「狂気」の大安売り。
正気とは思えないほどの大安売り、値引きという意味ではない。そういうものならむしろ大歓迎であるが。
「狂気の○○」とか「○○が狂うほど好き」などといった、宣伝文句のような言葉を目にするにつけて、「狂気」という言葉があまりにも軽々しく使われ過ぎていると感じるのである。
狂うとは理性を失う状態であり、狂気とは精神状態が正常でないことを意味し、いわば病に陥っている状況であると言える。基本的に当事者にとっては辛い状態であり、それに対処するためにカウンセリングや治療を受けている人も多いはずだ。狂ったままでいたいと本心から思っているような人は稀であろうと思う。
精神的に正常な状態にない人というのは、平気そうに明るく振る舞っていても、どこか苦しみや悲しみが滲み出ているものだと感じる。それは本人は正常であろうと努めているのに、実際には異常な言動をしてしまう、または周囲に異常と捉えられてしまうという落差による悲哀である。
だからこそ、「狂気」という言葉が軽々しく、まるでファッションのように使われている場面に出くわすと釈然としない気持ちが芽生える。
そもそも「狂気」という言葉を使う当人は実際にその状態に陥っていないことがほとんどである。狂っている人間は自分がおかしな状態にあると認識することが困難だからだ。
宣伝文句や何かのレッテル貼りにこの言葉を利用する人間は、自分は正常な人間であるという前置きをしており、離れたところから他人事として「狂気」を捉えているところが鼻につくのである。当事者として「狂気」によって辛く、苦しい気持ちになっている人間からすれば、極めて無神経な振る舞いに見えるだろう。
「私って異常者なんですよ、ははは」なんてことを簡単に口にする人間は、ズルくて抜け目のないやつか、想像力のない奴か、その両方だろう。
映画や漫画などのエンタメ作品を紹介、売り込む際に、この作品は狂気に満ちているといった趣旨の言葉が使われることがあるが、これはクールジャパンと同じくらいダサい表現だ。狂気というのも随分とカジュアルになったものだなと思うばかりである。
作品の独自性、特異性みたいなものを強調する意図なのかもしれないが、どうにも悪目立ちしてでも注目を集めれば勝ちみたいな魂胆が透けて見え、一言でいえば下品なのだ。
ちょっと奇抜な設定や登場人物、話の運び方などを捕まえていちいち「狂気」などと表現することは「狂気」というものを不当に貶めることになる。
「狂気」には悲哀が伴う。それは正常と異常の間に横たわる溝から生まれ、身近でジンワリと心に染み入っているような性質を帯びている。何かに責任をおっかぶせて悪者に仕立て上げることのできない、そんなやるせなさを感じるのである。エンタメ作品が気安くでっち上げる一過性の悲しさとは一線を画すものなのだ。
いわゆる「狂気じみている」というレッテルを貼られた作品に目を通すと、大概、安全圏から他人事として狂気を演じているような印象を受ける。正常な頭で客の気を引くために計算された所作であり、いわばフックとして「狂気」という要素を組み込んでいるに過ぎないのだ。
言葉というのは恐ろしいもので、ある概念を示す言葉を軽く扱い続ければ、いずれその本来の意味が忘れられ、多数派が使う意味が前面に出てくることになる。それは、本当の意味で「狂気」に陥っている人間を救う道を塞ぐことになりかねないと肝に銘ずる必要があるように思える。終わり




