36.空白の三年間
夕暮れ前の穏やかな陽の光が、窓から差し込んでいる。
ロシュディは遠い記憶を辿るように、静かに話し始めた。
――三年前。
オレリーがエリカに襲われた、あの恐ろしい夜の後、陛下に『精霊の書』について問われたんだ。
陛下は、狩猟大会の出来事も『闇の糸』が関わっていると勘付いておられた。
私は、正直に答えたよ。
「ローズ皇妃殿下が狩猟大会で『闇の精霊エゴヌ』の力を使われました。そして、『闇の糸』でエリカ嬢の心を操り、オレリーを襲いました」
陛下は大層お怒りだったよ……ローズ皇妃殿下やエリカにではなくご自分に。
そして、こう仰ったんだ。
「ローズの事は全て不甲斐ない私の責任だ。ローズが、アレクシスを皇太子の座から引きずり下そうとしなければ……」
「お言葉ですが、私はオレリーの命を脅かしたローズ皇妃殿下とエリカ嬢を許すつもりはございません」
「分かっておる……捕らえたエリカ嬢を証人とし、ローズ皇妃とエリカ嬢を断罪することを許そう。しかし、一つ条件がある」
その条件は、『スタニア王国』の次期国王にジェレミー第二皇子殿下を据えることだった。
ちょうど、ローズ皇妃の生国『スタニア王国』が異民族『エヌップ国』を唆し、リッジで帝国への戦争の準備を始めているという情報を入手していた。
それを利用して、戦争を阻止する名目で『エヌップ国』と取引をし、逆に『スタニア王国』を陥落させジェレミー殿下を国王に据える計画を陛下と立てた。
しかし、それには長い時間を要することになる。
そんなに長く、あなたと離れることに躊躇いもあったよ。
それが突然……離縁状を置いて、私の目の前から消えた。
すぐにシルバーヴェルに向かうつもりだったが、問題が起きたんだ。
屋敷の地下牢に捕らえていたエリカが亡くなっていた。
しかも、亡骸はほとんどミイラ化していた……。
胸騒ぎがして、すぐに『精霊の書』を確かめたよ。
あろうことかエリカ嬢は、『闇の糸』の力で『エヌップ国』の第二王女ベルタ姫に魂ごと乗り移っていた。
その対価として、エリカ嬢は自分の肉体を捧げ戻る先を失った。
ベルタ姫は、内密にアレクシス皇太子殿下との婚約が決まっている方だ。
エリカの事を知った陛下は、すぐに私を呼び命じられた。
「アレクサンドル公爵、すぐにリッジに向かへ。『エヌップ国』との和平協定を結び……ベルタ姫と婚約をするのだ」
「陛下、それだけは従えません。私はオレリーを愛しています」
「……しかし、アレクシスと結婚させることもできないのだ。それにこのままでは、またオレリー嬢の命が危険にさらされるのではないか?」
私は……その不本意な命令に従うしか、あなたを守る術は無いと悟ったよ。
リッジに赴き、ベルタ姫と面会した。
そこで意外な事実が分かったんだ……ベルタ姫は、全てをエリカに乗っ取られたわけではなかった。
「アレクサンドル公爵様、私の婚約者がアレクシス様ではなく、あなたになる理由は分かっていますわ」
「それはどういう……」
私は警戒したよ……ベルタ姫の中のエリカだと思っていたからね。
だけどそうじゃなかった。
「私たち王家の名がエゴヌでお気付きかと思いますが、祖先は『闇の精霊エゴヌ』と深い縁があります。ですから、私の体に何が起こったのか分かるのです」
「……」
「公爵様が警戒されるのも理解できます。ですが、私の魂と肉体が全てエリカ様に奪われたわけではありません」
「エリカ嬢に奪われたことをご存じで……ということは、本当にベルタ姫なのですね?」
「ええ、私にも『闇の精霊エゴヌ』の力が備わっている……というより、その血が流れています」
「やはりそうでしたか……」
「直系の王家の者は皆、受け継いでおりますわ。ですが、それを今までは封印されていたので使うことはありませんでした」
