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イザンバが懸命に澄ましているその対面で、綺麗な所作でお茶を飲んだ後にナチトーノが話題を変えた。
「そうそう、火の天使の事はあちらでも噂になっているんですよ。皇族の方々もあそこまでの力を行使したのは誰なのかと興味津々でいらして」
ピクリ、と二人が反応したがその様子は正反対だ。
——コージャイサンは警戒心を抱き
——イザンバは恐れ多いと青褪めて
しかし、ナチトーノは二人を安心させるように微笑んだ。
「より強力になったのは古の手法に倣い増幅魔法を使っていたからだと閣下が説明されていましたわ。ふふ、それを聞いて皆様はまた驚かれていましたけど」
「そうですか。まぁそれに関しては特に隠しているわけでもありませんし」
「ええ。あまりにもあっさりとお話になるから閣下の豪胆ぶりにも驚かれたんでしょうね。わたくしは目の前で皇帝陛下直々に引き抜きのお話された方に驚きましたけど」
「いつもの事です」
コージャイサンも驚くことなく淡々と。しかし、イザンバは未だ勧誘を受けるという義父のハイスペックぶりに驚くやら呆れるやら。
敵に回せば恐ろしいが味方となれば心強い。どこの国もそんな人材を求めているのだ。
「そうみたいですね。閣下も慣れたように断られていましたし、皇帝陛下も断られると分かっていて仰っていたようです。ただその後に……冗談だと仰ったんですけどコージャイサン様と皇女殿下を縁付かせるのはどうだと」
チラリと気遣いの眼差しの後に落とされた爆弾。場の気温が下がったように感じたのはイザンバだけではないだろう。
「もちろんすぐ訂正されました。皇帝陛下も両国の繋がりはわたくしとシュート殿下で十分だからと。でもそれを聞いた瞬間の閣下の圧が凄まじくて……。その後の皇帝陛下との攻防も」
「——あの国も潰すか」
「急に物騒! そういう事言っちゃダメですよ!」
「それはわたくしも止めてほしいですわ。ご安心なさって。シュート殿下がお二人の仲をご説明されて、閣下もはっきりと、ええそれはもうきっっっぱりとお断りされてましたから」
女性二人が止める中でコージャイサンから発せられる冷え冷えとした空気は、ナチトーノがあの場で感じたゴットフリートの圧と似たようなもの。
これも学生時代と違うところだ、とナチトーノは思った。彼はこんなにも分かりやすかったのかと驚きつつも彼女の声は真剣さを帯びて。
「わたくしが今お話ししたのは、この先もまたこんな話が出るかもしれない事を心に留め置いてほしいからです。今回はコージャイサン様でしたけれど……もうお子様への関心が高まっています」
ナチトーノの憂いを乗せた視線はイザンバへ。そして、何よりも無垢なその未来へ。
それは奇しくも彼の友人も懸念していた事で。道が交わらなかった彼らがそれぞれの立場で二人の未来を思い遣ってくれている事に他ならない。コージャイサンは断固たる思いで頷いた。
「そうですね。ご忠告ありがとうございます。その手の輩はきっちりシメていきます。特に母が目を光らせているでしょうし」
「ふふ、頼もしい限りですね。どなたも人気者だと大変でしょうけど」
「ナチトーノ様もですよ。社交から遠ざかっていても求婚者が絶えないとか」
「ええ、ありがたい事に。実は今日はお祝いだけでなくお知らせしたい事もあって」
「なんでしょう?」
首を傾げるイザンバと視線を交えて、ナチトーノは凛とした声で告げた。
「先日国王陛下にも報告いたしました。わたくしはシュート殿下の求婚をお受けします」
——元婚約者を赦せたのかと
——求婚者を愛したのかと
問われたのなら、「まだ」としか言えない。
