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9話 バトルの〆はサンドイッチで

「何をなさっているんですか!」


 私の手からハサミを強引に奪い取ったのは、遅れて畑に現れたクロードだった。


「昨日到着されたばかりの令嬢にしては、お戯れが過ぎますよ」

 口調こそ丁寧だが、目の奥には静かな怒りが見て取れる。


「ごめんなさい、これには事情が――」

「ハサミを返せ、クロード」


 私が説明しようと声を上げかけたところで、シルヴァンが遮った。


「勝手に戯れだと決めつけるのは、セリエ嬢に失礼だろう」

「シルヴァン様まで、どうされたのです」

「先ほどまで畑について彼女の話を聞いていたが、俺は理があると思った。クロードも一度話を聞いて欲しい」


 シルヴァンの真剣な眼差しを、しかしクロードは肩をすくめて受け流した。


「理、ですか。どうせ都会の方がおっしゃるのは机の上で学ばれた知識。おおかた、葡萄の実がつきすぎだから間引きたいとでもいうのでしょう」


 図星だった。

 でも、だったら何故……


「その通りよ。分かってるなら話は早いわ」


 私はクロードを真っ直ぐ見た。


「間引いてワインの質が上がれば、値段は今の倍――いえ、それ以上で売れるわ。生産量が半分になっても、売上は落ちない。それどころか、必要な樽も瓶も半分で済むし、仕込みにかかる手間も減る。売り上げが増えてコストが減れば、いいことづくしじゃない」


 私は指先で、房を軽く弾いた。


「この葡萄の木には、それだけのポテンシャルがあるの。確実に利益率が上がる方法があるのに、やらない手はないわ」


 クロードは少し驚いたように片眉を上げた。


「……なるほど。数字がお得意のようですね。都会のお嬢様だと、少々見くびっておりました。失礼を」


 慇懃無礼という言葉がぴったりな、わざとらしいお辞儀をして見せた。

 しかし、その直後に見せた彼の瞳は、先ほどよりさらに憎悪を増していた。


「ですが……机上の空論ですね」


 クロードはため息まじりに言い捨てた。


「そんなに簡単な話なら、どこの農家もとっくにやっています。急な霜、雹、病気……なにが起こるか分からない畑で、最初から実を減らすなど自殺行為です。領民の暮らしは、“今年はたまたま質が良かった”では守れないのですよ」


 私はグッと言葉に詰まってしまう。

 確かに私に農業の経験は、ない。

 想定した結果が必ず起きるとは限らないのが、自然を相手にするということの難しさだ。

 クロードは反論してこない私をみて、さらに言葉を繋ぐ。


「それに、どんな質の高いワインでも、買い手が付かなければお金にはなりません。王都の商人からは、継続して一定の量の出荷を約束して欲しいと言われています。私はこの領地を支えるものの責務として、土地への安定収入を生み出す方針をあえて選んでいます。奥様にその気概がおありですか?」


 ぐうの音も出なかった。

 確かに、私の話は理想論だ。

 だけど、だからと言って品質を無視した量産に未来がないことも、事実だと思う。

 この相反する気持ちを、どう伝えたら良いのだろう。


 記憶を取り戻して数ヶ月ではあるが、私が見てきた王都のワイン市場では、確かに質の高い酒が評価されていた。

 シャトーの格付け以外でも、J.O.ポイントと呼ばれる評価点が高いワインは驚くような価格で取引されている。

 一方、「それなりに飲めるワイン」なんて、いくらでも余っていた。

 だが、それをいくらここで話しても平行線になるだろう。


「クロード」


 私がどう切り返そうかと悩んでいると、シルヴァンが静かに呼んだ。


「……はい、シルヴァン様」

「お前の言い分も分かる。領地を預かる者として、安定を重んじるのは当然だ。そんなお前にこれまで助けられてきた。だが、セリエ嬢の指摘も無視はできない。父上が心血を注いだ畑が、質を落としているのも事実だろう?」


 クロードの眉が、わずかに動いた。


「質……ですか。しかし……」

「提案がある」


 シルヴァンはクロードの言葉をやんわりと遮った。


「この斜面の、ここの数列だけだ」


 そう言って、足元の畝を指さす。


「この区画だけ、セリエ嬢のやり方を試してみたい。残りは、これまで通りお前の判断に任せる」

「シルヴァン様……!」


 クロードが抗議の声を上げる。


「たかが一区画だ、クロード。それで領地経営が傾くことはない。結果が出れば、俺も、お前も納得できるだろう?」


 クロードはぎゅっとハサミを握りしめ、しばらく黙り込んだ。

 やがて、観念したように息を吐く。


「……承知しました。その区画に限り、シルヴァン様のご判断に従いましょう」


 口調は従順だが、目は笑っていない。

 それは、そうよね。

 ぽっと出の領主の妻の意見が、長年支えてきた自分の意見より優先されるなんて、許し難い気持ちは理解できる。

 私にできることは、結果を残すことだけだ。


(ありがとう、クロード。そしてシルヴァン。決して、この判断を後悔はさせないから)


