外伝2 私を照らす光<エリカ編・後編>
こうしてエルカナとしての新しい生活が始まったが、意外にも三カ月ほどで生活のおおまかなことは理解できた。
貴族と違って、平民の生活には厳格なマナーも社交の義務も皆無だからかもしれない。
ただ最初の頃は、量も少なく味の薄い食事、身支度から掃除や料理、家畜の世話まで……初めて尽くしに驚きの連続だった。
(慣れるまでは、疲れ果てて気絶したように眠っていたけれど。でも、この生活の方が心地いいわ。言葉遣いも気にしなくていいし)
「エルカナ、ちょっといいか~?」
気持ちの良い青空の下、洗濯物を干し終わったエルカナは、母が持たせてくれたサンドイッチを食べようとしていた。
「あら、ジャック、どうしたの? あなたも食べる? その前にこれで手を拭かなきゃ」
エルカナの丁寧で落ち着いた所作に、ジャックは言葉に詰まった。
(うっ、最近のエルカナは本物のお嬢様みてぇだ。それに……)
ジャックにとってのエルカナは、男友達のような肩肘張らず付き合える存在。
それがなぜか近頃は――エルカナと会う度に、胸のドキドキが治まらないのだ。
「あーっ、くそっ!」
「何よ! 急に、びっくりするでしょう。お母様じゃなくて、お母さんがマスタードを塗り過ぎてた?」
「違げぇよ」
(お前が急に……なんだ、女らしくなったからだろ! 調子が狂うんだよっ)
顔が赤くなったかと思えば、何度も座り直して落ち着きなくソワソワするジャックに、エルカナは思わず吹き出してしまう。
「ぷっ、ジャックったら……可愛すぎて、ほんとに憎めないわ」
「か、可愛いって、なんだよ!」
じゃれ合うように楽しい時間を過ごしていると、通りかかった隣家のお婆さんが声を掛けてきた。
「あんた達、五日後に街で大きな祭りがあるようだよ。ジャック、エルカナを連れて行っておやりよ」
「この時期に大きなお祭り?」
「あー、何でも帝都の有名な貴族の結婚式があるらしいぞ。それで祭りが開かれるんだってさ。お金持ちの貴族はすごいよな」
エルカナはすぐにその貴族の名前が頭に浮かんだ。
(きっとアレクサンドル公爵家だわ! オレリー様とロシュディ様の結婚式が挙げられるのね)
かつてその結婚式で、エリカだった自分が愚かな振る舞いをしたことを思い出していた。
「ん? エルカナ、行きたいなら連れて行ってやるぞ?」
「ううん、私は行く資格がないの……」
「資格? 平民でも祭りには参加できるぞ。それに運が良ければ、その貴族様の結婚パレードも見られるんじゃないか? エルカナ……玉の輿に乗りたいんだろ、連れて行ってやるよ」
「でも……」
――祭りの当日。
ジャックは渋るエルカナを強引に帝都へ連れ出した。
「貴族様の結婚式を祝う祭りなんて滅多にないんだ。エルカナも行けば楽しいはずだぞ」
朝からエルカナの母がおめかしの手伝いをしてくれた。
祭りの日まで数日しか無かったにもかかわらず、母は新しい布を使ってワンピースを仕立ててくれた。
「いつも働き詰めで、街に出るなんて機会ないんだから。たまには楽しんでらっしゃい」
そう言って送り出してくれた母や父は、今やエルカナにとってはかけがえのない存在になっていた。
(お母さんもお父さんも嬉しそうだったし、お祭りを楽しまないと悪いわ)
今日のジャックは一生懸命、エルカナをリードしようと頑張ってくれているようだった。
(私の方が帝都のことは詳しいでしょうけど……)
「エルカナ、これ食ってみろよ! すごい旨いぞ」
平民のジャックとエルカナにとって、肉の串焼きは一本しか買えないほど高価だったが、それを二人で分け合って食べるのはどこか特別な味がした。
「本当ね! とっても美味しいわ」
エルカナの素直な笑顔にジャックは思わず見惚れてしまう。
その惚けた目を覚まさせるように、大聖堂の鐘が鳴り響いた。
「まぁ! 公爵様ご夫妻だわ」
「オレリー様はなんてお美しいのかしら」
「公爵様も幸せそうだぞ!」
見物客が口々にお祝いの言葉と拍手を送っている。
「エルカナ! 見て見ろよ。人が多くて見えねぇか、それなら」
「きゃっ、ジャック、何するの。恥ずかしいわ」
ジャックはエルカナを軽々と片手で抱え上げた。
「いいから、よく見とけよ。エルカナの夢だろ。公爵夫人のオレリー様? 本当に綺麗な人だな……まぁ、俺はエルカナの方が綺麗だと思うけどな」
「そうね、オレリー様はとても美しくて、心も清らかな方よ。ロシュディ様も……」
言葉が途切れ、エルカナはエリカが心から愛したロシュディの姿を真っ直ぐに見つめる。
「なーんだ、エルカナも公爵様みたいな美しい男が好みなんだな」
エルカナの心に浮かんだ言葉は、心からの『おめでとうございます』だった。
大きく肺いっぱいに息を吸うと、エルカナは目の前を通る公爵夫妻を乗せた馬車に大声で叫んだ。
「オレリー様、ロシュディ様、ご結婚おめでとうございます!」
あまりにも大きな声にジャックが驚いている。
「ロシュー、今……」
「ああ、エリカの声が聞こえたな」
そう言うと、ロシュディは繋いでいるオレリーの手をさらに強く握り、そして二人は声の聞こえた方へ幸せに満ちた微笑みを返した。
「ありがとうございます……オレリー様、ロシュディ様」
すべてのことから解放されたように弾けた笑顔を浮かべるエルカナを、ジャックは心から美しいと思った。
「なぁ、エルカナ、俺たち一緒にならないか」
「えっ?」
「いや、その、今すぐってわけじゃないぞ。俺がちゃんとした羊飼いになったらだけど」
「そんなことを思い付きで言わないで。私のこと好きじゃないくせに」
「好きじゃない? どうしてそう思うんだよ。俺は最近エルカナと会う度に胸が騒がしかったけど……今、お前のその笑顔を見て完全にやられた!」
「ちょっと! そんなこと急に言われても……それにすぐに冷めてしまう気持ちかもしれないでしょ?」
「冷めてしまう、か。エルカナは不安なんだな。冷める気持なら、こんなに毎日お前のことで悩まないっての。いいさ! まだまだ時間はたっぷりあるんだ。これから、俺の気持ちが本気だってことを証明してやるよ」
突然のジャックの告白のせいか、それともこのお祭りの高揚感のせいかは分からないが、エルカナは嬉しいと心が感じているのが分かった。
「ジャック、まだ先のことは分からないけど、今……私はたぶん、あなたに――ときめいているわ!」
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