39.危険な罠
帝都を出発して三日目、あと二日は馬車を走らせなければならない。
「もう少しでシルバーヴェルだが、今夜はこの村に泊まるとしよう」
ロシュディはリアンの体力を考えて、オレリーに提案した。
「ママ、ゆき!」
シルバーヴェルに近付くにつれて、粉雪が舞い始めていた。
「きれいね……」
リアンを抱いて馬車を下りたオレリーは深呼吸をした。
鼻を通り肺を満たす冷たい空気が、懐かしい領地を思い出させる。
「恋しいか? シルバーヴェルはもうすぐだ」
ロシュディは励ますようにオレリーの肩を優しく抱き、村に一件しかない宿屋へと向かった。
「ロシュディ様、どうも一部屋しか空きがないようで……。わしは馬小屋の二階で良いですが」
先に宿屋へ確認に行かせた御者が、申し訳なさそうに伝えに来た。
「そうか……分かった。お前はもう休むといい」
御者はロシュディにペコリとお辞儀をすると、馬車を馬小屋に曳いて行った。
ロシュディが落ち着きのない様子でオレリーを窺っている。
「ロシュー、部屋が1つしかなければ、同じ部屋に泊まるしかありませんわ」
オレリーは動揺もせず、宿屋のドアを開けた。
(オレリーは本当に強くなったな……母になったからか?)
宿屋の主人は、オレリーやロシュディがどこの誰かには興味がなさそうだった。
金払いの良い貴族、という事だけが重要なのだろう。
「部屋は1つしかありませんが、ご家族だから関係ありませんね、ハハッ」
ロシュディは金を支払うと部屋の鍵を受け取り、オレリーとリアンを連れて階段を上がった。
「今日は当たり日だな……金払いの良い貴族が続くとはな」
オレリー、ロシュディは、主人の独り言を聞き逃さなかった。
足音を立てないように廊下を歩き、素早く部屋に入るとすぐにカーテンを閉めた。
「ロシュー、私たち以外に貴族が泊っているなんて……」
「偶然とは考えにくいな」
その時、リアンが我慢しきれないとばかりに突然声を上げた。
「ママ、おなかすいたー」
「そうね、もうこんな時間ですもの」
「私が宿屋で食事が用意できるか聞いてこよう」
しばらくしてロシュディが戻って来たが、宿屋では食事を提供していなかった。
「主人の話では、近くに食事のできる酒場があるようだが……」
「仕方がありませんわ。貴族の身なりを隠して、その酒場で食事をしましょう」
三人は予め用意していた質素な服装に着替え、教えられた小さな酒場に入った。
外の寒さを忘れるほど、店の中は暖かく人々が陽気に食事をしていた。
「この店の一番のおすすめは牛ホホ肉のシチューだよ!」
一人しかいないのか、忙しそうに動き回っている女性店員が注文を聞きに来た。
「それじゃ、シチューを2つとパン、あと温野菜をもらおうか」
注文を取りながら、チラチラとロシュディの顔を盗み見ている。
女性店員が厨房に消えると、オレリーが小さな声で呟いた。
「今の女性、ロシューのことが気に入ったみたい。どこに行ってもモテるのね……」
少し頬を膨らませているオレリーをロシュディはこの上なく愛おしく感じた。
(母になっても、あなたの魅力は変わらないんだな)
女性店員が料理を持って来た。
「これは良い男に私からのサービスだよ!」
そう言うと、ドンッと葡萄酒が入ったコップを1つテーブルに置いた。
「ん? ああ、ありがとう」
ロシュディは勢いに押されて葡萄酒を口にした。
「奥さん、あんたも……すごくキレイな人だね。こんな美人、見たことないよ!」
女性店員の大きな声に店の客の視線がオレリーたちに注がれる。
オレリーはマントのフードを被り直した。
「あっ、ごめんよ、私の声デカいからさ。アンタがいくら良い男でも、奥さんがこんなにキレイじゃ心配だろ」
