17話 偽のビンテージ
「セリエ様。こんなところで何をなさっているんです?」
冷えた地下の空気よりさらに冷たいクロードの声が倉庫に響いた。
いつもと変わらぬ口調。だからこそ、背筋が粟立つ。
「今日は一日出掛けているんじゃ……?」
「予定が早く済みまして。帰りがけに、シルヴァン様の馬がこちらに繋がれているのを見かけたので、様子を見にきたのです。それで、こちらで何を?」
シルヴァンが一歩前に出る。
「クロード。俺が案内したんだ。セリエを責めるな」
「責めてなどおりません。確認しているだけです」
こうなったら仕方がない。別に悪事を働いていたわけではないのだ。
ことを荒立てたいわけではないが、直に問い正して真実に辿り着くことにしよう。
「帳簿に違和感があったので、実物を見にきたのです」
「ほおぉ……それはまた、随分と積極的な奥方様でいらっしゃる」
「ち、父から依頼がありましたの。援助した資金について至急用途が知りたい、と」
自分でも苦しい説明なのはわかっている。
だがそれでもクロードを一旦黙らせるには十分な効果があったようだ。念の為とはいえ、書簡を用意しておいて、本当によかった。
「それで帳簿を拝見たところ、こちらの倉庫のワインについて気になる点が。二年前から、出荷の回転が早まっていますね」
「それが何か?」
「その上、理由もないのに単価が上がっている。格付けが上がったわけでもないのに」
クロードが一度、目を細める。
「随分なご慧眼で」
「ありがとう。数字に強いのが取り柄の一つですの」
明らかな嫌味をニッコリ受け止められる程度には、気持ちが落ち着いてきた。
だが、クロードは肩をすくめるようにして、淡々と言った。
「ですが、理由ならございます。取引先を変えましたから」
「……取引先?」
「以前は問屋任せで、こちらの値を叩かれていたのです。それを王都の問屋を通さず、直接流すようにしました。回転が早くなるのは当然でしょう」
「だから単価も上がった、と」
「ええ。中間搾取が減れば、そうなります。取引先は記号で記しておりますので、変更を見落とされたのかもしれませんね」
ぐうの音も出ない。
確かに、それなら数字の辻褄は合う。
――けれど。
私はもう一度、床に積まれた空瓶へ目を向けた。
「ところで、このボトルの形。ボルデールのものですわね」
「ええ。空瓶が何か?」
「なぜここにあるのでしょう。まるでこれから瓶詰めするように揃っていますが」
「ただの預かりものですよ。ワインの樽が横にあるからと、安直に結びつけないでいただきたい」
「ではこちらも預かり物だと?」
私は瓶詰めを終えた木箱入りのワインを指さした。このワインも、空のボトルと同じ形だった。一見したところ、横にある樽の中身をこの空瓶に詰めしたとしか思えないが、一方でその証拠もない。
「ええ、ボルデールの商人から預かったものです」
やはりね。そう答えると思っていたわ。
こうなったら……
「こちら、1本わたくしに売って下さらない?」
「は?」
「飲んでみたいんですの」
クロードが目を見開いた。
横でシルヴァンが驚いているのが伝わってきた。
私は動揺を悟られないように必死に微笑みを顔に貼り付けた。
「な、何を言っているのだ、セリエ。預かり物は売れないだろう」
「そうです、セリエ様。流石にわがままが過ぎます」
二人の言ってることはわかる。だが、愚かな令嬢のふりを続けてでも、確かめたいことがあった。
「ふふ、ワインとなると目がないものでして。こちらは、いつ預かったワインなんですか?」
想定外の質問だったのだろう。
私の問いに、初めてクロードの冷静が崩れたように見えた。
「それは……いつでしたかな」
「見たところ、まだ若いようです。コルクの状態や澱の具合をみても、年代物ではありませんわね。預かって一年くらいではなくて?」
クロードの眉が、ぴくりと動いた。
「……貴族の奥方が、澱まで見て判断なさるとは」
「父がワインを嗜んでおりまして――少しだけ、目が肥えておりますの」
私は一歩、瓶詰めされた箱へ近づいた。
クロードの許可など待っていられない。
「預かり物にも関わらず、こちらの状態のよくない倉庫に保管しているということは、そこまで高価なものではないのでしょう?高級品であれば上の階の倉庫に保管しますわよね?あちらの方が温度も湿度も適切でしたわ」
「……」
クロードの口元が、わずかに引きつった。
「セリエ、流石に強引過ぎないだろうか――」
「それでは、こういう形はいかがでしょう?」
私は左耳からピアスを外してシルヴァンに手渡した。アメジストの深い紫が蝋燭の火を受けてきらめく。
「15の誕生日に父から贈られたものです。もしも問題が起きた場合は、こちらを換金して下さいませ」
「なぜそこまで……」
「どうしても、飲んでみたいんですの」
言い回しはあくまで可愛らしく、しかし視線ははっきりとシルヴァンを見据えて、これがただの令嬢のわがままではないこという意思を込めた。
シルヴァンとの視線が絡まる。どうか、伝わって……!
