第二章 呪文基礎学⑥
昼休みを終え、三限目の授業は魔法戦闘の授業。
三十人程度の生徒が一同に会する大部屋には机も椅子もなく、入学式が行われた講堂に似た場所だった。
「さぁて、ようやく私の本領発揮ね」
腰に差したレイピアの柄頭を触りながら、エゼリットが目を輝かせた。
「サクヤもだよね!」
「まぁ、他の授業に比べたらな」
授業開始時刻と同時に、教師が扉を開けて現れた。
「ふむ、全員気合十分といったようだな。では、これより魔法戦闘の授業を始める」
拡声呪文を使っていないのにも関わらず、広い部屋によく響く声でそう告げる。
腰に煌びやかな装飾の施された剣を下げている男は、昨日サクヤの前に現れたエイワス・カイゼンだ。
「魔法戦闘の授業を担当するエイワス・カイゼンだ。まずは一年間、戦いを生業にする者とは四年間関わることになるだろう。歳は二十八で昔はここで生活をしていた、いわゆるOBだ。趣味特技は剣術。よろしく頼む」
簡潔な自己紹介をすまし、それで自身の気安さを示した。エイワスが剣をしまうと、ここまでの授業で緊張しっぱなしだった生徒たちが一斉にリラックスする。
「もうメイガス先生の授業は受けただろうが、私はあの人ほど君たちにきつく当たるつもりはない。だが厳しくはいく。そうでないと、ここを卒業した後の君たちに危険が及ぶからだ。常在戦場の意識を持てとまで言うつもりはないが、少なくとも生半可な魔法戦闘の技術では魔法使いの社会では生き残れない。そのことは胸に刻んでおいてほしい」
エイワスから強いプレッシャーが放たれる。
弛緩した空気が一変、緊張が走った。しかしそれは他者を威圧するものではなく、改めて魔法使いとしての覚悟を確認するためのもの。
「まぁもっとも、数日も経てばそこら中で私闘が起きるだろうから、その手の意識は自然と芽生えるだろうけどね」
最後に子供っぽい笑顔を浮かべたエイワスは、豪奢な剣をゆるりと抜いた。世界中の聖剣、魔剣を収集しているという噂は本当のようで、明るい照明の光を反射する剣には強力な魔法の力が宿っており、一目見て大業物だと見て取った生徒たちから「おおっ」という声が上がる。
「うわすごっ」
「むっ……」
サクヤとエゼリットも似た反応を示すが、彼らの理由はまた別にあった。それを互いに察した二人が顔を合わせて呟く。
「ねぇ、今の動きって……」
「抜く瞬間に全く隙がなかった。居合でもないのに」
速度自体はなかった。ゆっくりと手を動かして、ゆっくりと抜いただけ。だがその動きには一切の隙がなく、そしてあまりにも自然だった。
戦うつもりで目の前に立っていても反応できたかどうか。
「さっそく授業といきたいところなんだけど、初日は概要と決まっていてね。がっかりする気持ちは非常にわかる。私も学生だった頃は、二年生からは授業初日はサボっていたからね。ま、できるだけ退屈にはならないようにするよ」
そんな風に言って、エイワスは先の授業と同様に概要を始めた。
「私がこの授業で君たちに教えるのは、端的に言えば一つだ。魔法使いとの戦いで生き残る方法。それを教える」
戦う方法ではなく、生き残る方法という言葉に生徒の大半が疑問の表情を浮かべた。
「勝ち方を教えてくれ、という生徒もいるだろうが、少なくとも一年生の間は生き残ることを覚えた方がいい。生き残ることが最優先なんていう奇麗ごとじゃない。正真正銘、これが一番役に立つからだ」
先程までの朗らかな表情ではなく、真剣な面持ちでエイワスは語った。
「これから先、君たちは自分よりも強い相手と幾度なく相まみえることになるだろう。そしてその度に、ここで培った能力は役に立つはずだ。それを心得て授業を受けてくれ」
淡々と告げて概要は終わった。
「さて、ではここからは授業を始めよう。さっきはああいったが、今日のところは全員の実力を確認する意味で数人と立ち会ってもらう」
いきなり戦えと言われて緊張するなという方が無理である。彼らのほとんどが、積み重ねて来た研鑽と実力に対して一定の自負を持っている。それを衆目の目に晒し、敗者の烙印を押される可能性が頭に過る。緊張と警戒を伴った気後れが生徒たちの体を強張らせた。
「緊張は不要だ。今日の結果で成績が変わるわけでもないし、実力がひっくり返ることなどいくらでもある。今日のところはちょっとしたイベントだと思ってくれ」
雀の涙程度の安心材料の言葉を添えられようとも、生徒たちの心境は変わらない。あるいは今日一番の警戒でもって魔法戦闘の授業は行われた。
エイワスが二人の生徒を前へ呼ぶ。授業の一環とは思えない意気込みで呼ばれた二人が前へ出る。
そこで立ち合いが行われるのだと誰に言われるでもなく察した周囲の生徒たちが適切なスペースを空ける。エイワス自身が審判を務め、二人が向かい合う。
