望むもの、あるいは恐れるもの
日の光のありがたさを感じながらカートを引きずって歩く。
そうしながら後藤は考えつづけていた。
三好たちは並行世界にいる。
並行世界とは?
三次元空間座標が四次元以上の座標軸で少しだけずれている状態?
三好は会社にいたのに駅前に現れた。
つまり三次元的に一キロ程度のずれがある。
並行世界は三次元的に正確に重なっているわけではなく、微妙にずれているのか?
ずれを引き起こす原因は?
地震?
地震波が共振条件を満たしたら、それがトリガーとなるとか?
後藤は妄想をつづける。
人が並行世界を移動するトリガーは何なのだろう。
思うこと?
三好が現れたのは、思い出に浸っている時だった。
三好が消えたのは、彼が残して来た二人を強く意識した時だった。
思えば、こんな事態になる前、後藤はひとりになりたいと思っていた。
ゲームセンターやモールでは、孤独を強く意識した。
意識したせいなのか、妙な音も聴こえていた。
意識することで、怪奇現象さえも起こり得る。
意識すること――
後藤は知っている。
いままでできなかったことが、突然できるようになる瞬間を。
研究開発の場で、後藤はそれを何度も経験した。
その瞬間を超えると、いままでできなかったことが不思議にさえ思えるようになる。
その瞬間を超えるのが研究者としての醍醐味だ。
だが、その瞬間を超える経験は、オカルト的でもある。
世界が自分の考えを認めてくれた。
それは、そう感じる瞬間でもあるのだ。
――もしも人の思いが世界を創っているとしたら?
だとしたら、三次元座標がずれているとかいないとか、そんなことは関係ない。
人の思いが世界を創っているのなら、科学的思考など意味がない。
強く念じることで世界は変わる。
ということは――
それはたぶん睡眠時に見る夢と同じようなものだ。
多くの創世神話によると、この世界のできる前は混沌であった。
混沌に定義を与えたのがこの世界だとすれば、混沌はまだ世界の外縁に存在する。
混沌がこの世界に染み込んでくれば、世界はより人の思いの影響を受けやすくなるかもしれない。
――だとしたら、この世界は確固としたものではない。
後藤は学生時代の友人のことを思い出した。
彼女はタロット占いにのめりこみ、押し売りのように学友たちを占っていた。
望むもの、あるいは恐れるもの
それはケルト十字法の9番目のポジション。
「どうして正反対の概念なの?ここだけなんか抽象的すぎない?」
後藤は彼女にそう質問したことがある。
答えは――
「うるさい」
彼女は、ただ黙って受け入れろと言った。
たぶん、彼女自身その意味が分かっていなかったのだろう。
いまならそう思える。
その正反対の概念については、いまもなぜか印象に残っている。
人の思いが世界を創っている。
ならば――
うっかり強く考えてしまったことが世界に影響を与える。
だから、「望むもの、あるいは恐れるもの」なのだ。
もしそれが正しいなら?
ひょっとしたら、ケルト十字法は世界の真実を知った人物が考案したものなのかもしれない。
だが――
多くの人たちの思いが複雑に作用すれば?
それが現実世界を複雑にしている。
いろいろな「思い」が絡まり合って世界に作用しているのだろう。
だから現実はままならない。
後藤の思考は科学という枷から解き放たれ、さまざまな方向へと拡がっていく。
では、理論的に考えると――
超弦理論は十次元を示唆する。
我々の知覚し得ない余剰次元の効果が電磁気学や光学に隠れて存在したら?
それは、これまで、無視できるほど小さかったかもしれない。
しかし、大規模宇宙現象かなにかで顕在化したら?
カルツァ-クライン理論。
五次元時空。
そこで重力だけを考え、余剰次元をコンパクト化する。
四次元では重力に加えて電磁気学(マクスウェル方程式)が自然に現れる。
つまり、電磁場は余剰次元の幾何学的効果として解釈可能となる。
これを拡張すると――
十次元でも似たメカニズムで電磁気学が余剰次元の影響を受けている可能性が示唆される。
マクスウェル方程式を五次元以上に拡張すると、追加の項が現れる。
これらは重い粒子や追加の場として振る舞う。
低エネルギーでは効果的に無視されるが、数学的には存在する。
光学では、余剰次元が光の偏光回転を引き起こすモデルがある。
媒質中の光伝播に微小な修正を与える可能性が示唆される。
大型余剰次元モデル
ワープ余剰次元モデル
これらのモデルでは、高次元項は摂動として存在し、小さすぎて無視可能とされていた。
だが、理論的には排除されない。
大規模宇宙現象などで顕在化する可能性は残っている。
たとえば、高エネルギーの重力波の通過。
たとえば、近隣での超新星爆発。
時空を激しく揺さぶるイベントを想定すると、コンパクト化されていた次元が解ける。
そうなれば、光の速度でさえ影響を受けるだろう。
厳密にいえば、光の伝搬特性が変わるというべきか?
後藤はここで溜息をついた。
超弦理論からいろいろと考えた。
だが、その超弦理論にしてもランドスケープ問題などがあるわけで。
すべては――すべての物理法則は、確固たるものではない。
後藤の思考は、最終的にそこへと行きついた。
――理論を持ち出すのは無駄かもしれない。
多くの創世神話では、この世界ができる前の状態は混沌だったという。
日本神話によると、最初にできたのはおのころ島。
その島がこの世界の最初なら、当初、それは混沌に浮かんでいたのだ。
その島が拡がって――
――現在も、この世界の外側は混沌なのか。
世界の外側は、世界ができる前の状態と同じだとする。
それなら、混沌が宇宙、あるいは世界の謎の行きつくところなのでは?
無限はただの概念で、すべての物には終わりがあり、果てがある。
そう考えれば、世界が無限に広がっているというのは答えにならない。
果ての向こうは無?
いや、無はいつまでも無。
何かが生じる因子が存在するなら、それは無ではない。
無から有が生じることはない。
シュウィンガー効果?
だが、そこには強力な電場のエネルギーが想定されている。
エネルギー保存則を無視して無から生じたわけではない。
完全な無であるとは言えない。
そもそも、あれは電場によって真空中に電子と陽電子が現れると言うものだ。
誰かが「無から有を生む」と意訳して、それが広まっただけ。
だが、後藤は考える。
それ以外にも、「無から有を生んだ」ように見える現象はあり得る。
余剰次元の概念を導入すれば、人間が観測できない領域からの移動はあり得る。
それは、無から有が生まれたように見えるだろう。
だが、それはそう見えるだけ。
――やはり、世界の外側が無ではおかしい。
外側が混沌なら?
それなら矛盾はない。
混沌とは?
それは眠っているときに見る夢のようなものなのだろうか。
ひょっとして、夢こそが現実?
量子関連の研究から、この世はシミュレーションだ、と言い出した研究者たちがいる。
彼らの考えが正しいのだろうか?
ひょっとしたら、科学とは、混沌を都合よく解釈しただけの幻なのかもしれない。
いや、混沌がランドスケープ――膨大な可能性であるとしたら?
創造とは、人の思いが、膨大な可能性の中からひとつの選択肢を選ぶことなのか?




