ゾンビかスケルトンか
「水は十分にあるんですか?お風呂入りたいんですけど」
山下さんの言葉に、後藤は自分の見た目や体臭が気になった。
会社には、一応、シャワールームはある。
だが、いまは機能していない。
この一年、後藤には風呂に入る余裕などなく、水浴びで済ませて来たのだ。
「三号棟の裏に井戸はあるけど風呂桶はないね。ドラム缶風呂でも作る?」
山下さんの表情が固まった。
「ド、ドラム缶ですか……」
「私、ドラム缶風呂、試してみたいです」
北川さんが手を上げた。
彼女はポジティブだ。
それとも、これは場の雰囲気を良くしようという演技なのか?
「そうようね。贅沢言っちゃだめよね」
北川さんのフォローで山下さんは気を取り直したようだ。
「ところで後藤氏、ここは危険とかあるん?」
三好はボディバッグから覗く拳銃のグリップを指先でつついた。
「野犬がかなりいる。一度大きいのとは戦いになった」
後藤は、狩場となり得る自然公園に野犬が住み着く懸念を語った。
「えー、犬が敵なの?私、犬派なんですけど」
「私は猫派よ。後藤さんは?」
「猫派」
「わーいっしょね」
北川さんは楽しそうだ。
北川さんの笑顔。
後藤はそれが貴重なものに思えた。
それが演技だという可能性があるにしろ。
彼女たちが笑顔を失わないようにしなければならない。
それは自分の義務だ。
後藤はそう感じた。
そもそも彼女たちが暗い気持ちになるのはまずい。
思いが現実世界に影響している可能性があるのだから。
「いっそのこと、井戸付きの古いお屋敷でも探してそこに住む?」
水道のない時代に建てられた古い屋敷なら、普通、風呂の近くには井戸がある。
後藤はそう考えて提案した。
だが、トイレは――
バケツで流すしかないだろうが、とりあえずいまは黙っていよう。
「夢の一戸建てがタダで手に入るんだ」
山下さんは微笑んでそう言ったが、その表情は硬い。
たぶん、無理をしている。
「でも、世界が突然もとに戻って、本来の住人と鉢合わせしたら気まずいよね」
北川さんは後藤と似たような考え方のようだ。
後藤は彼女に仲間意識を持った。
「だね。じゃ、ドラム缶で。コウちゃん、後藤さん、よろしく」
山下さんは、また微笑んで見せた。
今度の笑みは、少し硬さが取れている。
「ま、肉以外は何とかなるから安心してよ」
後藤は話を逸らす。
「肉はダメって江戸時代みたい」
北川さんがそう言い、皆が笑った。
「あ、そうだ。鶏肉ならなんとかなるかも。自然公園でコジュケイが捕れる」
後藤は体調管理もかねて、普段からよく自然公園を歩いていた。
世界がこんな風になる前から。
公園内にはコジュケイがかなり繁殖している。
コジュケイはニワトリと同じキジ科で、チョットコイという鳴き声が特徴。
その声は大きく、チョットコイの合唱はうるさく感じるほど。
コジュケイは、もともと大正時代に狩猟目的で日本に持ち込まれた種。
それが神奈川を中心に繁殖地が拡がっていったらしい。
大繁殖するほど放鳥された理由は?
