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7話 朝食はスープが冷めない距離で

 翌朝。

 私はベッドの上でひんやりとした冷たさと共に目覚めた。昼夜の寒暖差が激しいとは聞いていたが、想像以上だ。

 だが、これはワインにとって好ましい気候だ。ということは、私にとっても歓迎すべき気候である。

 それに経費削減で暖房を切られた深夜のオフィスで仕事することに比べれば、このくらいの寒さどうってことはない。

 昨夜は少しばかり飲みすぎた気もするが、良い酒が二日酔いになりにくいと言うのは本当なのだろう、爽やかな目覚めである。


 まだ正式な挙式前ということで、私は一人部屋をあてがわれていた。

 華美ではないが必要十分な設えで、寝具も清潔で気持ちが良い。鏡台の前には控えめな野の花がいけられていた。

 この地にやってきて二日目。さて、今日は何をしようか。

 ロゼットがやってきたので身支度を整えると、私は広間に降りていった。


 広間にはすでにシルヴァンとクロードがおり、朝食を期待させる良い香りが漂っていた。


「おはようございます、セリエ様。都会からいらっしゃった奥様には少々寒すぎたかもしれませんが、寝具は十分でしたでしょうか」


 おお?朝も早くから早速臨戦体制?その手には乗りませんよ。


 私は貴族社会で身につけた完璧な笑顔で応じる。


「いえ、爽やかな目覚めでしたわ。わたくしも、早くこの土地の気候に慣れていきたいので、皆様と同じで大丈夫です」


 葡萄が喜ぶ温度なら、私も早く慣れないとね!

 出鼻を挫かれた様子のクロードをスルーし、昨日と同じ席に着こうとすると、シルヴァン様が何か言いたげである。


「……」

「おはようございます、シルヴァン様。ご機嫌麗しゅう」

「ああ、おはよう。ところで、その…朝食のスープはとても美味しいんだ」


 なになに、どういうこと?

 確かに昨日の晩餐から察するに、朝ごはんもかなり期待できそうではある。


「それは楽しみですわね」


 私が正直な気持ちを伝えると、シルヴァンは少し口をモゴモゴさせて、さらに言葉を繋いだ。


「それに……スープは熱いうちに食べる方が……うまい」


 ??

 それは確かにその通りね。


「わたくしもそう思います」

「それでその……遠くまで運ぶと……少し冷めてしまうのではないか」


 !!??

 確かにこのテーブルはそれなりの長さだ。6メートルくらいはありそうに見える。

 しかし。スープが冷める距離では、断じてない。


 物理法則を無視した旦那様の謎理論に私が困惑していると、彼は泳いだ目を自身の斜め前の席に向けた。


「だ、だから。……その、こっちに座ったらどうだろうか。パンのお代わりも一箇所に置いておいたほうが冷めにくいだろう」


 な、なるほど?

 パンもほかほかが美味しいですものね?

 よく解らないけど、もしかするとデキャンタージュの件、もっと詳しく聞きたいのかもしれない。それに私も昨日聞きそびれた領地の話を色々と知りたかったところ。願ったり叶ったりだ。


「仰る通りですわ。温かいものは温かいうちに。それが料理への敬意ですものね」


 私はニッコリと微笑むと、シルヴァン様の近くの席へ移動した。

 クロードが周囲に気付かれないレベルで「はぁ……」と小さく溜息をついたのを私は見逃さない。

 でも仕方ないわ。一度ついた悪いイメージってそんなにすぐ払拭されるものでもないしね。気長に行きましょう。なんせこの地に骨を埋める覚悟ですので。

 クロードは能面の様な表情で私のカトラリーを移動させてくれた。


 程なく、スープが運ばれてきた。

 クリーム色でやや地厚のスープ皿の中には、乳白色でややとろみのあるスープ。

 早速すくうと、ん?ポタージュじゃない。荒く潰されたジャガイモと……薄切りになっているのはポロ葱かしら?うーん、あったまる!

 ミルクのコクの奥に出汁の旨みを感じる。これは……もしかしてハムの骨とクズ野菜を煮出したのかも。

 昨日も思ったけど、ここの料理長、只者じゃない!


 パンは田舎パン。いわゆるパンドカンパーニュのイメージだ。

 酸味は天然酵母由来かしら。噛めば噛むほど味がする。これとバターだけで赤ワインが永遠に飲めそう。

 って、まだ朝なのに、いけない、いけない。

 お水で我慢しないとね。

 ちなみにグラスに注がれたお水はミネラルたっぷりの硬水だ。転生した直後は慣れなかったが、これはこれでなかなか美味しい。


 スープを食べ終えると、グリーンサラダと、バターの香りたっぷりの、熱々のオムレツが出てきた。うわぁ、黄身の色が濃い!

