12.5話 【クリスマスイブ番外編】コンビニ飯でメリークリスマス!
※今回はクリスマスイブ番外編です。主人公のセリエの異世界転生前のイブを、お酒片手にお楽しみください。
(今日も残業になっちゃったな……)
厚手のウールコートの前を合わせながら、酒井理恵は仕事上がりの寒空の下を歩いていた。
今夜は24日。クリスマスイブである。
だが恋人のいない理恵にとってはただの平日だ。友達からの誘いも仕事でドタキャンが続き、いつの間にか誘われなくなってしまった。だから、予定は何もない。
いつも通り朝イチで出勤して、大量のメールを返信し、後輩の相談に乗り、昼ごはんもそこそこに年末のご挨拶のために取引先を周り、会社に戻った後は再び溜まった仕事と年明けに必要な来期の事業プランの下書きを作り、熱中していてふと時計を見ると21時を回っていた。
残っているのはシステム部の一部のメンバーだけ。
(私、何やってるんだろ……)
ふと我に帰ると急に何もかも馬鹿馬鹿しくなって、打ちかけていた返信メールだけ送ってしまうとパソコンをシャットダウンした。
予定もないので、会社を出てそのまま駅に向かい、電車に乗る。そして、自宅の最寄駅で降車する。
中央線の各駅停車が止まるこの駅は、程よい都会具合が気に入って新卒の時から住んでいるが、今日のこの街はどこかよそよそしさを感じる。
駅前の広場は無理やりクリスマスの飾り付けが施され、キラキラと強制的な輝きをまとっていた。居酒屋も妙なクリスマスプランなどを掲げているし、心の拠り所だと思っていたコンビニすら、サンタクロース姿の店員がケーキやチキンを売っている。
(そういうことじゃ、ないんだよな)
理恵は別にカップルが羨ましい訳ではない。
いや、羨ましくないというのも嘘なのだが、妬ましいとか、爆破してやりたいとか、そんな気持ちは断じてない。
だが、サンタの正体を知ってしまった小学六年生のあの冬から、理恵はどうしてもクリスマスを自分ごとだと感じられないのだ。
ただ、クリスマスメニュー自体は、大変に好きだ。愛しているといっても過言ではない。
実家にいる時は、母親が年に一回買ってきてくれるケンタッキーフライドチキンのバスケットが本当に楽しみだった。茹でたブロッコリーにカボチャのサラダ。季節外れだからと冬は買ってもらえない大好きなトマトもクリスマスは解禁だった。
年に一度の、特別なメニュー。それだけで、心が躍る。
そこに、飾り付けとか、サンタとか、彼氏とかは要らないのだ。
……彼氏は、いた方が楽しいかもしれないけど。
そんな訳で、理恵は一番店員のクリスマス色が控えめなコンビニを選んで、入店した。
最初に、入り口横のカゴをとる。いつもはそんなことはしないが、今日は特別な夜だ。食べたいものを、食べたいだけカゴに入れよう。
はじめに見るのはお惣菜コーナーだ。最近のコンビニは、まるでデリカデッセンのような品揃えである。理恵は頭の中でコースを組み立てていく。
まず欲しいのは野菜である。だが冬の寒さの中、帰宅してすぐ冷たい生野菜を食べる気にもなれない。ちょうど温野菜のパックを見つけたのでカゴに放り込む。
次は、メイン。といっても、そんなに量は食べられない。そして、やっぱり鶏肉の気分では、ある。チキン系のお惣菜を買うか、レジ横のナゲット類に手を出すか。だがそこで目に止まったのが、サラダチキン。理恵は、プレーン味を手に取る。
さけるチーズとも目があったので、カゴに追加しておいた。
お次はパンコーナー。
悩みに悩んで、一番シンプルなフランスパンを選んだ。
そして最後はお酒である。
もちろん、朝からシャンパンのハーフボトルを冷蔵庫の野菜室に待機させているのだが、こうやって仲良く並んでいる瓶や缶を見ると思わず手に取りたくなるのが酒好きの性分である。
悩みに悩んで、グレープフルーツの缶酎ハイのロングと、パックのグレープフルーツジュースを手に取ると、レジに並んだ。
頭の中では、帰宅後のシミュレーションが完璧に浮かんでいた。
カチャリ。
家のドアを開け、手を洗って部屋着に着替えると、エアコンのスイッチをオン。コンタクトを外してメガネに変え、ワニクリップで髪を一つにまとめた。戦闘準備は万全である。
まずはテフロンのフライパンを弱火にかけ、バターを落とす。じんわり溶けてきたところで、買ってきたサラダチキンをそっと乗せた。強火にするとパサパサになるので、バターの風味を纏わせながら、優しく加熱するのが肝だ。
次に、買ってきたバケットを二切れ、斜めにカットする。こちらはアルミホイルに包んで、魚焼きグリルに入れて火をつけた。家にはオーブントースターがないので、こうやってグリルをパン焼きの代わりに使っている。
温野菜は付属のドレッシングを捨てると耐熱ガラスに移し、レンジで600Wで1分半。ここで一段落。ダイニングテーブルにランチョンマットを敷く。テンションを上げるために、いつもより華やかなデザインのものを選んだ。
