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かまどの嫁  作者: 紫 はなな
御饌飴
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御饌飴

 お稲荷さまの御饌飴みけあめ


 お稲荷さまの大好物。

 美味しく炊けると一日ご機嫌。



 作り方


 生いもと同量の水を釜に温め、生いもを卸金で擦りこむ。

 この際、温度を保ち、すりおろしたものがすぐ糊になるようにする。

 いもを全部おろし込み、熱くなりすぎないように注意しながら十分に糊化させ、粥の固さくらいにする。

 温度を保ちながら半日炊く。

 この際、つまみ食いに来た小鬼が釜に落ちないように、常にぐるぐるかき混ぜておくこと。

 

 その後一度煮沸して布袋でこし、その濾液を煮詰める。

 炊き上がったばかりの飴を狙い家鳴りがかまどを彷徨くので、火傷しないように布巾を被せ、鉄蓋で塞ぐこと。

 粗熱がとれたら二さじ御饌皿にうつす。

 この時、大事なことは久助(きゅうすけ)さんを呼んでおくこと。



 *



「お稲荷さま、お稲荷さま、どうかお願いします。お母さんをお助けください」


 甘い煙がもくもくと立ち込める境内。

 一日千人いる参拝客のなかでも、拝殿を前に膝ついて祈るその少年は、久助の目にとまった。

 少年の着物は真新しく、育ちのよさが窺えるが、険しい山を越えて拝みに来たのだろう、草鞋はすり減り泥が腰まで飛んでいる。察するに、この子の母親というのは、医博士に見放された重病人ではないだろうか。

 久助は少年の背中に貼り付いた風呂敷のなかを見透すと、ふと思い立ち、母家から笊ひとつ抱えて戻ってきた。


「供物は、ありますか」


 おもむろに突きだされた空の笊に、少年は目玉をあちこちに迷わせた。なにより笊を持つその白い手の先にある、顔の美しいこと。鷹のように鋭い眼は長い睫毛で妖艶、紅を塗ったような唇に垂れる黒髪はかぐや姫のように艶やかだ。王都で暮らす人はみな、こんなに綺麗なのだろうかと胸を高鳴らせ、ならばこそこんな馬の餌にもならん小豆で、お母さんの命は助からないだろう。そう気落ちしながら、風呂敷の中身をおずおず笊に開けた。

 しかし久助は笊いっぱいになったそれをみるなり、大きな眼を三日月にして満足げに笑う。


「お母さん、助かるといいですね」



 *



 国の名は風成(かざなし)

 民があかやま、あおやまと呼んでいる朱雀山と青龍山に囲まれた大きな大きな盆地。

 山はぞう、と聳え立ち、風道はないのに気は滞りなく澄んでいる。

 盆地にしては夏は爽やかで、冬は不思議とからっ風が吹かない。

 風は吹かないのに、どうしてか心地いい。

 だから、かざなし。

 行き交う人はみな涼やかな顔して歩く晩夏にひとり、あくせく汗かく娘がいた。





「あい、お願いします」




 鈴が鳴ったような可愛いらしい声に、屋根家鳴りがざわめく。

 娘が居るのは風成で最も清らかな神殿。

 一神四獣祀る陰陽師家のなかでも一神、お国唯一の氏神様、お稲荷さまを祀る陰陽師宗家、小御門家の神殿。

 お社まわりには甘いもん好きの神々や幽鬼が往航し、なかでも拝殿と母家を繋ぐ渡り殿のこの隅っこには、ちいさい鬼からおおきな妖しまで日夜犇めいている。

 たとえば厳めしい米とぎ婆。季節外れな雪婆婆に小豆洗いまで、娘の混ぜる飴みて、今か今かと喉を鳴らす。

 しかし、それらが微塵もみえない娘は我関せず、今日もせっせと一人きり、働いていた。


「ご苦労様です」


 そんな娘の背に冷然といい放つその美男子は名を久助といい、当主である旦那様に仕える式の神である。手帖通り娘に呼ばれていた久助は御出し台にのった皿をみつけると、純一無雑な白いお顔をにぃ、と崩した。飴がのった御饌皿をたいそうに両手ですくいとり、御神前へと足を向ける。