理由の一つははもちろん味だろう。
狩猟の対象となる野鳥の中では味がトップクラスとも言われている。
つまり、コジュケイは、こんな世界では高級食材になり得る。
そして、ありがたいのは、それが外来種だということ。
捕っても自然破壊をしているような気分にはなりにくい。
「へぇー、おいしいんだ」
山下さんは「味がトップクラス」に反応した。
「ニワトリで経験あるから捌くのはまかせて」
「よし、三好に任せた」
後藤はこういうのは苦手だ。
だから、三好の申告は渡りに船と歓迎した。
「ところで、話は変わるけど、ひとつだけ注意してほしいことがある」
「なになに?」
山下さんの口調は軽い。
それほどコジュケイの味に期待したのだろうか。
「『念』と言えばいいかな、強い思いには注意してほしい」
「どゆこと?」
三好には何のことかわからない様子。
後藤にしても、平時であればこんな話はしない。
三好の態度が普通なのだ。
「ここだと、望むもの、あるいは恐れるものが現実になるんだ。変なことを思い浮かべると、それが現実になりかねない」
「何か現実になったんですか?」
北川さんは、いつもの何を考えているかわからない表情でそう聞いた。
君たちがここにいるのは私の――
後藤はそう言いそうになったが、なんとなく恥ずかしくなって言うのをやめた。
だが、そんなことよりも、恐れるべきは、あの暗闇での出来事。
後藤は、どう説明すべきか悩んだ。
「言わない方がいいんじゃないかな?下手に言うと想像しちゃうでしょ?」
「でも、知っておいた方がいいこともあるかも」
山下さんはポジティブだ。
「うーん、そうかなー」
後藤は山下さんの考えを受け入れることにした。
「暗闇で、人形が動き出したんだよ」
「後藤さんが怖いと思ったから?」
北川さんの表情は、面白そうなものに変わった。
そして、つづける。
「後藤さん、人形が怖いの?大丈夫。今度から私が守ってあげるから」
北川さんは……。
後藤には理解できないタイプなのかもしれない。
そういうところが面白いという思いもなくはないが。
「後藤氏、武術経験あって強いっしょ?人形ごときバシッと、ね?」
三好も後藤のことが理解できていないようだ。
「幼少期に、人形が動くのを見た経験があって、それがちょっとね」
後藤は正直にそう言った。それは、後藤にとって、かなり勇気のいることだったけれど、ここにはそれをからかう人もいなく、軽く流されてしまった。彼らは善良な人たちなのだ。後藤は、自分が彼らを見誤っていたことを反省した。
「ああ、やめよ。この話題、よくないよ」
山下さんがストップをかけた。
考えれば、それが現実になりかねない。
山下さんは、それを信じてくれたようだ。
「あ、うっかりゾンビを想像しちゃった」
三好がふざけてそう言った。
「日本は火葬だからゾンビは出ないでしょ」
北川さんは楽観的だ。
「そっか。でも火葬しても、骨は――」
「コウちゃん、それ以上はだめ」
三好の発言を山下さんがさえぎった。
しかし、彼女の口調は軽い。
後藤の言うことを信じはしたが、それほど深刻には捉えていないのかもしれない。
「えーと、骨はー……。思い出した。スケルトンっ!」
三好は余計なことを言う。
後藤はそれで思い出してしまった。
犬もカラスも、死ねばすぐに食料になる。
やつらは共食いも厭わない。
死んだらきれいに食い尽くされる。
いくらか残った喰い残しも、ネズミがきれいに片付ける。
何度か見た死体は、翌日には肉片すら残さず骨になっていた。
後藤は、その骨が土をかき分けて地面から這い出てくる姿を想像してしまった。
だから――
「ぅわー、コウちゃんが変なこと言うから!」
アスファルトにひびが入り、そこからカラスや犬のスケルトンが這い出てきた。
カラスの死体があったのはグランド。
殺した犬は放置したままだから、骨は街中にあるはず。
それなのに――
目の前に出てきたスケルトンは、後藤が殺したカラスや犬で間違いないように思える。
その場にある骨がスケルトンになるのではなく、想像すれば引き寄せられて……。
――あいつらは自分を恨んで……。
後藤は動けなくなった。
が――
「ふんっ」
三好がカラスのスケルトンをすべて踏み潰した。
つづけて、犬のスケルトンを蹴飛ばす。
頭蓋骨が転がっていく。
目を戻すと、散らばった骨はすべて消えていた。
「コウちゃんかっこいい!」
後藤は硬直していたが、一方で三好はこうした現象を恐れることなく対応した。
「三好、すごいな」
後藤は三好を素直にほめた。
「後藤氏はニワトリとか絞めた経験ないん?」
三好は農家の出で、ニワトリを絞めるのは普通だったと言う。
ニワトリは首を斬っても、しばらく動いている。
だから、死んだはずのものが動いても、特に恐怖は感じないそうだ。
「ニワトリは、首を落としても18か月生きていた記録もあるんよ」
それは1945年にアメリカのコロラド州で起きた実話だ。
「首なしマイク」として知られている。
「後藤さんにも怖いものってあるんだ。なんか新鮮」
北川さんは、妙なところに感銘を受けたようだ。
「大丈夫大丈夫」
そう言って、彼女はそっと後藤の手を握った。




