24話 選評の真意
「あれ?君たち、なんでこんなところにいるの?」
聞き覚えのある、どこか飄々とした声。
振り返ると、そこには見慣れた男が立っていた。
「ジュールさん……!?」
「やぁ、セリエちゃん、久しぶり。そうだ、もう聞いた?ルージュ・ド・エピス、めっちゃ評判いいよ」
「はい、聞きました……って、そうじゃなくて。なんでこんなところに」
「いや、それはこっちのセリフ……て、あ、それそれ」
私たちの手元の紙に気付くと、近寄ってきてヒョイとつまみ上げた。
「……ああ、なるほどね。下を切り取ったのか」
うんうんと頷くジュールに、頭がついていかない。
突然現れたのもそうだし、選評用紙を見てすぐに下を切り取っただなんて、どうしてわかるのだろう。
「少し見ただけで、そんなことがわかるのですか?」
「そりゃあ――」
ジュールは肩を竦め、いつもの調子で笑った。
「それ、書いたの僕だから」
「えええええーーーー!?」
ふと横を見るとシルヴァンが完全にフリーズしている。
そうよね、私もまだ理解が追いつかない。
ええと、少し、情報を整理しよう。
まず、下を切り取られたらしき選評。これは五年前の品評会の際にグランテール氏が書いたとされている。
そして、今、目の前にいるジュール。彼は、この選評を自分が書いたという。
ということは、つまり。
「ごめん、ちゃんと名乗ってなかったよね。僕はジュール・オリヴィエ・ド・グランテール。世間では、J.O.とか、グランテールとか呼ばれることが多いかな」
やっぱり……。
以前から味覚も知識も只者ではないと感じてはいたけれど、まさかグランテール氏、本人だったとは。
「黙ってて、ごめんね。自分の立場、仰々しくてあんまり好きじゃないんだ」
「いえ、気にされないで下さい。お立場もあるかと思いますし。それより、なぜジュールさんが五年前の選評を確認されに来たんですか?」
「うーん……」
ジュールは指を顎に当て、瞳をぐるりと動かした。
どこまで話すべきか、悩んでいる、そんな様子だった。
ややあって、彼は言った。
「話すとちょっと長いんだよね。続きは僕の部屋でもいいかな?」
◇
ジュールに案内された部屋は、南棟の奥の目立たない場所にあった。
中に入ると、外から想像していたよりずっと広い。
長椅子には本や上着が無造作に積まれ、机の上には王国の地図やノート、それに飲みかけのワイン瓶が置かれている。さりげなく置かれた家具はいずれも上等そうなのに、王宮にありがちな息苦しさがなかった。
その上、ここまでものが出ているのに、不思議と部屋に根ざした生活感のようなものがない。旅慣れた人が泊まっている宿の一室のような雰囲気なのだ。
ジュールは「僕の部屋」と言っていたが、いったいこの部屋はなんだろう。出入りの商人に与える部屋としては立派すぎ、そのちぐはぐな取り合わせに私は戸惑いを覚えた。
「この辺に座ってくれる?」
ジュールはそういうと、長椅子の上のものをざっくりと片付け、座るスペースを作ってくれた。
私とシルヴァンが腰掛けると、木製のローテーブルを長椅子の前に移動させ、グラスを二つ並べる。
「ワインでいいかな?っていっても、飲み物はワインしか置いてないんだけど」
「はい、もちろんです」
「そう来なくっちゃ」
にっこりと笑った彼は、ボトルから淡い薔薇色の液体を注いだ。
グラスを鼻に近づけると、野いちごのような赤い果実の香りの奥に、白い花と柑橘の皮を思わせる涼しげな気配が立ち上った。「それじゃ、偶然の再会を祝して。サンテ!」
「サンテ!」
グラスを目の高さに掲げて、乾杯した。
……一体なんの乾杯なのか、わからないけれど。
ワインは、軽やかで茶目っ気がありつつも、どこか気品を感じさせる味わいだった。
「ワインはどう?最近のお気に入りなんだよね」
「すごく美味しいです。なんていうか、ちょっとジュールさん、みたいな」
「本当?それは嬉しいな」
別の椅子を持ってくると、ジュールはそれに腰を下ろして言った。
「さて、と。それじゃ、話の続きをしようか。何から聞きたい?」
私はシルヴァンの方を見た。
彼が頷く。
セリエの好きに話を進めてほしい。その合図だ。
だったら、私のペースで進めるまでだ。
正直知りたいことはたくさんある。
なぜ、王城に部屋を持っているのか。
どうして品評会の選評を書いているのか。
そして、なぜアランと同じ色の髪や瞳を持っているのか……
しかし、今聞くべきことは、そこではない。
