第二章 呪文基礎学③
「くっ…………」
元より魔法とは無縁の人生。才を見抜かれアストラルに入学を許されたとはいえ、魔法使いとして研鑽を積んだ期間は合わせて三ヶ月にも満たず、それはこの中の誰よりも少ない。
「も、もう一回……」
「――そこまでにしなさい、Mr.ヒイラギ」
もう一度呪文を唱えようとしたところで声がかかる。悔しさに表情を歪めたサクヤが振り向くと、メイガスは淡々と告げた。
「これ以上は無駄です。次の者に順番を譲りなさい」
サクヤは予想していた結果に、しかしショックを受けずにはいられなかった。肩を落とすサクヤに魔女は言葉を続けた。
「あなたに魔法の研鑽が足りていないのは重々承知しています。今は焦らずこの現状を受け入れ、他の生徒たちの観察に努めなさい」
サクヤは静かに頷いてその場を立ち去る。一連の流れを見ていた生徒たちが目の前の光景に囁いた。
「初等呪文すらまともに使えないのかよ」「まともにっていうか、そもそも出なかったけど」
「杖握って三日でできることだぞ」「どうやって試験通ったんだよ」
「非魔法使いが紛れ込んでんのか?」「ははっ、そうじゃないと説明つかないよねぇ」
入学式の一件で少々目立っていたサクヤの思いがけない失敗を、この機を逃さず嘲笑する声が少年の背中に届く。言い返す言葉がなかった。実力がなければ落ちこぼれとして蔑まれる。元よりここはそういう場所だと分かっていたからだ。
「あ、サクヤ……」
心なしか小さく見える彼にレイリアが声をかけようとするが、すぐに順番が回ってくる。
「何をしているのですか、Ms.ペトラルカ。 早く取り組みなさい」
「は、はい!」
小走りで的の前に立つ。腰から抜いた杖の先端を的に向け呪文を唱えた。
「う、うん……やっぱり上手くいかないなぁ……」
サクヤのように呪文が成立しないということはなかったが、課題に取り組んだ生徒たちの中ではひときわ弱々しい炎しか出なかった。的に命中した呪文の成績は、赤い円が一重という成績を示した。
だが今度は笑いは起きなかった。一重しか灯さなかった魔法出力は生徒の平均よりもかなり低く、サクヤの時ほどではなくとも馬鹿にする声が聞こえてもおかしくはない。笑われなかったのは、人のよさそうな彼女の見た目と、サクヤのインパクトが大きすぎたからだろう。
「あ、あはは……全然ダメだったよ」
ぽつんと一人立っていたサクヤの肩を叩き、頭を掻きながらレイリアは苦笑いを浮かべる。それが彼女なりの気遣いなのだと知り、サクヤも笑みを浮かべて返した。
「がっかりしたか?」
思わず口から出たそんな言葉。半ばやけくそ気味のサクヤの質問に、レイリアは嫌な顔一つせず首を振った。
「ううん、そんなことない。誰だって得意不得意はあるし仕方ないよ。私だって全然上手くいってないし」
そうこうしている間にも課題は進んでいく。
「――次、Mr.ダリウシュ」
「はい」
名前を呼ばれた生徒が的の前に立つ。先程の眼鏡をかけた少年だ。不自然な注目が集まる様子にサクヤが首を傾げ、レイリアが呟いた。
「ダリウシュ……?」
「知り合いか?」
「いや、そうじゃないけど……知らないの? 有名な魔法使いの家だよ。とんでもない武闘派で、有名な異界断ちを何人も輩出してるって」
その事実はこの場にいる誰もが知っていることであり、注目されるのも必然だった。武闘派の名門、その嫡子の実力を測ろうと、隣で課題に取り組む生徒でさえ手を止めている。
「火炎よ灯れ!」
果たして杖から放たれた火炎は、その期待に応えるものではなかった。的が示す魔法出力は円二重分。レイリアよりは強いが、それ以上でもなくむしろ平均より低い。
「え、あれがダリウシュの魔法使い?」「なんだ、期待して損した」
「雑魚じゃん」「今年はどうなってんだよ。レベル低いなぁ」
先程のサクヤと同じように嘲る言葉が教室に溢れる。
「……っ!」
その言葉に反感を示したルイスが、馬鹿にした生徒をキッと睨む。
「あ? なにその眼」「喧嘩売ってる?」
睨まれた数名が真っ向から視線を返し、教室に不穏な空気が漂う。メイガスもそれを咎める様子はなく。流石に授業中に喧嘩はまずいと思ったレイリアが三名を諫めようとする。
「ちょ、ちょっと皆やめ――」
