28話 山猫亭の夜
「こんな感じで宜しいでしょうか……」
まばらに生えた無精髭。
シャツの上二つのボタンは外され、わざと着崩したような格好だ。
まさかこれがブローニュ領きっての堅物執事、クロードだとは誰も思うまい。
「完璧よ、クロード」
私が褒めると、彼は居心地悪そうに俯いてしまった。
屋敷で計画を立ててから一週間。
潜入の準備を整えた私たちは、いよいよ今から目的の酒場へ向かうことになっていた。
ちなみに私は、髪をゆるくまとめてベールの内に収め、できるだけ地味な服を選んでいた。
メイクも最低限にし、血色感は抑えてある。没落貴族がお忍びで王都に来た、という体裁である。
誰が見ているかもわからない以上、今回は父アルマンの屋敷には寄らない。ブローニュから王都へ入ると、私たちは目立たぬ安宿を取った。
もちろん、部屋は別々である。既婚者という立場はもちろんだが、今回はクロードとの関係を「没落令嬢と、やさぐれた従者」という設定で通すつもりであった。
クロードには納屋同然の狭い部屋しか取れなかったが、この際そこは我慢してもらうしかない。
そういうわけで、準備を整えた私たちは目的の酒場へと向かった。
◇
酒場、山猫亭。
クロードに案内された店は、城下町の一角、ただし大通りから少し外れて、やや人通りのまばらな区画にあった。
「ここで、間違いないわね?」
私が看板を見ながら確認すると、クロードは小さく頷いた。
彼の表情がわずかにこわばる。
「それでは、手筈通りに」
「はい。奥様も、くれぐれもお気をつけて」
キイィ……
私は、軋む木製のドアを押し込み、一人客を装って店内に入った。
薄暗い店だ。
見回すと、カウンターが10席ほど、それから、小さめのテーブル席がいくつか。
よく見ると、衝立のようなもので区切られた奥に、さらにいくつかの席があるようだった。
まだ時間が早いからか客足はまばらで、カウンターに先客はいない。
私は緊張を押し殺し、さも偶然店を見かけて立ち寄ってみたという風に振る舞いつつ、カウンター席に着いた。
「見ない顔だね」
店主だろうか。
カウンターの内側にいた男性が、声を掛けてきた。
「昨日リュミエールに着いたの。何か軽めでさっぱりしたお酒をいただける?お任せするわ」
わざとはすっぱな口調で注文を告げる。
「はいよ」
キイィ……
私のドリンクが渡されるのと同時くらいに、クロードが店内に入り、隅にある二人掛けのテーブル席についた。
「親父、酒だ。強いやつを頼む」
普段のクロードを知る人が聞いたら驚くような、ざらついた声だ。
演技力が凄い。彼、意外と俳優が向いてるんじゃないかしら。
ほどなく、クロードのテーブルに蒸留酒らしき酒がストレートで置かれた。
暗いのと距離が離れていることで、酒の種類まではわからない。
だが、ここまでで計画の前段は完了だ。
私は手元の酒を見た。
グラスの中に、赤みを帯びたオレンジ色の液体が満たされている。香りは、甘く、わずかにシナモンを感じた。
一口含むと、柑橘の風味が通り過ぎた後に、べったりとした甘さが舌にまとわりつく。
前世の安居酒屋で飲んだカシスオレンジのような、薄っぺらな味だ。とてもじゃないが好んで飲みたい味ではない。
「どうだい?」
「変わった味ね」
無理に褒めるのがプラスに働くとも限らない。
私は正直な感想を口にした。
「田舎から出てきたお嬢ちゃんは初めてかな。これは今流行りのルージュ・ド・エピスって酒だよ」
「……!」
思わず息が止まりそうになった。
だが、ここで動揺を見せるわけにはいかない。
グラスの中身をもう一度見つめる。
こんな甘ったるいだけの酒が、私の作ったルージュ・ド・エピスであるはずがない。
「あら、これが噂の」
「甘くて飲みやすいだろ?オレンジジュースで割ってみたんだ」
「そう、ですわね」
ここが暗くてよかった。
そうでなければ、怒りが伝わってしまったかもしれない。
私は平静を装い、無理やり微笑みを作って言った。
「なかなか買えないんでしょう?どうやって手に入れたの?」
偽物を出されたことは許し難いが、これも何かのチャンスかもしれない。
もちろん偽物の酒の入手経路を素直に教えてくれるとは思わないが、これが何かの糸口になればと、私は問うた。
店の男はひょいと片眉をあげてみせた。
「お嬢さん、商売の秘密を明かすわけにはいかないよ」
「それはそうですわね、無粋なことをお聞きしました」
私は黙って手元に視線を落とし、グラスをわずかに指で弾いた。
澄んだ音が小さく響く。質は悪くない。カウンターの木材も重厚そうだ。
さりげなく周囲に視線を泳がせると、暗さに目が慣れてきたのか、先ほどより店内の様子が良く見えた。
調度品は全体的に高級感があり、大人の隠れ家といった雰囲気の店だ。
密会や内緒話、商談を持ち掛けるにはうってつけだろう。現に少し離れた席には不適切な関係を匂わせるカップルがひっそりとワインを傾けていた。
「誰かを探してるのか?」
店の男が、ナッツの入った小皿を私の前に置いた。
「これは?」