女性店員は豪快に笑いながら、他の客の注文を取りに行った。
「オレリー、もう大丈夫だ……みんな食事に集中してるよ」
オレリーは小さく頷くと、シチューを冷ましながらリアンの口元に運ぶ。
「おいしい!」
リアンのはしゃぐ声に、オレリーとロシュディは思わず視線を交わして微笑んだ。
そろそろ食べ終わるという時、素行の悪そうな大男が近付いてきて、突然オレリーのフードに手を掛けた。
「きゃっ」
「こりゃ、本当にとびっきりの美人だ!」
「何をする! その手を離せ!」
ロシュディは大男の腕を掴んで捻り上げた。
「イテテテ、こいつ、何しやがる!」
すると、大男の仲間らしき男たちがロシュディを取り囲む。
ケンカが始まったとばかりに、酒場は諫める声や煽る声で騒然となった。
オレリーは泣き出したリアンをしっかり胸に抱き、身を縮めた。
「あんた、こっちにおいで」
女性店員がオレリーを厨房から手招きしている。
ロシュディに目を遣ると、襲いかかって来る大男たちを相手に素早い動きで応戦していた。
オレリーはリアンを抱いて、一直線に厨房へ走った。
「この裏口から外へ逃げな!」
女性店員に誘導してもらい、言われるまま外に出た。
しばらくして、ロシュディは大男たちを一人残らず制圧していた。
「オレリー? リアン?」
二人の姿が見当たらず、ロシュディは嫌な予感がした。
「君! 一緒にいた連れの女性と子供はどこに行った?」
女性店員に訊ねた。
「え? いないのかい? 悪いけど、知らないね」
ロシュディは店の中を見渡して、テーブルに金貨を一枚置くと外へ飛び出した。
日は落ち民家の灯りはまばらで、雪にも阻まれ視界が悪い。
宿の部屋にも二人が居ないと分かり、ロシュディは雪の中を探し回った。
「オレリー! リアン!」
どんどん体が冷え、寒さが増していくのが分かる。
「一体、どこに消えたんだ……」
◇
オレリーは酒場の裏口から外に出ると、リアンを抱いたまま宿屋を目指した。
幼い頃からシルバーヴェルの野山を駆け回り、雪にも慣れ親しんでいる。
女性店員から渡されたランプを手に、しっかりした足取りで進んだ。
「ここどこ……こわいよー」
状況を理解できないリアンは、夜道を怖がった。
「大丈夫よ。もうすぐ宿に着くからね」
なだめながら歩き続けたオレリーだが、なかなか宿屋に着かない。
「おかしいわ……森の中に迷い込んだのかしら」
来た道にあったはずの民家が見当たらない。
寒冷な地域で育ったオレリーにとって、この程度の雪で迷うことは考えられなかった。
リアンの体が冷えてきた。
「幼いリアンにこの寒さは危険よ」
オレリーは寒さをしのげる場所が無いか辺りを見回した。
遠くに小さな灯りが見える。
「リアン、もう少しの辛抱よ。少し休めるようにママがお願いしてみるわね」
辿り着いた先には山小屋があり、煙突から煙が出ていた。
「良かった……人がいるわ」
扉をノックし、大きな声で呼び掛けた。
「すみません! どなたかいっらしゃいませんか?」
ゆっくりと扉が開くと、小屋の中から一人の上品な老女が出てきた。
「あらあら、小さな子と……どうしたの?」
「道に迷ってしまって、どうか夜が明けるまで置いて頂けませんか?」
「さっ、狭い所だけど入ってちょうだい」
「ありがとうございます……」
リアンはすっかり疲れて眠ってしまっていた。
「どうぞ……体が温まるわ」
老女は温かいココアを持って来てくれた。
「ありがとうございます。いただきます」
オレリーは疑いもなくココアを飲んだ。
「なんだか急に眠気が……」
バタンと音を立てて、オレリーはテーブルに突っ伏した。
「……悪く思わないでね」
老女が冷たい手をリアンに伸ばした。




