20話 老執事との邂逅
クロードの義父アンドレの家は、ヴィーニュ家の屋敷から馬を走らせて30分程の、山の中腹にあった。
ヴィーニュ家の先祖が狩りの際に使っていた山荘だとかで、古さはあるが手入れの行き届いた住まいである。
玄関の横に小さな花壇があり、控えめな白い花が私たちを出迎えてくれた。
「ご無理を言って押しかけてしまい、申し訳ありません」
私がそう謝ると、アンドレは気を使わせないためか、
「こちらこそ、シルヴァン様の奥様にはご挨拶をしなければと思っていたところでした」
と、穏やかな笑みを浮かべ、テーブルに私たちを促した。
室内は質実剛健といった雰囲気で物が少なく、木製のテーブルはいかにも頑丈そうだ。
クロードの話によると、アンドレは手酷い失恋をし、その後は浮いた話もなく独身であったが、40を過ぎた頃に捨て子であったクロードを養子として迎えた。
そして、引退するまでは屋敷に住み込みで、先代ロベールを支えてきたのだという。
クロードは始め、引退後も屋敷で暮らすことを提案したのだが、アンドレはケジメをつけたいと断り、今は山荘で一人暮らしをしている。
足を悪くしているため、週に二度ほど家政婦を頼んでいるらしいが他は全て自分でこなしており、そのかくしゃくとした姿はとても70過ぎとは思えなかった。
クロードがお茶を入れ、シルヴァンも含めて四人でテーブルを囲むと、アンドレは早速本題を切り出した。
「それで、何かこの老いぼれ目に聞きたいことがある、とのことでしたな」
口調は控えめだが、言葉には重みがある。
大きくはないがよく通る声は、長年領主を支えてきた風格を感じさせた。
「そうなんだ、アンドレ。実は我が妻セリエが、五年前の品評会について話を聞きたいと」
「品評会、ですか……」
アンドレは、わずかに眉をしかめた。
やはり、思い出したくない過去なのだろう。しかし、ここで気を使ったら、ここまで来た意味がなくなってしまう。
私はグッと手に力を込めた。
「アンドレさんにとっては、思い出したくない記憶かもしれません。しかし、もしかすると、このブローニュ領を救えるかもしれないのです」
「ブローニュ領を、救う……」
アンドレは目を閉じて、何かを思い出しているようだった。
「確かに、良い思い出ではありませんが、お望みとあらばお話しいたします。ただ……」
「ただ?」
「私も品評会は初日で領地に戻ったので、詳しいことはわからんのです。少なくとも、私が滞在している間は和やかな雰囲気で、ワインの評価も悪くなかったように思います」
「それでは、風向きはいつ変わったのでしょう?」
「わかりません。ただ、ロベール様曰く、三日目には空気がまるで変わっていたと。そして、そのきっかけは二日目に配られたグランテール氏の選評書らしい、と聞いております」
ワインの選評書……か。
ベルノワール王国のワイン品評会は、五年に一度、王都で三日間に渡り行われる催しだ。
初日は審査委員が出品者の説明を受けながら一次評価を記していく。それとは別に、同日グランテール氏は各ワインを試飲。
二日目には氏の選評が配られつつ審査員内で審議、そして三日目には、全体の評価を取りまとめた評価書の配布とともに、結果が発表されると聞いている。
一日と最終日で大きく評価が変わったのだとすると、やはりグランテール氏の選評が何らかの関係があると見て間違いないだろう。
「その、選評についてもう少し詳しくお聞きできますか?ワインは確かな味だったと聞いています。何か不正があったのでは?」
私が聞くと、アンドレは複雑な表情で言った。
「格付けの結果を聞いた時、私も初めに気になったのはそこでした。お気持ちはわかります。同じことを思い、調べもしました。が、結論から申し上げると、不正は難しいと思います」
ゴクリ。唾を飲み込む。
話が核心に近づきつつあるのを感じた。
「例えば、グランテール氏が誰かに買収された可能性は……」
アンドレは首を振った。
「もちろん調べました。ですが、グランテール氏は別室で、しかもラベルを隠し出自も伏せた状態でテイスティングしているらしいのです。そもそも、グランテール氏はその素性が明らかにされていません。事前に抱き込んで特定のワインの評価を変えさせることは難しいかと」