国王の誕生日を祝う宴の後、ケヤンマヌに対して愛情がなかったからこそ世を儚んだりはしなかったが、あの婚約破棄騒動で傷付き弱った心が抱える不安を吐露すれば皇子はゆっくりでいいと言ってくれた。
その後も手紙で交流を続け、その人柄と真摯さに信用と好感が積み重なった。
そんな中で夢で最期を思わせる体験をした時、脳裏に浮かんだのはシュートだった。
まだ同じ熱量を返せないながらも確かにその想いが育っている事を、ナチトーノ自身が自覚せざるを得なかった。
そして、ゴットフリートと共に隣国に赴いた時、シュートが見せる表情の変化に胸がときめいた。
今日までの時間は傷が完全に癒えるには至らなかったが、前向きに一歩踏み出す勇気を蓄える事は出来たのだろう。
だから、彼女は決めた。二人の結婚式を見届けたこのタイミングで。
「お二人のお陰です。あの日の言葉、本当に嬉しかった」
「私たちは何も……。向き合う事を決められたのはナチトーノ様とシュート殿下です」
「ありがとう。でもね、卒業パーティーの時から変わらず二人が一緒にいる姿にとても安心したんです。今はもっと素敵」
まるで理想を体現したようだと、ナチトーノは思う。一方的ではなく、こうやって支え合える関係を目指したいと、その憧憬を滲ませたガーネットに焼き付けるように二人を見つめる。
イザンバにはその視線がこそばゆい。
「ありがとうございます。あ、是非あちらの国でも淑女の鑑無双してください。ナチトーノ様が今まで培われてきたものは、絶対、何一つ、無駄じゃないですから!」
国を跨いでの婚約だ。重荷がないわけがない。それでも友人の表情には憂いどころか面白がるようで。
「あら、あちらにも皇女殿下がいらっしゃるんですよ。わたくしでは敵わないかもしれないわ」
「強くて優しくて綺麗で可愛いナチトーノ様ならタイマンを張れます! 何より強面溺愛系のシュート殿下がいらっしゃるんですから強気でいきましょう!」
「そういう事ならコージャイサン様にとっっっても溺愛されているイザンバ様も強気でね!」
「うっ……それは…………はい……」
激励のつもりの言葉がより力強く返ってきてイザンバは狼狽えた。
ナチトーノの声遣いはまるで噂を知っていると言っているようで、恥ずかしさの上乗せに声が小さくなる。
「まぁ。コージャイサン様、イザンバ様はまだ自信がなさそうですよ。もっとたっぷり愛して差し上げませんと。殿方の愛が女性をより美しく輝かせると言いますから」
「ええ。もう遠慮する必要がないのでしっかりと伝えていきます」
「……いえ、あの、もう十分……伝わってますから……」
「本当に?」
からかいを含んだような声なのに、向けられる翡翠は甘く蕩け、纏う雰囲気に色香を滲ませるから、否が応でもイザンバの頬は熱くなる。ただただ首を上下に動かした。
「うふふ、さすが新婚ね。当てられてしまうわ」
上品に微笑む友人の姿にイザンバは慌てて顔に集まった熱を払った。
「えっと、ナチトーノ様は求婚を受けられたとの事ですが、すぐにあちらに行かれるんですか?」
「いいえ。シュート殿下はすぐにでもと仰ってくださったけど、行く前にきちんと準備をしたいから」
隣国への輿入れとなれば揃えていくものも多いのだろうな、とイザンバは思ったがどうやら違うようで。
「国が違えば文化も常識も違うでしょう? 知らないで足元を掬われるわけにいかないもの。オンヘイ公爵夫人からも激励をいただきましたし励みませんと」
「あの、その冊子の中身……もしかしてシュート殿下のお写真ですか?」
「分かりますか? 一枚はシュート殿下で、もう一枚は、その……二人の写真なの」
開かれた冊子の中には二枚の写真があった。
一つは美しい庭園を歩く二人の写真。強面の皇子ですらも穏やかな顔つきで、熱量の差はあれどその眼差しには互いを思いやる気持ちが溢れている。
もう一つは謁見の間に居た時のものだ。皇子として立つシュートの写真で、力強い眼差しが大変迫力がある。
