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10話 謎の旅人と青葡萄の行方

『さ、酒……じゃないや、水を、ください』


 私は、その一言を聞き逃さなかった。


 ぐったりとしている男性をクロードとシルヴァンが担ぎ、小屋の中に運び込んだ。


 服は土埃で汚れているが、よく見ると素材は上質そうだ。緩く編まれた髪は金髪で、どことなく高貴な血筋を感じさせる。


 一体何者だろう。

 でも。


(さっき、酒って言った。絶対言った!)


 おかしいでしょ、あのタイミングでアルコールの要求は。


 ややあって、男性は意識を取り戻した。


「あれ……ここは?」

「外で倒れていたので、運び込んだんです。大丈夫ですか?」

「ああ。助かったよ、ありがとう」


 そう言うと、弱々しく微笑んで見せる。

 肌は抜けるように白く、サファイアブルーの瞳が美しい。イケメンだ! もしかして貴族?


「葡萄畑に見惚れて歩いてたら、うっかり食欲を放棄しててね。昼間は暑いし、このままバッカスに召されるところだったよ」


 前言撤回!

 やっぱりこの人おかしい!!

 バッカスに召されるってどういうこと?


「失礼。挨拶が遅れたね。僕の名はジュール。しがない旅人さ」


 ……。

 もはやツッコミを入れる気力も削がれる怪しさである。

 なに、しがない旅人って。旅人、職業じゃないから。食べていけないから、それ。


 周りを見ると、シルヴァンは領主も名乗るべきか訝しんでいるようだ。

 ここは私が対応するべきか、いやいや女性が最初に名乗るのも立場的にどうかしらと悩んでいると、クロードが一歩前に出た。


「初めまして、ジュール殿。私はブローニュ領の領主に仕える、執事のクロードと申します」

「よろしく、クロード。早速で悪いんだけど、何か食べるものをもらえないかな」

「……」


 クロードはジュールという男を、あからさまに怪しんでいる。

 当然よね。素性もわからない訳だし。

 と、思っていると――。


「ロゼット、彼にサンドイッチの用意を」

「あ、はい!」


 シルヴァンが、ロゼットに指示を出した。


「シルヴァン様! まだ何者かもわからないのですよ!」

「わかっている。しかし、このブローニュ領において、何人たりとも飢えさせないというのが代々の領主の掟。話なら後で聞けば良い」


 反対するクロードを押し留めると、シルヴァンはジュールに向き直った。


「体調はどうだ? 立てるか」

「うん、何かお腹に入れて、少し休めば大丈夫。いやぁ、本当に助かったよ。葡萄の香りに釣られて歩いていたら、つい夢中になってしまってね」


 ……うん? 今の時期はまだ葡萄が熟す前。その香りに釣られた、とは?


「この辺りの畑、育て方はアレだけど、樹のポテンシャルはすごいね。特に――さっき見た斜面のあたり。あれは群を抜いて素晴らしい。樹齢50年くらいあるんじゃない?手入れ次第ではすごいワインになりそうだよねぇ」


 ジュールは、先ほど私たちが摘果していた区画の方角を指さした。


(葡萄の樹齢にまで言及するなんて、この人……)


「ええと、ご主人、だよね?」


 と、ジュールはシルヴァンを見上げる。


「葡萄畑の香りがする。ああ、これはフィノワールか。君の畑だね?」


「……そうだ。俺はシルヴァン・ヴィーニュ。この領地を治める辺境伯だ」


 名乗るべきか逡巡していたはずなのに、あっさり自己紹介した。

 ジュールの言葉には、何か人を引き込む不思議な魅力があるみたいだ。


「やっぱりね」


 ジュールは満足そうに微笑むと、ロゼットが差し出したサンドイッチを受け取り、遠慮なくかぶりついた。


「うわぁ、美味しい。パンもいいけど、このマスタードがまた……あ、すまない、一人でパクパクと。君たちも食事中だったんだろう?遠慮なく続けてくれ」

「いえ、お口に合ったならよかったです」


 ロゼットは嬉しそうに笑う。

 微妙に上から発言なのは気になるが、このサンドイッチを食べて、肉より先にマスタードを褒めるなんて、やはり只者じゃない。

 クロードはなおも警戒を解かないが、さすがにこれだけ美味しそうに食べられると、追い出すわけにもいかないだろう。


 私も、残っていたサンドイッチを手に取った。


「では我々も続きをいただくことにしましょう。申し遅れました、わたくしはセリエと申します」

「よろしく、セリエちゃん」

「!?」


 セリエ、ちゃん!?

 この世界に転生してきてから初めてのちゃん付け呼びに、思わずあたふた。

 シルヴァンは手元のサンドイッチを取り落としている。あれ?なんで彼まで動揺してるの?

 私は気持ちを落ち着けるべく、コップのミント水を飲み干した。


「ところでジュールさん。さっき畑を見ていた、と仰いましたけれど」


 さりげなさを装いつつ、私は探りを入れた。


「ああ。ワインが好きなんだ。畑も、土も、木も、樽も、樽の中身もね。一番好きなのは樽の中身を飲んで確かめることだけど」


「……職業は、本当に“旅人”なのですか?」


 正体が気になり、つい、少し問い詰めるような口調になってしまう。


 ジュールは肩をすくめて笑った。


「そうだねぇ。強いて言うなら……“畑を渡り歩く、何でも屋さん”って感じかな。良い商品があれば王都のお店に繋いだり、時には蔵の相談を受けたり、みたいなね」


(要するに、さすらいの卸業、兼、コンサルみたいなものってこと?)


