12話 いざ、実食!
その日の晩餐は、昨夜と打って変わって賑やかなものとなった。
それというのも、ジュールさんが正式に「客人」として認められ、同じテーブルを囲むことになったからだ。
どうやら彼、王都が発行した正式な身分証を持っていたらしい。
だったら最初から出してくれればいいのに。
さらに、シルヴァンの計らいで、今夜はクロードやロゼットも食卓を囲むことになった。
あくまで「試食会」という名目だ。
もちろん、クロードは最初は頑として拒んだ。
「使用人が主人と同じテーブルを囲むなど、あってはならないことです」
そう言って壁際に控える姿勢を崩そうとしなかったのだ。ロゼットは参加したそうにチラチラとテーブルを見ていたが、自分より立場が上のクロードが同席しないと言い張る手前、自分だけ座るわけにもいかず困っていた。
だが、空気を読まないジュールの一言が、その膠着状態を打ち砕いた。
「ふーん。クロードくんは、セリエちゃんの手柄になるのが悔しくて、拗ねてるんだねー」
「なっ……! 決してそのような幼稚な理由ではありません!」
「じゃあ、座りなよ。君の敬愛する『ご主人様』が許可した試食会だよ? まさか主人の顔に泥を塗るつもり?」
「……」
「ほらほら、ロゼットちゃんも食べたーいって顔してるよ」
ジュールに痛いところを突かれ、さらにロゼットの期待に満ちた視線攻撃を受けたクロードは、ついに白旗を上げた。
「……承知いたしました。あくまで毒見……いえ、試食役として、末席を汚させていただきます」
というわけで、無事に全員揃っての「ヴェルジュお披露目会」が始まったのだ。
◇
「さあさ、それじゃ一皿目、持ってくるよ!座って、座って」
コレットの合図で、一同が席につく。
最初に運ばれてきたのはアミューズ・ブーシェ。グジェールと呼ばれる、チーズ風味の小さなプチシューである。
合わせるお酒は、スパークリングワイン?その割にはボトルではなくグラスで運ばれてきたけど……
「では――」
シルヴァンは立ち上がり、グラスを軽く掲げた。
「サンテ」
こちらの国での、乾杯の合図だ。
私たちもそれにならってグラスを掲げた。
「サンテ」
グラスに口をつけると、ヴェルジュの香りがワインの風味と共に鼻から抜ける。
「これ、スプリッツァー?」
スプリッツァーとは、ワインを炭酸水で割って、レモンなどで風味をつけた飲み物だ。
これはレモンではなく、先ほど絞ったヴェルジュを加えてある。
レモンジュース入りがレモンスプリッツァーだとしたら、さながらこれはヴェルジュスプリッツァーってところかしら。
爽やかな風味と炭酸の刺激が、食欲をそそる。
周りを見るとみな感嘆の声をあげている。ロゼットが飲んでいるのはどうやらワイン抜きで、ヴェルジュの炭酸割りのよう。
食前酒の余韻をそのままに、次はグジェールに手を伸ばす。
サクッとした歯触りに、濃厚なチーズのコク。だけどあくまでも後味は軽やかだ。うん、お酒にピッタリ!