「『精霊の書』には、『スタニア王国』の国王が『闇の精霊エゴヌ』を召喚したと……」
「そうです。その後はご存じの通りですわ」
ベルタ姫の話では、今すぐでないがじわじわとその内、エリカに魂も肉体も全て奪われてしまうと……。
「ベルタ姫、私がここに来たのは愛する人を『闇の糸』から守るため、ただそれだけです」
「分かっていますわ、あなたもフェルナンド皇帝も愛する人を守りたいだけでしょうから。同じように私も自分自身とアレクシス様を守りたいのです」
三人の目的が一致した。
だから、二年……いやもっと早く『闇の精霊エゴヌ』の封印をして、あなたを迎えに行くつもりだった。
しかし、ベルタ姫の協力をもってしても、なかなか『闇の精霊エゴヌ』の封印方法は分からなかった。
やっと一筋の光が見え、その方法を試すために帝都へ戻る準備をしていだのだが……。
オレリー、あなたが社交界に戻って来たとリッジまで聞こえてきた。
居ても立っても居られず、急いでベルタ姫を伴って帝都に戻ったのが……あのアレクシス皇太子殿下の誕生日舞踏会の日だったんだ。
アレクシスとあなたが一緒にいる姿を見て、心から憎悪を感じたよ。
このままではローズ皇妃殿下の思う壺だと分かっていたが、リアンの存在も知り、本当に心が搔き乱された……。
すぐに『闇の精霊エゴヌ』の封印を試みようとしたが、思わぬ問題が生じてしまった。
初めて会ったベルタ姫の心は、常にアレクシスに向いていた。
悔しいが、アレクシスは良い男だ。
「安心なさって。私はアレクシス様を心から慕っております……ですから、私が公爵様を愛することはありません」
そう確かに仰っていた。
この三年間、エリカの魂がベルタ姫を乗っ取った時間はそう長くは持たず、正気を保っておられた。
それが帝都に戻ってから、魂を乗っ取られる時間が長くなった。
誰も気付いていないだろうが、魂が乗っ取られている時はベルタ姫の瞳がエリカの瞳の色に変わる。
薄い紫色から禍々しい濃いオレンジ色に……。
――そこまでロシュディは話すと、窺うようにオレリーの顔を見た。
オレリーは、あまりに多くの情報で混乱していた。
そして、エリカの恐ろしいほどのロシュディへの執着に衝撃を受けていた。
(自分の身と引き換えに、他人の姿になってもロシューと結ばれたいなんて……)
ロシュディは、ずっと黙っているオレリーに遠慮がちに言葉を続けた。
「帝都に戻って気になったこともある……私とベルタ姫の婚約は、実はローズ皇妃殿下に画策されたのではと」
「ローズ皇妃様が? 何のためにです?」
「この先絶対に……あなたと再婚できないようにするためです」
その言葉で、オレリーは理解した。
(ローズ皇妃様は、私とジェレミー殿下との婚姻を望まれているのね。間違いないわ、私が『光の精霊セリュネア』から加護を授かったことを知っているのね!)
「本当にどうしたら……」
「まずは、ベルタ姫がなぜ帝都に来て急にエリカ嬢の影響が大きくなったのか、原因を突き止めます」
「呆れた……ロシュー、本気で仰っています?」
オレリーは20歳だ。
初めて会った17歳の頃のあどけなさは消え、大人の女性の佇まいにロシュディは見惚れてしまった。
「ロシュー!?」
「えっ? あっ、いや……」
(ハァ、これでは三年前と違って主導権は完全にオレリーだな。まぁ、妙に心地良いような……)
「ロシュー! 信じられませんわ……この三年間でベルタ様のお心があなたに向いてしまったからですよ」
「……」
「ベルタ様は、ロシューを愛してしまったのですわ……」
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