「ジュールさんは、なぜ倉庫に選評を探しに来たのですか?そして、切り取られた後半には何が書かれていたのでしょう」
じっと、彼の目を見据える。
「そうだなぁ、どこから話そうか」
ジュールは、珍しくわずかに迷うような表情を見せた。
「僕はグランテールとして、ワインの選評を書いているし、点もつけている。だけど、それは本意ではないんだ」
「どういうことですか?」
彼は目を伏せ、話を続けた。
「はじめは、自分が飲んだワインを記憶しておくための、ちょっとしたメモだった。だけど、それをある人物に見せたことがきっかけで広まってしまってね。だんだん僕の評価が市場に影響を与えるようになっていった」
ジュールは、切なそうに口元を歪めた。
「不本意だったよ。全てのワインにはそれぞれの個性があるだけで、優劣なんてないと思っていたから。僕にとって、ワインは友達だったんだ。友達に合う合わないはあっても、優劣はないだろう?」
なるほど、それであんなにワインに寄り添った選評が書けるのか。
なんだか、彼の評価の秘訣を垣間見たような気がした。
「書くのをやめたら、良かったんじゃないですか?」
「もちろんそれも考えたよ。だけど、気づいた時には、もう僕の一存では降りられない状況になっていてね」
書いた評価が市場に影響を与えてしまうほどの立場。
それを作り上げたとされる、ノートを見せた相手。
それはもしかすると……
いや、今は考えないことにしよう。
「そんな訳だから、僕は自分が評価を依頼された時は、それがどこのなんてワインかは見ないし、その後の評判もあえて聞かないようにしていたんだ。公平性を保つため、なんて、それらしいことを言ってはいるけど、つまり責任を感じたくなくて、ね」
彼は、苦しそうに呟いた。
いつも飄々としている彼に、こんな一面があったとは。
「だけど、例外が起きたんだ」
「例外?」
それからジュールが語ったことは、要約するとこうだ。
五年前の品評会でも、彼は銘柄を伏せた状態で選評を書いた。そして、結果を聞くこともなく、いつも通りに旅に出た。
だが半年後、ブローニュ領のワインの圧倒的な評判の低下が聞こえてきた。聞く気がなくとも耳に入るほどの、悪評であった。
「あの時は、驚いたよ。銘柄なんて聞かなくても、どこの酒かはわかっていたからね。ブローニュの酒は、そんなふうに評価を下げられるような出来じゃなかった筈なのに……」
だが、日頃、品評会制度から距離をとっているために、どうすることもできない。そして、日に日にブローニュの酒の価値は下がっていく。
彼は気になって、時々ブローニュを見にいくようになった。畑を見て回ると、房をつけ過ぎていたり、手入れを怠っていたりと、確かに以前より品質が下がる要素はある。
だが、何か引っ掛かる想いがあり、この土地が頭から追い払えない。定期的にブローニュに通い続けることにした。
そして、ばったり畑で私と出会ったというわけだった。
「それで、あんなところで行き倒れていたんですね」
「うん、あの時は助かったよ。サンドイッチも美味しかったなぁ。あ、ギュスターブ元気?」
「ええ、相変わらず毎日美味しい食事を作ってくれます」
「いいなぁ。また今度食べさせてね」
「もちろんです」
しんみりした話をしていても、食べ物の話になると急に元気になるのがジュールらしい。
「あの時、セリエちゃんと会って、話も聞いて。やっぱり、五年前の品評会の結果はおかしかったんじゃないかって、確信したんだ。で、どうやら調べてみると、評価が下がったのは僕の選評のせいだって言うじゃない。そんなわけないと思って、倉庫に探しにきたんだ」
「それでは選評に書かれていた後半部分というのは……」
「確か、下書きがこの辺に……」
ジュールは机の引き出しを開けると、ごそごそと中から古びたノートを取り出した。
「あったあった。これだよ」
見せてくれた箇所には、こう書かれていた。
『未完成であり、香りも味わいも特級として推すにふさわしい調和を欠く。これを高く評することはできない。
しかし凡庸な未完成酒という意味では決してない。湿った土を思わせる気配と静かな酸が、この酒に確かな骨格を与えている。あと僅かに熟成を経れば、比類なき気品を備えるはずだ。期待を込め、敢えて厳しく記す。再会の日が楽しみである。』
「これは……!」
私とシルヴァンは思わず目を見合わせた。
酷評なんて、とんでもない。未来を見据えた、最高の褒め言葉じゃないの!
