『噂話』
その後、クラインに追いついた俺達はいつものバーに行くように彼を促した。
昼過ぎということもあり、午前中ぐっすり眠ってた人も顔を出す頃で、バーは賑わい始めていた。
俺達は出来るだけ目立たない部屋の隅の席を選び、各々適当にオーダーを取り始めた。俺はここのマスターの薦める酒が大好きで、ここに来ては度々飲んでいるのだが、今回それをオーダーしようとしたら、シリアに「昼間から酒は良くないわ」と言われ、しぶしぶ別のものをオーダーした。
「で、どうしてクラインはこの街に来たんだ?」
「それなんですけど、ちょっと変な噂を耳にしまして……」
「変な噂って?」とリィナ。
「はい、皆さんは聞いたことがありますか? ”人間の姿をした魔物”について」
「!!」
ふいの一言に思わず反応してしまった。まぎれもなく俺達の事だ。
今の反応を見られ、クラインの視線がこっちに釘付けになった。
「シレンさん、何か知ってるんですか?」
「い、いや……まあでも、そんな根も葉もない噂信じたってあてにならないぜ?」
「それがですね、情報源が”魔物”からみたいなんですよ」
「……どういうことだ?」
”人間の姿をした魔物”の存在、それは魔物にとって、最大の切り札であり、最大の秘密である。これの口外はクルーエルが固く禁じ、情報を漏らした者は万死に値するとされ、魔物から情報が出るなんてことはあり得ない話なのだが。
「俺も先日まで雇われていたギルドで少し話を聞いただけなんですが、詳しい情報は伏せられてしまって……。この街に来れば何かわかると思ったんですが」
「残念ながらその情報は私達も初耳ね」とシリア。
「そうだなあ、何か分かったら俺達にも情報回してくれないか?」
「そうですか、わかりました。皆さんも気を付けてくださいね? この街に潜伏してる可能性もありますから。もしそんな奴が現れたら、俺が必ずぶっ殺しますけど」
クラインは爽やかな笑顔を浮かべるが、台詞からするとその笑顔も不気味に感じる。
「そういえば、今日はカインさんとニナは一緒じゃないんですか?」
その言葉を聞くと、シリアは困ったように苦笑する。
「あ、カイン……? 彼、最近単独行動が多くてね。何度か会って話を聞こうとはしたんだけど、何も話してくれないのよ。何か一人で悩んでいるみたいで……」
カインの現状を薄々理解している俺にとっては、彼の単独行動も納得はいく。彼は彼の持つ秘密を口外したら、自分だけでなく仲間であるシリアやニナ、もしかしたら俺はともかくリィナもアゼルによって殺されてしまう対象となっているから、極力接触を避ける事で口外の危険性を減らしているのだろう。
「そういえば、ニナと一緒じゃなかったっけ? シレン」とリィナ。
「ああ、ニナは稽古の後シャワーを浴びるとかで一人でどこか行っちまった」
「ふうん。アンタ、ニナに変なことしてないでしょうね?」
「してねえよ!」
「ニナに何かしたら私が許さないわよ?」
見ると、シリアは鬼のような形相でこちらを見ている。
シリアにとってニナは妹みたいな存在であり、心配なのはわかるけど。
「何もしませんって……、なんで俺変態扱いされてんだよ」
とシレンは肩を落とす。
「ははは、あ、皆さん明日コロシアムである大会には参加されるんですか?」
「ん、ああ。俺とニナは参加するぞ。クラインは?」
「俺は今日この街に来たばかりですから、参加登録は間に合いませんでした」
と苦笑する。まあ、それもそうか。
「カインさんは出ないんでしょうか?」
「カインは以前一度参加しているんだけど『大剣は対人には向かないみたいだ』なんて嘆いていたから、大会に出る事はないと思うわ」
「ああ、なるほど。しかし何でも有りですよねこの大会。剣や槍はともかく、弓や魔法でも参戦できるなんて、ぶっ飛んでますね」
