第三話:沈黙の色
作戦決行前日。
空にはもう欠けた月が浮かび、外の闇をいっそう濃くしていた。
雪華の立つ廃墟寸前の部屋は、歪んだ窓から柔らかな光りを入れてぼんやりと浮かび上がる。月明かりに照らし出される的に向かって雪華は何発かから撃ちを繰り返した。動作は問題無かった。
雪華の手に持つのは、得物の一つの自動弾倉式の銃。装填数が多く入れ替えが簡単なので、時たま弾詰まりをするものの、面倒臭がりな雪華が重宝しているもの。
もう一つは既に腰に吊してある回転弾倉式の大口径の銃で、弾詰まりはないがいちいち装填しないといけない。しかし、破壊力がこちらの方が上なので、雪華は主にこっちを使っていた。
手に持っていた銃を腰の後ろへ吊し軽くて手で叩く。
(気晴らしにお散歩でも行きましょうかぁ)
(…………)
銃に向かって呟き、扉を押し開け街に出た。
灰色の街から空を望み、くすんだ空に浮かぶ金色の月を見つけ、雪華はあの屋上から景色を眺めたい衝動に駆られた。
人通りの少ない夜の道を歩き、自分の小さい足音を響かせ耳を済ます。
冷たい風が通り過ぎた。
それと同時に、覚えのある香りが鼻を掠める。
「葉っぱの…」
雪華は我に帰り、空を仰いでいた視線を前に戻した。こちらに向かって歩いて来る人影を見つける。
黒いコートに帽子、体格から見て明らかに男。そして、……金色の髪。
雪華は立ち止まらず俯いたまま進み、男とすれ違った。再び香る葉っぱの匂い。
「お花屋さんですかぁ?」
すれ違いざまに雪華は呟いた。
相手はこちらに背を向けたままだが、ピタリと立ち止まる。
「葉っぱの匂いがしましたぁ。大人しくそれを渡して欲しいんですぅ」
男の手が一瞬反応したかのように僅かに動いた。
「渡してくれないなら残念ですけど無理矢理…!」
突然殴り掛かるあいてに雪華は驚いた。
予想していなかった行動に、少し反応し遅れて、間一髪のところでそれをかわす。
「花屋ってのは誰の事だ?あ?嬢ちゃん」
「え?」
「俺が売り歩いてるのを知ってどうするつもりだ?サツにチクられるといろいろ面倒なんだよ」
振り返った男の顔は、花屋とは全然似ても似つかない奴だった。第一、瞳の色も違う。コイツのは茶だ。
雪華は肩の力を抜き、見開いた目を嫌なものでも見るように細めた。
「人違いでしたぁ。おじさんは関係ないからさっさと帰っていいですよぉ」
「ふざけんじゃねぇ!!」
男は手にナイフを持ち切り掛かる。
今度はそれを余裕を持って避け、雪華は逃げ出した。暫く走り回ればきっとまけると思ったのだ。
迷路のような路地を駆けぬけ、時折後ろを確認する。しかし、男は以外としぶとく着いて来た。軽い気晴らしの散歩がいい迷惑である。
何度目かの曲がり角で雪華は後ろを盗み見て男がいないことを確認した。簡単に息が上がるような訓練はしていないが、疲れはたまってきている。雪華は念のため、もう少し走ってから住家に帰ることにした。
今、月は真上を通り過ぎ静か過ぎる光りを放っている。屋上には明日行くことにしよう。
そう思った所で、急に路地の暗がりから手が伸び、雪華は口を塞がれ、簡単に引きずり込まれる。
咄嗟の事に手を延ばし、銃を相手の顎に当て引き金を引いた。
弾は出なかった。
雪華の顔が凍り付く。
「こんな時間に独り歩きは感心しないよ、女の子」
雪華は上から降ってきた声の“女の子”で相手が誰だか気付き、上を向いた。
雪華の口を左手で押さえ、右手の親指をハンマーに挟み銃弾の発射を阻止していたのは花屋だった。
「まぁ、これだけ腕があればもしもの事はまず無いか」
「それは、セッちゃんに対する嫌みですかぁ」
「ああ、ごめん。そんなつもりじゃないんだ」
花屋の困ったような笑い顔は、月明かりの影になって、ぼやけて見えた。金髪金眼は分かるが、これは引き締まりの無い顔なのだろうか。雪華にはただの柔和そうな顔というイメージしかなかった。
「お兄さん、お花はくれないんですかぁ?」
「覚えてたんだね。勿論あげるよ。はい」
花屋はそこで始めて雪華を放し、上着のポケットから取り出した花を髪に挿した。それは朱い椿に似た花で雪華の髪によく映えた。
「君には朱が似合うね。その花はね。挿し木で殖えるんだ。それで…」
「セッちゃんが本当に欲しいのはこれじゃ無いですよぉ。」
雪華は花屋に楽しそうに、はしゃぎながら笑った。利き手にはまだホルスターに納められていない銃が握られている。それを花屋は気付いているのか、あえて無視しているのか、表情を変えなかった。
だから雪華は言い放つ、それを合図とするように。確信させてやるように。
「葉っぱを持ち逃げしたのはお兄さんですねぇ♪」
「こんなとこにいやがったか!糞ガキ!!」
「!」
先程の男が、路地の入口に現れた。
一瞬、花屋の気が逸れ、雪華はその隙に男に向かって駆け出す。
そして、いまいち置かれた状況が解っていないそいつの後ろへ隠れた。
タンタンタン!!
軽い発砲音が三回続き、再び体を低くして駆けた。
盾にした男が崩れる音がした。
発砲したのは、花屋だった。
「当たりですね♪」
雪華はもはや廃墟のような建物へ、扉を蹴破り転がり込む。壁に背中を着け、路地の窓に映る影ごしに、銃口だけ出して数発うった。
弾は大きな音をたてごみ箱の蓋を路上に転がしただけ。すぐに相手からの発砲が続き、地面と付近の壁が弾けた。
雪華は建物の階段を駆け上がり、途中で簡単なトラップを作る。上の階から花屋に向けて連続して撃ち続けた。
回転式の銃は弾切れ。入れ換えている暇も無いので、それをホルスターに戻し、自動式の銃を抜き、構えた。
「やっぱりそれで死んではくれませんねぇ」土埃から影が踊り出て、雪華のいる建物駆けてくる。上から発砲するが相手はあっさり侵入した。
雪華はそれを確認してさらに上の階へ走る。
カッ…!
という音と共に投げ込まれた閃光弾が破裂した…。