「あんなポテンシャルを秘めたワインを飲んで、酷評なんてできないよ。だから、下半分が破られていたのを見て、何が起きていたかを理解したんだ」
口調は軽いが、ジュールの目の奥に、怒りの炎が滲む。
評価を不当に歪め、悪用するなんて、彼の美学に反するにもほどがある。
「犯人に心当たりはあるのですか?」
「まだ。でも、手を入れられるタイミングはそう多くないはずだよ。僕は書いた選評を封筒に入れて封をする。そのあと会場へ運ばれて、みんなの前で開けて、刷り用の版を組むらしいんだ」
「つまり、ジュールさんの手を離れてから、刷りに回るまでのどこかで細工された……」
「そういうことになるね」
なるほど、これならだいぶ絞れそうだ。
「運んだ人って覚えてますか?」
「うーん、若い男の子だったよ。運営の使いの子だと思うけど、流石に顔はもう覚えてないや」
「その彼がジュールさんから受け取って、品評会の運営に手渡した……となると、まず怪しく思えるのは運んだ人物ですね」
「ただ、開けるのはいいとして、どうやって戻すんだい?封筒は蝋封もしてるよ」
「確かに……」
うーん、一歩進んでは一歩後退する。
でも、簡単には見破れないからこそ、今まで不正が疑われて来なかったのだ。
「とりあえず、試してみてもいいですか?」
「オッケー、やってみよう」
ジュールは机から封筒を引っ張り出すと、中に走り書きのメモを入れて、封をしてみせた。
私は、そっと剥がそうとしたり、あれこれ試みた。しかし、思うようにはいかない。なんとか開けてはみたものの、封の端がボロボロな上に、蝋が元に戻らない。
「もう一回、お願いします!」
ジュールに頼んで、もう一度別の封筒にメモを入れて封じてもらった。
だが、方法が思いついた訳ではない。どうしたものかと、じっと閉じられた封筒を前に考え込んでしまう。
「セリエちゃん、そんなに睨んでも封筒は開かないよ?」
私の様子に茶々を入れられてしまう始末。
やはりこの方法じゃないんだろうか。あるいは、運営全体で組織ぐるみとか……!?
と、その時だった。
「俺が試してみても良いだろうか?」
シルヴァンがそう言い出したのだ。
「何か思いついたんですの!?」
「試してみたい事がある。セリエは少し目を瞑っていてくれないか?」
私は言われた通りに目を瞑り、反対側を向いた。
後ろでゴソゴソと音がする。
何をしているのだろう……気になるが、見てしまっては実験にならないのでグッと堪える。
ややあって。
「目を開けてくれ」
振り向くと、私の目の前には開けた形跡が全くない、蝋封をされた封筒があった。
「中身を確認してくれないか」
シルヴァンにそう言われる。
ジュールを見ると、ニヤニヤと笑っている。
彼は答えがわかっているから、私の反応が楽しみなのだ。
私はペーパーナイフで封を切ると、中からジュールの走り書きのメモが出てくる。
「ただのメモにしか見えま――……え!?」
そのメモは、なんと下半分が切り取られていた。
まるで、品評会の選評のように。




