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3話 待ちに待った追放令と偽ワインの噂

「お父様、セリエです」

「入りなさい」


 重々しい声に促されて執務室に入ると、父アルマンは山積みの書類から顔も上げずにペンを走らせていた。

 心なしか、もともとある眉間の皺が、一層深くなったような気がする。私の婚約破棄がその皺をさらに深くしているのだとしたら、申し訳ないことだ。


 そのまま書類を片付けつつ、アルマンは私の方を見ずに口を開いた。


「アラン王子との件、聞いたぞ」

「すみません。父上にはご迷惑をおかけいたしました」


 心の中ではワイン三昧が確定して浮かれていたが、それとこれとは話が別だ。

 結婚とは家と家との結びつき。破談になったことで父に迷惑をかけてしまったことは確かだ。もちろん婚約破棄は小説の筋書き通りではあるし、私がどうにかできたとも思えない。それでも、この点に関しては本心から謝罪の気持ちでいっぱいである。


「いや、お前が謝ることではない。あの女、なんと言ったか……リナ。リナ・ドゥースは、どうやらピエールの差金らしい」

「ピエールというと、あの財務大臣の?」

 ピエールという名前はWEB小説でも登場していた気がするが、あまり記憶にない人物だ。おそらく端役だったのだろう。

 それにしても、小説の主人公のはずのリナに、実は黒幕がいたなんて。事実は小説より奇なり、だ。あ、いや、ここは小説の中なんだっけ。でも、私にとってはこれが現実で……まぁ、どちらでもいいか。


「あやつは隙あらば王家に取り入ろうと狙っている低俗な男だ。以前からワシを目の敵にしていたからな。今以上に王家と我が家系の結びつきが強くなるのを邪魔したかったと見える」

 ええ?溺愛系グルメ小説と思いきや、実は意外と内情は複雑だったのね。そんな敵対関係があったなんて。

 でもね、申し訳ないけど正直今の私はリナもピエールももはやどうでもいい。本題はこの先にあるのだ。


 アルマンはようやくペンを置くと、苦々しい表情で顎髭を撫でた。髭を触るのは、言い出しにくいことがある時の父の癖だ。

「今回の件はピエールの陰謀であり、お前に非がないことはワシもよくわかっている。だがな、このまま王都に留まり、王太子に捨てられた女だと腫れもののように扱われるのは、お前も本意ではあるまい」

「それは、そうですわね」

 お、そうそう、その流れ。待ってましたわ。

 アルマンは相変わらず私と目を合わせようとはしない。なんて切り出すのかを悩んでいるのだろう。

「そこで、提案があるのだ。ワシも悩んだ。悩んだのだが、その、一度王都を離れて暮らしてみるのも良いかもしれぬと思ってな。都会暮らしに慣れたお前にはつらいことかもしれんが……」

 ええい、まどろっこしいなぁ。本題はよ!

「実は以前よりブローニュ領のヴィーニュ辺境伯家からは、良縁があれば是非妻となる人を紹介してほ」

「私、嫁ぎます」

「は?」

「だから、良縁があれば妻となる人を紹介してほしいと言われてるんですよね?私、嫁ぎます、ヴィーニュ家に」

 私の被せ気味の即答に、アルマンが戸惑っているのがわかる。

 が、ここはなりふり構っていられない。

「よ、良いのか?ブローニュ領は痩せた土地で財政も厳しく」

「そんなのわたくしが建て直せば済む話です」

「りょ、領主のシルヴァンは女性嫌いで有名だと聞くが」

「女好きの殿方の方より、ずっと好ましいです」

 ここにきてようやくアルマンは顔をあげ、私の方を見た。

 沈着冷静な父が初めて動揺した表情を見せた気がした。

「……お前、そんなに結婚したかったのか?」

 ぎくっ。そういう訳ではないんだけど……

「も、もちろんですわ。結婚は女性の夢ですから」

「……」

 黙り込んでしまったアルマンからは、こんな心の声が透けてみえた。

(まさか、ワシに心配をかけまいと、嫌な顔ひとつせず即答したのか……? あの痩せた土地へ行くというのに……なんて気丈で、そして親思いな娘なんだ……!)

