3.運命の出会い
オレリーはサミとサラに守られながら、誰にも気づかれないようにそっと庭園に出た。
(お兄様はご令嬢たちに引っ張りだこだったわね、ふふっ、サミとサラにも素敵なお相手が見つかるといいな)
オレリーは、涼しい顔で互いを牽制する令嬢や、バチバチと火花を散らす令息を思い出して、思わす吹き出しそうになる。
初めての舞踏会の煌きや緊張感、社交界の駆引きにクラクラしながら、熱を冷まそうとゆっくり歩き始めた。
「皇宮の庭園って、とっても素敵なのね……わが家の自然豊かなお庭も好きだけど、ここはとても繊細な美しさを感じるわ」
鮮やかな黄色の薔薇と可憐な勿忘草がバランスよく植えられており、幻想的な庭園を作り出している。
「あら、素敵なパティオがあるわ。んー、だけど、どうしたら辿り着けるのかしら」
オレリーは、月明かりに照らされたその場所でひと休みしたかったが、庭園中に張り巡らされた小さな水路を越えねばならかった。
「誰もいないし……少しぐらい、いいわよね」
オレリーはヒールを手に持つと、レースが豪華にあしらわれたドレスの裾をまくり、なんの躊躇いもなく美しい足を水路に踏み入れた。
「冷たいっ、だけどとーっても気持ちいいわ」
そよそよと風が吹き、足先を水面に差し入れると、月明かりに小さな波紋が広がっていく。
「プッ」
堪えきれないとばかりに、大きな失笑が聞こえた。
ハッとして後ろを振り向いた目線の先に……一人の男が立っていた。
ひとりロマンチックな気分に浸っていたオレリーは、心臓が飛び出るほど驚いた。
「ど、どなたですの? こういう時は、知らぬふりをするのが紳士ですわ」
オレリーは、ドレスの裾を持った手を離すことも水路から動くこともできず、自分のおかしな格好を想像するだけで、顔から火が出るほど恥ずかしくなった。
しかし、すぐに男の無作法を腹立たしく思い、どんな男か確かめようと前を向いた。
ちょうど月に雲がかかり、薄明かり中に立つ男の顔は輪郭だけがおぼろげで、表情までは分からない。
だが、長身で逞しい姿から発せられる威圧感に少し後ずさった……。
「あっ!」
バランスを崩したオレリーを、その男は驚くほどの速さで駆け寄り抱き留めた。
「大丈夫ですか?」
その瞬間、雲の切れ間からこぼれた月明かりが、はっきりと男の顔を照らした。
(なんて綺麗な瞳なの……ルビーみたい)
これまで一度も感じたことのない感情の波がオレリーの体を駆け巡り、全身が熱っぽくなるのを感じた。
「どうかご無礼をお許し頂けますか?」
男はそう言うと、その美しい瞳でオレリーを見つめ、優しく微笑んだ。
「ごめんなさい! 誰もいないと思って……恥ずかしいですわ。貴方まで濡れてしまって、本当にごめんなさい。私は……」
オレリーは、貴族令嬢が安易に名乗るべきか迷った。
(私の落ち度には変わりないもの、それに優しそうな方だわ……)
すると、先に男が口を開いた。
「どうぞお気になさらず。私は、ロシュディ・アレクサンドルと申します。無邪気なあなたの姿が愛らしくて……」
「こ、公爵様! 申し訳ございません! ご無礼をお許しくださいませっ」
あまりにも身分の高い相手に、全身の血の気が引いていくのが分かった。
「シ、シルバーヴェル辺境伯家の長女オレリーにございます」
精いっぱい優雅に、濡れたドレスでカーテシーをする。
オレリーの感情は混乱で目まぐるしく変化し、不安と緊張でエメラルドグリーンの大きな瞳から涙がこぼれた。
(ハァ……令嬢には申し訳ないが、殿下は目的のためには何でも利用される方だからな)
そっと、ロシュディはその涙を拭い、オレリーをまじまじと見た。
(フーム、逆に彼女の涙に落ちない男がいるのか? ハハハ、私のような男か!)
初心な令嬢をこんな形で利用するのは気が引けたが、政争では多少の犠牲は仕方ないとロシュディは気持ちを切り替えた。
ロシュディにとって、令嬢との恋愛は面倒なだけ……。
「そんな姿では冷える……さあ、私の上着を羽織って。お手をこちらに、会場までエスコートしましょう」
ロシュディの企みを知らぬまま、オレリーはすでに初恋に落ちていた。
まだ無垢な心は、ときめきと恥じらいで返事すらできないほど高鳴り続けていた。
◇
「オレリー、探したんだぞ! どこで迷子になったんだ?」
兄のルシアンは、庭園からオレリーがぼんやりとした様子で歩く姿を見つけ安堵したが、ドレスの裾がひどく汚れていることに気づいた。
そして、オレリーの手を取りエスコートしているのは、社交界でも何かと話題の多いアレクサンドル公爵ではないか。
「閣下、妹が何かご迷惑をお掛けしたようですね。父に代わりまして、お詫び申し上げます」
ルシアンは軽くお辞儀をするやいなや、すぐにオレリーを引き寄せた。
「あっ、お兄様……公爵様は私を助けて下さったの。水路でよろけてしまって」
「はっ!? 水路? よろける?」
なんとなく状況が読めてきたルシアンは、今度はロシュディに深々と頭を下げながら、嫌な予感がしていた。
(こういう時の予感は当たるんだよなぁ……ここはさっさとオレリーを連れて立ち去らないと)
「妹を助けて下さり、上着まで……ありがとうございます。お詫びは改めて致します。妹の着替えもありますし、私たちはこれで……」
しかし、『逃さない』とばかりにロシュディの赤い瞳が鋭く光った。
「ハハハ、ルシアン卿、お詫びなど結構ですよ、私も令嬢を驚かせてしまいましたから。それより妹君がこんなにも魅力的な女性とは! これも何かのご縁でしょう」
(よくもまあ平然と戯言を……この浮気者め、オレリーを狙うとは良い度胸だ)
ルシアンの後ろで、オレリーはロシュディの上着から仄かに薫る香水と温もりに包まれ、まだ夢心地にいた。
「いえいえ、妹はまだまだ未熟で……お恥ずかしい限りです。すぐに領地に戻る予定ですので、公爵様とお会いする機会も無いかと、アハハハ」
ロシュディは警戒するルシアンを気にせず、優しくオレリーの手を取り、その甲に軽くキスをした。
「オレリー嬢、必ず会い行きますから。それまで、その上着はあなたに預けますね」
そう告げると、ロシュディはルシアンの肩をポンッと叩いて、笑顔で去って行った。
不愉快そうなルシアンとは対照的に、ロシュディの後姿を見つめるオレリーの表情は、眩しいほど初々しい喜びに溢れていた。