 衣擦れする久助の今日の袴は空と同じ色した爽やかな蒼雲柄。

 妖しはみえなくても、式の神はみえる。

 音もなく流麗に去るその後ろ髪にみとれながら、娘はほぅと一息吐いた。


 ――皿を御神前へ運ぶ。


 こればっかりは、娘ではいけない。

 娘が皿を持てば回廊を渡りきるまでには、すばしっこい妖しに舐め干されてしまうから。


 娘の名は鹿の子。

 いつまでたってもあちら側へ渡れない、かまどのはりつき虫。

 炭で顔も御髪も真っ黒、下衣にはぐっしょり絞れる汗。貧相な小豆みたいな成りをして、陰陽師宗家、小御門家の側室でございます。








「ぎゃっ、もうあらへん」



 蓋を忘れた寸の間に、釜の飴が伽藍洞。

 鹿の子が久助にみとれている間に、小鬼が家鳴りが好き放題。八分目でたぷたぷ波打っていた飴は、さじに残る一滴まで舐めとられてしまった。

 鹿の子に肩を落とす暇はない。御饌の飴は時間ばかりかかるので、すぐに仕込みを始めないと朝の神饌に間に合わない。せかせか炭を運び込んでいると、間悪くお姑の(せつ)が顔をだした。


「また妖に食われたんか」


 かまどは拝殿と母家を繋ぐ渡り殿の付け根にあるゆえ、雪には通り道、稲荷詣りに一日何度かちょっかいを出しにくる。煤だらけの嫁へのあてつけに、より一層若々しく、艶やかな着物を召して。

 一度消沈した釜に再び火を点ける鹿の子へ、雪はあからさまに眉を潜めた。


「二度、三度と鹿の子さんはおつむが悪いんか」

「すんまへん、お義母様」

「今夜も寝ずに火の番やな。そんなんやから、かまどの嫁と呼ばれんのや」


 蔑んでいるようにみえて、雪の言うことは至極真っ当。他の奥方や奉公人、使い奴までもが鹿の子のことを「かまどの嫁」と呼ぶ。


 旦那様に見放された、かまどの嫁と。


 風成という国、王朝国家にあり。従三位以上の古参貴族は家を重んじ、それぞれ王廷に后宮を構えた。保守派の立憲的存在である陰陽師家は五つある神殿に当主をたてまつり、東西南北に側室を入れ継承者を生ませる。当主の跡取りは嫡男ではなく、最も霊力が優れたものが選ばれる。故に側室は霊力のある娘が望まれた。

 しかしながら、鹿の子は家鳴りひとつみえない、まったくの霊力なし。霊力がない娘には宗家の側室に相応しくない。下女の噂話ではそれを嫁いできた初夜、旦那様に見抜かれ追い出されたらしい。なんとまあ、その晩からかまどの見張り番。

 かまどの嫁と呼ばれる由縁はそれだけではない。

 そもそも御饌菓子はお稲荷さまの分だけあればいい。それやのに鹿の子は作ったら作った分だけ、喜ぶもんの腹が充たされるまで、惜しみ無く釜の蓋を開ける。三日に一度でいい釜炊きが毎日朝から晩まで止まず、煙たくてしかたない。

 煙たいから煙たがれる、かまどの嫁なのである。


「ああ、また着物がくさなる」

「遠所もんが、忌々しい」


 供物運びに渡る巫女さんもこのように、毎度聞こえよがしに小言を二、三落としていく。それでも鹿の子は「いってらっしゃいまし」と彼女らを笑顔で見送り、また釜と顔を突き合わせるのである。

