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35.広がる波紋

 「お嬢様、本当に行かれるのですか?」


 「ふふっ、サラ、心配しすぎだわ。アリーヌも一緒なのよ」


 ベルタからお茶会の招待状が届き、朝から準備をしていた。


 「ママ~、あそんで~」


 「リアン、ごめんなさい。これからお母様はお出かけしなくちゃいけないの」


 「やだ、やだ~」


 泣き出しそうなリアンを、サミが抱き上げた。


 「リアンお嬢様、今日はビノが来る日ですよ」


 「グス、グスッ……ビノがくるの?」


 「そうですよ。だから元気いっぱいでビノを迎えてあげましょう!」


 今日は、ちょうどコンタクトレンズを持ってドワーフのゴートとビノが来る予定なのだ。


 リアンの機嫌が戻って、オレリーはホッとした。


 「サミ、ありがとう。……リアンに寂しい思いをさせて心苦しいわ」


 「お嬢、仕方ありませんよ。社交はサロン運営にも必要ですから」


 「お嬢様、アリーヌ様がお越しになりました」

 

 「分かったわ。リアン、ビノと仲良くね」


 元気に手を振ってくれるリアンを残して、アリーヌとアレクサンドル公爵家へ向かった。

 

 ◇


 「きっとベルタ様は、社交界で注目のオレリーお姉様と親しくなりたいのですわ」


 「そうかしら……ベルタ様は公爵夫人になる方よ」


 「でも、オレリーお姉様が皇太子妃になれば……あっ」


 「皇太子妃? どういうこと?」


 アリーヌは口にしたことを後悔しているように口ごもった。


 「実は……社交界でまことしやかに噂されていて」


 「噂? ……どうやら良くない噂のようね」


 「ええ、ロシュディ様と離婚したのはアレクシス皇太子殿下を狙っていたからだと……」


 オレリーはサロンの忙しさにかまけて、社交界での立ち回りを疎かにしたことを悔やんだ。


 「バカバカしいわ! 私には娘がいるの。まさか……」


 「ご、護衛騎士との情事でできた子で……『顔だけ令嬢』は美貌で男を手玉に取る妖婦とも……」


 自分たちを侮辱する貴族たちへの怒りで、オレリーはもう言葉すら発する気になれなかった。


 「話にならないわ……アリーヌにそんな話をさせて、ごめんなさい」


 アリーヌは申し訳なさそうに、静かに首を振った。


 (今日は、サミを護衛にしなくて良かったわ)


 「アリーヌお嬢様、オレリーお嬢様、アレクサンドル公爵家に到着いたしました」


 ベリル家の御者が馬車の扉を開けると、そこには懐かしい顔……ギョームが出迎えてくれた。


 「ようこそおいで下さいました……オレリーお嬢様、アリーヌお嬢様」


 アレクサンドル家の庭園にお茶会の設えがされており、すでに招待された令嬢たちが集まっていた。


 公爵夫人の席にベルタ、その隣にオレリーの席が用意されていた。


 席に着くまで、ヒソヒソと心無い令嬢たちの声が聞こえる。


 「まぁ、オレリー様、お会いするのを楽しみにしていましたのよ!」


 ベルタが満面の笑みでオレリーを迎える。


 「私も楽しみにしておりました。お招き下さって嬉しいですわ」


 どことなく令嬢たちに緊張感が広がる。


 その時、パチン、とベルタが手を叩いた。


 「今日はオレリー様のサロンやアレキサンドライト、それに誕生石のお話などを存分に伺いましょ!」


 令嬢たちも興味津々らしく、先ほどまで陰口を叩いていた口かと疑うほどオレリーを質問攻めにした。


 そのせいか思ったよりお茶会は和やかに進んだが、ある子爵令嬢の一言でその場の空気が凍り付いた。


 「オレリー様は皇太子妃の座を狙っているのかしら? それとも護衛騎士を愛人にされる気かしら?」


 「あなた! オレリーお姉様になんてことを言うの!」


 アリーヌがその子爵令嬢に食ってかかった。


 「アリーヌ様はご存じないのね。オレリー様の奔放さを……私、見ましたのよ」


 その場にいる全員の目が子爵令嬢に向いた。


 「奔放って……たかが子爵令嬢がどういうつもり!」


 「フンッ! ベルタ様もお聞きください。オレリー様とアレクサンドル公爵様が、劇場の公爵家専用室で密会されていましたわ!」


 先ほどまでは余裕のある笑みを見せていたベルタも、その言葉に表情を強ばらせた。


 「オレリー様、何かの間違いですわよね?」


 オレリーは、テーブルの下でグッと拳を握りしめた。


 (私は何と言われても構わないわ。だけど、私のせいでロシューの名誉を傷付けてしまうのは……)


 黙っているオレリーに、ベルタは刺々しい声で責め立てた。


 「否定なさらないのね……こ、この妖婦が!」


 そう言うと、突然ベルタはオレリーに紅茶のカップを投げつけた。


 オレリーの肩に熱い紅茶がかかった。


 「うっ」


 紅茶の熱さに耐え、オレリーは小さく呻いた。


 「ベルタ様もやり過ぎだわ」


 「子爵令嬢は一体どういうつもりかしら」


 さすがに令嬢たちから、ベルタや子爵令嬢を非難する声が聞こえてきた。


 (いけないわ、ベルタ様は何も悪くない……お怒りになるのは当たり前だわ)


 「ベルタ様、私の軽率な行動をお許し下さい。ロシュ……公爵様がサロンに出資をして下り、運営のためのアドバイスを頂いていたのです」


 「それをどうやって信じろと仰るの!」


 大きな声を上げるベルタの瞳が、嫉妬に狂う禍々しいオレンジ色の瞳に見えた。


 (ベルタ様の瞳の色は薄い紫だったはず……)


 オレリーは、その見覚えのあるオレンジ色の瞳に飲み込まれそうな恐怖を感じた。


 「オレリーお姉様、もう今日は帰りましょう。火傷の治療もしないと……」


 「アリーヌ、ありがとう。大丈夫よ、紅茶もそれほど熱くなかったわ」


 何やらザワザワと令嬢たちが騒いでいる。


 オレリーとアリーヌがそちらに目を遣ると、ロシュディの姿があった。


 「これは……一体どういうことだ?」


 「ロシュディ様! オレリー様と密会していたことは本当ですか?」


 ベルタがロシュディに駆け寄った。


 ロシュディは、オレリーの肩が赤く腫れ、ドレスが汚れている様子から全てを悟ったようだった。


 「オレリー、とにかく火傷の手当てをしよう」


 そう言うと、ロシュディはオレリーを抱き上げた。


 「ロシュディ様! 婚約者である私の目の前で……どういう事よ! この女さえいなければ!」


 半狂乱になって襲い掛かろうとしたベルタをギョームが止めに入り、屋敷内へと連れて行った。


 お茶会は喧騒の中、幕を閉じた。


 ◇


 「ロシュー! なんてことを……」

 

 「静かに……こんな目に遭わせて、すまない」


 ロシュディは、腕の中から逃れようとするオレリーをしっかり抱き上げたまま、足早に屋敷の廊下を歩いた。


 そして、オレリーとロシュディが夫婦の寝室として使っていた部屋の前で止まった。


 「ここは……」


 「私たちの寝室だった部屋だ……いや、今も変わらずそのままだ」


 部屋に入ると、ロシュディの言う通り、何もかもオレリーが出て行った時のままだった。


 「ロシュー、どうして」


 「オレリー……どうか聞いて欲しい。あなたが領地に戻っていた、私の空白の三年間を」

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