「サービスだ。何も食べないで飲むと胃に悪いよ」
「ありがとう」
男は探るような目でこちらを見た。
「勘違いならいいんだ。ただ、お嬢さんが何やら周囲を気にしてる様子だったからね。訳ありかい?」
「……そう見えたかしら」
私はナッツを一粒つまみ、わざと少しだけ間を置いた。
どう出るべきだろうか。
否定すると、会話が終わってしまう。まさか店から探られると思わず、咄嗟に良い返しが思いつかない。
目的はジルらしき人を見つけること。必要以上踏み込むなとシルヴァンからも言われている。
しかし……
「頼みたいことがあるの」
私は腰の巾着から銀貨を一枚抜き出し、指先に隠すように握り込んだ。
そして少しだけ身を乗り出すと、グラスの陰に滑らせるように、そっとカウンターの上へ置く。
男は手慣れた様子でその硬貨を懐にしまった。
「話くらいなら聞こうか」
「あなた、口は固い?」
「どうかな。もう少し色をつけてもらえれば」
「それはこれからの働き次第ですわね」
あまり下手に出ても舐められてしまう。
追加の金は渡さず、本題に切り込むことにした。
「私の代わりに、ある品をさばいてくれる人はいないかしら」
「!!」
男の顔色が変わるのがわかった。
「ある品、とは?」
「それはここでは言えないわ」
不敵に微笑んでみせたが、言えるわけがない。
そんな品は存在しないのだから。
実際に商談になったら考えればいい。
まずは相手の懐に飛び込む。前世でも、そうやって仕事を取ってきた。
「……少し待ちな」
男は少し考えてから、店の奥に入っていく。
一体この後、どうなるのか。
チラリとクロードを見やると、わずかに頷くのが見えた。彼がついているから、大丈夫だ。
出立前にシルヴァンから聞いたクロードの腕前を思い出し、心を奮い立たせる。
程なくして、男は別の男を伴って戻ってきた。
男は焦茶の髪。太っていて、そして鼻の下には髭……
再びクロードを目の端にとらえると、頬杖をついて酒を飲んでいる姿が見えた。
ビンゴだ。
同一人物が出てきたら、頬杖をつく。
事前に決めた符牒である。
私はごくりと唾を飲み込んだ。
「頼み事があるというのはお嬢さんかな?」
口調は柔らかいが、値踏みするような視線が私を貫く。
やはり、表には出せない仕事をしている人物に違いない。
私の直感がそう告げていた。
「あなたが引き受けてくれるの?私の名は……」
「自己紹介は結構」
太った男は、そう私の言葉を遮った。
「わざわざこんな場所へ足を運ぶからには、訳ありなんでしょう。軽々しく名乗るものじゃありません。……もっとも、偽名を使うおつもりなら話は別ですがね」
そういうと、にんまりと笑って見せた。
なるほど、お見通しってわけね。
これは油断できない。私はさらに気持ちを引き締めた。
「偽名なんてそんな……こういったことは初めてでして。でも、ご忠告感謝いたしますわ」
油断できる相手ではないが、裏取引に慣れてもいない。
そう相手から思われるように言葉を選ぶ。
もしかすると、それすら見抜かれているかもしれないけれど。
「なんて、お呼びすればいいかしら?」
「そうですな、ではマルセロとでもお呼びください」
男は鼻下の髭を撫でながら言った。
「では、わたくしのことは、シェリーと」
「シェリーさん。良い名ですね。それで、捌きたいものがおありだとか」
「ええ」
どうしよう。私は急いでありもしない取引について頭を巡らせた。
没落貴族だから、遺産関連がいいかしら。
最近父親が亡くなったことにする?
あるいは……
「では、詳しい話は奥でお聞きしましょう」
「え?」
しまった。
てっきりカウンターで話を進めるとばかり思っていたが、確かに新しくカウンターに客が来たら丸聞こえだ。
クロードの目の届かない場所に行くのは不安だが、ここで躊躇ったらかえって怪しまれてしまう。
どうすれば……
「わかりました」
悩んだ末に、私は結論を出した。
「ただ、その前にお手洗いをお借りしても?」
「その奥を突き当たって左だ」
「ありがとう」
私の思惑通り、ややあってクロードがやってきた。
私は手短に事情を伝えた。
「そういう訳で、今から奥のテーブル席に移るわ。何かあったら大声を出すから、助けに来て」
「そんな危ないことを……何かあったらシルヴァン様に申し開きできません」
「この店は城からそう離れていないし、完全な個室でもないわ。それに密談の場で騒ぎを起こされたら困るのは、むしろ向こうでしょう。手荒な真似はできないはずよ」
「しかし……」
「あんまり長居しても怪しまれるから、行くわ」
私はクロードを振り切り、元の席に戻った。
「お待たせいたしました。案内していただけるかしら」
私はマルセロについて、店の奥へと進んでいった。
巾着の中のブレスレットをそっと握る。
出立前に、シルヴァンが渡してくれたものだった。エメラルド色の宝玉が、シルヴァンの瞳を思わせる。
精霊の加護があるから、君を守ってくれるはずだと、そう言っていた。
もしも加護があるなら、どうか手掛かりを……!
私はそう強く願いながら、歩みを進めた。




