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ソファの端で縮こまる恥ずかしがり屋の妻の様子を頬杖をつきながら見ていたコージャイサンだが、彼女が落ち着いた頃合いを見計らって話題にしたのはナチトーノからの招待について。
「結婚式、参加の方向で予定を立てようか」
「え、でも……」
その提案にイザンバがすぐに飛びつかないのは現時点で彼女の中に新しい命が芽吹く可能性を否定出来ない事と貴族夫人の役目があるから。
しかし言い淀んだにも関わらずコージャイサンが嬉しそうに微笑んだため、彼女は首を傾げた。
「コージー様?」
「嬉しいなと思って」
「ナチトーノ様とシュート殿下のご結婚ですか?」
「いや。それはめでたいと思うけど」
二人の結婚に対してコージャイサンにも祝福の気持ちはあるがそれだけだ。それよりももっと自分の胸を震わせる事がある、と彼は言う。
「ザナが俺との子を望んでくれている事がすごく嬉しい」
貴族夫人の勤めと言われれば身も蓋もないが、イザンバは当たり前のようにその存在を意識して動いているのだから。
「もちろん俺も望んでる。今どうなっているかはさすがに俺も分からないから確約はできないけど、今回子が出来ていなければ次からは俺が避妊薬を飲んだらいいだけの話だ」
「えっと……コージー様が?」
「妊娠も出産もどうしたって女性に負担をかけるからな。安心しろ。父も飲んでいるものだ。体への負担はほぼないし効果は保証する」
「いえ、あの、お義父様の情報は……知らないままで良かったです……」
公爵夫妻が仲睦まじい事はイザンバも知っている。彼が率先して動こうとするのはそんな両親を見てきたからこそだろうが、それにしたって生々しい。この妙な気まずさをどうしてくれようか。
明後日の方向に視線を逸らす彼女の頬をコージャイサンの指の背が撫でた。
「周りにもちゃんと説明する。心配しなくても俺たちが二人で決めた事にうちの親は反対したりしない。子に関しては俺たちより先に我を通してるからな。クタオ伯爵夫妻だってきっと理解してくれる」
両家の家族も使用人たちも子を楽しみにしているのは間違いない。皆いつか会えたらと願っている。急かすような事情が差し迫っているわけでもないのだから。
「それに俺としてはこうして——……」
その手がそっとイザンバの頬を包み込む。顔が間近に迫ったかと思えば、耳元でリップ音が鳴った。
「ザナと二人きりの時間を堪能できるのもこの上なく至福だからな」
色気のこもった声音で甘い囁きを吹き込まれてイザンバは目眩がしそうだ。
せっかく落ち着いたと思ってもすぐさまこうやって羞恥心を刺激される。結婚してからの彼は本当に容赦がない。
——ギュッと目を瞑っても
——真っ赤に染まった耳を押さえても
その余韻が燻っている。
「最近、私の事甘やかしすぎじゃないですか?」
「そうか? でも、これから先も重荷を背負わせる事が分かっているからな。甘やかすくらいで丁度いいんだよ」
見上げた先には甘く蕩けた翡翠。抑えきれない高鳴りがヘーゼルに薄い膜を張る。
「ザナはどうしたい?」
「私は……」
次期公爵夫人としては一刻も早く子を宿す方がいいとイザンバも分かっている。関心が高まっているとナチトーノも言っていたではないか。
だが、彼は聞いてくれるのだ。次期公爵としてではなく、妻を大切に思う夫として。
「お祝いしてもらえてすごく嬉しかったから叶うなら出席したいです」
「分かった。そうしよう」
「ありがとうございます。そうだ! コージー様が私を甘やかすならこれからは私もじゃんじゃんコージー様を甘やかしますからね!」
「へぇ。どんな風に甘やかしてくれるんだ?」