「ねえ、ちょっと気になってたんだけど、その大会って死人が出るんじゃ……?」
「ふふん、リィナは何も知らないんだな。それを未然に防ぐために、対戦者には瀕死状態に陥るのを一度だけ防いでくれる高度な回復魔法が掛けられるんだ。まあ危険な状態だから、試合後は救護班が急いで回復に駆け付けるんだがな」
と俺は得意げに語ってみせた。
「……それ、この前私が教えてあげたまんまの台詞ね」
シリアは冷ややかな目で俺を見る。
「む……、まあ、とにかくそのおかげで俺も遠慮なくいけるってわけだ」
「ふうん、まあ精々頑張りなさいよね、私達の旅費はアンタの優勝にかかってるんだから!」
リィナはニッと微笑むが、俺は「誰のせいだ」と言わんばかりにジト目で返す。
「さて、じゃあ俺はこの辺で退散させてもらいますね。この後人と会う約束があるので」
「ん、そうか。明日の大会は観に来るのか?」
「はい、なるべく時間を作って行くつもりです」
「あ、クライン! さっきはお礼言いそびれたけど、助けてくれてありがとう!」
「いえいえ、仲間のピンチに助太刀するのは当然の事ですよ」
クラインは微笑みながらウィンクしてみせる。
「ねえクライン君、また私達のパーティに入る気はない?」とシリア。
「そうですね、今回の噂の件が片付いたら、その時は是非お願いします」
そう言うと、クラインはすくと立ちあがる。
「また明日コロシアムでお会いできるといいですね、では俺はこれで」
「ああ、また明日」
俺がそう言うと、クラインはバーをあとにした。
明日の大会の話で盛り上がったものの、やはり噂の事が気になる。
情報の流出源が魔物あからであれば、クルーエルが黙ってはいないはずだ。下手したら帰還命令が下るかもしれない。もし流出源が魔物でないとしたら、アゼルだろうか。しかし何の得があるのか。アゼルは俺を必要としているし、俺を危険にさらす事はしないと思う。他に俺が魔物と勘付いてる者がいるとでもいうのか。
とにかく、この情報が出回っている以上、近いうちにクルーエルもアゼルも俺に接触してくるに違いない。俺はそれまでに答えを出さなければならない。
「私、もう一度カインに会ってくる」
ぼんやり考え込んでいると、急にシリアが立ちあがった。
「やっぱり彼が気になるの。ごめんね、明日の大会には応援に行くわ」
そう言い残すと、シリアはそそくさとバーを出て行ってしまった。
残された俺とリィナは、しばし沈黙していた。
「ねえ、シレン?」
先に口を開いたのはリィナだった。
「私、やっぱりあの人たちと戦うなんてできないよ」
その声は震えていて、うつむいた瞳は涙で潤んでいた。
「シレンだって、戦いたくなんかないよね……?」
俺は沈黙を続けた。
「ねえ、このままどこかへ逃げない……?」
「え……」
「間違ってるよ、こんなの。人間だって、魔物だって、仲良くなれるのよ。私達がそれを証明してきたじゃない?」
それは俺達が中性的な立場にいるからであって、現実はそうはいかない。人間からみて異形である魔物は恐ろしいし、魔物だってそれは同じ。しかし、そんなことはとっくに承知していることであり、それを乗り越えてこそ本当に理解しあえる。かつてクラインの父が言った『人間と魔物は共存できる』という言葉、俺は決して無理だなんて思っていない。クラインが諦めてしまったその夢は、俺達で実現させるしかないんだ。
「俺がなんとかする」
「……え?」
「俺がなんとかするから、リィナは安心して待っててくれ」
俺はそう言って立ちあがると、リィナの頭をくしゃと撫でてやり、一人バーを去った。
リィナはぽかんとした様子だったが、安心したように笑い、一粒の涙を流した。