 そしてその目が、僅かに潤む。

「そうか……ううっ……セリエ、一時は育て方を間違えたのかと悩んでいたのだが、いつの間にか立派な淑女になっていたのだな……」

 育て方を間違えたって……私が転生する前のセリエ、よほどのジャジャ馬だったのね。

 それにしても……

 男泣きしそうな父を見て、私は内心冷や汗をかいた。

(やばい、感動してる。ワイン飲みたいだけだなんて死んでも言えない)

「お父様、どうか泣かないでくださいませ」

(出発の準備が遅れますし)

 にっこりと微笑む私に、アルマンはここにきて初めて、口元に笑みを浮かべた。

「……ありがとう。亡くなった母上も、きっとお前を誇りに思っているはずだ」


 う……気まずい。

 この際、勘違いでもなんでもいいかと思っていたけど、やはり親の涙を見るのって心が痛む。


 だが、私が良心の呵責に苦しんでいるのを知ってか知らずか、ややあってアルマンはいつもの宰相の顔に戻った。

「そこまでの覚悟があるなら、良い。婚姻自体の手続きはすぐに整えよう。ただし、正式な挙式とお披露目はブローニュ領の収穫祭に合わせるつもりだ」

「収穫祭、ですの?」

「あの地では一年で一番の祭だ。遠方ゆえ王都で盛大に式を挙げる余裕もない。ならば、収穫と婚礼をまとめて祝えば、領民への顔見せにもなるし、余計な費用もかからんだろう。向こうの家も異存はあるまい」

 さすがは我が父だ。万事抜かりがない。

「で、ここからはビジネスの話だ」

「はい」

 部屋の空気が一瞬でほのぼのホームドラマのノリから切り替わり、サスペンスよりの緊張感を孕む。

 こういう切り替えの早さが、宰相たる所以なんだろう。

「王都の酒場で、妙な噂が流れているのを知っているか?」

「噂…ですか?いえ、特には」

 公爵令嬢が酒場に行くことはほとんどないのだが、私が以前にこっそり身分を隠して出入りしていたことをアルマンは知っていたのだろう。

 それにしても、噂とは一体……。


「実は、ボルデール産の特級ワインにきな臭い話があるのだ」

「!!!」

 ボルデールと言えば、前世でいうところのボルドー地帯。

 その最上級のワインにきな臭い話、ですって!?これは聞き捨てなりませんわ。

「その話、とは?」

 アルマンはそっと私を手招きした。

「どうやら、偽物が流通しているらしい」

「偽物ですって!?」

「しーっ、静かに。この話はまだ王国内でも限られたものしか知らぬのだ。どうか内密に頼む」

「申し訳ありません」

 謝りつつも、私は怒りの気持ちが抑えられない。ワインの偽物なんて、一体誰が?

「ワシはこの件、ピエールが絡んでいると見ている」

「事情はわかりました。それで、父上はわたくしに何を頼みたいのです」

「お前が嫁ぐブローニュ領もワインの産地。その上、数年前から品質が落ちているとの噂だ。偽ワインの件に何か関わっているかもしれない。傷心の上、嫁ぎ先で秘密を探れというのも酷な話だとは思うが」

「いいえ、望むところです。何かわかったら、すぐにご連絡いたしますわ」

「と言っても、現段階でヴィーニュ家自体に疑惑があるわけではない。今は等しくワインの産地に探りを入れている状態だ。くれぐれも慎重に頼む」

「密命、確かに承りましたわ」


 こうして私のワイン三昧への日々は、波乱の予感と共に幕を開けたのだった。


 一方その頃ブローニュ領では、ヴィーニュ家の若き領主シルヴァンと執事のクロードが、夕陽に照らされた葡萄畑を見下ろしていた。

 シルヴァンの手には手紙が握られている。

「シルヴァン様、本当に宜しいのですか?」

 クロードの言葉には、やや批判のニュアンスが滲んでいる。

 だが……

「ああ、全て決まったことだ。俺は父上の指示に従う」

 長い前髪の奥に潜むフォレストグリーンの瞳が、僅かに光ったようだった。

 その手紙には、ボーモン公爵家の紋章と、セリエ・ボーモンの名が記されていた──

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