 まずは冷めないうちに、オムレツから。そっとナイフを入れると、トローリ半熟で、チーズとキノコが入っていた。これまた絶品。チーズはなんだろう?白カビタイプの気がするけど、種類までは特定できず。ハフハフしながら三分の一くらいを一気に食べたところで、今度はサラダに手をつける。

 しっかりと水切りされた柔らかなリーフは、摘みたてを思わせるフレッシュさだ。

 しかし……


「……口に、合わなかったか?」


 思わず手を止めた私に、すかさずシルヴァンが声を掛けてきた。


「いえ、全て美味しくいただいております。特にこのパン、噛めば噛むほど味わい深くて……」

「お、嬉しいねぇ」


 声を掛けてきたのは、メイドのコレットだ。


「そのパンは私が焼いてるんだよ。祖母の直伝でね。この味だけはうちの人でも出せないから、私の役目って訳」

「うちの…?」

「ああ、ここの料理長のギュスターブは私の旦那なんだよ」


 えええ?びっくり。職場結婚ってことかしら。


「で、料理のことで何かあったのかい?」


 コレットは気さくに、でも少し心配そうに私の手元を覗き込んだ。


 私は食べかけのサラダに視線を落とし、正直に答えるべきか少し悩んだ。


「何かっていうほどじゃないんです。昨日のお料理は最高でしたし、今朝だって最初に出たスープも本当に美味しくて。あればもしかして出汁に……」

「ストップ、ストップ。うちのを呼んでくるよ。本人に聞かせてやってくれるかい?」


 コレットは厨房に向かうと、程なくして、髭もじゃの巨漢を連れて戻ってきた。


「ご挨拶が遅れました。ギュスターブ・マルタンと申します。この屋敷で料理長を務めております」


 ギュスターブは見た目にそぐわず(失礼!)礼儀正しく一礼をした。


「こちらこそ、ご挨拶できて嬉しいです。まだ二回しか食べていませんが、すっかりあなたの料理のファンになりましたわ」

「いや、かたじけない」


 大きな熊みたいな図体を縮こめて、ギュスターブは恐縮している様だった。なんだかちょっと可愛い。


「うちのは以前に王都の四つ星レストランでスーシェフをしてたからね、腕は確かだよ」


 コレットは自分のことのように嬉しそうに話す。


「まぁ!そんな凄腕の料理人の方が、何でまたこちらで料理長を?」


 私は思わず気になった質問をぶつけてしまった。だって、これだけの腕だ。王都でも十分にやっていけるに違いない。


「それはその……」

「ええ、まぁ、ねぇ……」


 雄弁だったコレットが急に口数が減り、ギュスターブと顔を見合わせて少し照れている。

 え?なに?なに?

 秘密なの?


「それより奥様、お料理についてお話があるとのことで」

 ギュスターブが強引に話の流れを変えた。

 まぁいいや、事情は今度聞くとしよう。


「今朝の料理に何か不手際がありましたか?」

「不手際なんてとんでもないわ。特にこのスープ、裏漉しせずにジャガイモの食感を残したのは、ジャガイモの甘みを活かすためでしょう?それに、この深いコク。……もしかして、クズ野菜と一緒にハムの骨を煮出して出汁を取ったんじゃないかしら?いえ、わずかに燻製の香りもするのよね、とするとハムではなくて骨付きベーコン?」


 私がついオタクの早口で一気に感動を伝えると、ギュスターブは小さいがよく見るとつぶらな瞳をパチクリさせた。


「……気付かれましたか。王都のシェフ仲間は『貧乏くさい』と笑いましたが、儂はこの骨って奴が大好きでして。このスープはご想像通り、骨付きベーコンの骨を使っとります」

「やっぱり!貴方の『食材を無駄にしない』という哲学、私は大好きよ」


 ん?大好きと発した途端、シルヴァンの動きが止まった気がするけど、気のせい?


