける。


「ああ、全部使いました」

「え……?」


 巫女がおもむろに指を差した調理台には、端から端までいっぱいに団子が並び、それらを囲い巫女等が団扇でぱたぱた扇いでいる。 


「奉公人にも振る舞わなあかんので、足らんぐらいでしたわ」


 茫然とする鹿の子に待ってましたとばかり、かまどに居る巫女が挙って嘲笑う。

 御饌に上げる団子が作られへん。朝に聞いた雪の忠言と、土間から沸き上がる笑い声が肌にはりついて、鹿の子は金縛りのように動けなくなってしまった。



「これは東の方、どうされました」



 そこへ米俵を担いだラクが、外へ繋がる戸口から現れた。

 男前やのに嫌味がなく快活で、よう気が利く。この半年でラクは小御門一の人気もんだ。巫女等にとっても憧れの存在であるラクが、亥の一番にかまどの嫁へ声をかけた。笑い声はぴたと止み、熱のこもった視線がラク一点に注がれた。

 真っ直ぐ駆け寄ってくるラクを見て、我に返る鹿の子であったが見通しは暗い。顔を曇らせる鹿の子へラクが耳元でもう一度囁く。


「どうした、何があった」

「その……、だんご粉が、なくて」

「だんご粉、ねぇ」


 頭がまわるラクは神饌かまどを一目見回し、すぐにさとった。調理台に乗った団子は使い奴をお腹いっぱいにさせても余る数。納戸の改装でまわってきた御饌かまどのだんご粉をここぞとばかりに使い果たしたのだろう。

 ラクは何を思うたか眉間に皺を寄せながら、怯えた空気が漂うかまどを一回りして、また鹿の子の元へと戻ってきた。


「ここの在庫も使いきっとるな」

「そう……」

「しかし、米ならあるで」

「きゃぁあっ?」


 騒然とするかまど。

 ラクはいつかのように、米俵と一緒に鹿の子を担いで、一畳一間の御饌かまどへと走り去った。




「すんまへん、男手を一人借りられませんか」


 ラクが声を投げたのは納戸を改築している宮大工だ。なんや面白そうやから行ってこいと、背中をおされた褌担ぎが前へ出る。

 何がなんだかわからない鹿の子はあたふたするばかり。


「ラク、何するん?」

「米ならある。こいつにすり鉢ですらせばええ」


 名前なんやった、とラクが褌担ぎの肩を抱く。手元には大きな大きなすり鉢にすりこぎ。

 なるほど、米を細かくして米粉にすれば団子が捏ねられる。


「でも、米粉だけじゃ……」

「これがある」


 ラクが懐から取り出したのは、えらい立派な山芋。これを見た途端、鹿の子は目を爛々と輝かせた。


「だんご粉くれてやったんや、一本くらいくすねても罰当たらんやろ」

「ラク……っ、ありがとう!」

「俺は東の院から砂糖とってくる。こねんのは鹿の子や、きばりや」


 そう言うなりラクは消え、かまどにとり残された褌担ぎはどうしたものかと、手持ち無沙汰にすりこぎを持った。空いたすり鉢に米を注ぎ入れながら、鹿の子はにっこりと笑う。


「美味しいお団子、作りますから!」


 手持ち無沙汰の手にはたちまち、豆にタコができていった。




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