そう言った彼の艶然とした微笑みは目の毒だ。早速距離を詰めて近寄ってくる彼にイザンバの心音が速くなる。甘やかすと言っても彼女に浮かんだのは子供をあやすようなもので。
「ええと……よしよしとか? 抱っこ、は無理だから…………ハグ……とか?」
「ん」
腕を広げたコージャイサンは待ちの姿勢。まさか今すぐとは思わずイザンバの視線があちらこちらを彷徨う。
しかし、自分で言った手前今のはなしとも言いにくい。意を決して彼女はゆっくりと夫を抱きしめた。
甘やかすつもりが甘やかされているような。それでも、イザンバは思う。
——私、こうやってくっついてる時間も好き……。
だがしかし、忘るるなかれ。
彼らは新婚。愛しい新妻からのハグに癒しだけでなく情欲が刺激されたのは致し方なし。
コージャイサンは柔らかな肢体と甘やかな匂いに誘われるように新妻にキスの雨を降らせた。恋慕が滲むヘーゼルに彼が浮かべるのはうっとりとしたような笑み。深い口付けに続いたのはもはや自然の流れだろう。
そして、彼は妻の首筋に顔を埋めた。服で見えなくなった所有印を思い出させるように軽く唇を当てれば、イザンバの体がふるりと震える。先を求めるように手が彼女の体の線をなぞり、交わる視線に確かな情欲を乗せて。
ぐっと体重をかけられてイザンバの体が傾いた。
——自分の上でにっこりといい笑顔を見せる夫
——ソファに押し倒されている現状
流石のイザンバもこれには慌てた。
「待ってコージー様! ここ図書室!」
「知ってる」
「じゃあなんで⁉︎ こ、こういうこと、する所じゃないです!」
「夫婦が愛し合うのに場所は関係ないだろう?」
「そんな事ありません! 場所を弁えるの大事!」
「それにこのソファは俺が選んだんだ」
「それは聞きました……え?」
カウチソファはのんびりと寛いで本を読む為の物のはず。そんなイザンバの考えを彼の行動が塗り替える。
「あの……まさか……?」
聞きたいような聞きたくないようなそんな彼女の心境を分かっているのか、彼はいっそ猛烈と言っていいほどの妖艶さで微笑んだ。
「さっきも煽られたしな。甘やかしてくれるんだろう?」
射竦めるような、内側を沸き立たせるような、そんな低く艶のある声。引き寄せたイザンバの手に口付けながら熱のこもった翡翠で流し目を寄越すなぞなんとけしからん。
図書室という自身にとっては聖域とも言える場所で夫が誘惑してくるこの事実。
ところが、イザンバは堕ちるよりも音を上げる方が早かった。
「あぁぁぁ、待って、無理。コージー様のお色気過剰摂取で死んでしまいます!」
「死なない」
圧倒的な色気にイザンバは顔を覆い隠し全力で白旗を振った。全面降伏である。
仕方がないな、とコージャイサンは一つ息を吐くと、共に体を起こし宥めるようにさらさらと指通りのいい妻の髪を梳きながら言った。
「ほら、今はしないから。せっかくだから夕食まではここで過ごそうか」
その言葉は、イザンバにとって啓示と言えるものだ。
パッと顔を上げた彼女の頬は色香とは違う高揚感で染まっていて、幼い頃と変わらないその仕草にコージャイサンの眦は自然と緩む。
「じゃあ本取って来てもいいですか⁉︎」
「ああ」
「あ。でもそれなら隣国関係のものがいいかな? でもその前に結婚祝いのお礼状書かないといけないから貴族名鑑と……」
隣国関係はナチトーノへの協力として。
結婚式のお礼状は次期公爵夫人の仕事として。
顎先を指でトントンとしている彼女は早速脳内でピックアップしているのだろう。
けれどもコージャイサンはやんわりとそれに待ったをかけた。
「どっちも明日にしたらどうだ? 厳選するにしても時間が必要だろ?」
「そうですね! じゃあ今は趣味に走るということで! コージー様は何か読まれますか? 取ってきますよ」
「んー、そうだな……ザナのお薦めのもので」
「了解です!」
いうや否や元気に駆けていく後ろ姿を見送った。