 それ以上はうまくはぐらかされてしまいそうで、私は追求を諦めた。


 ふと視線を動かすと、先ほど摘果した青い葡萄の山が目に入る。ジュールも私の視線に気付いたらしく、葡萄に目を向けた。


「さっきから、気になっていたんだけど」


 ジュールはサンドイッチを半分まで食べたところで手を止め、青い実の山に目を細めた。


「ずいぶんな量だね。摘果したフィノワールかい?」


「ええ。質を上げるために、泣く泣く切り落としたんですけど……こうやって見ると、やっぱり心が痛みますわね」


「熟す前の実、か」


 ジュールは一つつまみ上げると、興味深そうに眺めた。


「ご存じだと思いますが、酸っぱくて、とてもそのままじゃ食べられませんよ?」


 私がそういった瞬間、ロゼットが思い出したように顔をしかめる。

 え?ロゼット、まさかあなた……


「あ、その、一粒だけです!」


 ロゼットは慌てて言い訳を始めた。


「どんな味かなって、一粒だけ。そうしたらすっごく酸っぱくて、思わず目の前にあったサンドイッチを食べてしまって……」


 あ、そっちね?

 それでさっきもぐもぐしてた訳か。


「へえ。それで、君はどっちのサンドイッチを食べたの?」

「ええと、人参サラダの方です」


 ロゼットは申し訳なさそうに答えた。

 が、ジュールはさらに質問を続ける。


「味は、どうだった?」

「酸っぱくて…」

「そうじゃないよ、サンドイッチの味は、どうだった?」

「ええと……? 美味しかったです」


 どういうこと?

 ジュールはなにを聞こうとしてるのだろう。


「じゃあ、もう一度同じものを食べてみてくれるかな」

「え……はい」


 ロゼットは言われた通り、キャロットラペのサンドイッチにかぶりついた。


「どう?」

「(もぐもぐ)……美味しいです、でも、あれ?」


 少し考えてから、ロゼットは呟いた。


「さっきの方が、もっと食べたくなる味だったような……?」

「なるほどね」


 ジュールは、満足そうに頷いた。


「何が、なるほどなんです?」

「ん、ああ、いやね。青葡萄の酸味がいい感じに作用したんじゃないかなって思って」

「青葡萄の、酸味?」


 思わず聞き返してしまう。


「そう。熟す前の葡萄から搾った緑の果汁を、料理に使ったりするんだ。一部の地方では“ヴェルジュ”と呼ぶんだけど」


 ヴェルジュ。

 初めて聞く単語なのに、どこかで聞いたことがあるような感覚がした。

 もしかすると、前世、レシピサイトか何かで見たのかもしれない。


「酸味が必要な時に、マリネに使ったり、ソースにしたり。ワインになれなかった実が、食卓を支える名脇役に大変身!ってわけ」


 ふわり、と頭の中で何かが繋がった。


 葡萄畑、山ほどある青い実。

 ギュスターブの料理。

 この領地の、財政難。


「……それ、詳しく教えてもらえます?」


 自分でも驚くくらい、前のめりな声が出ていた。


(これだわ! 泣く泣く捨てざるを得なかった貴重な果実を、有効活用できるかもしれない!)


 ジュールは目を瞬かせ、そして愉快そうに笑う。


「もちろん、よろこんで。助けてもらったお礼もしないとね」


 やった!

 すぐにでも試してみたいアイディアが湧いて出る。


「シルヴァン様。彼を屋敷に連れて帰るご許可を頂けませんか?」

「ん?あ、ああ」


 曖昧な反応を返すシルヴァンに、すぐにクロードが噛み付いてきた。


「お待ちください。見ず知らずの男をこれ以上関わる訳には――」


「クロード」


 静かに制したのはシルヴァンだった。


「妻たる人物の頼みだ。協力してくれないか?」

「ですが……」

「クロードも、摘果した葡萄をもったいなく感じていたのだろう?もし有効活用できるなら、俺もその方法を知りたい」


 クロードは、悔しそうに唇を噛みしめたが、やがて観念したように頭を下げた。


「……かしこまりました。ですが、屋敷の厨房を使う以上、私も立ち会わせていただきます」

「じゃあ、決まりだね」


 ジュールはサンドイッチの残りをぱくりと平らげると、手をはたいた。


「早速屋敷に向かおうか」

「これで今朝のサラダのレモン問題、解決できるかもしれないわね」

「ああ、ギュスターブも喜ぶだろう」


 私とシルヴァンの会話を聞いて、ジュールがふと動きを止めた。


「ギュスターブ……?このサンドイッチを作ったのは彼なのか?」

「ええ、ヴィーニュ家の自慢の料理長ですわ」


 私がそう答えると、ジュールは何かを小声で呟いた。


「そうか……彼はこんなところにいたのか」

「何かおっしゃいましたか?」

「いや。独り言だよ」


 ジュールはそういうと、道もわからないはずなのにウキウキと先頭を切って歩き出した。

 クロードはその背中を疑い深そうに眺めている。


 そんな様子を見ていると、まだまだ波乱は続きそう。

 色々あるけど、まずはヴェルジュの試作だわ。

 私も新しい酸味との出会いを楽しみに、屋敷へと歩みを進めた。

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