なるほど、ブラインドテイスティングして公平性を保とうというのは理に叶う。
しかし……
「では、悪意のある誰かに、恣意的に評価を書き換えられたという線は」
「事務局に聞いたところによると、氏の筆跡だと確認した上で取りまとめをしているそうです。短時間で筆跡を真似て書き換えるのは難しいかと」
「そうですか……」
品評会は、思っていた以上に厳格に管理されていたらしい。
それもそうだ。ワインは国を挙げての一大事業。
その格付けを行うのである。
簡単に第三者が評価をコントロールできたら、ベルノワール王国の権威に関わる。
酷評されたというワインを私は飲んでいないので憶測に過ぎないが、やはり本当にワインの質に問題があったのだろうか。
次の言葉が出てこなかった。
考えてみれば、アンドレから話を聞けば解決するのなら、そもそも既にアンドレが解決してる筈ではないか。
私は自分が思い上がっていたことに気付き、そして安易に不正を疑った自分を恥じた。
「セリエ……」
シルヴァンが私の肩に手を置いた。
心配してくれているのだろう。不甲斐ない……
悔しさで肩を落としている、その時だった。
アンドレが驚きの言葉を発したのだ。
「よろしければ、お飲みになってみますか?」
「え……?」
飲む、とは、もしかして。
「品評会に出した、ワインです。山の洞窟内のセラーに、今も保管しておりますので」
「!!!」
シルヴァンもクロードも知らなかったらしい。
驚いてアンドレの方を見ている。
「義父さん、これまでそんなこと一度も……」
「ああ、例のワインは、ロベール様の指示で破棄されたことになっているからな」
「それでは、なぜ……」
アンドレは穏やかな表情で、じっと私を見つめた。
「私はあの評価を今でも不当であったと考えております。自分には覆すことができなかったが、誰かこの謎を託せる人物が現れたら……そう思い、ワインを隠しました。今が、その時かと」
「私を信じて下さるのですか?」
「ええ。実はコレットから、奥様の噂も聞いておりました。直感に優れ、そして味覚の確かな方だ、と」
そんな風に思われていたなんて……
熱いものが胸を込み上げる。
「それに、知りたいことがあるのです」
「知りたい、こと?」
「はい。ロベール様は五年前、ワインを飲んで『完璧とは言えない』と仰いました。その気持ちがあったからこそ、品評会の評価にも意を唱えなかったのだと思います。私は、あの時の言葉の意味を、知りたい」
アンドレの目の奥に、強い意志を感じ、私はそっと右手を差し出した。
アンドレははじめ戸惑っていたが、すぐに意味を理解し、手を握り返してくれた。
「アンドレさんのお気持ち、わたくしが確かに受け止めました。ワインの謎、必ず解いてみせますわ」
◇
アンドレが教えてくれた洞窟は、山荘から更に1時間ほどの場所であった。
足の悪いアンドレは置いて三人で向かったのだが、途中からは馬も走れず、木々の間を縫って、歩いて進む。
ヒールのつま先が痛むが、今はそれどころではなかった。
しばらく進むと、山肌に半ば埋もれるように、低い石の入口があった。
蔦が絡まっていて、遠くから見ただけでは、ここから中に入れるとは思えないだろう。元々は幼き日のアンドレとロベールの隠れ家であったという話も納得である。
中に入ると、外気よりひんやりしていて、空気は少し湿っていた。
蝋燭の灯りを頼りに、私たちは石畳を歩く。
コツコツという足音がわずかに反響するのを聞きながら進むと、壁沿いに木の棚が組まれ、古い瓶が寝かせられているのが見えた。
クロードが瓶を手に取り、ラベルを確かめる。
「シャトー・ヴィーニュ ミレジム・ド・シルヴァン、とあります。こちらで間違いなさそうです」
シルヴァンが、息を飲むのがわかった。
「これが、俺が産まれた歳に仕込まれた、ワイン……」
そう言って、棚を見つめる。
すでに両親を亡くした彼は、いったいどんな気持ちでこのワインと向き合っているのだろう。
しかし、感傷に浸る暇はない。
私は、寄り添いたい気持ちを堪えて、言った。
「1ダースほど、持ち帰りましょう。シルヴァン様の父上の真意を知るために。そして、品評会の真実を突き止めるためにも」