「わかった。そこまでいうなら一本開けてみよう。クロード、良いな?」
ややあって、シルヴァンはそう口を開いた。
クロードは、私とシルヴァンを交互に見て、観念したように息を吐く。
「……シルヴァン様がそうおっしゃるのなら」
クロードは無言で、箱の一本を取り上げた。
慣れた手つきで栓へ刃を差し込む。
澱がどうのなんてもっともらしいことを言ったが、私だって確証はない。クロードが言う通り、本当にただの預かり物の可能性だってある。
飲んでみてごく普通のボルデール産ワインだった場合、私は突拍子もない行動をとる、ただのわがまま女だ。
せっかく築いたシルヴァンとの信頼を損なうかもしれない。
それでも……
キュ、キュ、と栓抜きの先が差し込まれていく。
コルクが抜けた瞬間、私は思わずそれを手に取った。
蝋燭の火にかざして、刻印を確かめる。
「これは……」
コルクの年号が、合っていない。
20年前の年が記されているのだ。そんなはずはなかった。
私の疑惑は、確信へと近づいていく。
「随分と、古いヴィンテージのものみたいだな」
「……」
シルヴァンの素直な感想が、苦しい。
だが、飲むまではわからない。
クロードが、無表情のまま、グラスを持ってくる。彼は果たして中身を知っているのだろうか。表情からは何を考えているのか読み取れない。
「正式なグラスのご用意がございませんが、こちらでよろしいでしょうか」
「ええ、十分よ。ありがとう」
やや厚手の水飲み用のグラスに、ワインが注がれていく。
薄暗い部屋なので色ははっきりわからないが、それよりも、明らかなのは部屋に広がる甘い――いや、甘すぎる香りだった。
軽くスワリングをして、そっと口に含む。
舌に広がる味と、鼻から抜ける香り。
これは、もしかすると……
「ブローニュのものとはだいぶ味が違うな。贔屓目かも知れぬが、俺はやはりボルデール産よりもわが領地のワインが好きだ」
同じく味見をしたシルヴァンは、渋そうに顔をしかめた。
私はグラスを置いた。
ボルデールのきな臭い噂。急に回転が良くなり単価の上がったワイン。いかり型の空ボトル。中身とそぐわない古いビンテージのコルク。そして、このワイン。
次々に断片だった情報が繋がる。
そして、一つの仮説へと収束していく。
「シルヴァン様。このワインは、ボルデール産ではありません。ブローニュのものです」
「なに?」
自分の導き出した答えが苦しくて、心がふさぐ。
「セリエ、本気で言っているのか?我が領の味とは全く香りも味も異なるではないか。あなたの繊細な味覚はどこにいってしまったのだ」
珍しく多弁になったシルヴァンが、切羽詰まったように私を見る。
「お気持ちはわかります。ですが、厚化粧で別人に見えるだけ。骨格は、ブローニュのものです。この瓶の中身の正体は、ボルデール産を装ったブローニュ産のワイン。そうですよね?クロード」
はっきりと告げた瞬間、空気が凍った。
シルヴァンが驚いたように視線を向けると、クロードは、目を背け、拳を握り締めた。
「装う……だと?」
「ええ、お気付きになりませんか。この不自然なまでに甘い、樽の香り。そして舌に残る、不自然な渋み」
「だがボルデールのビンテージワインとは濃く渋く、甘い香りなのではないのか?」
「……シルヴァン様。これまでボルデールの特級をお飲みになったことは?」
私に言われて、ハッとしたシルヴァンは、悲しげに目を伏せた。
「飲んだことは、ない。買える余裕もなかった」
「飲んでいないことを責めているのではございません。ただ、本当のボルデールはこんな薄っぺらな味や香りではないのです。もっと高貴で、深みのある……」
ガチャン。
グラスの割れる音と共に、破片が、足元に飛んできた。
「ク、クロード?」
「あなたも、あの男と同じことをおっしゃるのですね……」
クロードの目に、暗い光が宿る。
怒りというよりも、自暴自棄に近い様子だった。
「お話しましょう。今お飲みになったワインがなんなのか。そして、なぜ私が予定よりも早く戻ってきたのか」
「クロード、お前、何を……」
シルヴァンが唾を飲み込む音が聞こえた。
「このワインは、ボルデール産の特級として売られるはずだったものです。私に愚かにも忠誠心が残っていたために、失敗作となってしまいましたが」
忠誠心。
その一言で、すべてが繋がった。
——この人は、悪者にはなりきれなかったのだ。
「お前……偽物を作ろうとしていたというのか!?」
「シルヴァン様、おやめください!」
バシンッ。
クロードに殴りかかったシルヴァンを止めようと間に入った私は、運悪く彼に突き飛ばされる形となり、床に倒れ込んだ。
「セリエ!」
「奥様!!」
ぶつけた肩が、痛い。
だが、クロードのやったことを思うと、それ以上に胸が傷んだ。
私はスカートの裾についた埃を払い、クロードを見た。
「わたくしは、大丈夫です。それよりもクロード、この領地で何が行われていたのか、話して下さい。あなたは、この土地を守ろうとしたのですよね?」
クロードは、唇を噛み締め、黙っていた。
それは、言いたくないからではなく、何から話せばいいのかを悩んでいる、逡巡の沈黙のように見えた。
ややあって、彼は口を開いた。
「すべては、あのワインの品評会が発端だったのです」
それから聞かされた話は、私の予想を遥かに上回る出来事だった。