この後の料理の期待が高まる。
前菜はトマトとフルーツのサラダだった。
岩塩に、ヴェルジュ、オリーブオイルで仕上げ、上にミントをあしらうというシンプルな味付けだ。
はっきりとヴェルジュの柔らかな酸味の良さが伝わる一品である。
合わせるワインは、ヴィーニュ家の白。
数年前の良年に仕込んだシャルドネで、樽香は控えめ、そのぶん果実味とミネラルが素直に立ち上がる。
これを選んだのは、なんと勝手にカーブに入り込んだジュールらしい。
「今夜はメニュー的に白が良さそうだったからね。きっと合わせる料理ごとに違う表情を見せてくれると思うよ」
「ジュール殿!カーブに入られたのですか!?」
「まあまあ、いいじゃん、とりあえず飲んでみてよ」
クロードがブスッとした表情でグラスを口にする。
「……!!」
「ね?美味しいでしょ」
クロードは何も言わなかった。
だけど、その表情には明らかにワインに対する驚きがあった。
もしかすると、ブローニュ領のワインを味に対する認識を改めてくれたのかもしれない。
一方のシルヴァンは、じっとワインと語り合うかのように、グラスを見つめていた。
シルヴァンのその横顔は、目の前のワインだけでなく、どこか遠くに想いを馳せているようにも見えた。
(……もしかして、お父上のことを思い出されているのかしら)
そんなことを考えていると、タイミングよく次の皿が運ばれてきた。
爽やかな香りをまとった、淡い緑色のスープだ。
ひと口含むと、きゅうりの青さをヨーグルトの乳脂肪がやわらげ、その奥でヴェルジュの酸味がきゅっと輪郭を締めている。
口の中が一度リセットされて、次の皿を待つ気持ちまで整えてくれるような一杯だ。
あっという間に平らげると、いよいよメインディッシュのお目見えだ。
「鶏肉のソテー、ヴェルジュと焦がしバターのソースです」
ギュスターブ本人が運んできたそのお皿からは、芳醇なバターの香りが立ち上る。
一口食べると、濃厚なコクが広がるが、驚くほど後味が軽い。
先ほどのシャルドネを口に含むと、ソースのコクとワインの熟成香が溶け合い、えも言われぬマリアージュを生み出す。
「ギュスターブ!最高ですわ!」
「そう言っていただけると作った甲斐があります」
ギュスターブは嬉しそうに続けた。
「色々とヴェルジュで実験してた結果、火を通すと酸味の角が取れることがわかりまして。バターの油分と調和しておるでしょう?」
「ええ、とっても美味しいわ!」
それからしばらく、食卓は幸福な沈黙に包まれた。
肉を食べ、ワインを飲み……お皿の中身が急速に減っていくのが、ギュスターブに対する何よりの称賛だ。
最後の一口を食べ切るのが残念過ぎて、ロゼットは
「これ、おかわりないんですよね……?」
と、コレットを上目遣いで見つめていた。
私はさらに残ったソースをパンで拭うのに余念がなく、気づいたらお腹いっぱいだ。
ハッ!もしかしてこのままだとコレット体型一本道なのでは……
……でも、悪くないわ。私はお腹だけでなく、心も満足感で満たされていた。
だってこのソースも、サラダのドレッシングも、ぜんぶ“捨てていたはずの実”から生み出すことができたのだ。
「ねえ、シルヴァン様」
私は思わず声をかけた。
「もしこのヴェルジュを瓶に詰めて、街で売ったら……少しは、領地の足しになるでしょうか?」
私の問いに、シルヴァンは驚いたように目を瞬かせた。
「なるほど、それは名案だ」
だが、例によってすぐにクロードから反対意見が入る。
「私は反対です。売れるかもわからない商品に投資する余力は我が領にはありません」
「でも何もやらずにいたら停滞する一方よ?」
「領地の運営は博打ではないのです」
「それは、そうかもしれないけど……」
領民の話を持ち出されると私も弱い。
「だが、摘果の時と同じく少量だけ試すところから始めれば良いではないか」
シルヴァンが助け舟を出してくれたところで、ジュールが手を挙げる。
「はい、はーい!ちょっといいかな」
「またあなたですか……」
「そんな嫌な顔しないでよ。残念ながら、今回は僕はクロード君の味方だよ」
「「!?」」
私もクロードも驚いてジュールの顔を見た。
「ヴェルジュの良さは柔らかな酸味だよね。つまり、レモンより酸度が低い。これがどういう問題か、わかるよね?」
「レモンより、日持ちしない……」
「そう!」
