『コロシアム』
――大会当日。
ついにこの日がやってきた。とは言ってもなんら準備をしてきたわけでもないのだが。
ニナにもっと早くから稽古を見てもらえていたら少しは変わっていたのかもしれない。
カーテンの隙間から差し込む日差しを浴びながら、そんなことを考えていた。
俺は適当に朝食を済ませ、軽く剣の手入れをすると、昨夜宿に戻ってからリィナに何の挨拶もなしに早々に寝てしまったのを思い出し、出発前にリィナに声をかけようかと部屋のドアを軽くノックした。寝ていたら起こさずにそのまま出かけよう、そう思っていた。
案の定返事はないので、寝ているのかと思ったが、念のため部屋を覗いてみた。
――ってあれ
部屋にリィナの姿はなかった。
まさか先に行ったのか。いや、そもそも昨夜リィナがこの宿に戻って来たのかも不明。昼に別れたあと、あいつはどうしたんだろう。
昨日は何とかしようと焦っていたため、泣いているリィナを一人バーに残してしまった。今考えると、あの場はリィナと一緒に居てあげるのがよかったのかもしれない。リィナは性格に似合わず繊細な心の持ち主であり、逆に傷つけてしまったかもしれないと思うと、自分の配慮のなさを嘆く。
時計を見やると、一回戦の時間まであまり時間がないことに気づく。
リィナのことは心配だが、先に行っている可能性もなくはない。
シレンは迷いを振り切り、会場であるコロシアムへと向かった。
***
円形の石造りの巨大な建造物、それがコロシアムだ。
内部中央にある”競技場”は戦場の地であり、周囲を観客席に囲まれ、空は吹き抜けとなっており、今日は晴天ということもあり、さんさんと太陽が降り注いでいる。
俺は会場へ入ると、参加手続きを済ませ、控室へと向かう。
「おはよう、シレン」
その声の方へ振り返ると、シリア、そしてその隣にはカインがいた。
「おはよう、シリア。おはよう、カイン」
「おはよう」
そっけなく答えるカインの目はどこかうつろで、まっすぐこっちを見ようとしない。
ともあれ、カインが来てくれたのは少し嬉しかった。カインに完全に避けられていたのでは、誤解を解くことも難しい。昨日、あのあとシリアがカインと会って、説得してくれたのだろう。
「確かニナの一回戦は俺より早かったよな。もう終わったのか?」
「ええ、一回戦は無事通過よ。相手がハンマー使いであんなのが当たったらとひやひやしていたけど、見事にかわしながら一太刀決めてくれたわ」
「そっか。まあニナなら心配ないな。決勝まで残ってくれるといいけど」
「ニナも決勝であなたと対戦することを望んでるわよ。ニナったら昨日の夜はあなたの話ばかりしてたのよ」
いたずらっぽくシリアが笑う。
「む、昨日の借りは返してやんなきゃな。それより、リィナ……見てないか?」
シリアは不思議そうな顔をして、カインにも答えを求めるように目をやると、カインも首を振る。
「僕らはニナの試合を見る為に朝一で来ていたけど、リィナが来た様子はなかったな」
「そうか、あいつどこ行っちゃったんだろう……」
困ったように頭を掻いていると、アナウンスが鳴り響いた。
どうやらシレンの一回戦のアナウンスで、速やかに競技場へとのことだった。
「あ、悪い。じゃあ俺行ってくるわ。リィナ見かけたら俺が探してたって言っといてくれないか?」
「わかった。僕らも観客席へ行くよ。頑張って」
「頑張ってね」
カインとシリアに見送られ、俺は競技場へと急いだ。
***
競技場に着くと、対戦相手はまだ来ておらず、シレンは大勢の観客の前に一人さらされた。
会場は熱気に包まれており、シレンの登場で観客たちは叫んだり喚いたりと盛り上がっていた。
どんな相手が来るのか心を弾ませていると、向かい側の入退場門から、ローブを纏った一人の青年が出てきた。手にはロッドのようなものを持っている。
魔導師ってどう戦えばいいんだよ。そんな疑問を抱いている内に、戦いのゴングは鳴らされた。
そもそも近距離vs遠距離って対戦が成り立たない気がするが、とにかく、詠唱される前に距離を詰めちゃえばこっちの勝ちだろう?
シレンは試合開始と同時に全力で魔導師の元へ駆けて行く。さすがに最初は距離が離れているため、魔法の一つは許してしまう。しかし、それさえ何とかすれば後はこっちのペース。
突如、魔導師の青年は青いオーラを自身に宿した。恐らく何らかの強化魔法に違いない。自身をドーピングして戦うなんて、魔導師らしからぬ戦法だが、この状況ではむしろ的確な判断か。
そんなことを考えている間に、魔導師との距離が縮まり、ひとっ飛びするとジャンプ斬りのように魔導師へと斬りかかった。明らかに読まれてしまうその攻撃だが、シレンの速さは尋常ではなく、激しい動作に慣れていない魔導師なら避けるのでも精一杯だろう。
しかし、魔導師の動きは思った以上に軽やかだった。まんまと攻撃をかわされたシレンはすぐに魔導師の方へと向き直るが、そこに魔導師の姿はない。頭に「?」を浮かべながら競技場を見渡すと、シレンの初位置にその魔導師は立っていた。
なんだと――。そう思った頃には遅かった。見上げると、大量の火の粉の雨がシレン目掛けて降って来る。
くっ――。何がどうなっているのかわからず、剣で火の粉を振り払う。そうしている内に、相手はどんどん詠唱を重ね、次第に防戦一方になってくる。
いくらなんでも詠唱が速すぎはしないか。数々の炎属性の魔法を避けながら、相手の隙をうかがう。すると、さっきまで魔導師の体に纏っていた青いオーラがその体から消えた。その瞬間、魔導師は膝からガクリと落ちてしまった。
さっきのドーピングの副作用かもしれない。そう思うとシレンは意を決して、何発か魔法を食らうものの、魔導師向かって駆けだした。
魔導師は起き上がる気配はない。すぐに接近して剣を突き付けると、魔導師はロッドを捨て、軽く両手を上げる。降参のジェスチャーだ。
シレンが剣を降ろすと、会場は歓喜に包まれ、一段と騒がしくなった。
魔導師に手を差し出し起こしてやると、その青年は息を荒げていたが、律儀にお辞儀し、礼を言った。最初のドーピング魔法について聞いてみると、どうやらその効果は、魔法を受けた者の行動速度、詠唱速度を高めるが、効果が切れるとその行動に対しての倍以上の体力の浪費を伴うというものだった。
***
なにはともあれ一回戦を突破した俺は、控室に戻った後、カイン、シリア、そしてニナに勝利報告を済ませた。
しかしいきなり魔導師と当たるとは予想外であり、遠距離とのやり辛さを身を持って実感した。
近距離と遠距離を兼ね合わせた敵が現れたらどれほどやっかいなのだろう。そう考えると、今後の対戦がやや不安になってくる。
少しの休憩を終えると、シレンはリィナが来ていないかと会場内を探し歩いた。
広い観客席を一人で探すのは困難で、カイン達にも手伝ってもらったが、やはり見当たらなかった。
二回戦の開始は一回戦の進み具合で変わるので、シレンは会場を離れるわけにはいかない。
「リィナ……」
シレンはただならぬ不安を抱きつつ、二回戦の開始を待った。