21話 生まれ年のワイン
「クロード、はじめてくれるかしら」
洞窟のセラーから持ち帰ったワインは、すぐに開けず、一日休ませることにした。そうして翌日、私たち三人は再びアンドレの家に向かったのだ。
陽はすでに落ち始め、オレンジ色の光がレースのカーテンの隙間から部屋に差し込んでいた。
テーブルの上のボトルに、クロードが手を伸ばした。
シャトー・ヴィーニュ ミレジム・ド・シルヴァン。
25年前の、シルヴァンの生まれ年に仕込まれたワイン。
そして、ヴィーニュ家の運命を狂わせるきっかけとなったワイン。
そのワインが、今まさに封を切られようとしている。
私とシルヴァン、そしてアンドレは、息を呑んでクロードの手元を見つめていた。
古いワインである。
クロードは、コルクが壊れないよう、丁寧に作業を進めていった。
そして……
シュッという小さな音をたて、ついに抜栓された。
その音は、対面を待ち侘びていたワインのため息のようであった。
「これが、父の……」
シルヴァンが、コルクを手に取り、香りを確かめる。
いや、確かめたのは香りではなく、ワインの存在、そしてその背後にある先代ロベール氏であったのかもしれない。
「では、注ぎます」
四つ並べられたグラスは、五年前にアンドレとロベールがこのワインを飲んだ時のものだという。
わずかに褐色味を帯びたルビー色の液体が、グラスを満たしていく。
同時に、部屋の空気がふっと変わっていった。
乾いた花の香り。その奥に潜む、赤い果実のニュアンス。
飲む前から伝わってくる。
少なくとも、前世も含めた私の記憶の中で、これほどのワインは他にない。
鮮やかさは落ち着いたが、年月をかけて磨かれた、宝石のような液体が、そこにはあった。
「美しい……」
シルヴァンが、見惚れている。
私はグラスを手に取ると、ふんわりと丸く揺らし、香りを確かめた。
熟した赤い果実の奥から、紅茶や、湿った木肌のような香りがほどけていく。
華やかさというより、奥深さを感じさせる香りだった。
決して派手ではない。だが、一度鼻を近づけると離れがたくて、ずっとこの香りを嗅いでいたいという気持ちにさせられる。
その想いに後ろ髪を引かれつつも、恐る恐る、口に含む。
驚くほど滑らかな口当たりで、果実味は円く落ち着き、その代わりに深い森を思わせる陰影が舌の上に広がった。だが酸は死んでおらず、一本の背骨として存在していた。
これが、ロベール氏の求めていたワイン……
私は、そう確信した。
そして……
あたりを見回すと、味を確かめたシルヴァン、クロード、そしてアンドレと、目が合った。
「どうお感じになられましたか?」
アンドレが、私に問う。
5年前の答え合わせをしたい、その問いである。
「素晴らしい、ワインでした」
どう話そう悩み、一度言葉を、切る。
「そして、おそらく五年前は、まだここまでの真価を発揮してはいなかったことでしょう。ロベール氏の『完璧ではない』という言葉は、そういう意味だと理解しました」
「それでは品評会の結果は妥当だと?」
クロードの語気が強まる。
彼もまた、アンドレから聞かされたこのワインの不当な評価に、憤りを感じ続けていたのだろう。
「いえ。あくまで、『まだ伸び代がある』という意味での不完全さであり、酷評されるようなワインだとは思えません」
私のこの気持ちに、偽りはない。
やはり、グランテール氏の選評には違和感が残る。
たとえ時が満ちていなかったとしても、これほどのワインを、稀代の評論家が否定だけで片づけるだろうか。
こうなったら、選評そのものを読んで、確かめてみたい。
強く、そう思った。
「アンドレさん、当時の選評はお持ちではありませんか?」
「残念ながら、私の手元には……」
アンドレは申し訳なさそうに答えた。
「ただ、王都にある品評会の事務局に行けば、残っている可能性はあるかと」
「本当ですか!?」
「少なくとも五年前に確かめようとした時には、そこで読むことができると聞きました」
やはりアンドレも同じ違和感を持ち、動こうとしたのだ。
そこまでわかれば、私がやることは一つだ。
「シルヴァン様」
「なんだ?」
「里帰りのご許可をいただけますか?」
「里帰り!?」
シルヴァンは驚いて慌てている。
「すみません、言い方が適切ではありませんでしたわ」
「いや、良いのだ……取り乱してすまない」
少し照れた様子だったが、すぐに落ち着きを取り戻し、言葉を続けた。
「セリエの意図は理解した。俺もお父上であるアルマン様に正式なご挨拶はまだだったな。セリエは先に王都に向かってくれ。俺も領地の仕事が片付いたら、すぐに追いかける」
「シルヴァン様……」
まだ嫁いで一ヶ月と少し。
だが、シルヴァンは私のやりたいことを理解し、そして応援してくれる。
そのことが、無性に嬉しかった。
「ありがとうございます!」
こうして私は久しぶりに王都リュミエールへと戻ることになったのだった。