しかしそれを遮るように、凛とした声で呪文が響いた。
「火炎よ灯れッ!」
入学式の際に、サクヤと共に喧嘩を眺めていた女子生徒だった。彼女は今にも喧嘩を始めそうな三人を無視して呪文を唱えた。腰から抜いたレイピアの切っ先を的に向け、その先端に魔力を導く。
次の瞬間、桁外れの魔力が少女の中で蠢いた。たかが一節の初等呪文を扱うには分不相応な魔力が、少女の生まれ持った魔法出力の高さによりそのまま吐き出される。
「うわっ」
溢れ出る炎は術者の制御を容易に外れ、扱いきれなかった分がレイピアを遡りローブの袖をじりじりと焦がす。
「ちょ、アンタ馬鹿ッ!」
後ろに控えていた女子生徒がそんな声を上げる。それに答える声はなかった。代わりに聞こえたのは、
「あっ、あっ……」
という間抜けな声だった。それを聞き届けるよりも早く、周囲の生徒が杖を抜く。既に炎は教壇を飲み込むほど広がっている。手遅れだと理解しながらも、杖を重ねて炎の向きに制御を促した。
「くッ……こいつマジかッ!?」「出力が高すぎる!」
少女が放った炎は、とても一年生とは思えない規模であった。故にその制御もまた、同じ一年生には不可能。数人の生徒がメイガスの方をちらりと見る。しかし魔女はそれを傍観するだけで手を出す気配はない。このままでは教室中が炎に呑み込まれ全員が被害に遭う。
その予感に、制御に回った生徒たちまでもが身を守るための相克呪文を唱える準備をした、その直後――。
「炎縛りて」
魔女の淡々とした呪文が響いた。杖先から放たれたそれが吐き出された炎の濁流に干渉、制御を失い広範囲にまき散らされる炎を的へ向けて強力に縛り上げた。
数秒とかからず吐き出されつくした炎が静かに鎮火した。教室や生徒への被害はない。先程感じた格の違いを再度分からされ、それに慄く生徒たち。
「まったく、この程度で狼狽えるとは。魔法使いならもう少し冷静に対処なさい」
教室中を燃やし尽くしかけた魔法の暴走をこの程度と魔女は言い切り、対処に失敗した生徒に失望を表す。
そんな中、あわや全員に大火傷をさせかけた少女が勢いよく床に倒れる音が鳴る。
真っ先にレイリアが金髪の少女の下へ駆け寄った。金髪の少女は完全に意識を失い、少女が白目を白目を剥いている。その様子にぎょっとするレイリアに、背中越しに魔女は告げた。
「一時的な魔力枯渇ですね。Ms.ペトラルカ、Ms.カーネルイスを介抱してあげなさい」
「は、はい!」
「心配はいりません。一時的な魔力枯渇です。しばらくすれば目を覚ましますよ」
そして、
「破壊できれば授業を受けなくてもいい、というのは訂正が必要ですね」
そう漏らす魔女の正面には、先程の火炎呪文で炭化し崩れた的が転がっていた。
「さて、授業を続けますよ。次は――」
続く生徒たちがカーネルイスによる破壊で一つ減った的へ向けて火炎呪文を撃っていく。
「――次、Ms.アストレイブ」
名を呼ばれた女子生徒が前へ出る。その姿に、思わずサクヤは息を呑んだ。
長い銀の髪を揺らす彼女は、昨日サクヤが廊下ですれ違ったエルフの少女だった。
「……っ」
「サクヤ、知り合い?」
「いや、そういう訳じゃ……」
「エルフか、珍しいな」
いつの間にか隣に並んでいたルイスがそんな声を漏らす。
「エルフが入学することなんてあったのかな?」
「さぁね。少なくとも僕は聞いたことがない。というか、君は誰だ。名乗りもしないで話しかけるな。失礼だぞ」
「えぇ、同級生なんだし、仲良くしようよ。そんな態度だと友達出来ないよ?」
「う、うるさい知るか!」
ぎゃあぎゃあと騒ぐ二人の隣で、サクヤはエルフの少女から目を離せないでいた。
サクヤの視線には気付いていないのか、それとも無視しているのか。エルフ一瞥もくれず、落ち着いた声色で呪文を唱えた。
「火炎よ灯れ」
右手に持った杖から猛き炎が放たれる。真っ直ぐ飛んだ呪文は寸分の狂いもなく的中し、赤い円を五つ光らせた。
おお、という声が教室中から漏れる。
ここに来て初めて満点をたたき出した彼女に注目が集まった。だが、それを成した本人は特に胸を張るでもなく澄ました表情をしている。
「良い腕ですMs.アストレイブ。全員、彼女を参考になさい」
考え得る限り最上の賞賛が、魔女の口から告げられた。