「何でもありの総合戦。といっても二人とも武器は使用しないようだな。ちなみに、呪文の威力は範囲でに留め、武器は原則峰打ちで使用するように。おっと、大怪我というのは魔法使いの基準だということには注意してくれ。つまり多少の火傷や打撲はすることになるから注意しろ。まぁ、一年生の間に治癒呪文の練習が積めると思えば悪くない」
「先生、質問があります!」
声を上げたのは、サクヤの隣で腰の剣を鞘ごと掲げたエゼリットだった。
「レイピアか。あまり前例がないが、一年生の間は鞘に納めた状態で戦ってくれ。相手にハンデを与えることになるが、自分の手を隠すと思って納得してくれると助かる」
「わかりました!」
立ち合いの流れを一通り説明し終え、それに二人が頷くのを見届けたエイワスが合図をかける。
「始め!」
威力を制限した呪文が飛び交う。ほどなくして一試合目が終わる。明確な勝ち負けはつかず、エイワスの判定によって勝敗が決められた。
勝利した生徒は一安心といった様子で胸を撫でおろし、負けた方は悔しさを滲ませた顔で肩を落として次の二人に場所を譲る。
そのまま数試合が行われるうちに、当初の警戒や緊張感が薄れていった。もっとも、立ち合う生徒は真剣勝負の面持ちのままだ。だが、それを見守っている生徒の空気はある程度の緊張感を持ちつつも張りつめた様子はなく、自然と応援や感想の声が上がるようなる。
巷の拳闘大会でメインの前に前座の試合があるのと同じ。要するに場が温まったのだ。
だからだろうか。時間が経過するごとに立ち会う生徒の緊張も解れ、本来の実力を発揮するようになる。
それに拍車をかけたのは、エイワスが時間がある限り一人複数回立ち合うと告げたことだ。敗戦にショックを受けていた者の目に活力が蘇り、また次に当たるかもしれないと集中して観戦するようになる。
「Mr.ヒイラギ、前へ」
一巡目が残り数人となったところで、サクヤの名が呼ばれた。
「頑張ってね、サクヤ」
「ぶっ飛ばしなさい」
「あいよ」
友人に激励を受け前へ出る。
「なんだ君が相手か、劣等生」
サクヤと向かい合う男子生徒が悪意に満ちた笑みを浮かべてそんなことを言った。
「入学式の時にちょっと活躍して目立ったからって調子に乗るなよ。まともに魔法を使えない奴がここに入学したことを後悔させてやる」
一限目の授業を共に受けていたのか、それとも誰かから聞き及んだのか。尊大な態度でサクヤを見下している。
「言いたいことはそれだけか?」
特に深い意図もなくサクヤが返す。
「君、それは僕に言ってんるのか? 僕が誰だと思って――」
「知らねぇよ、テメェのことなんて」
相手の言葉を遮るように、今度はサクヤが挑発を飛ばす。相手の顔が不快感に染まるのを見て、サクヤはようやく思い出した。――講堂へ向かう中、喧嘩を起こした生徒だと。
争いを起こした自分たちより目立ったことか、それとも魔法を斬られたことか。あるいは自分たちだけ教師に怒られたことか。
理由は分からないが、この同級生は自分に対してやけに敵意を持っている。
「君、覚悟しろよ」
「そういうのは勝ってから言えよ」
明確な害意を込めた視線に、サクヤは顎を突き上げて見下すように言葉を返す。
「アイツ、結構血の気が多いわね」
「ふん、くだらない。メイガス先生が見てたら野蛮人と言われるな」
「ま、まぁ男の子だし……」
目の前で繰り広げられる挑発合戦に、観戦する生徒たちが盛り上がった。
「はははっもっとやれー!」「思いっきりぶちのめせ!」
「しょっぱい試合したら後でぶん殴るからな!」「俺はヒイラギに魔法薬三本賭けた!」
その様子を見て苦笑いを浮かべるだけで咎めはしないエイワス。懐かしくも恥ずかしい過去を思い出すような表情を浮かべている。
「さて、そろそろいいかな? Mr.ヒイラギにMr.ブライン」
しかしこれ以上は授業の時間が無駄になると判断し、二人に準備を促す。サクヤは刀の柄に手をかけ、ブラインは腰の杖を握る。
「それでは――始め!」
「喰らえッ!」
開始と同時、ブラインが杖を抜く。速度に限っては一年生の水準から大きく離れたその動きで先制攻撃をしかける。自身が扱える中で最速の呪文を唱えようとして、それから気付いた。
――遅い。あまりにも遅すぎる。眼前の敵は既に己が得物を解き放ち、それがそのまま初撃へと繋がっている。空気を斬る音すら聞こえぬ速度の一刀をかろうじで目で追えたのは、それが自身の首元へ迫り視界の一部を占有しているにからに過ぎないからだ。
「――ふッ」
遅れて聞こえる相手の息遣い。音より速い踏み込みと抜き打ちが、自身の首を捉えたのだと理解したころには、打ち据えられた体から力が抜け倒れ込んでいた。
呪文の成立よりも早く相手を打ち倒す。大昔に否定された、非魔法使いが魔法使いに反逆するために立てられた対策が実現されたことに、多くの者が口を開いて唖然としていた。
「――そこまで! 勝者Mr.ヒイラギ!」
教師の声で勝者の名が告げられる。その頃には、サクヤは刀を鞘に納めていた。