 言葉に出しても反発されるだろうからと、私は祈りに似た思いを込めてクロードを見つめた。

 相変わらず、彼はこちらを見ようともしないけど。


「クロード、感謝する」


 シルヴァンは穏やかに頷くと、こちらに向き直った。


「セリエ嬢。さきほどの“摘果”というやり方、見せてくれないか」

「ええ、喜んで」


 私は、クロードから返されたハサミを受け取った。

 重さを確かめ、フィノワールの房を一つ選ぶ。


「まずは、“捨てる房”を決めて、房ごと切り落とします。育てるべき房を選別するのです」

 私は葡萄の木をじっと見つめる。


「……このあたりは間が詰まっているわ。特にこの房は風通しを邪魔してるわね」


 日当たりの悪い枝の内側で、葉に押し込められるようにぶら下がっていた小さな房を選び、茎を挟む。


 ぱちん。

 その音が、妙に大きく響いた気がした。

 周囲に比べればやや貧弱とはいえ、それなりの大きさの葡萄の房が、私の手によって未来を失った。

 私はこの代償を、必ず別の形で返さなければと思った。


 摘果は順調に進んだ。

 ある程度、房ごと切り落としたあとは、残した房からさらに弱々しい実を丁寧に切り離していく。

 周りの実に傷をつけないように細心の注意を払ってハサミを入れる作業は、自分の行為が正しいと信じながらも緊張感が拭えなかった。


 シルヴァンとロゼットも、見よう見まねで葡萄にハサミを入れていく。

 シルヴァンがモタモタとしているのを横目に、テキパキと摘果を進めるロゼットが印象的だった。この子、やっぱり手先が器用!

 クロードは終始無言だが、摘果した葡萄をバスケットに黙々と入れていった。


 そうして二時間も経っただろうか。

 太陽が真上を通り越してしばらく経ったころ、ようやく摘果を終えた我々は、葡萄畑横の小屋で昼食を取ることにした。


「しかし、こんなに葡萄をとっちゃって、なんだかもったいないですね」


 ロゼットはたくさんのバスケットにこんもりと盛られた青い実を、しげしげと眺めながら呟いた。

 そう言われると、少し心が苦しい。

 クロードのじっとりとした視線も、痛い。


 確かにそうなのだ。これが熟したブドウであれば、まだジャムやコンポートなど使い道もある。しかし摘果した葡萄は熟れる前。

 青バナナや青パパイヤはサラダに使うって聞いたことがあるけど、葡萄はねぇ…


「セリエ様?」


 ロゼットが黙り込んだ私の顔を心配そうに覗き込む。


「ああ、ごめんなさい。お昼にしましょうか」


 そうよ、クヨクヨしても仕方ない。

 それより今はギュスターブ特製のお弁当を楽しまないと!


 昼食用の包みを開けると、中にはサンドイッチが入っていた。

 パンは朝と同じ、コレットお手製の田舎パン。具はなんだろう?手前のはローストビーフ?真ん中はキャロットラペかしら?


「いただきます!」


 手前のものをとってパクりとかぶりつくと、牛肉の赤身特有のガツンとした旨味が口いっぱいに広がった。パンにたっぷりと塗られた発酵バターとマスタード。薄切りにした赤玉ねぎはわずかに辛味が残っている。葉物はクレソンかな?うーん、美味!

 でもちょっと口の中がもそもそする。


 と、すかさずクロードが、陶製のポットからカップに液体を注いでくれた。


「ミント水です、どうぞ」

「ありがとう」


 ひんやりとした器を口元に運ぶと、爽やかな香りが広がった。

 流石、仕事に私情は混ぜないらしい。

 完璧な執事っぷりである。


「クロードは食べないの?」

「私は後ほど。主人と同じタイミングで食事をとるわけには……て、こら!ロゼット!!!」

「…ひゃ、ひゃい!」


 気付くとシルヴァンだけでなく、ロゼットもサンドイッチを頬張っている。


「クロード様も……(もぐもぐ)一緒に……(もぐもぐ)……食べまひょ?」

「……」


 ま、マズイ。

 クロードが呆れてる。

 フォローしないと……と思っていると……




 ドサッ!!




 小屋の外で、何かが倒れる音がした。

 ロゼットはサンドイッチを一気に飲み込むと、


「私、見てきます!!」


 と、慌てて外に飛び出した。

 なるほど、こうやってクロード対策をしてきたのね。


 ややあって、ロゼットが戻ってきた。


「セリエ様〜、人が倒れてます!」


 それは一大事!

 皆で小屋の外に向かうと、そこには一人の男性がうずくまっていた。

 彼はふと意識を取り戻し、私たちを見ると、今にも消え入りそうな声で、つぶやいた。


「さ、酒……じゃないや、水を、ください」

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