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2話 追放先はワインの聖地

 屋敷に戻ると、婚約破棄の話はすでに屋敷中に広まっていた。


 侍女たちは、しきりに同情的な視線を投げかけてくる。私はその場の雰囲気に合わせるべく、なんとか悲しげな表情を浮かべようと努力した。無意識に上がってきてしまう口角を必死に押し留めようとするのだが、内面から湧き上がる喜びは隠そうとして隠せるものではない。

 先ほどリナの口元が綻んでいた気持ちが、よくわかる。


 そこに、古くからこの家に仕える侍女頭が近寄ってきて、私に声を掛けた。


「このたびはおつらいことでございました」

「うっ、うう……」


 込み上げる歓喜で、肩が小刻みに震えてしまう。

 しかし、顔を両手で覆って必死に笑いを堪えている私の姿が、彼女の目には「声を殺して泣き崩れる哀れな令嬢」に映ってしまったらしい。


「お嬢様、おいたわしや……!」


 違う、違うの、これは「笑い泣き」なの。

 あまりにも悲痛な声の響きに、私はなんだか申し訳ない気持ちになってくる。

 ごめん、本当は全然辛くないの。むしろ、小躍りしたいくらい。世界に向かって「やったー!」と叫びたいくらい。


「事情は全て聞いておりますよ。お嬢様は何も悪くありません。そのことを、この屋敷のものは皆、存じております。どうかどうか、ご自身を責められませんよう」

「あ、ありがとう」


 私はレースのハンカチで口元を隠しながら、なんとか言葉を口にする。


「今は、一人にしてくれるかしら」


 そう言って侍女を下がらせると、私は足早に自室に向かった。

 これ以上、周りが悲しみに寄り添おうとしてくれる罪悪感に耐えられそうもなかったし、その上ニヤニヤ顔も抑えられそうにない。早く一人になり、思う存分、喜びに浸りたかった。

 私はついに、やり遂げたのだ。



 私、セリエ・ボーモンはベルノワール王国の宰相、アルマン・ボーモン公爵の一人娘。そして、前世は大手酒造メーカーの会社員、酒井理恵である。

 私が前世の記憶を取り戻したのは、およそ3ヶ月前のことだった。


 とある大学の理学部を卒業した私は、いくつか内定の出ていた会社の中から、大手酒造メーカーへの就職を決めた。理由は、何を置いてもお酒が大好きだったからだ。

 ビールに日本酒、焼酎、ウイスキー、テキーラ、ラム酒にウォッカ。どんなお酒もそれぞれに個性があり魅力的だが、とりわけ愛してやまないのがワイン。同じ畑、同じ品種の葡萄であっても、ビンテージによって味わいが変わる奇跡のような飲み物だ。飲むたびに新しい出会いがある。ワインはまるで大地の血液だと思う。好きが高じて、大学時代はフランスまで葡萄畑を見に旅行に出かけたほど。


 就職した酒造メーカーはワイン部門も手掛けており、いつかは私もそこで働きたいと思って入社した。しかし最初に配属されたのは営業部門。その上、配属当日に上司からは、女性を武器にして売り上げをあげろと言い渡された。

「ワインの知識は接待の席でのウンチクに使ったら?」

  上司のその言葉に私の心は折れそうになったが、それでも今いる場所で成果を出せば、いつかは認められて別の部署に行けるかもしれない。そんな期待を胸に、仕事を続けた。

 だが、連日の接待飲みに、ノルマの山。私は心も体もアルコール漬けと寝不足にじわじわ蝕まれていく。


 そんな生活の中で心の支えになっていたのは、WEB小説だ。

 ロマンスファンタジーと呼ばれるジャンルがお気に入りで、ヒーローとの恋愛に寂しさを慰められたり、腹立たしい女性の転落をむかつく上司に重ね合わせて爽快感を味わったりと、読むことで心のバランスを保っていた。


 特にお気に入りだったのは、「ベルノワール王国の甘い誘惑〜王太子殿下のご寵愛は、とろけるショコラのごとく〜」という作品で、平民出身のリナが王太子に溺愛されるという王道展開に加えて、作中の料理描写が素晴らしく、小説を肴にワインが何杯も呑めるほどだった。

 作者がよほど食べるのが好きなのか、地域によって料理やお酒も書き分けられており、主人公たちは南の港町では豊富な魚介類で軽めの白ワインを楽しみ、山深い森の中ではジビエとともに森の香りのするような重厚な赤ワインを味わっていた。本当に、どのシーンも涎が出るほど美味しそうだった。


 だから、ついに過労死してしまった私は、死にゆくさなかに神に願った。

「神様、ベルノワール王国の食事、一度でいいから食べてみたかったです……」と。

 そうして念願叶い、小説内に出てくる公爵家の一人娘に転生していたのだ。


 悪役令嬢であるセリエに転生したと理解した直後は、なんとか断罪イベント、つまり王太子からの婚約破棄を回避せねばと頭を悩ませていた。だが……


「ちょっと待って。確か断罪後って、ブローニュ領の辺境伯と結婚させられるんじゃなかったっけ……」


 ブローニュ領といえば、王国東端、隣国との国境に接する東の辺境だ。

 痩せた山あいにぶどう畑が段々畑のように続いており、果物や作物があまり育たず、経済的にもかなり苦しいと聞く。

 だからこそ、断罪後のセリエの嫁ぎ先として白羽の矢が立つ予定なのだが……


 ん…ブローニュ領……痩せた土地……なだらかな丘陵……。

 待って。ひょっとして、ひょっとすると。


 ブローニュ……ブルーニュ……ブルゴーニュ……


「ブルゴーニュだ、キタこれーーー!!!」


 間違いない。あの「ワインの神に愛された土地」と完⭐︎全⭐︎一致!

 ということは、そこで栽培されているのは、気難しいがハマれば天上の味となるピノ・ノワール様!? それともクールビューティーだけど実は脱いだらすごいシャルドネちゃん!!????


 私はこの地を、大好きなブルゴーニュに勝手に重ね合わせていた。

 ということは、断罪されればブルゴーニュに住める!

 左遷なんてとんでもない。これ、聖地巡礼じゃん。

 ワイン飲み放題!!やったぁ!!!


 そうと気付いてからは、予定通り婚約破棄されるように、より悪役令嬢らしく振る舞うことを心がけてきた。うっかりアランの気が変わったりしたら大問題だ。なんとか小説のストーリー通りに進むよう、細心を払って過ごしていた。


 そうして本日無事に、待望の婚約破棄を言い渡された、というわけ。

 あとは、父であるアルマンより辺境伯との結婚を告げられれば計画は完了。

 予定ではそろそろ呼び出しが……


 と、部屋のドアがノックされ、侍女が入ってきた。

「お嬢様、お父様がお呼びでございます」

 よし。あとは最後の仕上げをするだけだ。

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