49.闇から心を解き放つ時
サミは目を疑うような光景に愕然としていた。
(まさか……あの不気味な黒い塊の中にお嬢がいるのか?)
「ああ、お前は……確かオレリー嬢の護衛騎士だったな?」
気怠い声がする方に目を遣ると、渦を巻いている黒い塊の向こうにアレクシス皇太子の姿があった。
「皇太子殿下? どういうことです! お嬢に何をしたのですか!」
アレクシスは激高するサミを面倒くさそうに見た。
「何も。ただ、ロシュディやベルタ姫……エリカ嬢が勝手に消えてくれるのを待っているだけだ」
「それはどういう……お嬢を危険に晒しておいて、殿下は平気なのですか!」
「危険? フム、お前はロシュディの力を見くびっているようだな。アイツが命を懸けて守れば……オレリー嬢は無傷で戻るはずさ」
「狂ってる……何を仰っているか分かっているのですか? お嬢に心を寄せていながら……」
サミは痛む傷に顔を歪めながら、これが最後とばかりにグッと握った剣をアレクシスに向けた。
「ハッ、そんなことをすればシルバーヴェル辺境伯に迷惑がかかるだけだぞ」
「ジャメル様なら……そんな言葉に怖気づいた俺を殴り飛ばすでしょうね!」
剣を構えたサミは、アレクシスを見据えると迷わず走り出した。
「そこまでだ!」
威厳のある声と共にサミの体は突然、強い力で拘束された。
「グハッ!」
サミは思わず剣を手放し、そのまま床に跪いた。
「サミ様! 大丈夫ですか!」
駆け寄って来たのは、サミの後を追って来たアリーヌだった。
「父上……どういうつもりですか? その護衛だけでなく……俺までも『大地の精霊リュー』の力で拘束するとは」
「アレクシス、お前の心の闇は……いつからそんなにも大きくなっていたのだ?」
「いつから? よくもそんなことが言えますね! 母上を殺そうとしたローズ皇妃を野放しにし……挙句に俺が皇太子の座まで脅かされるようになっても……父上は何も出来ずにいたではありませんか!」
今まで直視せず曖昧にしていたことを息子に指摘され、フェルナンドは何も言えず口をつぐんだ。
「アハハハ、結局……父上は逃げてばかりだ。そんな父上を敬い、この国の皇帝に相応しいと思うわけないでしょう」
「殿下! あんまりですわ! オレリーお姉様を巻き込むなんて……殿下を信じて支援をお願いしたのに」
「アリーヌ……すまない。だが、オレリー嬢を俺に引き合わせたのが悪かったんだ。こんなに心を奪われるとは思ってもみなかったからな」
「さっきから聞いていれば……殿下……いや、アレクシス! 君の悲しみや苦悩も分かるよ……だけど僕たち親友だったじゃないか……それを……」
やっと追いついたタハールもフェルナンドとアレクシスのやり取りを聞いていた。
「タハール……悪かったよ。ロシュディは……」
「今からでも遅くない! アレクシス、こんな事はもう止めるんだ!」
「止める? アハハ! 俺は『闇の精霊エゴヌ』とは無関係だ。全ては俺の欲望を満たすため……ただ盤上の駒を動かしているだけさ」
「息子よ……その欲望が『闇の精霊エゴヌ』の力を生み出すのだぞ。今も人々の悪しき心を束ねて呪いの力に変えているのだ」
フェルナンドは諭す資格もないと思いながら、絞り出すような声で息子を諌めた。
「そうだよ、アレクシス。直接手を下していないから自分の手は汚れてないって? そんなはずないだろ!」
「母上を呪ったローズ皇妃も『闇の精霊エゴヌ』も憎い。オレリー嬢を手に入れたい。俺のこの心が『闇の精霊エゴヌ』の力になるというのか……」
真っ青になった顔を手で覆い、アレクシスはようやく恐ろしい事実に気付いたようだった。
「やっと自分の愚かさに気付いたのね……アレクシス」
「は、母上?」
そこには、ローズ皇妃の死とともに呪いが解けた皇后カトリーヌの姿があった。
「まさか! ローズ皇妃が死んだのか?」
驚いたようにアレクシスは叫んだ。
フェルナンドはゆっくりと頷き答えた。
「そうだ……」
(私の腕の中でな。しかし……カトリーヌとアレクシスは知らなくていいんだ)
フェルナンドの胸中を見透かしたように、カトリーヌが優しく微笑みかけた。
「わたくしはずっと陛下から変わらない愛を頂いていますわ。そしてこの先も永遠に……」
そう言うと、すぐさまカトリーヌはズンズンとアレクシスに近付き、突然アレクシスのお尻を引っ叩いた。
「まったく……26にもなる男がなんてザマですか!」
「は、母上?!」
「でも……母のいない10年の間、よく頑張ったわ」
アレクシスは驚きや嬉しさが入り混じり、言葉にならない感情が押し寄せ、その瞳は涙でいっぱいになった。
「アレクシス……もう子供は卒業よ。だから、こうやって甘やかすのは最後よ」
カトリーヌはアレクシスに手を伸ばして抱き寄せた。
「恋しいと思う方にあなたの想いが届かなかったとしても、その方の幸せは壊したくないはずよ。愛してるんだから。そして、時間が掛かっても美しい思い出に変える努力をするのよ、自分自身のためにね」
アレクシスは母の胸に抱かれ、優しく語りかけてくれる声を聞きながら思った。
(分かっていたんだ……オレリー嬢がロシュディを心から愛していると。ああ、俺はこのどうにもならない心を誰かに慰めて欲しかったんだな)
◇
「ロシュー!」
叫んだオレリーの瞳にロシュディの信じがたい姿が映った。
そして、エリカの魂が満足したように呪いのオーラは鎮まり、辺りは静寂に包まれていた。
リアンはオレリーの血の気の引いた強ばった表情を見て、何かとても怖いことが起きたと感じギュっと小さな手を握りしめた。
「ママ」
オレリーはリアンの声を聞いて、ハッとしたように自分の腕の中を見下ろした。
(いますぐロシューを助けないと! 助けられるのは私だけだわ! でもリアンをどうすれば……)
「オレリー様! 私がリアンちゃんを守りますから。どうか、あなたはロシュディ様を助けて下さい!」
ベルタは体中に生傷を負い痛々しい姿ではあったが、しっかりとした口調でオレリーに言った。
「でも、ベルタ様も怪我をされていますわ。そんな体では……」
「これでも『闇の精霊エゴヌ』の血が流れている身ですわ。私が命を懸けて必ずお守りします」
ベルタの美しい薄紫色の瞳に偽りの心は感じられなかったが、オレリーは躊躇した。
「オレリー様、一刻を争います。私を信じられないでしょうが、ロシュディ様への私の愛はご存じでしょう? ですから」
そこでベルタは寂しそうに微笑んで口をつぐんだが、諦めたような表情で言葉を紡いだ。
「私も愛する人を救いたいのです。でも、私ではロシュディ様をお救いできません……あの方の心にはオレリー様しかおりませんから」
オレリーに迷っている暇はなかった。
ロシュディの身体がエリカの魂にズルズルと呑まれていく。
「……ベルタ様を信じますわ。リアンをよろしくお願いします」
リアンの首元の『エーテルの指輪』をもう一度確認すると、ベルタに託した。
(私の幸せをこの手でちゃんと守るのよ! もう絶対に愛する人を死なせたりしないわ)
オレリーは『光の精霊セリュネア』のオーラを、全力でロシュディとエリカの魂に向けて放った。