 それはさておき。

 この食材への愛情たるや!少し会話しただけでもビンビン伝わってくる!!これなら思ったことを正直に伝えても大丈夫だろう。


「オムレツも火入れの加減が絶妙で、いう事はありません。ただ、私が気になったのは、サラダの味付けなんです」


 スーッと、その場の空気が変わった気がした。

 ギュスターブだけでなく、シルヴァンや、クロードも私の発言を待ち受けているのがわかる。


「始めに誤解ないようにお伝えしたいのですが、サラダも美味しかったのです。それはワインの神に誓って真実です」

「ワインの神……?」


 周囲にハテナマークが飛んだが、気にしない。


「使われていた葉物野菜も新鮮だし、味付けも完成されていました。ただ、ドレッシングが少し『存在感がありすぎる』気がして」

「存在感、ですか?」

「ええ。このお酢、樽で熟成させた赤ワインビネガーでしょう? 焦がした木のような甘い香りがする、とても芳醇で良いお酢です」

「よくお分かりで。それは当家自慢の品です」


 クロードが少し誇らしげに胸を張る。


「ええ。素晴らしいわ。でも、だからこそ朝食にはちょっとだけ重たい気がして……」


 ギュスターブがじっと私の次の言葉を待っている。


 ここまできたら、言うしかない。


「このオムレツはバターと卵の優しい味。塩分も夕食の時より控えてますわね?でも、だからこそ、合間にこのサラダを食べると、お酢の重厚な香りが口に残って、せっかくの卵とバターの風味を上書きしてしまう気がして」


「ああ、なるほど……。口直しにするには、味が強すぎるってことなのかねぇ?」


 コレットがポンと手を打つ。


「ええ、おっしゃる通りです。今のままでも決して味に問題がある訳ではないんです。ただ、もう少し爽やかな酸味が使えれば、と」

「なるほど、レモンの果汁の様なことだな?」


 突然のシルヴァンの発言に、その場にいたみんなはシルヴァンを見た。


「あ、いや、その。セリエが爽やかな酸味というので、昔南の方に出向いた際のことを思い出して、つい……」


 みんなの視線が恥ずかしくなったのか、下を向いて話すシルヴァン。やはりかわゆい。


「おっしゃる通りですわ。お酢をレモンの果汁に置き換えられれば更に完成度が上がると思います」


 それを聞いたギュスターブは、腕を組んで考え込んでしまう。


「レモン…か。確かに、奥様の言うとおりだ。ただ、この地において南の果実は高級品。そんなに簡単には手に入りませんで」

「そう…そうよね…」


 言われてみて、ハッとした。

 確かにここまで食材費を切り詰めて美味しいものを作っているのに、余計なことを言いすぎたかもしれない。


「ありがとうございます。次は工夫してみます」

「いえ、わたくしこそ食材調達についてまで考えが及ばず、勝手を申し上げましたわ」

「いやいや、こんなに真剣に感想をいただける機会なんて、王都で料理人してたってなかなかありやせん。ありがとうございます」


 ギュスターブはそういうと、再び調理場に戻って行った。



「確かにレモンなんてなかなか手に入らないわよねぇ」


 食後のチコリコーヒーを飲みながら先ほどの話を思い返していると、先に食事を終えたシルヴァンが何やらちらちらとこちらを見ている。あれ?流石にちょっとでしゃばりすぎたかしら。


 本音を言えば、昨日からずっと、この領地の畑を見たくてうずうずしている。

 もちろん偽ワインの一件もあるけど、シンプルに畑が見たい!聖地巡礼したい!!

 だけど、嫁いできて二日目で「葡萄畑を見せてください」とねだるのも、さすがに図々しい……を通り越して警戒されそうな気もして、私は自重していた。


「先ほどは、事情もよく知らぬまま、失礼を申し上げました」

「いや、セリエの料理に向き合う真摯な態度は素晴らしかった」


 ということは、ご不快という訳でも無さそうだ。じゃあ何だろう?


「それでその……よかったら、今日は我が領地を案内させてもらえないだろうか?」


 え?いいの??


「シルヴァン様、本日はご公務があったのでは?」

「そんなもの明日でも良い」


 クロードの制止を無視すると、シルヴァンは再びこちらを見て言った。


「せっかくこの地に嫁いでいただいたのだ。どこか見たいところはないだろうか」


 なんという僥倖!

 それってどこでもリクエストしていいんですよね?


「あの、よろしければ葡萄畑にお連れいただけないでしょうか?」

「そんな場所で良いのか?」

「はい!ぜひ!!」


 むしろ、そんな場所が良いのです!シルヴァン様!!


「では今から一時間ほど経った頃に出発でも良いだろうか」

「よ、喜んで!」


 葡萄畑というワードに、思わず居酒屋みたいな返しをしてしまったのは、我ながらちょっと反省である。

 それにしても、ついに葡萄畑とご対面だ!嬉しい!

 待っててね、我が愛しのピノノワールちゃん!

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