そうこうしていると、鶏肉がジュワジュワ言いはじめたので、裏に返す。
温まった温野菜はお皿に移すと、粉チーズとバルサミコ酢、オリーブオイルで味を整え、仕上げに黒胡椒をガリリと引く。いい香りだ。
パンは焦げる前に取り出し、木皿に乗せる。野菜、パン、それからカトラリーをテーブルに並べると、フライパンのサラダチキンも盛り付けた。
一杯目はシャンパン、と言いたいところだが、ハーフボトルしかないのでこれから始めるとあっという間になくなってしまう。
理恵は、買ってきた缶チューハイとグレープフルーツジュースを、グラスに半々ずつ注いだ。アルコール度数を少し落として、そのぶんグレフル感を増した即席生グレープフルーツハイである。少し冷えすぎていたシャンパンボトルとフルートグラスも卓上に並べると、ささやかなクリスマスディナーの完成だ。
「 乾杯……!」
理恵は、自分のために、グラスを掲げた。
ごくりと一口を飲むと、胃から内臓にかけてがじわじわっと温まる。
ああ、幸せだ。
人からどう思われるかなんて関係ない。
好きなご飯、好きな酒、束の間の自由時間。これを幸せと呼ばずして、何を呼ぼう。
さて、早速温野菜を一口。
最初に野菜を食べるのは、血糖値を上げないようにというせめてもの気遣いである。
理恵は緑の筒の粉チーズを愛していた。正直、これだけでもワインが飲めるほどだ。その粉チーズを、いつもなら金額を考えてとてもかけないような量を使ったサラダは、どう転んだって美味しい。
次にサラダチキンである。
恭しくナイフとフォークで切ると、上等なチキンソテーの味がした。サラダチキンの何がいいって、元々加熱されているので、躊躇なく弱火で温められることだ。絶対生焼けにならない安心感ほど疲れて帰宅した時にありがたいものはない。
ややパサつく食感も、バターの油分でカバーされていた。夜に揚げ物を食べると翌日に響く身には、このささやかだが濃厚な油のコクが身の丈に合っている。
メインをヘルシーにした分、フランスパンには豪快にバターを乗せた。塗る、ではなく、乗せる、のがコンビニパンを美味しく食べるコツだ、と、理恵は思っている。
あっという間に最初のグラスが空になる。
ここで、シャンパンボトルの登場である。今回は悩みに悩んで、ブーブクリコのイエローボトルをチョイスした。正直、一介の会社員にはなかなか痛い価格だったが、飲み会を一回パスしたとしたら、そんなものだ。
つまらない飲み会に払うくらいなら、幸せな一人酒に投資したい。そんな気持ちでレジに持って行ったことを思い出す。
そっとコルクを覆うアルミを外し、針金のような留め具をねじって外すと、念のためクロスを被せてからコルクに指をかけた。
しゅぽんっ、という、思っていたよりは小さめの音と共に、コルクが外れる。
これこれ。この音である。
そして、そっと泡を立てすぎないように、フルートグラスに注ぐ。
正直、理恵はいまだにシャンパンを一体グラスのどこまで入れるべきなのかわからない。泡を気にして最初に注いだだけだと半分にも満たないが、それでは物足りない。だからいつも、何回かに分けて、三分の二くらいまで注いでしまう。
ちょっと行儀がわるいなと思いつつ、フルートグラスはすぐ空になるから仕方ない、と自分に言い聞かせる。
もう一度ささやな乾杯を行うと、そっとグラスに口をつけた。
缶酎ハイとは違う、繊細な泡の刺激が広がった。
缶酎ハイの泡がロックなら、さながらシャンパンはピアノソナタだ。
どちらが上とかではない。理恵はどちらも愛しているが、やはりシャンパンにはシャンパンしか味わえない良さがある。
ブーブクリコと共に、食事を楽しんでいると、気づいたらお皿は空になっていた。
食べ終わってしまったという切なさを伴った、贅沢なひととき。
だが夜はまだまだ、これからだ。
理恵は、さけるチーズと小皿を持ってくると、タブレットを開いた。
それからブラウザで、お気に入りのWEB小説、「ベルノワール王国の甘い誘惑〜王太子殿下のご寵愛は、とろけるショコラのごとく〜」を開く。今夜もきっかり20時に最新話が更新されていた。
理恵は満足そうに頷くと、小皿にさけるチーズを裂けるだけ細く裂いた。食べながらさくと手が脂っこくなるので、理恵なりの工夫である。そうしてさけるチーズが裂ききったチーズへと変わり果てると、理恵は最初のグラスに残りの缶チューハイを注いだ。
ここからは、のんびりまったり小説タイムである。
時計を見ると、22時45分。だけど、今夜はイブの夜。明日が仕事だからといっても、少しくらい羽目を外したっていいではないか。
理恵は、幸せそうに微笑むと、グラスを片手に小説を読みはじめた。
――その物語の中にいる「悪役令嬢セリエ」に自分の身が重なる日が来るなんて、このときの理恵はまだ知る由もない。