ジュールは指をぱちんと鳴らした。
「酸が弱いってことは、雑菌も増えやすいってこと。今日みたいに絞りたてをすぐ使うなら最高だけど、街まで馬車で運んで、店先に並べて、客がいつ開けるかわからない……ってなると、けっこう怖いよ?」
「……確かに」
言われてみれば、ごもっともである。
前世では、どうだったんだろう。確かにお店でヴェルジュを売ってるのを見たことはなかった。知名度の問題かと思っていたけど、もしかして取り扱いの難しさだったのかも。
「それに奥様」
ちょうどキッチンから出てきたギュスターブが、気まずそうに口を開いた。
「本日の試作を繰り返す中で、ヴェルジュの有用性は、嫌というほど理解いたしました。ですが……」
「ですが?」
「ヴェルジュの仕込みの手間と見合うか、という問題もございます」
ギュスターブは指折り数えはじめる。
「まず、青い葡萄が取れる時期が、そもそもそう長くはありません。しかも、房ごと落とすのではなく実を選るのであれば、人手も時間もかかります。しかし、限られた期間の作業のために人を雇うのは難儀です」
「それは……そうですわね」
まったくその通りだった。
私はつい、「いいものができた → 売れば収入アップ!」と短絡的に考えてしまっていたけれど、現場の手間や実現ハードルを考えると、決して簡単な話ではない。
「領地の顔となる商品にするのであれば、なおさらです」
とどめとばかりに、クロードがきっちりと畳みかけてきた。
「万が一、傷んだものが流通して、客に害でもあればどうなさるおつもりですか。ブローニュ家の名は地に落ち、困るのは領民たちです」
「……」
そこまで言われてしまうと、さすがに反論しづらい。
私の頭の中で、希望の光がみるみると萎んでいくのを感じた。
「というわけで、結論はひとつ。そのまんま瓶に詰めて売るのは、難しそうだね」
ジュールが肩をすくめた。
「だけど。日持ちさせる工夫ができたら、新しい道が開ける、かもね」
「なるほど……」
日持ちさせる工夫。
確かに、それさえクリアできれば、可能性はぐっと広がるはずだ。
(うーん……いいアイデアだと思ったんだけどな)
だが、ここで黙り込んでしまうのも違う気がした。
私はグラスの中のワインをひと口含んで、頭の中を整理する。
日持ちしない。
扱いが難しい。
仕込める量に限りがある。
――だったら、その条件をひっくり返すような「形」にすれば、いいだけの話じゃない?
「わかりました」
私は、改めてみんなの顔を見回した。
「たしかに、保存が利かないものを、やみくもに売り出すのは危険ですわ。実際の制作も、流通も、課題は盛りだくさん」
「ご理解いただけたなら何よりです」
「ですが――」
クロードがホッと息を吐いたところで、私は言葉を継いだ。
「その懸念が解消された“ヴェルジュ”を作ればよろしいのですわよね?」
クロードが「え?」という顔をする。
ギュスターブも、瞬きを繰り返していた。
「例えば、日持ちがして、大量生産しなくても価値が出るような。そんなヴェルジュがあれば……お話は変わってきませんこと?」
「そんなもの、作れるのかい?」
ジュールが、面白そうに身を乗り出した。
「まだ、できませんわ」
「えぇ……」
「ですが――これから、作りますの」
私はにっこりと笑うと、ギュスターブの方へと向き直った。
「ギュスターブ。今夜、キッチンをお借りしても?」
「えっ、今夜でございますか?」
「ええ。皆さまが片付け終わってから、明日の朝食の準備までの時間で結構ですわ」
「……旦那様がよろしいとおっしゃるのであれば。ですが、夜更かしはほどほどに願いますよ」
「もちろんですわ」
隣で話を聞いていたシルヴァンも、身を乗り出す。
「面白そうだな。今夜は私も付き合おうか」
「シルヴァン様まで……」
クロードは完全に頭を抱えていたが、もう止める気力も尽きたらしい。
(よし。だったら――まずは“あれ”から試してみましょうか)
前世の記憶の引き出しを、ひとつひとつ開けていく。
頭のどこかに漠然と浮かんでいる答えを探しながら、私はそっと立ち上がった。
「それではみなさま、少し失礼いたしますわ。今夜は未来のブローニュ名物の仕込みがございますので」
――どんな結果になるのか。
それは、まだ私自身にもわからない。
けれど、全身からやる気がみなぎるのを感じていた。




