16.張り裂ける心
ルシアンと入れ代わるように、オレリーの今一番会いたい人が屋敷に戻って来た。
「オレリー、少し話がある」
ロシュディのいつもと違った暗く低い声音に、オレリーは何か悪い予感がした。
「今日、ルシアン卿がお見舞いに来られたって。何か言ってなかったか?」
オレリーは、少し眉間に皺を寄せた目を伏せ、ぎゅっと口を閉じた。
(離婚のことか? エリカのことか?)
ロシュディは、オレリーが黙ってしまったので不安に駆られたが、しかし迷っている暇はない、腹を括って話し始めた。
「狩猟大会の件のことなんだが……すまない、黙っていた事がある」
フゥッ、大きく息を吐いた後、続けた。
「あの日、ローズ皇妃殿下とエリカが、憎悪から『呪い』を生み出す力を使ったんだ」
オレリーは、伏せていた目を大きく見開きショックを隠せなかった。
「皇妃様とエリカ様……私に憎悪して呪いを」
「たぶん……オレリーに呪いをかけたのはエリカだろう。しかし、理由も分からければ証拠もない。帝国に混乱を招くことは出来ないから、すまないが『呪い』のことは伏せさせてくれ」
なぜエリカが自分に呪いをかけたのか、初心なオレリーでも分かる。
エリカは、ロシュディに明らかに強い好意を抱いていた。
それもオレリーが出会うずっと前から。
「エリカ様はあなたのことが好きなのよ、そしてロシューも……」
とても辛そうな表情でそう言ったオレリーの声は、かすれ震えていた。
「そんな風に思っていたのか。エリカはただの家臣の娘で、小さい頃から俺を兄のように慕っていただけだよ」
男の浅はかな考えが、オレリーをさらに傷付けた。
ひとたび疑う心が芽生えると、バラバラだった小さな疑いの欠片が集まり、オレリーの想像を良くない方へと導くのだった。
「どうやら皇太子殿下やお義父は俺たちの離婚を望んでいるようだが、私は離婚するつもりはない」
オレリーは、ロシュディの言葉にホッと安堵したのも束の間、その後に続いた言葉は、オレリーを絶望という地獄に突き落とした。
「エリカを断罪するための証拠が必要だ。そのために、公爵家に迎え入れようと思う」
「……えっ?」
顔面蒼白になるオレリーに、慌ててロシュディが言い繕った。
「違う! 妾とかではなく、オレリーの専属侍女にするための修行という名目で、マルゴーに付けさせる。証拠を見つけるためだ、オレリーとは絶対に接触させない」
オレリーは拒否したかったが政略結婚で公爵家に嫁いできた身、公爵夫人としての義務や役目を思うと言えなかった。
そして、ここでエリカに負けたくないというプライドもあった。
「分かりました」
オレリーは、一人静かに部屋を出た。
その後をセリーが、追いかけるように羽ばたいていった。
◇
部屋を出たオレリーは、 扉の外にいたサラとサミを伴って庭園に出た。
サラとサミは、思いつめた表情のオレリーが心配でならなかった。
「公爵様と何かあったのですか?」
サラがそう聞いた途端、我慢していた感情がドッと溢れだし、涙が次から次へと流れ出た。
驚いたサラは、すぐさまオレリーをぎゅっと抱きしめた。
呪いには触れずに、途切れ途切れにオレリーが話す内容は、サラとサミを単純な言葉では言い表せないほど激怒させた。
(公爵のやつ、オレリー様を苦しめて何が守るだ! それにルシアン様の話ではエリカ嬢は……やはり、ルシアン様があの日仰られたように、無理やりにでも領地に連れ帰る方がいいんじゃないか)
サミはルシアンから密かに、隙を見てオレリーを領地に連れ帰るよう命じられていた。
その時は、さすがにオレリーの気持ちを無視してそんなことは出来ないと思っていたが、今この瞬間、考えが変わった。
一方、オレリーの知らないところで、ロシュディも窮地に追いやられていた。
辺境伯だけでなくアレクシスからも、オレリーとの離婚を命じられていたのだから。
幼馴染とは言え、アレクシスは皇太子殿下だ、逆らうわけにはいかない。
しかし、ロシュディは必死に食い下がり、禁忌をおかしたエリカを断罪し男爵家を没落させれば、離婚は見逃してくれるという約束をアレクシスから取り付けたのだった。
辺境伯とて皇太子殿下から命じられれば、無視することは出来まい。
しかし、この期に及んでもまだ、心のどこかでオレリーを愛することをためらっていた。
(私はいつからオレリーを……。しかし、たとえ愛だとしても……愛してはいけないんだ。復讐を遂げるまでは弱点を作ってはならない……)
ロシュディは、両親の死という心の傷、復讐そして公爵家の存続という大きな重荷を背負って生きてきた。
この政略結婚も大義を成すための手段のはず……それがいつのまにか、眩しいほどのあの笑顔を求め、純粋で真っすぐなオレリーにどうしようもなく心が惹かれていた。
ふと、ギョームの言葉が頭に浮かんだ。
「愛する気持ちを誰が止められましょう? 自分ですら無理なのですよ……ハッハッハ」
◇
ローズ皇妃は、息子のジェレミー第二皇子と馬車に乗っていた。
親子二人だけの空間、ジェレミーは母であるローズの変化に気付いていた。
「お母様、お疲れのようですが……お顔色が」
「ジェレミー、わたくしの愛する息子。よく聞くのよ、あなたに相応しい花嫁を迎えてあげるわね。そうすれば、強大な力の『精霊の加護』を授かる子の父になるのよ。これから、面白いほど権力があなたに集まるわ」
「それは、どういう? 僕は『精霊の加護』は授かっていませんよ」
(命を消耗する『闇の精霊エゴヌ』の力をジェレミーに継承させるものですか!)
「ホホホッ、安心なさい。良い捨て駒が手に入ったのよ。その駒が良い働きぶりを見せてくれることを期待しましょう」
ジェレミーは皇太子の座など元より興味は無かったが、母のこれまでの悲しみを考えるとただ見守ることしかできなかった。
◇
「改めましてエリカ・ラビレニですわ。今日からお世話になります」
控えめで柔らかな笑顔ではあったが、エリカの目には気味の悪い光が宿っていた。
ロシュディが言う通り、初日の挨拶以外でエリカと会うことはなかったが、庭園や廊下でロシュディとエリカが言葉を交わしている姿を見かけるだけで、オレリーはギュっと心が締め付けられた。
「……いつまで続くのかしら」
最近は部屋に籠りがちで、ポツリと呟くオレリーにサラはかける言葉がなかった。
エリカは、なんとかオレリーに接触しようと焦っていたが、幾度となくマルゴーやギョームに阻まれ苛立っていた。
(皇妃様から頂いたチャンスよ! お父様はロシュディ様の妾になれなんて、本当に器が小さいんだから。公爵夫人の座は私のものよ!)
愚かで自尊心の高いエリカは、ロシュディとは家格のせいで結婚できないだけで、チャンスさえあれば自分の魅力でロシュディを振り向かせることができると本気で信じていた。
「今の私には皇妃様の後ろ盾があるわ。こうなったら、早く公爵夫人に消えてもらうしかないわね」
どんどん闇に落ちて、どす黒いオーラがエリカを包んでいった。
(あの不吉なオーラはどこまで膨れ上がるのか……)
ロシュディは、密かにエリカの動きを把握し、注視していた。