47.愛する人の元へ
謁見室を守るはずの衛兵たちは、扉の前で気を失って倒れていた。
(皇宮の者たちは『闇の精霊エゴヌ』の力で眠らされているのね……)
扉を開けるオレリーの手は震えていた。
(『エーテルの指輪』でロシューがリアンを守ってくれたはずだわ。リアンは無事よ……絶対に……)
謁見室の中央にある玉座にはアレクシス皇太子が座っていた。
「遅かったね、オレリー嬢」
そしてオレリーとアレクシスの間には、『闇の精霊エゴヌ』の呪いのオーラが凄まじい力で渦巻いていた。
真っ黒で形のないものが蠢き、近寄ると耳を切り裂くような不気味な音を立てた。
(なんて禍々しいオーラなの……)
「アレクシス皇太子殿下、一体この状況は……まさか、あの中に!」
「そうだ。この気味の悪いオーラの中にリアン嬢もロシュディもいるよ。もちろんベルタ姫もね」
「どうしてこんな……殿下はロシューの幼馴染ではありませんか!」
「ハァー、オレリー嬢は分かってないな。全てを手に入れたければ、そんな陳腐なものは不要だ」
「殿下も『闇の精霊エゴヌ』に心を囚われたのですか?」
「『闇の精霊エゴヌ』に俺が心を囚われたって? アハハ! そんなわけないだろ」
「では、なぜなのですか? 殿下……」
「再会した時、オレリー嬢にこんなにも心を奪われるとは思ってもみなかったよ。俺だけを見て欲しいと思うのは、そんなに愚かなことか? ローズ皇妃やエリカ嬢は愚かで強欲だが、俺は違う。そんな目で見ないでくれ」
「人は……そういう心を持つこともあるでしょう。でも、自分の欲に負けて大切な心を失えば、どんな愛も手に入りませんわ」
アレクシスは少し表情を歪め、オレリーに手を伸ばした。
「俺の手を掴め……この国の皇后となるんだ。もちろんリアン嬢も一緒だ」
「私とリアンがそれで幸せになれるとでも?」
ますますアレクシスの表情は歪んで行く。
「ロシュディをベルタ姫……いやエリカ嬢に譲ればいい。ただ、それだけだ。……そうすればリアン嬢とロシュディの両方の命を助けられるぞ」
「殿下、私は……私の幸せを自分で守るために足掻いてきました。ロシューとリアンが一緒でなければ私の守りたい幸せではないのです」
オレリーはそう言うと、『闇の精霊エゴヌ』の黒いオーラの渦に飛び込んだ。
「オレリー嬢!」
アレクシスの声が虚しく部屋中に響いたが、オレリーの耳に届くことはなかった。
◇
タハールは負傷したサミに応急手当をしていた。
「深い傷だけど、これで少しは痛みが和らぐと思う……この薬はベリル家特製の痛み止めだよ」
「タハール様、ありがとうございます」
「歩けるかい? すまない、僕は簡単な医術しかできないんだよ。皇宮に妹がいる……診てもらおう」
サミはタハールに肩を借り、二人でゆっくりと地下の階段を上りローズ皇妃の部屋に戻った。
「ここで少し待てるかい? 僕が妹を連れて来るよ」
「タハール様、やけに皇宮が静かですね。……俺は大丈夫です、まだ剣は振れますよ」
「この状況だ、とにかく持ちこたえてくれよ!」
タハールは今までで一番早く走ったのではと思うほど、必死に皇宮医の部屋へ向かった。
皇宮の中に入ると、貴族や騎士、使用人が皆眠っていた。
(なんだこれは!? 『闇の糸』の影響か?)
廊下を走るタハールを呼び止める大きな声が聞こえた。
「お兄様!」
「アリーヌ! 大丈夫か? 何があったんだ?」
「私は大丈夫よ。それよりオレリーお姉様が……」
「きっとロシュディがオレリー嬢を守ってくれるさ……。アリーヌ、すぐにサミ卿を診てくれ! 頼む!」
タハールはアリーヌの背後にフェルナンド皇帝の姿が目に入ったように思ったが、サミのことでそれどころではなかった。
(陛下とローズ皇妃? まさかな……今はとにかくサミ卿が先だ!)
タハールはアリーヌを連れてサミの元へ急いだ。
「あそこはローズ皇妃様のお部屋? お兄様も何か大変だったようね」
「僕が話したところでアリーヌは信じないと思うよ……」
「お兄様、今の私はどんな不思議な話も信じると思うわ。精霊の力を持たない私たちには、想像できないようなことが起きているのよ」
「サミ卿! アリーヌを連れてきたよ」
脇腹に巻いた布は、すでに血で真っ赤に染まっていた。
「なんてことなの! サミ様!」
サミはタハールとアリーヌの姿を見つけると閉じていた目を開き、軽く微笑みながら力なく片手を挙げた。
「タハール様、アリーヌ様……意外と早かったですね」
「冗談を言っている場合かよ……アリーヌ、早く手当してくれ」
「ええ……サミ様、痛みますが我慢してくださいね」
アリーヌは肌身離さず持ち歩いている携帯用の治療セットを取り出した。
そこにはベリル家が考案した器具や薬が収められている。
手際よく傷口の手当てをするアリーヌにサミは感心していた。
「本当にアリーヌ様は医術の心得があるのですね……」
「驚きました? だけど、サミ様の強さにも驚いていますわ。こんなに酷い傷に気を失わないなんて……」
「ハハッ、オレリー様の護衛ですから」
オレリーの名を口にするサミの表情は穏やかだった。
(この強い意志も優しい瞳もオレリーお姉様に向けられているのね……)
アリーヌは少しオレリーが羨ましく感じた。
「素敵な殿方たちに愛されるオレリーお姉様が……少し羨ましいわ」
「アリーヌ様はオレリー様が羨ましいですか?」
知らず知らずのうちに呟いてしまっていたことにアリーヌは自分でも驚いた。
「私、口にしてました? ふふ、自分でも可笑しいわ……でも、はい、羨ましいですわ」
「素直にご自分の気持ちを言えるアリーヌ様も愛される素質は十分ありますよ」
サミにそう言われて、アリーヌは少し照れくさくなった。
「コホン、アリーヌ、サミ卿の治療が終わったなら、早くここから抜け出すぞ」
「タハール様、オレリー様とリアンお嬢様はどこですか? 俺も早く行かなければ……」
「ロシュディが二人を助けに向かったから、きっと大丈夫なはずだ。それにその傷では戦えないだろ?」
「……俺は最後の剣の一振りまでお二人に捧げる覚悟です」
サミの真剣な眼差しがタハールを射抜く。
「ハァー、分かったよ。アリーヌの話では謁見室にいるようだ……アレクシス殿下もね」
「サミ様! 今は痛み止めで感じないでしょうけど、時間が経てば……」
「アリーヌ様、ありがとうございます。ご心配には及びませんよ。シルバーヴェルの騎士は屈強ですから」
サミは力の限り全速力で謁見室へ駆け出した。
「アリーヌ……僕たちの手助けもここまでのようだ。とにかく今はみんなの無事を祈ろう」
「……ええ、そうね。お兄様、私たちは陛下の元へ行きましょう」
(こんなに酷い目に遭ってもサミ様の瞳は澄んだままなのね……)
アリーヌはサミの柔らかなヘーゼルアイを思い浮かべると、不思議と胸がざわめき熱くなった。