——セレスティアがお礼と言った
——ナチトーノが激励と受け取った
その意味が分かって、コージャイサンも和やかに返す。
「いい写真ですね」
「閣下は皇帝陛下に許可をとられていたようで、あの時に撮られていたなんて本当に知らなくて……」
「だからぎゅーってしてたんですね」
「え、わたくしそんな事してましたか?」
新婚夫婦にニコニコと見られてナチトーノはほんのりと頬を赤く染めた。しかし、一つ咳払いをすると「とにかく」と話題を元に戻した。
「ただでさえ撮影機や火の天使で我が国は周辺諸国の注目を集めています。あなたたちが守ってくれた国の誇り。シュート殿下の元に行くからこそ、わたくしはハイエ王国の公爵令嬢として恥を晒すわけにはいきませんから今一度自身を磨きます」
その美貌を。教養を。
他国から嫁いできた者はそれだけで注目を集める。その人の一挙手一投足がその国の在り方として見られるのだから、評価を下げるような姿は見せられないとナチトーノは言う。
自分を選んでくれた皇子のためにも、うまくその荒波を乗り切って見せると彼女は麗しい微笑みの裏にしっかりとした決意を抱いている。
そう、すでに社交という名の淑女の戦いは始まっているのだ。
「何かお手伝い出来ることがあれば言ってください。資料とか文献を探すのは得意です!」
「ふふ、それでは頼ってもいいかしら? わたくしもイザンバ様の人脈作りに協力します。これから王太子妃と共にこの国の社交界を牽引していく次期公爵夫人の一人がイザンバ様なのですから」
社交から距離をとっていてもナチトーノは国内の情勢をきちんと把握している。
イザンバは目の前の友人をまっすぐに見つめた。こういうところが綺麗で可愛いだけじゃない、成る程王子妃になるべく育った公爵令嬢らしいと思う一方で。
『強かでないと公爵令嬢なんてしていられませんもの』
あの婚約破棄騒動以外にも、淑女の仮面の裏で飲み込んできたものも多いのだろう。
そして、隣に座るコージャイサンをちらりと見上げた。目が合えばふわりと微笑んでくれる彼が背負ってきた重荷を理解しているつもりではあるが、実際はいかほどだろう。それを分かち合うにはまだまだ足りないとイザンバは自認している。
——次期公爵夫人として……。
そう考えて、まだなんの兆しもない胎に手をやった。いつの日か——……公爵家に生まれたという責務を背負わせる前に。
「はい」
今までどこか薄膜一枚隔てた向こうにあった社交界の次代を担うプレッシャーに、真っ向から挑む意志がヘーゼルを強く輝かせた。
するとコージャイサンがテーブルの陰で妻の手を握った。励ますように、支えると言うように。
彼の存在はイザンバにとって何よりも心強い。ありがとう、と心を込めて微笑んだ。
その後も時間は穏やかに過ぎたが、とうとう迎えたお開きの時間。
「そろそろお暇しますわ」
帰り際、ナチトーノの従者が一通の封筒を差し出した。
「婚儀の日取りが決まれば改めてお知らせします。お二人が来てくれると嬉しいのだけど……これからはお子様の事もあるでしょうし、相談してお返事をくださいな」
参加の確約が難しい事はナチトーノも分かっている。二人がどんな家族計画を立てているにしろ妊娠や出産の時期と被れば隣国への訪問が途端に難しくなるのだから。
だが、国を出てしまえば彼女自身もさらに気軽に動ける身分ではなくなる為、できる事ならきて欲しいとかすかな望みを言葉にした。
そんな彼女の心境を慮り、コージャイサンはにこやかに、イザンバは気恥ずかしそうに返す。
「返事は必ず」
「ナチトーノ様とシュート殿下の未来に幸多からん事を願っています」
「ありがとうございます」
それでも互いに友人の幸せを願う想いを微笑みに乗せた。
活動報告にゴットフリートが隣国に行った時の様子をアップ予定です。