『旅立ち』
――翌朝。
俺、シレンは軽い朝食を取り、手短に荷支度を済ませると魔王城を出た。
周囲を見渡すと、相変わらず暗雲が立ち込め、雷はゴロゴロと鳴り響く。それは朝だろうと夜だろうと変わらない。
魔王城の周囲は毒々しい色をした沼地に囲まれ、敵の侵入を阻む。城門から続く一本の道。唯一それのみが魔王城へ繋がる道である。もし勇者達がこの道を通るとしよう。たちまち沼地に潜んでいる無数の魔物に襲いかかられ、全滅するだろう。
そんな一本の長い道を見ながら、この城が墜ちる日が果たしてくるのだろうか、など考える。
まあ、その時はその時、と止めた足を再び前へと動かした。
――その時
後ろから叫び声が聞こえる。
「ちょっと待ちなさいよー! シレン!」
女の声だ。
振り返ってみると、そこには濃いピンクの髪を肩まで垂らし、猫目で等身は俺より少し低めといった感じの少女が、手を振りこっちを向いていた。
が、そんなものは目に入らなかったと言わんばかりに俺は再び歩みを始める。
するとカチンという効果音とともに、彼女は全力で追いかけてきて、俺の肩を掴んだ。
「ちょっと! 無視しないでよ!」
彼女の名はリィナ。俺と同じ四天王の一人で、魔物の中では珍しい”人間の風貌”をしている。四天王の座についたのは彼女の方がずっと先で、以前から何かとおせっかいで手間を焼いてくる。元々魔物達と付き合いの悪い俺は、自然とどこかに壁を作っていた。だが、彼女とは何かと口論するうちにお互いの内を話せるようになっていた。
「なんだ。俺はこれから大切な仕事があるんだが」
「聞いたわよ、カイン達のパーティに接触するんだって?」
そう言うと、からかうような笑いとともに顔を近付けた。
「ああ、何でも情報収集だとよ。そういえばお前、昨日は会議に顔を出してなかったが……」
「うん、昨日はちょっと……ね。ねえ、アンタの仕事、私も付いて行っていいでしょ?」
「……ハア? だめだめ、遊びじゃないんだぜ。カインとかいう悪党に変に勘繰られてみろ。一人ならともかく、二人だと誤魔化せるものも難しく……」
と言いかけたところで彼女の顔を見ると、何故かニイと口元が笑っている。頭に「?」を浮かべながら彼女の目を見る。
「ハイハイ、そういうと思った! でもね、今回は私もクルーエルから同じ任務を授かってるの。どうせ接触するなら元から知人の方がやりやすいでしょ?」
なんだ、そういうことか、と頭を下げてため息を漏らす。
「そういうことなら先に言ってくれ……。全く、魔王城から二人も四天王を留守にさせるなんて、クルーエルは何を考えているんだか」
そういうと、俺は本日三度目の歩みを始める。全く、出発前にこんなにもたつくとはな。
「そういえばアンタ、今回はビートは連れて行かないの?」
ビートとは数少ない俺が気を許している悪魔だ。以前洞窟で冒険者に襲われているのを俺が救ってやった。それ以来ビートは俺を慕い、何かと一緒にいることが多い。ビートは変化を得意とする悪魔だ。戦闘能力は低いものの、人間に変化することも出来、情報収集となればコイツが打ってつけなのだが……
「今回はビートは連れて行かない」
「どうして?」
「敵が最前線を行く勇者ともなれば、万が一しくじった時にビートが危ない。あいつは戦闘においては低レベルの魔物達と変わらないからな」
「ふーん、ビートがいれば便利なんだけどなぁ。買い物とか、宿屋の手配とか……」
ビートは普段から人間の住む街に潜り、情報収集を行う任務を受けているため、その手の事に関しては魔物の中でも一番詳しいと言える。対してこの人間もどきの二人は姿形はそれであっても、人間の暮らしなどに関してはほとんど無知である。そもそも”人間の街に潜る”というリスクの高い行為をするなど、滅多にないことなので、二人が無知なのは、仕方ないことだと言えよう。
「まあそう言うなよ。しかしそういう事、ビートにいろいろ聞いておくべきだったか……」
「ドジ」
魔王城から伸びる長い長い一本道をを渡り終え、振り返ってから思う今更過ぎる後悔だった。