6.動き出した運命
「アルバン! オレリーは自室か? 部屋から一歩も出すんじゃないぞ、絶対に!」
そう言うとジャメル・シルバーヴェル辺境伯はすぐに身なりを整え、ロシュディ・アレクサンドル公爵が待つ応接間に向かった。
「これは、これは公爵様……先日の舞踏会だけではお話し足りなかったようで。わざわざ、このような北の果ての領地までお出でになるとは、いったい何事ですか?」
ジャメルは、ロシュディの真意を測るように鋭い視線を向けながら、ゆっくりと歩み寄った。
少し離れたところで表情一つ変えず、オレリーの母セシルと兄ルシアンがロシュディを見つめている。
「閣下、そこまで警戒されると、さすがに傷付きますよ」
ロシュディの後ろには、タハール・ベリル小伯爵が控えている。
「公爵様、この屋敷の光景をご覧になればお分かりでしょう」
冷めた紅茶を一口飲むと、ロシュディは平然として口を開いた。
「単刀直入に申しましょう。デビュタントで見初めたオレリー嬢に求婚を申し込みます」
「それではこちらも単刀直入に伺います。この求婚は、皇太子殿下の画策ですか?」
「ハハハ、私の恋心を否定なさるのですね」
「わが家の情報網を侮ってもらっては困りますな。貴殿らが、すでに水面下で激しくローズ皇妃殿下と対立しておられることは承知しております。そんな危険な政争に、大切な娘を利用するおつもりでは?」
ロシュディを見つめるジャメルの瞳には、父親としての怒りの感情が容易に読み取れたが、同時に冷静に状況を見極めようとする当主らしい威厳も感じた。
◇
一方、オレリーは、階下では冷ややかな応酬が繰り広げられているとも知らず、呑気に今日のスイーツのお願いをサラにしているのだった。
「サラ、今日はぜったい苺のタルトをティータイムに出してね」
「はい、はい、お嬢様はまずベッドから起きてくださいまし」
「ねぇ、なんだか窓の外が騒がしいようだけど……」
何気にオレリーが窓の外を見ようとすると、すかさずサラが窓の前に立った。
「……サラ?」
「お嬢様、もうとっくに朝は過ぎておりますよ。もう皆様ご朝食がお済みですから、お嬢様のお食事はお部屋までお持ちいたします。料理長特製のスコーンに、たっぷりのジャムとクロテッドクリームをご用意致しますね」
「さすが、サラ! 大好き!」
オレリーはそう言うと、また、ごろんとベッドに倒れ込んだ。
サラは部屋を出ると、扉の前に立っているサミに小声で階下の状況をたずねた。
「紅茶のおかわりを持って入ったメイドが言うには、相変わらずの睨み合いだってさ」
◇
温かい紅茶を運んできたメイドが応接間を出たあと、ロシュディは懐から愛しそうに古い小さな箱を出した。
中に入っていたのは、小さな宝石が一粒だけあしらわれたシンプルな指輪。
とても小さな宝石だが、深いグリーンともブルーともつかない、これまでに見てきた数多くの宝石の中でも出会ったことがないような、神秘的で美しい宝石だった。
「これは……私の両親はもうこの世におりませんが、父が母に贈った結婚指輪『エーテルの指輪』です。家宝という以外に、私にとっても大切な意味のあるものです。この指輪をオレリー嬢に捧げます」
「公爵様、わたくしどもは娘の幸せしか願っておりませんわ」
そうセシルが答えた。
感傷的な思い出とそんな指輪が、大切な娘に何の関係があるのかと言わんばかりの表情で。
「公爵が直々に結婚指輪を携えて、結婚の申し込みに来たというのに、少々失礼にも度が過ぎるのでは?」
タハールは我慢できず、セシルに不快感を露わにして言い放った。
するとロシュディはタハールを軽く制し、恋に落ちた好青年という仮面は早々に脱ぎ捨て、鋭い策士の顔つきに変わった。
「ジャメル閣下、このシエロ帝国の数少ない『精霊の加護』を継承しているあなたにはお分かりでは?」
「恥知らずな権力者たちが、こぞってわが家の『精霊の加護』を引き入れようとすることか? 何を今さら……公爵も同じ穴のムジナでしょう」
「ムジナねぇ……むしろ私は助けようとしているのです。閣下、オレリー嬢を隠してきた理由は本当に美貌だけですか?」
ジャメルは一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに眉間にシワを寄せ考え込んだ。
「シルバーヴェル辺境伯の加護は、『氷の精霊フロス』から授かった『氷の刃』。剣に氷の力を宿し、オーラを込めた剣は何でも凍らせてしまう」
ロシュディの言葉を受けて、タハールがヒューッと口笛を吹いた。
「わが家門は、その力で北の国境地帯の安全を守って来た。フェルナンド皇帝やシエロ帝国民に十分な忠義を尽くしているはずだが、これ以上何を望むつもりですか?」
「『氷の精霊フロス』の力はルシアン卿が継承するでしょう。しかし、もう一つ別の継承すべき『精霊の加護』が生まれたのでは? オレリー嬢の誕生とともに『光の精霊セリュネア』が現れたのですね」
応接間が水を打ったように静まり返ったが、ロシュディは構わず話を続けた。
「『精霊の加護』の継承者たちは帝国でも貴重な存在だ。ジャメル閣下が恐れて来たように、国内外の権力者たちが令嬢を欲するでしょう。血筋に『精霊の加護』の継承者を生み出すチャンスなのですから」
観念したかのようにジャメルは「フーッ」と一息吐き話し始めた。
「なぜそれを……は愚問でしょうな。公爵様の仰る通りです。オレリーが生まれた日、『光の精霊セリュネア』が現れ、選ばれし子として成人後に加護を授けると……」
「父上!」
ルシアンが荒ぶるように声を上げた。
「ルシアン、もう今までのやり方ではオレリーを守ることはできないようだ。いずれこの事が知れ渡れば、オレリーの奪い合いが始まるだろう。第二皇子殿下の婚約者として、ローズ皇妃殿下に目を付けられる前に……」
「閣下ならローズ皇妃殿下の恐ろしさをご存じでしょう。オレリー嬢が『精霊の加護』を授かる前に、私と結婚することが最善かと思いますよ」
「公爵夫人という簡単に手出しできない地位、直接的な皇位継承者争いに巻き込まれない、そして新しい『精霊の加護』の事は、私とアレクシス殿下、タハールの胸に仕舞っておくこともできますよ」
「公爵様はまだしも、そこのタハール卿や皇太子殿下をどうやって信頼しろと!」
またもやルシアンが食ってかかった。
「ハッ、皇太子殿下まで疑うとは……。どうぞ、オーラで僕に誓約の束縛をかけて頂いても結構ですよ」
タハールが余裕たっぷりに答えた。
「ルシアン! 少しは黙りなさい。公爵様、命を懸けてオレリーを必ず守って下さい。そして、領地の民のための有意義な協定を交わしましょう。わが家門の力と新しい『精霊の加護』の血を同時に得るのですからね」
「ええ、命に代えてもオレリー嬢をお守りしましょう。これは、誠意と契約で成り立つ公平な政略結婚です。互いの目的と利益が明確である結婚の方が安心でしょう、閣下」
(誠意と契約ねぇ……どうして殿方たちはいつも、本人の気持ちそっちのけで考えるのかしら。女は道具じゃないの。ジャメル、私たちの結婚にそんな陳腐なものは無かったでしょう)
娘のことになると急にポンコツ化する夫に、セシルはゴツンと拳骨したくなった。