15話 その日を待つ
「本当にこんなものが見たいのか?」
「はい、お願いします」
シルヴァンに改めてそう頼んだのは、私が倒れてから一ヶ月後。
なにせ心を通わせたあの日から今日まで、怒涛の忙しさだった。
私が殺菌方法を考え出したことで、商品化の可能性が出てきたのはよかったが、早速ジュールが「実験的に王都に卸そう」と言い出し、摘果した葡萄で二百本だけ限定生産することになったのだ。
容器は余っていたワイン用の小瓶を活用することにした。普通のボトルの半分の半分くらいだから……180ミリリットルくらいかしら。
これなら初めての調味料でも気軽に手を出しやすいサイズだ。
ただ、せっかく殺菌しても小分けの最中に雑菌が混じりやすいらしいとのギュスターブの指摘で、小瓶ごと湯煎して低温殺菌する方式に変更になり、そのせいで私たちは再び温度と時間の実験に追われた。
また、販売となると、ラベルも必要だ。ここでなんと、ロゼットが大活躍する。
葡萄の房と、蔓を模した意匠がぐるりと囲むしゃれた図案を彼女が描き上げ、さらにロゼットの父がその絵を木版に起こしてくれた。私たちはそれを押し、最後に商品名だけを手で書き入れることにした。
商品名は「ヴェルジュ・ド・ヴィーニュ」。
シルヴァンの提案で、つまりヴィーニュ家のヴェルジュというわけだ。
「いいんじゃない?わかりやすくて」
商品名を聞いたジュールは、満足そうに頷いた。
「じゃあ、この後は僕に任せて。値付けと販路は裁量をもらうけど、いいかな?」
「はい、よろしくお願いします」
クロードはまだ疑わしげな目でこちらを見ているが、シルヴァンの手前もあり、黙っていた。
失敗した場合は私のせいにするつもりなんだろう。
私だって、実は少し賭けだと思っている。ジュールがどんな伝手を持っていて、この後どう広めていくつもりなのかは未知数だ。それに、このヴェルジュを持って消えてしまう可能性だって、ゼロじゃない。
(でも、信じてみたいんだもの……)
短期間ではあったが、ジュールの人柄や知識には何か光るものを感じている。
それに私が父の伝手を使って王都に売り広めたとて、婚約破棄された令嬢の調味料という先入観が先行する恐れもある。
それであれば、この可能性に賭けたい。そう思ったのだ。
「信じてくれて、ありがとう。必ず信頼に応えてみせるよ」
ジュールが呼び寄せた小型の馬車に、ヴェルジュを全て積み込み終わると、彼はそう言って一人一人と握手をして回る。
そして最後に、シルヴァンにずっしりと重たい皮袋を手渡した。
「前払いだよ。仕入れの分だけじゃない。――ちょっと色もつけてある。上手く行ったら、その時は販売を独占させてね」
ジュールはそう言うと、馬車に乗って去っていった。
皮袋には、金貨60枚ーー今でいうところの300万円が入れられていた。
販売前にお金を支払ってくれたことも驚きだったが、それ以上に、支払われた桁違いの金額から、彼のヴェルジュへの期待が伝わってきた。
◇
予想外の収入は喜ばしいことだったし、私が見たかったあるもの……ヴィーニュ家の帳簿に近づく絶好のチャンスでもある。
屋敷に戻り、シルヴァンの書斎に入ってシルヴァンと2人になると、私はできるだけさりげなさを装って、切り出した。
「金貨60枚は、思ったより大きな額でしたわね。次の仕込みの費用の足しにできればと思いますが……ヴィーニュ家ではこういった急な収入があった場合、帳簿にはどういう費目で記しておりますの?」
「セリエは領地経営にも興味があるのか?」
「ええ。領主の妻ですもの。知らないままでは、いざという時に困りますわ。それに、王都にいた時も、公務のお手伝いはしておりましたの」
「心強いな」
「それで、以前にもお願いした通り、この家の帳簿を見せていただけないでしょうか」
「……見せたいが、今は無理だ」
「それは、クロードが管理しているからですか?」
「ああ、それもあるが……」
シルヴァンはそれ以上を続けずに拳を握り、すぐにほどいた。この先を続けるかどうかを迷っている――そんな沈黙だった。
「……俺が『見せろ』と言えば、クロードは見せるだろう」
「では、なぜ」
「それが最善とは、思えないんだ」
苦しそうに言葉を紡いだ様子から、何かに葛藤している様子が伺えた。
クロードを、庇っているのだろうか。それとも……
「セリエ。あなたの要望には答えたい。だが……」
そこでシルヴァンは再び口を閉じた。
「俺は、あいつに任せてきた。長い間、ずっと」
「信頼……なさっているのですね」
「……信頼、か」
シルヴァンは窓の外に目を向けた。寂しげというより、何かを決めかねている顔だった。
「毎月必ず、クロードが留守にする日がある。その時なら、あるいは――」
「わかりました」
彼が決められないなら、私が理由を作ればいい。
「では、クロードが留守の時に、『なぜか偶然』我が父、アルマン・ボーモンから結婚資金の用途について問い合わせがあったことにいたしましょう。――こういう偶然、王都ではよくございますの。こちらで理由になりまして?」
シルヴァンは一瞬呆気に取られ、ややあって小さく息を漏らした。笑いというより、肩の力が抜けた音だった。
「……まったく、君にはかなわないな」
こうして私たちは手筈を整えながら「その日」を待つこととなった。