 かまどの嫁。

 可笑しなことに、鹿の子はそう呼ばれて喜ばしく思う。

 だって今日の飴、小鬼や家鳴りにとっては、さじの残りすら惜しいほど美味かった。

 きっとお稲荷さまもお喜びになる。誰かに喜ばれることほど、喜ばしいことはないから。



「くそばばあは、消えたか?」


 夕拝に人が拝殿へ移ろい、鹿の子が一人かまどに薪をくべていると、毎度のように戸口から声をかけられる。名をクラマという、白い狩衣を着た少年だ。お国では珍しい銀髪を腰まで伸ばし、狐のようなつり目が妙に妖艶で、小生意気な顔立ちをしている。


「ちょうどよかった、炊きたてですよ」


 鹿の子はクラマの姿をみるなり、そうにっこり笑い言い、釜の上にあるべき鉄蓋を御出し台からひっくり返した。現れたのは茶碗ひとつ。ほどよく熱がとれ、艶がでた飴がなみなみと満たされている。


「こりゃまた、うまそうやなぁ」

 

 クラマは遠慮なしにさじをとり、茶碗から飴をすくった。

 杓から水を飲むように頬張り、慣れた舌つきでのびた飴を切る。ねちねち、と口内で転がし味わう、その顔はぱああ、と至福で緩む。


「美味いなぁ、美味いで、鹿の子」

「うふふ、そりゃあよかった」


 クラマは鹿の子の菓子を目に見えて喜んでくれる、たった一人の友だ。股から尻尾ふさふささせているので、人ではないが。人ではないが、霊力のない鹿の子にもよくみえる、たった一人の妖しである。では何の妖しか。おおかた狐の妖怪だろう。鹿の子がどこのどんな妖怪やと訊ねても「クラマ」としか返ってこないので、訊くのはもうやめた。それに鹿の子にはクラマが何者かなど、問題ではないのだ。

 

 妖しだろうが悪鬼であろうが、クラマの「美味い」は心の底の方がじん、と響く。


 だからこうして、鉄蓋はわざと釜より茶碗へ閉じられる。いつも味見ひとつできやしない久助さんには申し訳ないけれど。

 そのきれいな顔を思い浮かべていると、クラマが狐目を吊り上げた。


「菓子の成りそこないに、やる義理はない」


 久助の源は御饌皿にのぼらなかった、失敗作の菓子だ。皿にのぼれなくとも美味しいと人に愛され、霊となった低位の神様。

 あんなにきれいのに失敗作やなんて、可哀想や。側室に不相応な自分を重ね、鹿の子は久助を庇った。


「そんなん、言うたらあきません。久助さんにも食べさせてあげたいです」

「食べさせてやりたいやと。さては鹿の子、お前久助が好きなんかっ!」

「す、好き!? 久助さんは神様やし、それにわたしは、わたしは──」


 旦那様の側室です。

 かまどの嫁です。

 はて、どちらが正しいんやろか。

 毎日顔を突き合わせているのはかまどやけど、人でも妖しでもない、固くて熱いかまどに心誓うのはいかがなものやろか。しかし旦那様に限っては、初夜に御寝所から追い出されて一度もお会いしてない。ゆらゆらと天秤が頭の中で揺れる。考えたらあかん気がして、口をへの字に瞼も伏せた。

 慰めているのか、クラマの尻尾がゆさゆさと鹿の子の背中を撫でる。


「安心しい、鹿の子にはわしがおる」

「はぃな」


 そう言うクラマの口許は涎で濡れている。わたしの貧相な顔みて大好きな小豆思い出しとると、鹿の子は呆れ返った。


「そうや鹿の子。小豆といえば今日の神饌に、笊一杯の小豆があったぞ」

「ほんま?」


 この暑い季節に珍しい、主上の賜り物やろうか。

 小豆の名に、家屋が騒、騒と揺れる。


「御饌菓子は、なんになる?」

「それは明日のお楽しみです」


 クラマがごくり、生唾を飲み込めば、辺りも沈、と静まり返る。



 この日大好物の飴で腹を充たし、小豆に期待を胸いっぱいに膨らませたお稲荷さまは、上機嫌も上機嫌。

 千人の拝み言は千、叶い。

 翌朝、少年の母親は三年寝込んだ病身を起こし、裸足で庭をかけずりまわった。


和な側室物語です。

時代錯誤はご了承ください。

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